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来月からこちらのブログに移行することにしました。
理由はエキサイト側の某機能Aと、某機能Bの仕様変更により、私が必要だと考える機能が利用できなくなったためです。調べてみると、もともと機能Aの方は、2015年に仕様変更となっていたにも関わらず、なぜか今月まで利用できていたもの。機能Bの方も、先月仕様変更となっていたにも関わらず、なぜか今月まで利用できていたもの。しかも、不十分ながらも、未だに通知された仕様変更通りになっておらず、一部の機能が動き続けているという、、、、未だに一部使えていること自体が不具合だと思うのですが、いずれは仕様変更通りに完全に使えなくなる日が来るかも知れないため、別のブログに引っ越すことにしました。 エキサイトブログには記事のエクスポート機能がないため、FC2ブログの引越しサービスなどを仲介して別ブログへの自動引越も検討しましたが、過去記事を減らす機会でもあるので、手動引越にしました。もともとこのブログはサイトの更新履歴であって、記事をアップした、という自動予約投稿をするために使っているものなので、本来公開以降の記事は削除しても構わないものなのです。そういうわけで、特に残しておきたい記事以外は、移行せずに最終的にエキサイトブログの退会とともに削除する予定です。 エキサイトブログを使い始めたのは、2006年9月中旬くらいのことで、11年以上つかってきたことになります。11年以上も使っていて、ほとんど(私にとって)目出つ仕様変更もなく使ってこれた方が不思議なくらいです。特に思い出のようなものはないのですが、それでもあえてあげてみると、印象に残っているのは中国駐在中のことで、2点あります。 続きを読む #
by zae06141
| 2018-02-28 00:09
| 雑記
オスマン朝君主アフメト一世(1590-1617年/在1603-17年)妃キョセム・スルタン(1589-1651年)の話です。一話約120-150分、合計60話。2015/11-2016/6第一シーズン30話、2016/11-2017/6月第二シーズン30話が放映され、完結しています。『壮麗なる世紀(邦題『オスマン帝国外伝』』)の続編枠で放映されたため、主題曲やセットは流用です。今回はこのドラマの簡単な紹介です。ご興味のある方はこちらをご覧ください。
ところで、『壮麗なる世紀』はその第一シーズンが邦題『オスマン帝国外伝~愛と欲望のハレム』が8/7日から放映中ですが、視聴者数はどのくらいなのでしょうか?公式サイト等で発表されているのかも知れませんが、それとは別にちょっと調べてみました。 続きを読む #
by zae06141
| 2017-09-12 00:24
| その他の時代の歴史映画・ドラマ
"輝ける十四世紀"とは、1978年に出版された、講談社世界の歴史19巻『ビザンツと東欧世界』に登場する章の題名です。現在"輝ける十四世紀"ないし"輝ける14世紀"で検索すると2件しかヒットしません。うちひとつは私のサイトです。そういう非常にマイナーな言葉なので、すこし普及努力をするために記事のタイトルに入れてみました。
"輝ける十四世紀"とは、十三世紀のモンゴル禍の後、揃って名君が出現した東欧諸国の十四世紀のことです。その名君たちとは以下の4名のことです。 ボヘミア カール四世(在1346-78年)(1316年生) ポーランド カジェミシュ(在1333-70年)(1310年生) ハンガリー ラヨシュ一世(在1342-82年)(1326年生) セルビア ステファン・ドゥシャン(在1331-55年)(1308年生) 続きを読む #
by zae06141
| 2017-07-22 00:19
| その他歴史関係
清朝前期北京の宮廷に建設された円明園には、乾隆帝時代に西欧バロック建築の影響をうけた建築物が幾つか建てられました。これらは1860年、英仏とのアロー号戦争で廃墟となり、現在では一部の土台とその装飾建築だけが残されています。中国国内には、各地のテーマパークに円明園の復元建築があるようなのですが、ネットで「円明園,復元」で検索して出てくる復元建築の画像は「遠瀛観」の画像だけのようで、他の建築物の画像はなさそうです。深圳市の中央部にある有名な「世界之窓」というテーマパーク(世界の有名建築物の巨大ミニチュアパーク)の東隣にある、「錦繍中華」という、中国国内の有名建築物の巨大ミニチュアのあるテーマパークに円明園の復元建築群があるので、その画像を掲載してみました(画像は2015年秋訪問時のものです。なお、記事を書きながら調査したところ、円明園で検索しても画像は出てきませんが「谐奇趣」、「远瀛观」、「海晏堂」と、建築物ごとの名称で検索すると画像が出てくることがわかりました。各地の復元建築や復元図は若干結構異なっていたりすることがわかります)。
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by zae06141
| 2017-01-10 00:08
| その他歴史関係
ずっと探していた、オスマン帝国歴史地図帳、ようやく求めていたものに近いものを見つけました。探していたのは、オスマン帝国の地方行政区区画(州県)変遷図です。オスマン帝国の領土拡張ー縮小地図はよく見かけますが、州県地図は見たことがありません。しかも数百年という広域支配の間の州県統廃合などに変わっているはずなので、そのあたりを知りたいと思っていました。
州県変遷図まではありませんでしたが、1525年と1650年のバルカン半島の州県地図が掲載されており取り合えず満足です(小アジアの地図は、地図に年代が書いてないので不明です。次に図書館にいった時に確認したいと思います)。また、この地図はいくつか珍しい地図が掲載されています。地図帳紹介の記事を作成しましたので、ご興味のある方はこちらをご覧ください。 ※12/25 追記 ランゴバルド諸侯国前半期(カール大帝による征服以前)の政治通史史料パウルス・ディアコヌスの『ランゴバルドの歴史』の邦訳が30日に知泉書館から出版されることを知りました(こちら)。今年はカロリング朝の史料『ニタルトの歴史四巻』の邦訳(こちら)も同出版社から出ていますし、2010年にはカロリング朝史料『母が子に与うる遺訓の書―ドゥオダの『手引書』』(こちら)を出すなど、知泉書館だけの話なのか、日本の歴史ファンの間でカロリング朝が密かに人気なのか不明ですが、カロリング朝ブームが来るのかも知れません。最近古代末期の一環として7世紀西欧(仏西伊)の社会経済文化史に興味があるので、あまり政治史に興味はないのですが、パウルス・ディアコヌスの『ランゴバルドの歴史』は買ってしまいそうです。 更にいえば、イタリア半島中世については、カール大帝以後、(オットー大帝の使節)リウトプランド以前の200年間の政治社会経済文化史にも興味があり、そのあたりの概説書すら日本語書籍ではなかなかないので、何か史料がわからないかと、仕方なく今年塩野七生氏の『ローマ亡き後の地中海世界』(上)の前半を読んでみたのですが、予想通りひっかかるところばかりでなかなか読み進められないということになりました。例えば、もっとも特徴的な例として、イスラム勢力がルーニというジェノヴァ南東の都市を略奪しているのですが、p105で849年に「ルーニはこれ以降廃墟のままで残る」と書いているのに、p185の1016年の事件のくだりで「ルーニは、ムシェットとその配下の猛攻を浴びて廃墟と化す」と書いています。思わず太平洋戦争中、昭和天皇が、「サラトガが沈んだのはこれで4度目だが」と苦言を呈したとかいうエピソードを思い出してしまいました(これ本当なんでしょうか。昭和天皇実録に載ってるのでしょうか?)。 一度廃墟となって復興して再度廃墟となった可能性もあるので調べてみたのですが、どうやらそうではなく、849年のは略奪だけで、860年にはノルマン人に略奪されているので、「これ以降廃墟のままで残る」という部分は塩野氏の修辞だと思われるわけです。こういう筆のすさびというか、文章に酔ったような極端な表現をするようなところが塩野氏の作品をあまり好きになれなくなってしまった部分なんですよね(ギボンについても同じですけど。まあどちらも文学なので当然ではあるのですが、、、All of them なのか、Some of them なのか、one of themなのか、80 %なのか60、40、20%或いは数%なのか、こういうところは印象に大きく影響するので文学でないならば、厳密に表現する必要があると思うわけです)。あと860年のノルマンによる略奪の記載を書いていないところなども気になるわけです。しかし、塩野氏の文章は、中世イタリア人側の史料に刻まれた「イスラム海賊の恐怖」をそのまま描いている、と理解すれば納得できるわけです。もしかしたら本当に中世キリスト教徒側の史料にルーニは2回廃墟となった、と書かれているのかも知れませんし、それが事実ではなくても、当時の史料作者自身がイスラム海賊の恐怖を宣伝するためにそのような文章を書いたのかも知れませんし。こういうところをきちんと本文や註で出典を示し、更に検証もしてくれれば、「物語」ではなく、「中世キリスト教徒にとっての現実」を描いた(イスラム側の言い分や検証を欠いている)歴史書として読めるのですが、、、、 ちなみに、この前発見した学生時代の読書リストを見ていて、オスマン帝国に興味を持ったルーツは、塩野氏の『海の都の物語』なのではないか、という気がしています。当時の塩野氏はよかったのになあ、、、というのは記憶だけの話で事実は違うかも知れないので、そのうち『海の都・・』もざっと見返してみたいと思います。私の記憶によれば、塩野氏が極端な書き方をするようになったのは、確か本人が、『ローマ人の物語』の真ん中くらい(2000年頃?)に、「もうこの先のキャリアを気にする必要もない年齢になったので、いいたいことを書くようになりました」と書いたor発言した後あたりから、という記憶があり、ご本人がわかってやっているのであればいいのではないか。ただし私には合わない文章・内容になってしまったけど。と思うようになりました。塩野氏の文章に単純に酔っていられた頃はある意味幸せではありました。しかしこれは、塩野氏も変わったが、私も変わったor知識がついた、ということなのかも知れないので、できれば来年『海の都・・・』等昔読んだ塩野本を読み直してみたいと思っています。 ※※2017/Feb/28追記 26年ぶりに中公文庫版『海の都の物語(下)』をぱらぱらとめくってみて、2分もたたないうちに、以下の記載が目に飛び込んできました。 「発端は、四世紀になされた、コンスタンティヌス大帝のキリスト教公認にまでさかのぼる。大帝がキリスト教を、ローマ帝国の国教とせずに、他の宗教と同格にして、公認だけしていれば問題は生じなかったのであった(p408)」 この文章は、 「「大帝はキリスト教を、ローマ帝国の国教とせずに、他の宗教と同格にして、公認だけしてい」た。その後の諸帝も「公認だけしていれば問題は生じなかったのであった」」 と、「大帝が」を「大帝は」に修正し、「た。その後の諸帝も」を補足して分割すれば問題ない文章となります。しかし、普通に読めば、「公認だけしていれば」の主語は「大帝が」であり、コンスタンティヌス大帝は公認だけにとどめておかなかったから問題が生じた=国教化したのは大帝である、と読めるのではないでしょうか。 ローマ帝国がキリスト教を国教化したのは同じ四世紀のことで、歴史の大勢には影響しないささいな間違いですが、いつか『海の都の物語』全編読み直したいと思っていた気持ちはかなりしぼんでしまいました。ざっとめくって1分ちょっとでこれが見つかってしまうのですから、全部をじっくり読み直すと、『ローマ亡き後の地中海世界(上)』同様ひっかかるところばかりでてきて読み進められず、いちいち調べなくてはいられなくなり、いやな気持ちになるだけ、という可能性が高いように感じます。南川高志氏の気持ち(こちらで紹介しております)がようやくわかった気がします。私の中で、『海の都の物語』に別れを告げる日が来たようです(とはいえ、ヴェネツィア史入門としては、やはり今でも本書はお奨めだと思います。その気持ちは変わりません)。 #
by zae06141
| 2016-12-20 00:06
| その他歴史関係
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