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最初本記事を起こした時(6月初)は、「ロアー」の第三話だけの記事だったのに、段々追加が増えて、ついに三回(The Eagle/本記事/次回)分割することになってしまいました。「ロアー」も第八話まで到達したところ。
その「ロアー」。紀元400年頃のアイルランドが舞台。あまり好きではない米Foxニュースの1997年製作。一話一時間で全13話。最初の八話しか見ていませんが、ロビンフッドのような冒険活劇。真面目に力を入れて一気に見るより、リラックスしたい時に少しずつ見るのがよさげな娯楽作品です。ちゃんと見たわけではなく、他のブログの映画紹介記事を書きながら、なんとなく流していただけなのですが、キャラが立っていてるのがいい感じ。なにより、「女王様」という言葉がピッタリの、ローマ軍の”女王”(主人公より存在感がある)と、ケルト部族の関係は、最後はどうなっちゃうんだろう、と、そのうち最後まで見てしまいそう(女王様とケルト族は基本的に対立してますが、抗争ばかりしているわけでは無いところが、面白いところ)。最初の二話だけ簡単に筋をご紹介します。 第一話は、アイルランドに残るギャング団と化したローマ私兵によるアイルランドのどこかの地方侵略と、現地ケルト部族の抵抗から始まり、部族長の息子と思われる主人公の結婚式で夫妻が野原に出ているうちに式場がローマ軍に襲撃され、部族の大半が虐殺される。主人公は部族を再結成してローマ軍陣地を襲撃。敵司令官を負傷させるが、司令官に止めを刺したのは、その愛人だった。そしてその愛人が、「ローマ人の女王」として、ローマ兵に君臨することになる、という筋。 第二話は、火薬を巡る物語。ロアーの部族とローマ軍双方に、火薬の知識を持った技術者が加わって、双方爆薬を使った兵器を作るが、ローマ軍側が作った大砲の威力に、ケルト部族は敗退する。下記がその大砲と、いかにも野蛮な感じのケルト部族。 女王様の本拠地。奥に、元は神殿だったと思える建造物が見える。 そして大砲。 大砲を奪うべく、女王様の陣地に、ローマ兵のふりをして忍び込む主人公達。 しかしあっさり見つかってしまい、大砲で処刑されそうになるが、一人が手に持っていた火薬を焚き火にばら撒き、それが爆発した混乱で脱出に成功する。 Roarというのは、部族の"神聖な掛け声"のようなものみたいである。主人公コナーが、「ロアー」と大声で叫んで気合を入れたりする場面が出てきますWikiの番組紹介でも、「生命に力を吹き込む声の反響」とあります。現代ケルト音楽の題名でもあるようですね。番組のオープニングで、「知られている世界の果て」という、「ローマ世界の果て」を意識させる解説が入るのも、作品に奥行きを与えている感じがします。 ※追記 その後第八話まで見進めたところ、第六話で魔法や妖術が登場してしまいました。本作のWikiでの紹介でも、イエスを処刑したローマ兵士ロンギヌスが400歳で登場すると記載があったものの、第五話までは、普通の呪術師のような感じだったのですが、第六話でとうとう、400歳だと口にし、「スタートレックに登場する宇宙人」のような容貌に一瞬変貌し、妖術を使いまくります。このまま魔法・妖術でまくりのファンタジー作品にはなってしまうのか、と危ぶまれたのですが、第七話では妖術は収まります。とはいえ、隠れた神域の中でロンギヌスの槍を見つけた主人公コナーが、突然ケルト族統合を進め始め、部族長会議を開いて連合を強化。一方ロンギヌスの回想場面が登場し、イエスを処刑した後、家に戻ると、妻と二人の息子が、急激に老化し、灰となってしまい、ロンギヌスは灰を持ってイエスの十字架の前で悔やみ、祈る場面が登場。最後は正気に戻ったコナーが槍を海に投げ捨てて終わるのでした。取り合えず第七話では比較的歴史ドラマ路線に戻った感じです。今後はどうなるのでしょうか。ところで、当初非常にインパクトのあった女王様は、第六、七話では存在感が希薄となってしまいました。これは少し残念。是非復活して欲しいところです。 ところで、既に本ブログで紹介済ですが、未だに日本語版dvdが出ない、末期ローマ帝国映画・「The last Legion」の紹介記事へのリンクを再掲します。私は結構気に入っているのですが、原作の翻訳「カエサルの魔剣」の題名と表紙カバーが、アーサー王とかの、神話・伝説・ヒロイックファンタージーファンかRPGファン向けのイメージを与えるものだったのが歴史ファンの目にとまりにくくなってしまった一因なのではないかと思うのでした。まあ、興行的には、史実度の高い歴史作品を好む層より、神話・伝説ファン層の方が多そうなので、彼らターゲットにするのは理解できますが。。。末期ローマ帝国モノとしては私は結構気に入ってます。ただし、原作を読んでいるから楽しめたのであって、原作を読んでいない方の感想としては、田亀源五郎氏の感想が的確だと思います(「田亀源五郎's Blog」の 2008年10月22日の記事「"The Last Legion"」)。 「Roar」と同様、帝国の果てを描いた作品として、「Edge of the Empire」という、文字通り「帝国の果て」という題名のタイ作品も昨年公開されています(予告編はこちら。IMDbの映画紹介はこちら)。DVDも出ています。予告編を見ると、「Han empire」と出ているので、漢王朝の筈で、IMDbの紹介でも、Han dynastyと書いてあるので、漢王朝ものとなれば、dvdを買ってでも見なくてはいけない(個人的な義務)のですが、予告編を見ると、あからさまに面白くなさそう。。。。そもそも漢王朝時代のタイ人は、現在の中国・華南地方にいた可能性が強く、もし舞台が華南なのであれば、新品なのに£3.50しかしないので購入してもいいのですが、UKアマゾンの評に、「神話。インドからタイまで支配した12世紀のHan Dynasty」などと無茶苦茶な事が書いてあるので、タイの神話の映画化なのかも。 同様な東南アジアの神話映画で、ローマ帝国と漢王朝の王子と王女の結婚と言うテーマを描いた「Clash of Empires: Battle for Asia」という、今年公開されたばかりのマレーシア映画があります。DVDと予告編とでは、タイトルが異なっているので、公開時に題名を変えたのかも知れません。 予告編の題名は、「The Malay Chronicles: Bloodlines」 DVDの題名は、「Clash of Empires: Battle for Asia」 (IMDbには予告編のタイトルで掲載されています) 「The Malay Chronicles: Bloodlines」とは、通常「Sejarah Melayu」または「Malay Annals」と英訳されている、16世紀のマレー王統記(スジャラ・ムラユ)」の事だと思っていたのですが、全然別で、「Hikayat Merong Mahawangsa」という同じ16世紀の年代記的文学作品が元ネタとのこと。漢とローマの邂逅なんて、まさに私のためにある映画!!!コレハ買わねば。と思ってアマゾンの感想を読むと、酷評されてますね。一番上の感想は、この人だけで、「What a terrible waste of money.(訳すとニュアンスが伝わらないかも知れないので原文のまま)」「マレー映画を見るのは初めてだが、こんなのを見てしまうと今後見るかどうか疑問だ」「筋は無いも同然」「これまで見た映画の中で最悪のアクション」「エドウッドの方がまし」「人生の107分を無駄に過ごすな」「「ゴールデン・ターキーアワーズ」(1980年に出版された史上最低の映画を扱った批評本)レベルだ」など、これ以上無いというくらいの罵りぶり。ここまで酷いと、さすがに考えてしまいますね。。。。*1映画の筋は、Wikiにも記載されているし、スルーでいいかな。それにしても、恐らくは、大航海時代に東南アジアに到達した欧州人から伝え聞いたことからの創作だとは思うのですが、ローマと漢の王子と王女の結婚を描いた創作物が、16世紀のマレーシアにあったとは知りませんでした。下記はそのローマの王子と漢の王女が出会う場面。 予告編はこちら(英語字幕入り。この中でも、「世界の果て」という言葉が出てきます)。なお、先ほどのアマゾンの酷評のお陰で、ローマ人が古代中国にいたる、「Empire of the Dragons」という小説を知ることができました。以前、「THE PARTHIAN INTERPRETER: An Odyssey of the Later Empire 」という、マルクス・アウレリウス帝時代、ローマ人とパルティア人が中国に到達する内容の小説を購入したことがあるのですが(結局まだ未読)、ローマと漢の邂逅にロマンを感じている人は多いのでしょうね。。。。でもいづれの作品も低評価。内容的に無理があるのかも知れませんね。。。 *1 結局本作も、最近ネットに上がっているのを発見し、見てしまいました。私としてはまあまあ面白かったので、IMDbやAmazonの酷評が少しわかりません。せっかくなので、次回感想とあらすじを記載したいと思います。 最後、「ビザンティウムの東の物語(East of Byzantium saga)」という、3世紀から5世紀頃のアルメニアを扱ったRoger Kupelianという方のコミック・ノベルの、451年のヴァルダン・マミコニヤンに率いられたサーサーン朝への反乱の決戦アヴァライールの戦いを扱った映画が製作中のようです。こちらにその映画サイトのホームページがあります。これによると、「At the Edge of Rome」と書いてあり、「ローマの果て」ということで、これも「果て」映画の一つ。2010年7月版の予告編がこちらにあります。サーサーン朝を扱った映画なので、戦争映画といえど、是非視たい!と思ったのは一瞬。予告編を視て見る気が失せました。なんかゲームのCG映像を視ている感じ。「300」と似たような印象。しかも、映画ホームページのブログを観ると、今年になって一回(6/8)しか更新されていない。IMDBの映画情報では2011年という年号が入っているのに、カテゴライズすらされていない状況です。これはきっとこのままお蔵入りしてしまうのかも知れません。アルメニアのことだから、きっと旧ソ連時代に、各共和国で作られていたような民族主義映画はあるのだろう、ヴァルダン・マミコニヤンの反乱のようなものはまず第一に挙げられる題材の一つだろう、と思っていたのですが、今のところ発見できておりません。その、451年の反乱を描いた作品がいよいよ登場するのか、と思ったらこれとは。。。。なんかがっかり。グルジアのダヴィド4 世(在1089-1125年)が、1121年8月12日、Didgori近郊でセルジューク軍を破った戦闘を描いた2009年グルジアの製作の、「Didgori: Land of Sacrificed Knight」の方はまだ期待できそう。 #
by zae06141
| 2011-07-18 19:20
| 古代ローマ・ビザンツ関係
今回は複数の古代ローマのポンペイ滅亡映画を見ました。その過程で、過去の作品含めて一覧を作ってみました。「ポンペイ最後の日」というタイトルだけで、結構な数になりますが、日本語情報・日本語dvdの販売されている作品は非常に少ないのが残念です。
1.1935年版「ポンペイ最後の日」 米国製作 モノクロ作品。著作権が切れているので、日本語版dvdが500円で出ています。これはネットでも発見できていないのですが、著作権も切れている筈だし、そのうち上がるかも知れません。未見です。 日本語Wikiに解説とあらずじがあります。同じ題名でも、結構内容は異なっているんですね。 2.1963年版 スティーヴ・リーヴス主演の「ポンペイ最後の日」 イタリア製作 これはVHS時代、レンタルで見ました。「サムソンとデリラ」や「ソドムとゴモラ」とどこが違うんだ?という印象で、ソード・サンダル映画への偏見が私の中で生まれるきっかけとなった映画の一つです。USアマゾンで中古が6ドル程度で出ています。ネットにもあがっています。日本語版dvdは出ていないようで、日本語版VHSの中古が12619円で出ています。 本作は、日本語のあらすじがネットにあがっています。良かった。この作品まであらすじを書かねばならないかと思うと(誰に頼まれたわけでもなく、自分で好きでやっているだけだけど)、ちょっとくらっと来たのでした。 3.1984年版 「ポンペイ最後の日」 英国製作。全三話のテレビドラマなので、270分。 戦争とか政治とかよりも、社会生活に興味がある私としては、古代ローマ映画でももっとも好きな映画となりました。感想・dvd情報はこちらをご覧ください。かなり気に入ったので、英語字幕dvdが出ていないにもかかわらず、dvdを買いました。日本語情報はまったく見かけないので、日本未公開かも知れません。そもそもこの頃学生だったので、日本のテレビなどで放映されていれば、絶対気づいた筈。英語Wikiにさえ、キャストくらいしか情報がありません。こういう作品こそ、是非日本語版を出して欲しいものです。 4.2004年版 「ポンペイ最後の日」 90min JPアマゾンのタイトルは、「Pompeii: The Last Day」となっており、収録時間も(本日現在)50分と書かれていますが、誤りです。よく読めば、「商品の説明」にも記載がありますが、「Colosseum」も併録されています。また、「商品の説明」には、「Pompeii」を、「50-minute bonus program」と記載しており、特典映像のように感じてしまいますが、これも誤解を招く記載で、実際には単に2本、収録されているだけの話です。USやUKアマゾンで、下記の2つの商品が、異なるパッケージで販売されていますが、両者は、同じものです。「商品の説明」がまったく同一文だからです。 Colosseum - A Gladiator's Story/Pompeii - The Last Day (2004) Pompeii - The Last Day/Colosseum - A Gladiator's Story (2004) 更に、UK/USアマゾンには、「POMPEII_The Last Day_BBC Documentary」という題名で、また異なるパッケージのDVDも販売されています。私はこのDVDを持っており、パッケージと収録時間の違いで別作品かと思い、本作を購入したのですが、これは、前2者の、「Pompeii」だけを収録したものです。 ご参考までに、3つのパッケージ写真を並べてみました。左と中央が同じもの。そしてこの2つのdvdに収録されている、ポンペイだけのものが、右のものです。 実はまだ、「Colosseum」の方は見ていないのですが、BBCの歴史再現ドラマは、映像的には素晴らしいと思うのですが、史実を優先させる教育ドラマを兼ねているからか、ドラマ性に乏しいことが多く、あまり面白くなかったりするのですが、本「Pompeii」は、演出に工夫があり、見ごたえがあるものと思います。詳細はこちらの記事をご参照ください。 5 .Anno 79: La distruzione di Ercolano (1962) これは、場所はポンペイではないものの、ヴェスヴィオス火山の噴火で滅亡したヘラクネリウム(Ercolano とはヘラクネリウムのこと)もの。珍しい作品です。詳細はこちらの記事をご参照ください。 IMDbに映画情報が掲載されています。 6.ボルケーノ in ポンペイ 都市が消えた日(原題「Pompei」) 2007年イタリア製作。本作は、日本語dvdが発売されています。 IMDbの映画紹介はこちら。182分のテレビミニシリーズ番組。 7.Up Pompeii! こんなおふざけ番組も見つけました。 同じシリーズでバグダットものも上がっています ところで、グルジアのダヴィド4 世(在1089-1125年)が、1121年8月12日、Didgori近郊でセルジューク軍を破った戦闘を描いた映画があるとは知りませんでした。2009年グルジアの製作の「Didgori: Land of Sacrificed Knight」。製作された年からして、セルジューク朝が象徴するものは、ロシアなんじゃないかと思ってしまう。予告編はこちら。DVDが出たら買いたいと思います。 2014/7月追記 8.2014年版「ポンペイ」 #
by zae06141
| 2011-06-20 23:49
| 古代ローマ・ビザンツ関係
今回紹介するエジプト映画は、今GWに見たものではなく、最新の情報流通状況を調べてまとめてみたものです。いづれも、ネットで日本語のあらすじの入手が可能で、英語版dvd/vhsも入手可能な作品ということで、本記事ではあらすじの紹介は行わず、作品の宣伝を目的としたいと思います。
「ピラミッド」 1955年・米(原題「LAND OF THE PHARAOHS」) 本作は、「Weblio辞書」掲載の映画情報に、日本語での基本情報とあらすじが記載されています(US Wikiにもあらすじの記載あり)。また、ラスト4分がネットに掲載されています(全編は掲載されていないようです)。私が見たのは30年程前、中学か高校生の頃に実家の白黒テレビで見たので(カラーテレビは家族が別の番組を見ていた)、ずっと白黒映画だと思い込んでいたのですが、カラー作品だったと今回はじめて知りました。それにしても、一回見ただけなのに、ラストは、殆ど台詞まで含めてほぼ記憶通りでした。それだけ印象の強い終わり方だったのだと思います。本作は、大ピラミッドが舞台であることから、古王国時代が舞台で、しかもエジプト古代の巨大ピラミッドの設計や仕掛けへのロマンを掻き立ててくれる内容です。ソード・サンダル映画とは製作者の視点も目的も異なるとは思いますが、広い意味ではSS映画の一種と言えるのではないかと思います。 ラスト、通路に次々と石が落ちる音が轟き、玄室が閉じ込められてゆく音に「死にたくない!死にたくない!」とすがり付いて叫ぶ策謀家の王妃を、無言で見守る高官と役人たちの場面は印象に残ります。是非、日本語dvdを出して欲しいものです。 本作は、本日現在日本語版VHSが、15000円と非常に高額ですが、一応出ています。英語版VHSは、日本のアマゾンで3500円で出ています。USアマゾンでは、新品及び中古DVDが8ドルから出ており、送料含めても2000円以内で入手可能です。 ところで、監督のハワード・ホークスは、ハリウッドの名物監督で、SFの古典映画「遊星よりの物体X」や、典型的なジョン・ウェイン西部劇「リオ・ブラボー」などを監督した方。歴史映画も撮ってるとは知らなかった。どのジャンルを撮ってもそこそこ面白い。なんでも監督できるん人だったんですねぇ。。。 「太陽の王子 ファラオ」 1966年・ポーランド 「原題Pharaoh(ポーランド語 Faraon スペイン語 FARAÓN )」 あらすじは、Goo映画紹介やWeblio映画情報にあります。舞台は前11世紀のエジプト。いったいどうして、ポーランドで古代エジプト映画なのか、製作理由に興味のあったのですが、原作は19世紀のポーランドの小説家Bolesław Prus(1847-1912年)の同名の作品だったのですね。彼は、国家の構造に興味があり、これを書いたらしいので、古代ローマを19世紀のロシア帝国に仮託したシェンキェヴィッチの「「クォ・ヴァディス」と同じような理由なのかも知れませんね。 vhsは英語版が出ており、dvdもやはり英語版が出ています。 上記amazonを見ると、180分もあるのですね。私が20年程前レンタルで見た日本語版ビデオは、119分の短縮版で、日本劇場公開時も119分の短縮版だったようです。こういうことを知ってしまうと、いつか、180分の完全版を見てみたい、という気になります。ソード・サンダル映画とは異なります。 以前見た当時は、王子と神官団の政争で神官団が日食を政治的に利用するなど政治の権謀術数を描いた、「共産主義リアリズム映画だなぁ」と思ったものですが、今見ればまた印象も変わるかも知れません。本作は、ネットに20分程の映像があがっており、それを見て購入の判断をしても良いかと思います。下記は日食で暗くなっている場面。 下記は、登場人物達の肌の色。茶色いのもリアルな感じ。 「エジプト人」 1954年・米 原題THE EGYPTIAN フィンランド人、ミカ・ワルタリ原作。邦訳が角川文庫から全三巻で出ています。映画のあらすじ紹介がGoo映画紹介にあります。日本語版はdvdもvhsも出ていないようですが、英語版dvdが出ています。USアマゾンのパッケージを見ると、中国語版と韓国語版が出ているようです。せっかくだから日本語版も出してくれればいいのに(訂正5/17 よくさがしたら、ネットに全編掲載されていました)。 ミカ・ワルタリの原作は文庫で3冊、約850ページと長く、これを139分の作品にまとめているので、異なる部分もあります。原作は、実在するが、欠損部分のある古代エジプトの旅行記として有名な医師シヌヘの物語りを、作者の想像力で大きく膨らまし、前14世紀のエジプト、バビロン、ヒッタイト、キプロス島など、当時のオリエント世界の全体を描く壮大な作品となっていますが、映画は139分なので、基本的にエジプトから出ません(ただし、エジプト在住の退廃したバビロニア人女性が登場し、原作にある退廃したバビロンの雰囲気は一部表現されています)。基本的にソード・サンダル映画とは言えないかも知れないが、やはり広い意味ではSS映画という印象があります。ジーン・シモンズ、ビクター・マチュア、ピーター・ユスチノフなど、当時の一線級の俳優達が出ている豪華キャスト作品です。また、長岡良子氏の漫画、「ナイルのほとりの物語(全11巻)」は、様々な古代オリエントの短編・中篇・長編なら成り立つ作品ですが、その5-7巻所収の「黄金の地平」が、大体映画と同じ時代・地域・題材を扱っています。ただし、長岡良子氏の当該作品の後半の巻は、ネット中古販売でも、古本屋でも滅多に見かけないのが残念です(多分、後半、御伽噺のようなものも増えてきてしまったので、当初の大人向けな内容の読者層が離れてしまい、更に若年層の取り込みに失敗して部数が落ちてしまったのではないかと推測しています)。一方、ミカ・ワルタリ原作の角川文庫版は、ネット中古では、全巻入手は難しそうですが、東京の古本屋では、3巻2000円程度で出ているのを良く見かけるので(安いものでは3巻500円というのを見たことがある)、現時点ではそれ程稀購本とは言えないように思えます。下記は映画に登場するテーベ市街。 テーベ市街の、主人公の一人の経営する酒場などが登場しますが、このあたりがSS映画っぽいんですよね。 と、ここまで書いてきて、最後の「エジプト人」については、お奨めとは言えない記載となってきてしまいました。日本語版が出ていないのも無理からぬところなのかも。。。 ところで、ミカ・ワルタリの「エジプト人」は、主人公シヌヘの回想という体裁をとっており、結構印象に残る場面も多く、作者の強力な想像力に、読後、この時代のオリエント世界の世界観が焼きつきそうになってしまう程です。その世界は、かなり作者独自の色合いが強く、映画の世界観とはかなり異なるので、英語版dvdを買って、原作の映像世界を楽しむ、という感じにもならないように思えますし、文学作品としては、これはこれでありだな、とは思うものの、前14世紀のオリエント世界のイメージをこれに規定されてしまうのは、「歴史小説好き」な方には問題ないとしても、「歴史好き」な方にはあまり良いこととは思えないのでした。SS映画は、あまりに変なところが多く、寧ろ歴史のイメージ形成に対しては人畜無害なものと思うのですが、ミカ・ワルタリの「エジプト人」は、作者の巨大な筆力と想像力に飲み込まれてしまう、そんな作品に思えるのでした。 古代エジプト映画一覧 #
by zae06141
| 2011-05-15 22:25
| その他の時代の歴史映画・ドラマ
昨日曜夜、都知事選勝利後のインタビューで石原氏が、「パチンコ業界と自販機は無駄な電気を使い過ぎ。あわせて1000万キロワット消費している。これは政令でも出して抑制すべきだ」というような発言をされていました。本当だろうか、と思って調べてみたところ、どうやら出典は3月24日の読売新聞の記事のようです。原発の記事ばかり追いかけていたので見落としていたようです。最近は、東京電力の一時間あたりの平均消費電力量グラフが念頭にあるので、石原さんの発言も、平均消費量かと思ってしまいました。ご本人もそう誤解されていたような気もします。冷静に考えれば、最大出力4000万キロワットに比べて1000万は多過ぎ。先週の何曜日か忘れてしまいましたが、日経と読売にそれぞれ、東電管内パチンコ4000店で84万キロワット、自販機26万キロワットとありました。1000万というのは、一日辺りの消費量だったわけです(こちらをはじめ様々なサイトにその記事の、表の写真があります)。しかも、現在の自販機には、午後1-3時に自動的に冷却を停止するピークカット機能がついているということもはじめて知りました(全国清涼飲料工業会のこちらの資料)。自販機もパチンコも私には無くても構わないのですが、現在の東京電力管内における夏の節電は、「ピーク時の使用量」を如何に減らすかにあるのであって、石原さんの、問題を摩り替えるが如く誤解を招く発言はどうかと思います。
ところで、このところ、東電様から、発電量「積み重ね」に関する記事が出ています。切れ切れに情報が出てくるのがわかりにくいので、下記のような一覧表を作成してみました。 原発は盛んに記事となっていますが、原発以外の各発電所がどのような被害を受けていて、現在どのようなステータスにあるのか、それらの発電力はどれくらいあるのか。東電様が作成された「数値でみる東京電力」(2010年7月)という資料の第3章に、「電力供給設備」という項目があり、ここに水力、火力、原子力、その他発電施設一覧と、発電力が掲載されています。この表の数値を元に、復旧済み発電所と、今後の追加発電予定を追記した表を作成してみました。情報は、東京電力殿のプレスリリースから持ってきました。下記表は、ブラウザで、「画像だけを表示する」を選べば、表だけを大きなサイズで見ることができます(「3/16時点」という列は、3/16日までに復旧した発電所、「4/8時点」とは、3/17日から4/8日の間に復旧した発電所、という意味です)。 これを見てまずわかることは、 1.水力発電所は、3/12日に全部復旧している(表掲載以外に5万キロワット以下の水力発電所が数箇所あり、震災時は、ここに掲載されていない発電所も、10数個停止したそうですが、それらを含め、全部12日に復旧したとのことです) 2.火力発電所も、4/8日までに大半が復旧したが、残りは今夏までの復旧予定表が出ていない。恐らく現時点で復旧していない広野、常磐、鹿島の一部の発電機は、今夏までには直らない、ということなのかも知れない 3.各発電所の発電力を合計すると、現在の供給量を大幅に上回ってしまう。例えば、右から二番目の列の「4/8日の時点」の東電管内合計発電量は、4690万キロワットとなり、現在東電様が、毎時更新している「電力の使用状況グラフ」で4月12日に掲載された、「最大出力4100万キロワット」と比べると、600万キロワット近く多い値となっている。4690万という値に、昨日東電殿が発表した追加対策を加えると、6057万キロワットとなり、現在東電殿が最大値としている5200万キロワットを大きく上回り、昨夏のピーク、2010年7月23日15時頃の5999万キロワットをクリアできてしまうことになる。 恐らく、点検中で停止している発電所・発電機が幾つかあるということなのでしょう。今後それらの情報を入手できたら、表を更新する予定ですが、東電様自ら、こうした一覧を作成していただけると嬉しい気がします。プレスリリースで、「3/25日分に加えて」と書かれても非常にわかりにくいのです。追加対策などに関するプレスリリースは以下のものとなります。 ・今夏の需給見通しと対策について(3月25日) ・今夏の需給見通しと対策について(第2報)(4月15日) ・供給力確保に向けた緊急設置電源の新設について(4月15日) ・4月9日から6月3日までの各週別の需給予測表 さて、昨日15日の電力需給表を見てみますと、昨年の同日(青線)はいったい何だったのだろうか、と思える程、今年は節電できてしまっています(ピンク線が前日、水色の棒が15日の実績)。 昨年同日の実績と比べると、非常に低い値となっており、%で表示すると、下記となります。概ね昨年の同日と比べると、70から80%程度の使用量です。 これには2つの理由が考えられると思います。 1.昨年の4月15日は、今年と比べると寒く、暖房を使っていた為、通常より高い値となっている。 2.本日現在でも電車の運行が8割に抑えられるなど、市民・企業が節電モードに入っている為(電車の運行率については、こちらGoogleの災害サイトに一覧があります) このような理由が考えられるのですが、取りあえず昨年に比べて今年は2-3割節電できていると仮定して、夏を迎えるとどのようになるのでしょうか。数値でみる東京電力」の第二章「電力需要」のp16(通番25頁)では、最大供給電力に占める夏の冷房等の夏季需要の年度別割合グラフが掲載されています。これを見ると、35-40%程度が、夏季に特別に発生する需要のようです(下記はその頁の引用)。 最近は東電管内ではあまり冷暖房を使う必要の無い気候となってきています。それで昼間は昨年と比べ3割程節電できているのであれば、これに夏季冷房等で3割嵩上げされるとしても、昨年の今程度。5000万キロワット以内に収まってしまいそうです。供給力が5000万を越えて更に上積みできるのであれば、今のペースで節電を続けても、乗り切れるかも知れません。 と、都合の良いように考えても、最悪な結果になることが、このところ余震や原発でも続いているので、やはり夏季対策用の新たな節電対策は、ある程度は必要になるように思えます。しかし、政府が決めた15-25%という程の節電はしなくても、よさそうな印象もあります。いづれにしても、夏の停電については、少し見えてきた気もします。できれば、東電様から昨年と一昨年の7,8月の毎日24時間分の実績と気温を合わせたグラフをご提供いただければ大変助かると思うのでした。 最後に、少し思ったのですが、7月に柏崎原発の1と7号機が点検停止に入ります。すると、東京電力管内での原発発電は、柏崎5,6号機の220万キロワットだけ。5200÷220=4.23%となります。東京電力管内は、このまま脱原発に進めることができてしまいそうです。火力発電でもコストや環境問題は出てきますが、原発非依存で切り抜けることができてしまうと、海外進出はともかく、今後の新規原発の推進は、東京電力管内では確実に難しくなりますね。 最後と言いながらまたひとつ。ジャパン タイムスの島津洋一記者って誰?福島原発で核兵器研究をやってるから外国人記者は近づけないんだ、などと書いているらしいけど、人民日報では「国際的著名記者」などと書かれている。でもまったくと言っていい程ヒットしない。なんなんだ。。。。 ※4/19追記 まだ東電様のプレスリリースには出ておりませんが、本日付読売新聞の記事(こちら)によると、揚水発電により、5600から5700万kwに積み増すことを検討中とのこと。こうなると、柏崎原発の定期検査を9月に延期すれば、5900万キロワット近くまで供給できることになります。定期検査の延期は難しいのでしょうか。それとも、どこかに問題があり、予定通り停止させる必要があるのでしょうか。。。 #
by zae06141
| 2011-04-16 16:28
| 世界情勢・社会問題
今回の震災と原発事故で思い出した作品です。「サクリファイス」と「オーケストラ・リハーサル」は、アマゾン書いたレビューをそのまま掲載します。
「サクリファイス」は、旧ソ連の映画監督、アンドレイ・タルコフスキーの遺作。1986年作。 -- 核戦争が起こり、主人公が、「犠牲を捧げるから、核戦争を無かったことにしてくれ」と魔女に頼む。夜が明けると、核戦争は無かったことになっていて、主人公は、家を焼く。家を焼いた主人公は、家族によって、病院送りにされてしまう。 東日本大震災が発生し、11日が経ちました。公開時(日本公開1987年)に見たときは、美しいけれど冗長で退屈な印象もあったこの映画が、私にとって、今はじめてとても重要な意味をもつようになりました。もし本当に、今回の地震・津波とその後の原発損傷が無かったことになるのであれば、なんらかの犠牲を捧げても構わなかった。そう考えている方は、少なからずいるのではないでしょうか。でも、現実は、この主人公のように、周囲にその行為はまったく理解されず、病院送りになるか、財産を失うだけになるか、そもそも、「起ってからでないと、「犠牲を捧げてもよかった」などと思うことなど、そもそもできない」というパラドックスに直面することになります。 主人公には魔女がいるという幸運がありました。しかし、我々に魔女はいません。それはどうにもなりません。だからこそ、取り返しのつかないことになってから後悔しないよう、せめて人災が極力抑えられるように普段から意識的に取り組んでいかなくてはならない。3月11日を境に、私にとって本作は、戒めを説く作品と変わりました。魔女はいない。でも、日々の少しの犠牲の積み重ねで大きな危機が回避できるのであれば、そのように生きたい。このような作品を作られた監督に感謝します。 -- この作品を最初に見たときは、頭でっかちな大学生の時で、イングマル・ベルイマンの「第七の封印」と併せて、社会学・人類学でのコスモス・カオス理論に無理くりあてはめて解釈していました(その無理な見方は以前本ブログでも載せています(「第七の封印とサクリファイス」)。しかし、両作品を今年2月に久しぶりに見返してみて、学生時代の解釈があまりに強引なものだったことに気づきました。そうこうしているうちに東日本大震災・福島原発事故が起こり、漸く、監督が本作に込めた意図がわかったような気がします。震災後の対応で日本の社会や政治の抱える問題点が改めて強く浮き彫りになった、という前向きな部分を考えてみることもできますが、それでも、やはり無かったことになって欲しい。。。。強くそう思います。何故ならば、今震災・原発対応で日本社会で起こっていることは、前の大戦で起こったことに似ているのだから。前の戦争で何が起こっていたのか学ぶだけでは効果は低いのかも知れませんが、今回の、そして今も拡大しつつある被害を考えれば、前の大戦で十分だと思うのです。 「オーケストラ・リハーサル」 イタリア映画界の巨匠、フェデリコ・フェリーニ監督の小品。1979年作。 -- 珍しくもないありふれたオーケストラのリハーサルが始まる。しかし、そのうち楽団員それぞれが勝手な主張をはじめ、指揮者はそれを統制できない。自己主張はやがて、勝手な行動へと走らせ、待遇改善を叫ぶ者、過激派の様に振舞う者、ビアノの下でセックスを始める者など、混乱はまるでサバト(悪魔の夜会)の観を呈するに至る。やがてどこからともなく壁を叩くことが聞こえ始め、音が大きくなるとともに会場が振動をはじめ、ついには壁を打ち破って巨大な建屋解体用の鉄球が姿を現す。半ば廃墟となった会場で、楽団員は再びオーケストラ・リハーサルを始める。。。。 東日本大震災と関連付けてこの作品を語ることは不謹慎の謗りを受けるのかも知れませんが、震災の復興と原発被害の拡大抑止に国を挙げて一丸となって努めなくてはならない時期なのに、近所の定食屋で、やたらと震災後の対応について「自衛隊を50万人でも直ぐ投入すれば良かった」「ヘリを直ぐ大量に活用すれば」などと現政権批判ばかりしている人を目にしました(自衛隊は事務官含めて25万程度ですし、全員投入したら国防がお留守になってしまいます。まず空き地を確保しなければヘリは着陸できません)。悲しくなるとともに、本作品を思い出しました。 廃墟となった会場で、リハーサルを再開させたものは、指揮者の力ではなく、楽団員が、音楽というものを捨てなかったからです。本作で登場している指揮者は、特別有能な指揮者とは思えません。しかし、楽団員が心を揃えれば、良い演奏を引き出すことができる程度の能力はありそうです。まあ、指揮者がマイナスとなるほど無能かつ行動的ではどこかに閉じ込めておくしかありませんが、今は空虚な批判をする時期ではなく、正しいデータ・情報に基づいた、復興に真に有益となる批判をする時期の筈です。 今の日本には、本作の楽団員にとっての音楽に相当するような、何かが必要なのではないかと思ったのでした。 -- アマゾンレビューには記載していませんが、「近所の定食屋」で遭遇した人は、東京都某区の市議の後援会の方でした。普通の人が演説をぶっているのならまだしも、政治関係者の方が、他の客もいる前で、大声で「これで国民も(前に選挙で民主党を選んだことを後悔し)目が覚めただろう」とまるで客全員が民主党に投票したかのように、やたらと「国民、国民」と叫んでいました。しかしその人が現政権を批判して、「こうすれば、ああすれば」と言う内容は、政権を取る前の民主党と同じく、現実のデータを知らずに語った空虚な政策と同じもの。きっとこの人も、支持政党が政権をとり、有事になって初めて自衛隊が25万人程度しかいないことに気づくのだろう。。。。正しいデータ・情報、財政根拠に基づかない施策・政策を述べる政治家とその関係者は詐欺師と同じ。お前こそ目を覚ませ、と言ってやりたかったのですが、大人気ない私は、帰りがけに「自衛隊には50万人もいませんよ」と耳元でぼそっと呟いて逃げ去ったのでした。。。。 3月31日の朝日新聞朝刊では、浦安市選挙区の立候補者が、「政策より御用聞き」とこぼす記事が掲載されていましたが、この時期の選挙ではわざわざメディアに話すまでもない、当然の話では無いでしょうか。御用聞きだけの政治家は政治家とはいえませんが、政策だけの政治家も何か勘違いしているようで困ります。私の父(神奈川県中央部在住)は、「市議は、選挙の時は来るくせに、こういう時にはまったく来ない。こういう時期こそ市民の状況を見にくるべきではないか」と電話で愚痴を言ってましたが、まったくその通りだと思った次第。特に父の住む住宅地は7割以上が年金生活者と言われており、平日家にいて投票率も高いご老人が多い地域で、効率的な選挙活動のできる票田地域なのだから、何故こういう時に出向かないのか不思議です。 「魚が出てきた日」 ギリシアのマイケル・カコヤニス監督の近未来SF映画。1960年代後半から70年代前半は、否定的な近未来を描くSF映画が多数製作され、まだキワモノ扱いだったSF映画に有名俳優が続々と出演していた時代。本作もキャンディス・バーゲンが出演しています。見たのは高校時代なので、何の役だったか忘れてしまいましたがいてもいなくても良かったような役だったような記憶があります。1967年米国製作。なお、この監督は、「トロイアの女」「イフゲニア」など、ギリシア神話も監督しています。「トロイアの女」は見ていませんが、「イフゲニア」は劇場で見ていて、神話というよりも、結構歴史的な、リアルな描き方で好きな作品です。日本語版はdvdもvhsも出ていないようなのが残念です。 「魚が出てきた」の意味は題名から想像される通り。そして、今後関東地方沿岸でも見られるようになるかも知れない事態を描いた作品。ここ数日、そうならないことを祈る毎日です。昨日の4月2日、釣り上げた魚の放射能測定を実施し鹿島灘漁業権共有組合連合会の小野勲会長が安全宣言をしましたが、これは放射能汚染水の海への流出(本日のNHK7時のニュースでは、水野解説委員の、映像から見る限りのざっとした推算では毎時7トン)を考えれば、毎日検査する必要がある話となってきていて、一回安全宣言を出せば済む話では無くなってきているものと思うのですが、いかがでしょうか。 「チャイナ・シンドローム」 ジェーン・フォンダ製作作品で政治的プロパガンダの強い作品はあまり好きでは無いのですが、これは結構気に入っています(ただラストはちょっとくさ過ぎだったような記憶がありますが。。。)。この作品、”風よ雲よ”氏が、アマゾンのdvdの3月10日投降のレビューで、「この直後のスリーマイル、そしてチェルノブイリ。現実が追いかけてます」と書かれていますが、あまりにタイミング良過ぎてレビューを書かれたご本人が一番衝撃を受けているのではないでしょうか。アマゾンの作品紹介で、「そのテーマ性は今も薄れるどころか、緊迫の度を増すばかりである」と記載された的田也寸志氏も、よもやここまでそれ以上の事が日本で現実に起こってしまうなど、どこまで予見していたであろうか。ご本人もショックを受けておられるのではないでしょうか。 ところで、福島第一原発現場作業者の待遇改善について、3/30日のNHKの7時にニュースで、恐らく東電の吉田昌郎・執行役員発電所長のインタビューによる改善希望が報道されました。更に3月31日の朝日新聞論説で待遇改善が主張され、4月7日号の週間文春の巻頭特集で現場状況の記事が掲載され、昨夜から本日にかけて掲載・更新されている読売新聞のネット記事では、 福島第一原発広報部の報道グループマネジャー・角田桂一氏が、「作業員の一部が福島第二原発に宿泊できるようになるなど環境は若干改善できた」と述べるなど、広くメディアに周知され、一部改善に向かっているとのことで、少し安心しました。前回の記事を書いた時点では、私はかなり絶望感を抱いていたのですが、まだまだ捨てたもんじゃないかも、と思いました(まあ、一言加えると、3月29日の読売新聞は、現場の過酷な待遇を大きく報道してはいたものの、横田一磨氏の話をそのまま報道しているだけで、待遇改善を訴える記載が見られなかったので、本日の読売の記事は嬉しく思いました)。とはいえ、BBCやCNNでは、被災地の困難の報道とともに、原発処理については、「何やってんだニッポン」という論調の記事が増えてきており、海外の苛立ちが大きくなって来ているように感じます。 最後。原発とは関係ありませんが、3月30日の外務省の報道会見では、これまでに134の国・地域と39の国際機関が支援の意思を表明したとされているものの、本日の産経新聞の記事では、日本が受け入れた国・地域と機関は約30に留まり、支援を断られた国からは不満が出ているとのこと。3月28日の読売新聞でも大きく扱われていました。一体何を考えているのでしょうか。検疫などが必要な物資はともかく、失礼だと思わないのでしょうか。 特に日本人の口に合うように、と気を遣っていただいたタイ米、インドネシアの毛布などには強い疑問を感じます(あとウクライナのヨウ素も)。毛布が薄ければ3枚でも5枚でも重ねて敷布団にしてしまえばいいのです(掛け布団にすると重すぎて、ご老人には耐えられないかも知れない)。まあ、支援は貸し借りの世界なので、後々の政治的思惑もあっての支援かも知れませんが、1993年に日本で米騒動が起こった時、せっかく送ってくれたタイ米を「食べれない」と、多くを家畜飼料や廃棄処分にしてしまった事件を思い出します。あの事件にも懲りずに、日本人に口に合うように(実際に合うかどうかはともかく)タイ米を用意してくれたタイ国と国民に失礼だと思います。今後放射能汚染が拡大し、出荷規制米などが増えて米不足にでもなってしまったら、タイ政府に「やっぱり送ってくれ」とでも言うのでしょうか。 私は被災者の気持ちがわからないで、このような主張をしている、と謗られるかも知れません。しかし、野宿以外(20代の一時期、バイクツーリングが趣味だった)で毛布や布団を重ねて凌いだ経験は何度かあります*1。中国のタクラマカン砂漠を旅行した時は、あまりの安さに、たまたま途中で一緒になった米国人バックパッカーでさえ敬遠した宿で、宿泊者は2人だけということがあり、あまりに寒くて他のベッドから布団と毛布を引き剥がし、4人分の毛布と布団を重ねて凌ぎました。湖南省を冬に旅行した時は、そこも安すぎて窓ガラスが入っておらず、2人分の布団を重ねて凌ぎました。重ねれば結構暖かいものです。毎日じゃないだろ?と言われればそれまでですが。。。。 タイ米の場合、1993年には、近所の行き着けの定食屋がタイ米になってしまい、確かに定食などのご飯だけで食べると美味いとは思いませんでしたがそれなりに食べれましたし、チャーハンはかなり違和感を隠せました。 国内支援物資でも、需給の調整が混乱しているのだから、海外については更に大変だ、という理屈もわからないではないのですが、貸し借り以前に、支援を断ったことが借りになってしまっては、まったく意味が無いように思うのですが。。。。 なお、外務省の各国支援物資一覧はこちら。各国支援詳細はこちらです。 *1 そう言えば、ブルガリアのソフィアは札幌と同じくらいの気温なのですが、2年目の冬休み、学生は皆実家に帰り、経済危機でもあり、数名の寮に残った者のためにセントラルヒーティングは使えないと、寮のセトラルヒーティングを切られ、肺炎になったのを思い出しました。セントラルヒーティングが入っていると、部屋の温度は20度くらいになり、部屋の中ではシャツ一枚でいられ、東京の冬より快適なんですよね。毛布も一枚しかなく、コートをかけて寝ていたら、1ヶ月後に肺炎になってしまったのでした。 #
by zae06141
| 2011-04-03 20:21
| 世界情勢・社会問題
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