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『古代世界の午後』というサイトを開始した2000年8月に、「歴史映画について」というこの記事を書きました(当時はサイトに掲載していた)。その記事の末尾に以下の内容を記載していました。
【 ところで見てみたい映画ってありますよね。 誰か作ってくれないかなぁ、という映画。 「コンスタンティノープル陥落」やブルガリアのサムイルとバシレイオスの30年にわたる死闘を描いた伝記映画「バシレイオス2世」、ムガル帝国のバーブルーアクバルに至る大河物語。後漢時代西域を征服した班超の生涯、また前漢西域への使者張騫の冒険、エジプトイスラム史上唯一の女性スルタン、シャジャル =アッドゥルの生涯、以前この雑記でも書いた 赤羽亮「流砂伝説」の映画化、など沢山あります。 】 しかしこの15年の間に、「バシレイオス2世」以外は、ほとんど実現してしまったことがわかりました(該当映画は本記事末尾に記載)。それを受けてというわけではないのですが、歴史映画について別の角度から語ってみました。 【1】歴史映画について (2) 2016年9月版 最近歴史映画のもつ意味について考えています。 最近歴史映画のもつ意味について考えています。 私個人にとっての歴史映画の位置づけは明確で、第一には史実に興味を持たせてくれる作品です。なので、内容が荒唐無稽であろうと、駄作であろうと、そもそも歴史映画といえるのか怪しい作品であろうと、この要件を満たしてくれればOKです。私は登場人物やドラマティックな展開に感動する、ということはあっても、それが動機で史実を調べるということはなく、どんなに感動しても、「これは創作。史実は如何に」という窓口でしかありません。この「史実」については、最近では学会での定説を調べるだけではなく、「どんな史料からどういうロジックでそういう定説になっているのか」を調べなくては気がすまないようになってきています。また、寧ろ駄作の方が、冷静に衣装やセットを眺めることができたりするので、「駄作でもいい。他の映画が扱ってない時代・地域であれば。駄目な部分は自力(想像力)や事後調査で補うから」という具合になってきています。寧ろ馴染みのない時代について完成度の高すぎる映画を見ると、その映画に洗脳されてしまいそうになるので、避けたがる傾向があります。 第二には、映画の製作動機や、ヒット具合(受容度合い)、製作国の歴史認識や技術力、経済力(歴史映画製作はそこそこ経済力がないと難しい)を知ることで、現在社会を知る道具としての位置づけです。 三番目は、そうはいっても、史料だけからではわからない、或いはイメージし難い、再現映像ならではのものを求める部分もあります(空撮場面などや衣装、セットなど)。この要件の場合、史料考証に求めるものは厳しくなります(というか、映画は映像が売りなのだから、そこは外せない、低予算なら低予算なりに工夫して欲しい、と思ってます)。 映画の場合、やはり映像が命とも言えるのだから、景観や衣装の復元は最善を尽くして欲しいとは思いますが、筋の方はあまりとやかく言う気は(あまり)起こりません。死んでいる筈の人が生きていたり、子供の筈の人が老人で登場したりすると印象は悪くなりますが、致命的ではありません。古代を扱った映画の登場人物がまるっきりの「現代人」であっても、まあいいです。多数の俳優に古代人になりきれ、と求めるのは無理があります。しかしたまには、リアルというものを追求する作品があってもいいとは思います(これに関しては以前、「エジプト製ミステリー映画『ブルー・エレファント』(2014年)に一瞬登場する暗黒の中世社会の映像」という記事で書いたことがあります)。逆に文学になると基本作家の学習経費がかかる程度で、予算規模が映画とは段違いなので、要求水準は非常に高くなります。作家の阿刀田高氏が、「古代人の思考をそのまま書こうとすると、読者には何をしているのかわからなくなる」とうようなことを書いていましたが、「歴史小説」であれば、そこを書いて欲しいと思うわけです。既存の史料や学説を換骨奪胎しきって、その上で学者が未確定とせざるを得ない史料の隙間にわけいり、「そういう解釈もありえる」という、作家でしかできないことをやって欲しいわけですが、そうなるともう学者並みにならざるを得ないわけで、そんな奇特な作家はあまりいなかろうから、「時代劇」でもいいです、作品を通じてその時代の史実に関心を持ってもらえるならば。ということで最初の要件が一番重要となるわけです。 私の立ち位置はこんな感じなのですが、できるならば、映画を通じて史実に興味を持った方が、学術書の売り上げや史跡観光、博物館や展示会に足を運んでいただいて、史学の裾野拡大に貢献して欲しいと願っています。端的に言えば、史学へ資金が流れ込み、学者の研究活動を支えて、現在未開拓の分野等の研究が進み、その結果を読みたい、という希望があり映画紹介や書籍紹介をブログやAmazonでやっているわけです(当然この希望は自分の興味が優先であり、自分が興味を持って調べたり読んだりしたことをネットで公開することで、その作業が誰かの読書や映画鑑賞や調べごとの時間と資金の投資配分効率化に役立てばいい、という、あくまで二次的なものです。もし学会への資金援助が第一の目的ならば、各種有料学会に入会し直接投資します)。 この観点で最近懸念していることがあります。それは、映画の映像と史実がかけ離れ過ぎていて、映画を通じて史実(定説)に興味を持った人が、史実を学習して失望し、歴史から去ってしまうのではないか、ということです。どういう作品が該当するのか、例を挙げますと、 リドリー・スコットの大作映画『エクソダス:神と王』 『グラディエーター』で既に少しやりすぎなもののギリギリセーフ、という感じでしたが、『エクソダス』はもう歴史映画の範疇を突破してファンタジー映画なのではないか?という気がしました。正直、2015年インドの神話映画『バフーバリ』とあまり違わないのではないか?と思えました。 製作側からすると成功したといえる歴史映画とは、興行成績が良好な歴史映画、ということになる筈ですが、歴史学会や史学ファンなどからすると、必ずしも興行成績の良い歴史映画が望ましい映画かどうかは別の話です。あまりに盛りすぎな映画がヒットして一時的に映画がテーマとした時代を扱った学術書やそれに準じる関連書籍が売れたとしても、史実(定説)は、映画と違って残酷な社会だったり、映画で美化して描かれていた人物が、定説では幻滅しかもたらさない人物像だったり、たいしてドラマチックではなかったりして、全体的にマイナスになる、結果として学術書の売上や観光客の減少となるパターンが心配なわけです(逆に映画が史実と全然違う荒唐無稽な内容であっても、史実に興味を持ち続ける人々が増えれば成功作ということになるわけですが)。 映画製作サイドからすれば、興行成績が良ければそれでいいので、焼畑農業のように一時的ブームを起こした後、史実を調べてみて失望したり、史実嫌いとなる人々がいくら増えようと構わないのだとは思いますし、実は私の中にも、「面白ければ何でもよし」という部分もあります。「古代ローマの歴史映画・歴史テレビ番組」という一覧表のトップに、ソード・サンダル映画サイトへのリンクを貼っていたり、「歴史作品といいがたい作品一覧」というものを作ったりしているのも、「面白ければなんでもあり。それが新たな文化創造に繋がるかも知れないから」ということでもあるので悩ましいところです。 と、ここまで書いて、「一時的ブームでも構わないじゃないか、少しは資金が流れ込めば。そもそも『エクソダス』でどれほど学術書の売上に貢献したのか?そんなにないんじゃないの」との考えに至ったので、とりあえずこの話はこれで終わりたいと思います。しかしそのうち、歴史映画の公開と学術書の売上の連動具合を調べてみたいと思うに至りました。 一方、残酷な史実を描いて離れてしまった事例もあります。 例その2:オスマン朝大河ドラマ『壮麗なる世紀』 数年前、オスマン朝スレイマン1世を描いたトルコの大河ドラマ『壮麗なる世紀』を面白いと思った方で、私の記憶では20話くらいまでストーリと画面ショットを紹介したサイトを作っていた方がおられましたが、登場人物の女性が生きたまま袋に入れられ海に沈められる処刑(史実)に衝撃を受け視聴中止。サイトはゲームサイトに移行し、そのうち『壮麗なる世紀』のコンテンツは削除されてしまいました。本ドラマでは後宮での生存競争の厳しさの中でライバルを容赦なく蹴落し過去の恋人より最高権力者を選ぶ逞しい生き様のヒロインを描いていて、そこが本ドラマの最大の売りなのですが、こういう人物像自体もアクが強すぎて受け入れられなかったようです。 史実を描いた場合、軌道修正を作者に迫る例もあります(以下は映画ではなく漫画ですが) 例その3 漫画『乙嫁語り』のAmazonレビューで、戦争の話を批判し、全編ほのぼの漫画にしたがっている人々。 まあ、最悪、昔はどこも殺伐としていて大変だったんだよ、現代もいろいろと問題はあるけどだいぶましになったんだよ、と思っていただければ、最低限でも作品の効果はあったのだと強引に解釈するようにしています。仮に今後『乙嫁語り』がほのぼのオンリー漫画となり、完全なファンタジーとなったとしても、中央アジア旅行や中央アジアからの輸入品(アクセサリーとか絨毯とか)が日本で売れることに結びつけばいいわけですから。ただ、最低限の望みは、創作と学問上の定説としての歴史(当然将来ひっくり返る可能性はいくらでもある、と常に認識していた上での”定説”)を取り違えないようにして欲しい、とは思っています。 最後に、今後観てみたい映画・ドラマを書いて次の目標を立てて終わりたいと思います。私の希望はいづれもリアル史劇です。最近はファンタジー色が強まるばかりなのであまり期待はしていませんが、 サムイルとバシレイオス2世の抗争、タラス河畔の戦い、7世紀のメロヴィング朝、ちゃんとしたパルティア映画(張騫の冒険でも可)、クテシフォンのリアル市街が登場するササン朝映画、最盛期グプタ朝の映画(法顕の生涯とかでも可)、前漢宣帝・最盛期後漢(70-140年頃)のリアルっぽい大河ドラマ、最盛期ファーティマ朝(※映画化して欲しくない題材『ハドリアヌス帝の回想』。ヴァレリオ・マンフレディ脚本でドラマ化の話があったようだがぽしゃった模様。取り合えず安堵)。 とかでしょうか。次の15年、いくつくらいが実現しているでしょうか。楽しみです。 【2】歴史映画について (1) 2000年8月版 歴史映画の良し悪しを論ずるのは難しいと思っています。史実に即していなければ興ざめしてしまうし、かと言って2時間程度の枠内でドラマとしてまとめるには史実そのままでは冗長となりがち。また、史実もドラマもOKでも、衣装やセットがいいかげんでは興ざめ。どれも備えた映画は無いと思いますが、私の趣味だとこんな具合です。 「スパルタカス」細かい部分で史実と違うけど、時代の流れと当時の政治情勢、奴隷問題を踏まえていて許せる範囲。大道具、重装歩兵戦闘シーンも割とリアルで ローレンス・オリビエ演じるクラサスは名演だと思います。 「1492年」も同様に細かい史実の部分はともかく、コロンブスに対する貴族層の嫉妬、宰相とコロンブスの間の人間ドラマ、文明に対する問いかけ、希望と栄光と絶望など、全体として時代と主人公がよく描けていた作品だと思います。 「サテリコン」「王女メディア」(古代ギリシャ) 大抵の歴史映画は現代人が仮装しているようにしか見えないのですが、これらの作品には当時の世界の雰囲気にトリップできました。 「グラディエーター」「ローマ帝国の滅亡」 史実の逸脱加減は許容範囲を超えてましたが、セット、衣装、CGなどについては◎。BBCの歴史特集番組で引用される映像向きかも。ローマ帝国地誌映像と思ってます。 従来の歴史映画で描けなかったジャンルがあると思います。それは空撮が不可能だったという技術的制限に依存するジャンルです。これを回避する為に、ミニチュアや書割、それだけで予算を使いつくすような巨大なセット、国家の軍隊を利用した戦闘シーンなどで代用していたのですが、限界があると思います(ミニチュアの例では、「クレオパトラ」のアクチウム海戦、書割の例では「始皇帝暗殺」の邯鄲の遠景)、巨大セット例では「ローマ帝国の滅亡」、軍隊利用例ではソ連版「戦争と平和」の戦闘シーン)。 空撮は勿論歴史映画必須の条件ではありません。しかし、一部の映画「アレクサンダー」「ハンニバル」「ナポレオン」といったような映画を正面から描くには、空撮なしでは成り立たないと思うのです。戦闘シーン、アルプス越え、ペルセポリス、マケドニア、イラク、インダス河渡河など、遠大な景色を空撮なしに撮影したなら、それはその辺の山河、街であってもいいような映像にしかならないと思うのです。 ヘストン主演の「アンソニーとクレオパトラ」冒頭シーンでは、アレクサンドリアに向けて海上を疾走する船を空撮したシーンから始まり、その映像はなかなかだったのですが、アレキサンドリアに着くところでいきなり地上目線になってしまいました。そのままカメラが街の後方上空まですべって行って反転しつつアレキサンドリアの町を俯瞰し、反転したところで湾に入ってくる船を迎え入れる。。。こんな映像であったらなぁ。。。と思ったものです*6。 「ハンニバル」にしても、どうせ中途半端な映像になるのであれば、シリアに亡命中のハンニバルの晩年にターゲットを絞った人間ドラマにするなど、ひねってしまった方がよかったのでは。。と思うのです。 またスペクタクル映画でなくても、空撮は映画の可能性を広めるのではないでしょうか? 例えば思うのです。トラヤヌスの皇位継承の通知を携えたハドリアヌス(これが史実かどうかはともかく)が今のケルンあたりにいたトラヤヌスの元へ単騎疾走する場面。空中から今の南仏を抜けてケルンへ向かう様子を上空から追いつづける。。。 それこそ、ローマ帝国の広大さが一目でわかる。。。 ちょっとしたカットに空撮が加わることで、歴史映画は大きく変わるのではないでしょうか。 この点で「グラディエーター」は今後の歴史映画のターニングポイントとなるように思えます。CGは歴史映画の可能性を大きく広めるのではないかと思うのです。 先ほど歴史映画の史実性について書きましたが、歴史映画が必ずしも史実に忠実でなくてはならないとは、実は思っていないのです。「ブレイブハート」のテーマが、「独立と自由」ということなのであれば、テーマを描くためにある時代・地域の事件を借りた、という風に考えればいいのだと思うのです。だから最初から史実性をもとめてはいけない、ただし映画の方もその旨断って欲しいとは思います。「グラディエータ」にしてもマルクス帝、コンモドゥス帝など実在の人物は出さず、最初から存在していない登場人物にしてしまってもよかったのではないかと思います。ただ、歴史的な人物や事件、時代の流れそのものをテーマとする作品の場合には、あまりの史実逸脱は問題だと思いますが。。 ところで東洋映画があまり出ていないので一つ。TVシリーズの「司馬遷」をビデオで見ました。司馬遷の人生そのものはあまり知られていないので、結構自由に脚色できた部分もあり、ドラマとして割と面白かったです。前漢時代にはまだ存在が確認されていない楼閣(五重の塔みたいな建築物)が首都の宮殿に出てきたのも漢代を描いた映像そのものが貴重なので許せます(楼閣はその存在が確認できているのは後漢時代も後半の筈なのです。紀元80年建設のローマコロッセオが共和制時代に出てくるようなもの)。 ところで見てみたい映画ってありますよね。 誰か作ってくれないかなぁ、という映画。 私は「コンスタンティノープル陥落」*1やブルガリアのサムイルとバシレイオスの30年にわたる死闘を描いた伝記映画「バシレイオス2世」、ムガル帝国のバーブルーアクバルに至る大河物語*3。後漢時代西域を征服した班超の生涯*4、また前漢西域への使者張騫の冒険、エジプトイスラム史上唯一の女性スルタン、シャジャル =アッドゥルの生涯*2、以前この雑記でも書いた 赤羽亮「流砂伝説」*5の映画化、など沢山あります。 -追記 2012/May/10 *1 1954年トルコ製作「イスタンブル征服」という作品があり、2012年2月にはトルコで「征服1453」というCG使いまくりの大作が大ヒット。 *2 2005年クウェート・シリア・ヨルダン製作「ザーヒル・バイバルス」の4-11話に政権担当時代のシャジャルが描かれている。 -追記 2016/Jan *3 1988年インド大河ドラマ「インドの発見」で描かれています。その他、「偉大なるムガル帝国」でもアクバルが描かれています。 *4 漢・ローマ邂逅映画「ドラゴン・ブレイド」で前48年の前漢を舞台として、似たような題材の映画が製作されています。 *5 ゼノビアを題材としたシリア製作の大河ドラマ「ゼノビア」があります。 *6 ヒュパティアを扱った映画『アレクサンドリア』で宇宙から見下ろしたアレクサンドリアの映像が登場している
by zae06141
| 2016-10-06 00:32
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