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西欧の王朝交替は、あまり「王朝滅亡」などという表現は使わないけど中国史では皇帝がその地位を簒奪されただけで、政府が崩壊したわけでも国家が滅亡したわけでも無いのに「滅亡」という言葉を使うが、何故なのでしょうか。ブルボン朝が倒れたからと言ってフランス滅亡ではなく、ユスティニアヌス朝が倒れたからといってビザンツ帝国が滅亡したわけではありません。こうした考えに立って中国史の「滅亡」を整理すると、「滅亡」したと言える政権・国家はもっと少なくなると思われます。
例えば後漢-魏-晋へ至る過程は政権内の有力者による王朝交替に過ぎず、実質的には「後漢帝国」が続いていると思えます。また唐末から五代(後梁・後唐・後晋・後漢・後周)を経て宋に至る王朝交替もクーデタ・軍団による皇帝擁立などであり、後周 郭威-柴英への交替にいたっては中国史では珍しい養子による皇帝位の相続です。唐-宋は明らかに連続している1国家である様に思えます。 別の観点で見ると、中国は秦の統一以降漢民族による中華帝国の連続であり、例え征服王朝といえど結局中国化してしまったのだから、政権が崩壊したとしても それは中華帝国内での王朝交替と変わらない、という観点もあるかもしれません。しかし どうやら 中国がずっと漢民族の国家・社会であったというのは間違いの様で、北方民族の侵入は実際にはもっと明確な民族的・社会的相違と変動があったと言える可能性もあるようです。五胡十六国時代の異民族の侵入は 結局漢民族に同化した中国王朝になってしまったわけではなく、実際には元朝を立てたモンゴル人が明の成立でモンゴル高原に引き上げる時まだモンゴル人であった様に、五胡十六国時代に華北へ定住した異民族はそのまま華北社会・民族の性質を変えてしまった可能性もある様です。隋王朝による中国統一の回復は フランク王国が西欧とビザンツを統一してローマ帝国を復興するようなもので、それは既にローマ人ではなくゲルマン人による帝国として明確に意識されることでしょう。とはいえ、ゲルマン人が支配したローマ領土の言語は、現在に至るまでラテン語系のロマンス諸語なので、これと同程度には、中国史においても、五胡十六国時代の異民族である北魏や隋の成立は単なる王朝交替といえない断絶があると思うのです。 極端に言えば秦以降の中国には3っつの国家・社会があったと思うのです。一つは秦-漢-晋-南朝。二つめは北魏-唐-宋-南宋。3つめは明-現代中国。中国史において「滅亡」したのはこの3つの国家だと思うのです。 ■
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by zae06141
| 2006-10-01 16:13
| その他歴史関係
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