古代世界の午後雑記


「古代世界の午後」更新履歴と雑記
by Solaris1
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突厥碑文邦訳一覧とリンク

匈奴と突厥の暦と祖先の業績の記録方法について調べてたところ、突厥自身が作成した碑文が意外に邦訳されていることを知りました。Wikipediaの突厥碑文の記事に碑文一覧があるのですが、訳文の箇所がわかりにくいので自分のメモのためこの記事を作成しています。また、Wikipdiaの突厥碑文一覧(本日時点)に掲載されていない碑文とその邦訳もあることを知りました。

突厥碑文訳にはいろいろ参考になったことがあります。




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# by zae06141 | 2017-03-16 00:09 | その他歴史関係 | Comments(0)

最近見つけた書籍の話など

久しぶりに池袋ジュンク堂書店にいってきました。
2-3年前の出版であるにも関わらず、いままで出版されていたことを知らなかった書籍を多数見つけました。新宿ジュンク堂書店が閉店してからは、ブックファーストや紀伊国屋本店にいくことが多くなりました。その頃の紀伊国屋本店は、書籍の扱い方が雑な印象があり、あまり行かないようにしていました。しかし、しばらくすると紀伊国屋本店は大幅に改善しました。これは私の推測ですが、新宿ジュンク堂書店の店員の一部が、紀伊国屋書店に流れたのではないかと見ています。大きさの上では1000坪のジュンク堂新宿店より、ブックファースト(1090坪)や、紀伊国屋本店(1434坪)書店の方が広いのですが、本の種類は、ジュンク堂新宿店の方が圧倒的に多い印象がありました。やっぱりジュンク堂が好きなので、ここ2-3年は、丸の内オアゾ店にいくようになっていました。オアゾ店は、交通機関的に出やすいのと、駅上にあるので行き易いためです。池袋店は駅から少し歩くのも面倒です。雨が降っていると更に避けたくなります。




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# by zae06141 | 2017-03-06 00:45 | その他歴史関係 | Comments(0)

村川 堅太郎著『羅馬大土地所有制』 の目次

村川 堅太郎(1907-1991年)著『羅馬大土地所有制』(1949年、日本評論社、社会構成史大系第二巻として発売)の目次がネット上になさそうなので、掲載します。

この書籍は現在絶版ですが、『村川堅太郎古代史論集〈3〉古典古代の社会と経済』(岩波書店、1987年)に収録されており、古代史論集の方は、定価6700円と高価ですが、古書は廉価で入手できます。第一部は八編の論文、第二部が「羅馬大土地所有制」です。以下『羅馬大土地所有制』の目次です。

第二部『羅馬大土地所有制』(181)
 第一篇 イタリアにおける大土地所有(183)
  一 序説(183)
  二 学説史的回顧と概念規定(197)
  三 ローマ農業論の記述(210)
  四 直営地の経営(221)
  五 小作制(241)
  六 大土地所有者の実例 -プリニウス書簡の研究-(254)
  七 社会構成上における大土地所有の位置(266)
  八 むすび(278)

 第二篇 属州における大土地所有(281)
  序(281)
  一 属州アフリカの皇帝領(283)
  二 その他の属州(308)
  附録一 シシリーにおける土地賃貸者(315)
  附録二 小作制についての史料(325)

日本評論者版は全150頁の薄い本です。本書は紙幅147頁にそのまま再録しています。1949年刊の『羅馬大土地所有制』は、「羅馬」と「ローマ」が混在しているものの、「羅馬」以外は基本カタカナが利用されていて読みやすく、1987年の論集では、タイトル以外は全部カタカナに修正されているので更に読みやすくなっています。
 まだ考古学の知見が文献史学に導入される以前の、古典文献史学の範囲内の研究ですが、その範囲をまとめた研究という前提ならば今もって基本文献を用いた入門書として有用な基礎研究といえるのではないかとの印象を持ちました。

 第二篇の第二章はガリアの農業を扱っていて、当時知られた文献史料で出来る限り各地の特徴を描き出そうとしています。プリニウスの書簡がイタリア半島の史料として活用されており、新保良明氏『古代ローマの帝国官僚と行政-小さな政府と都市』(2016年、ミネルヴァ書房)と並んで、退屈で一部流し読みしていた『プリニウス書簡集』を面白く読めそうな気にさせられる書籍でした。『プリニウス書簡集』、近いうちに完読したいと思うようになりました。

 論集のあとがきで『羅馬大土地所有制』について述べている箇所が面白かったです。

 「幸か不幸かこの問題に関する拙稿は、このソ連・東欧諸国を含めてのヨーロッパでの社会経済史の大隆盛、尽くることなき甲論乙駁より前に戦前の乏しい文献をたよりに、いとも無邪気に書かれたものであった。いわば石器時代の遺物のごとく、磨きをかけてもどうにもならないし、磨くためには無限の労力を要する」(332頁)

その後の出土金石文や考古学発掘で、村川氏が本書で描いた結論は修正されているのかも知れません。しかし、氏の以下の方針は、現在でも有用な姿勢だと思う次第です。

「ローマ帝国の広さを忘れて、一口に「ローマのラティフンディウム」を云々することはまったく無意味である(中略)本編は遺憾ながら二世紀頃までと時代を限定せざるを得なかった。(中略)本来ならばイタリアの何倍かの紙幅を要すべき属州の記述をあたかも附録の如くに扱わざるを得なかったことを読者にお詫びする」(p280)

※帝政前期エジプトの土地所有制については一橋論叢1951年6月号掲載の渡辺金一論説『USIAKOI MISTHOTAIについて : 羅馬帝制期に於ける属州埃及所在皇帝御料地(usiai)経営の一側面』があり、ヒスパニアについては、馬場典明「3-4世紀のバエティカにおける果樹栽培ウィラの構造的変化 」(『史学論叢』(別府大)30 2000年)、小アジアについては、坂口 明 「2世紀~3世紀前半における小アジア皇帝領の農民 」(『西洋古典学研究』36 1988年)、同「 小アジアにおけるローマ皇帝領の管理組織 」(『研究紀要』(日大・人文研)37 1989年)、シリアについては、渡辺金一「ローマ領シリアにおけるオリーヴ・プランテーション村落の興廃」(中世ローマ帝国―世界史を見直す (岩波新書 黄版 124)、1980年)などがあり、いろいろ集めると、日本語文献だけでもローマ帝国全領土の農業や土地所有の様子の情報があるていど集まりそうです。

※※なお、本論文集に掲載されている六章は、『エリュトゥラー海案内記(中公文庫)』にも収録されています。

六章『「エリュトラ海案内記」に見えたる紀元一世紀の南海貿易』
 一 エリュトラ海案内記
 二 ローマ「帝政期」初期における南海貿易の進展
 三 案内記の記述範囲と作者の航跡
 四 各輸出入品。貿易品の概観
 五 貿易の形態についての一、二の考察
 六 結語

以上の内容は、『エリュトラ海案内記(中公文庫)』では序章に収録されていますが、一部文庫版だけにしかない節もあります(以下文庫版の序説の目次)。

序説
 一 エリュトラ海案内記
 二 校訂本並びに訳注書(上記六章では収録されていない)
 三 本書の作者と成立年代 (上記六章では第一節の後半となっている)
 四 ローマ「帝政期」初期における南海貿易の進展
 五 案内記の記述範囲と作者の航跡
 六 各輸出入品。貿易品の概観
 七 貿易の形態についての一、二の考察
 八 結語


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# by zae06141 | 2017-02-25 00:05 | 古代ローマ・ビザンツ関係 | Comments(0)

最近(2016年末-2017年冬頃)読んだ古代ローマ関連書籍(2)

前回の続きです。

6)『アグリコラ・ゲルマニア』

「彼らは破壊と、殺戮と、略奪を偽って『支配』と呼び、荒涼たる世界を作り上げたとき、それをごまかして『平和』と名づける」

あちこちで引用されているタキトゥス『アグリコラ』の有名な一節ですが、高校時代に出会って以来、いづれは全文を読みたいと思いつつなかなか機会がないまま今に至っていたのですが、最近のベストセラー『サピンス全史(上)』(p239)に引用されていたことがきっかけで、読むことにしました。


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# by zae06141 | 2017-02-18 00:07 | 古代ローマ・ビザンツ関係 | Comments(0)

最近(2016年末-2017年冬頃)読んだ古代ローマ関連書籍(1)

結構な長文となってしまったので2回に分割しました。

 昨年8月末、「最近(2016年夏頃)読んだ古代ローマと古代末期関連本」 という記事を書き、『秘史』の翻訳や、山川リブレット『背教者ユリアヌス』、西ゴート映画『アマーヤ』により、古代末期の興味が戻ってきたと記載しました。その後割りと直ぐに、大清水裕著『ディオクレティアヌス時代のローマ帝国』(感想)が読了でき、特に後期ローマ帝国(3-7世紀)の行政/経済/社会/言語状況等を、地域毎に知りたい、という欲求が高まり、関連書籍や論説などを順番に消化しているところです。


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# by zae06141 | 2017-02-11 00:06 | 古代ローマ・ビザンツ関係 | Comments(0)

後期ローマ帝国の爵位 ver2

 昨年大清水裕著『ディオクレティアヌス時代のローマ帝国』を読み、後期ローマ帝国の爵位について繰り返し言及されていたことに興味が出たので、少し調べてみました。

 この背景には、ビザンツ時代(7世紀以降)では爵位が重要視され、官職売買の目安となっているものの、それがいつ・どのように、帝政ローマの制度から発展・移行したのか、がよくわからず、かねてからの疑問だったからです。今回調べた後期ローマ帝国の4世紀初頭前後と4世紀末の間では、以下のように変化しています。なお、日本語の爵位名称とギリシア語名は、豊田浩志著『キリスト教の発展とローマ帝国』(南窓社、1994年(p80))に記載されているものを、爵位の語訳は、Matthew Bunson著『Encyclopedia of the Roman Empire』(Facts on File,1994年(p608)を利用しました。


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# by zae06141 | 2017-01-30 00:34 | 古代ローマ・ビザンツ関係 | Comments(0)

A.H.M Jones著『The Later Roman Empire 284-602(後期ローマ帝国 284-602年)』前半がパブリック・ドメインとして公開されているようです

 後期ローマ帝国の行政制度研究の古典的名著とされるArnold Hugh Martin Jones (1904–70年)の『The Later Roman Empire, 284–602: A Social, Economic and Administrative Survey』(1964年)がネットで公開されているのを見つけました。第一巻はパプリック・ドメインを掲載するInternet Archive(archive.org)にも掲載されているので、ひょっとしたらパブリック・ドメインなのかも知れません。


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# by zae06141 | 2017-01-20 00:08 | 古代ローマ・ビザンツ関係 | Comments(0)

清朝バロック建築「北京圆明园(圆明园,円明園)」の復元建築物の画像

 清朝前期北京の宮廷に建設された円明園には、乾隆帝時代に西欧バロック建築の影響をうけた建築物が幾つか建てられました。これらは1860年、英仏とのアロー号戦争で廃墟となり、現在では一部の土台とその装飾建築だけが残されています。中国国内には、各地のテーマパークに円明園の復元建築があるようなのですが、ネットで「円明園,復元」で検索して出てくる復元建築の画像は「遠瀛観」の画像だけのようで、他の建築物の画像はなさそうです。深圳市の中央部にある有名な「世界之窓」というテーマパーク(世界の有名建築物の巨大ミニチュアパーク)の東隣にある、「錦繍中華」という、中国国内の有名建築物の巨大ミニチュアのあるテーマパークに円明園の復元建築群があるので、その画像を掲載してみました(画像は2015年秋訪問時のものです。なお、記事を書きながら調査したところ、円明園で検索しても画像は出てきませんが「谐奇趣」、「远瀛观」、「海晏堂」と、建築物ごとの名称で検索すると画像が出てくることがわかりました。各地の復元建築や復元図は若干結構異なっていたりすることがわかります)。

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# by zae06141 | 2017-01-10 00:08 | その他歴史関係 | Comments(0)

2016年面白かった書籍・映画などベスト10

今年は好調でした。今年前半は、本を殆ど読まなかったかわりに、多数の映画を視聴しました。6月中に70本に達し、学生時代以来の年間150本も達成しそうな勢いでしたが、6月後半から急激に読書に回帰し、結局100本にも届きませんでした。一方今年後半、読書はざくざく進んで終わってみれば例年並みとなりました。昨年の不作が嘘のように今年は面白い本を読めました(昨年が酷かっただけで例年並みに戻っただけですが、、)。




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# by zae06141 | 2016-12-31 12:06 | その他小説・映画関連 | Comments(0)

オスマン帝国歴史地図帳『A Hitorical geography of the Ottoman Empire』(1650年まで) ver2

ずっと探していた、オスマン帝国歴史地図帳、ようやく求めていたものに近いものを見つけました。探していたのは、オスマン帝国の地方行政区区画(州県)変遷図です。オスマン帝国の領土拡張ー縮小地図はよく見かけますが、州県地図は見たことがありません。しかも数百年という広域支配の間の州県統廃合などに変わっているはずなので、そのあたりを知りたいと思っていました。

州県変遷図まではありませんでしたが、1525年と1650年のバルカン半島の州県地図が掲載されており取り合えず満足です(小アジアの地図は、地図に年代が書いてないので不明です。次に図書館にいった時に確認したいと思います)。また、この地図はいくつか珍しい地図が掲載されています。地図帳紹介の記事を作成しましたので、ご興味のある方はこちらをご覧ください

※12/25 追記
ランゴバルド諸侯国前半期(カール大帝による征服以前)の政治通史史料パウルス・ディアコヌスの『ランゴバルドの歴史』の邦訳が30日に知泉書館から出版されることを知りました(こちら)。今年はカロリング朝の史料『ニタルトの歴史四巻』の邦訳(こちら)も同出版社から出ていますし、2010年にはカロリング朝史料『母が子に与うる遺訓の書―ドゥオダの『手引書』』(こちら)を出すなど、知泉書館だけの話なのか、日本の歴史ファンの間でカロリング朝が密かに人気なのか不明ですが、カロリング朝ブームが来るのかも知れません。最近古代末期の一環として7世紀西欧(仏西伊)の社会経済文化史に興味があるので、あまり政治史に興味はないのですが、パウルス・ディアコヌスの『ランゴバルドの歴史』は買ってしまいそうです。
 更にいえば、イタリア半島中世については、カール大帝以後、(オットー大帝の使節)リウトプランド以前の200年間の政治社会経済文化史にも興味があり、そのあたりの概説書すら日本語書籍ではなかなかないので、何か史料がわからないかと、仕方なく今年塩野七生氏の『ローマ亡き後の地中海世界』(上)の前半を読んでみたのですが、予想通りひっかかるところばかりでなかなか読み進められないということになりました。例えば、もっとも特徴的な例として、イスラム勢力がルーニというジェノヴァ南東の都市を略奪しているのですが、p105で849年に「ルーニはこれ以降廃墟のままで残る」と書いているのに、p185の1016年の事件のくだりで「ルーニは、ムシェットとその配下の猛攻を浴びて廃墟と化す」と書いています。思わず太平洋戦争中、昭和天皇が、「サラトガが沈んだのはこれで4度目だが」と苦言を呈したとかいうエピソードを思い出してしまいました(これ本当なんでしょうか。昭和天皇実録に載ってるのでしょうか?)。

一度廃墟となって復興して再度廃墟となった可能性もあるので調べてみたのですが、どうやらそうではなく、849年のは略奪だけで、860年にはノルマン人に略奪されているので、「これ以降廃墟のままで残る」という部分は塩野氏の修辞だと思われるわけです。こういう筆のすさびというか、文章に酔ったような極端な表現をするようなところが塩野氏の作品をあまり好きになれなくなってしまった部分なんですよね(ギボンについても同じですけど。まあどちらも文学なので当然ではあるのですが、、、All of them なのか、Some of them なのか、one of themなのか、80
%なのか60、40、20%或いは数%なのか、こういうところは印象に大きく影響するので文学でないならば、厳密に表現する必要があると思うわけです)。あと860年のノルマンによる略奪の記載を書いていないところなども気になるわけです。しかし、塩野氏の文章は、中世イタリア人側の史料に刻まれた「イスラム海賊の恐怖」をそのまま描いている、と理解すれば納得できるわけです。もしかしたら本当に中世キリスト教徒側の史料にルーニは2回廃墟となった、と書かれているのかも知れませんし、それが事実ではなくても、当時の史料作者自身がイスラム海賊の恐怖を宣伝するためにそのような文章を書いたのかも知れませんし。こういうところをきちんと本文や註で出典を示し、更に検証もしてくれれば、「物語」ではなく、「中世キリスト教徒にとっての現実」を描いた(イスラム側の言い分や検証を欠いている)歴史書として読めるのですが、、、、
 ちなみに、この前発見した学生時代の読書リストを見ていて、オスマン帝国に興味を持ったルーツは、塩野氏の『海の都の物語』なのではないか、という気がしています。当時の塩野氏はよかったのになあ、、、というのは記憶だけの話で事実は違うかも知れないので、そのうち『海の都・・』もざっと見返してみたいと思います。私の記憶によれば、塩野氏が極端な書き方をするようになったのは、確か本人が、『ローマ人の物語』の真ん中くらい(2000年頃?)に、「もうこの先のキャリアを気にする必要もない年齢になったので、いいたいことを書くようになりました」と書いたor発言した後あたりから、という記憶があり、ご本人がわかってやっているのであればいいのではないか。ただし私には合わない文章・内容になってしまったけど。と思うようになりました。塩野氏の文章に単純に酔っていられた頃はある意味幸せではありました。しかしこれは、塩野氏も変わったが、私も変わったor知識がついた、ということなのかも知れないので、できれば来年『海の都・・・』等昔読んだ塩野本を読み直してみたいと思っています。

※※2017/Feb/28追記 
 26年ぶりに中公文庫版『海の都の物語(下)』をぱらぱらとめくってみて、2分もたたないうちに、以下の記載が目に飛び込んできました。

「発端は、四世紀になされた、コンスタンティヌス大帝のキリスト教公認にまでさかのぼる。大帝がキリスト教を、ローマ帝国の国教とせずに、他の宗教と同格にして、公認だけしていれば問題は生じなかったのであった(p408)」

この文章は、

「「大帝キリスト教を、ローマ帝国の国教とせずに、他の宗教と同格にして、公認だけしてい」た。その後の諸帝も「公認だけしていれば問題は生じなかったのであった」」

と、「大帝が」を「大帝は」に修正し、「た。その後の諸帝も」を補足して分割すれば問題ない文章となります。しかし、普通に読めば、「公認だけしていれば」の主語は「大帝が」であり、コンスタンティヌス大帝は公認だけにとどめておかなかったから問題が生じた=国教化したのは大帝である、と読めるのではないでしょうか。

ローマ帝国がキリスト教を国教化したのは同じ四世紀のことで、歴史の大勢には影響しないささいな間違いですが、いつか『海の都の物語』全編読み直したいと思っていた気持ちはかなりしぼんでしまいました。ざっとめくって1分ちょっとでこれが見つかってしまうのですから、全部をじっくり読み直すと、『ローマ亡き後の地中海世界(上)』同様ひっかかるところばかりでてきて読み進められず、いちいち調べなくてはいられなくなり、いやな気持ちになるだけ、という可能性が高いように感じます。南川高志氏の気持ち(こちらで紹介しております)がようやくわかった気がします。私の中で、『海の都の物語』に別れを告げる日が来たようです(とはいえ、ヴェネツィア史入門としては、やはり今でも本書はお奨めだと思います。その気持ちは変わりません)。

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# by zae06141 | 2016-12-20 00:06 | その他歴史関係 | Comments(0)