古代世界の午後雑記


「古代世界の午後」更新履歴と雑記
by Solaris1
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黄帝と炎帝

「長江流域と巴蜀、楚の地域文化」に、黄帝は北方の神であり、炎帝は南方の神であり、もともと異なった文化圏の神だったものが、北方民族による南方の征服の結果、ともに漢民族の神とされ、黄帝は正統、炎帝は対立する勢力という位置付けとなった、との説が記載されていました。こうした現象は日本でもあって、出雲勢力を大和勢力が征服したことによる、神々の吸収という現象に現れています。

炎帝を神を仰いだ民族とはどのような民族だったのでしょうか。当時中国南方に住んでいた、タイやベトナム人の祖先の歴史や神話の中に、炎帝の痕跡が残っていないものでしょうか。そのうち調べて見ようかという気になっています。

ところで、イランとインドは元々同一民族だったので、それぞれの神は、もともとインド-アーリア人の神だったと見られていますが、イランでの善神アフラ・マズダがインドでは悪神阿修羅、インドでの善神デーヴァがイランでの悪神ダエーワと、入れ替わっている点が面白いと思いました。これは、恐らく、インド人とイラン人が分裂の過程で、一時対立関係にあったことの名残だという気もするのですが、どうなのでしょうか。イランでもインドでも、分裂前後の時代は、どちらも善神であり、あまり違いはなかった、ともされているようですが、分裂そのものが、やがてお互いを貶める方向へ、双方の神を位置付けるようになっていったのではないかとも思えます。
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# by zae06141 | 2007-02-11 10:38 | 古代中国関係 | Comments(0)

2006年の記事履歴

2006年12月24日映画「華氏911」

2006年12月9日  映画「エンロン」
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# by zae06141 | 2006-12-24 23:53 | サイトに移行した記事の更新履歴 | Comments(0)

本ブログの関連サイト

・本ブログは、下記歴史サイトの雑記と更新内容の説明です。プロファイルなどは下記をご参照ください。たいしたことは書いてませんが。
-古代世界の午後
遺跡訪問記・書評・旅行日記、歴史映画一覧、史料一覧などの情報サイトです。本ブログは本来はこのサイトの更新記録と雑記です。

書評はAmazonに書くようになりました。歴史関連が殆どです
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# by zae06141 | 2006-11-14 23:37 | このブログについて | Comments(0)

ブルガリア料理店その後

以前カレッタ汐留にできたブルガリア料理店ソフィアの紹介をしました。そのときの訪問では、「メニューに無いものを予め予約を入れてくれれば、作りますよ」とのことでしたので、本日電話してみました。

わたし 「こんにちは。今度の○月×日に予約を入れたいのですが」

店員 「何名様でしょうか」

わた し「12:30分に3名でお願いします」

店員 「了解しました」

わたし 「ところで、昼間はあまりメニューも無かったようなので、夜のメニューのものも出して欲しいのですが可能でしょうか」

店員 「たとえばどんなものでしょうか。

わたし 「カバルマ*1とか」

店員 「カバルマなら昼のメニューにございます」

わたし 「そうですか。それでは、以前お伺いしたときの話では、メニューに無いものも、事前に予約を入れるときに言えば、作ってくれる、とのことでした。そこで2点お願いしたいのですが」

店員 「どんなものでしょうか」

わたし 「シュケンベチョルバ*2をお願いしたいのですが」

店員 「シュ・・バ??? なんですか? 特別な食材を揃えるのはちょっと難しいので、残念ですができません」

わたし 「特別な食材ではないですよ。羊の腸ですよ。日本でも手に入ります」

店員 「キロ単位で食材を仕入れますものですから、お一人様で準備するのはちょっと。残りをメニューに載せるわけにもいきませんし。。。」

あれれ。。。なんだかこの前と話が違う感じ。

わたし 「何人くらいならいいんですか」

店員 「十人以上くらいでないとちょっと。。。。」

わたし 「十人以上ですか。わかりました。揃えます。最低何人揃えればいいでしょうか」

店員 「ブルガリアのスタッフに聞かないとわかりません」

わたし 「わかりました。ブルガリアの店員の方と変わっていただけますでしょうか」

店員 「申し訳ありませんが、今、日本語の達者なブルガリア人が帰国してしまっているので、今直ぐはわかりません」

あれ? この前の話だと、ブルガリア人の店員はいないんじゃなかったの?

わたし 「わかりまりた。日本語が話せない方のブルガリア人でいいので、電話口までお願いできませんでしょうか」

店員 「いや、先ほどもご説明しましたように日本語ができるブルガリア人は帰国してしまっているのです」

わたし 「帰国している方ではなく、日本語が話せない方のブルガリア人でいいですよ。ブルガリア料理のわかる人と私が直接ブルガリア語で交渉しますから」

店員 「実は彼は本日はまだ来ていないんです」

なんだか、どんどん泥沼にはまっていく感じ。。。適当に言い訳を重ねているようにしか思えないのだが。

わたし「わかりました。じゃあシュニッツエル*3はどうでしょうか」

店員 「シュニ・・・???なんですか???」

わたし 「シュニツェルは日本の食材でできますよ」

店員 「ブルガリア人はスタッフですがコックではないのです。なので難しいと思います」

やれやれ。結局何にもできないわけね。

わたし 「しかし、ブルガリア料理と銘打っているのに、ブルガリア料理っぽいのはカバルマだけというのはいかがなものでしょうか?*4」

店員 「まだ本店は4月に開店したばかりで、軌道に乗ってきたら、今後メニューを増やしていく予定です」


わたし 「わかりました。楽しみにしております。半年くらいたったら、メニューを覗いてみますね」

店員 「よろしくお願いいたします」

・・・・・・・・終わり

・・・・・段々自分自身がクレーマーというか、感じの悪い客としか思えなくなってきてしまった。確かにちょっと次々と底の浅い言い訳を続ける店員に腹が立ってはいた。<最初から、メニューに無いものはできないし、ブルガリア人のスタッフなんていないんでしょう? たまたま日本在住のブルガリア人関係者をスタッフを呼ぶなら、そうした存在はいるかもしれないが、その程度の関係者がいるだけなんでしょう?だったら最初からそういえばいいのに> 

電話を切った直後はこのように思っていたものの、ちょっとしてから思い出した。そういえば、ブルガリアでも、日本人に限らず、外国人(この場合欧米の人たち)の間では「ブルガリア人は、なんで直ぐばれる嘘や言い訳をつくのだろうか。しかも、それらがみんな短絡的なものだから、嘘を追及すると、嘘に嘘を重ねて、どつぼにはまってく」なあんてことを言っていたものだ。しかし、最近あちこちの、海外在住者のブログを読んでいると、こうしたこと(すぐばれる嘘を重ねる)は、ブルガリア人に限らないらしい。共産圏の産物でもないらしい。そこで最近思うには、ようは、すぐばれる嘘をつく人々は、たんに、素朴で純粋だということなのではないだろうか? 逆に、我々(といっての日本人や欧米の人皆とは限らないが)は、嘘に慣れっこになっていて、言葉や態度には裏表があるもの、と普通に思うようになってしまっているので、我々自身、嘘をつくにも巧妙な嘘をつくようになっているし、逆に嘘に詳しいからこそ、直ぐばれるような嘘に騙されることもなく、巧妙な嘘でないと騙されなくなっている、ということなのではないだろうか。そう思うと、ブルガリア在住当時、つまらない言い訳を続ける人を責めた自分が、急に情けなくなってきた。

しかし、今回電話に出た店員は、間違いなく日本人だったが、彼との対話こそ「ブルガリア人体験のひとつ」ではなかろうか。してみると、カバルマとキュフテくらいしか本場っぽい料理はないが、十分にブルガリア感覚を味わえる、ということで、レストラン「ソフィア」は、一流のブルガリア料理店なのかもしれない、と思ったのだった。そう思うと、ソフィアに行ってみるのも悪くは無い、と思ったものの、なんだか電話で大分ケチをつけてしまったので、なんだか行きにくくなってしまったなぁ。。。

*1 カバルマ - ブルガリアに訪問にきた日本人の、たいてい誰もが口にあう唯一の料理。シチューの一種。
*2 シュケンベチョルバ - かなりあくの強いモツ煮込み。私は好物だったが、大抵の日本人は食べれない。ブルガリア人にさえ、「あんなものすきなの?」と眉をしかめられた。でも大抵のレストランに置いてある代表料理。
*3 シュニッツェル - メンチカツをテンプラにして揚げたような料理。これも比較的日本人の口に合う。
*4 他にムサカやキュフテもメニューにある。 しかし、ムサカは厳密にはギリシア料理である。キュフテは中近東一帯で広く食されていて、トルコ・アラブ・イラン圏いづれでも見られる。両者ともブルガリアでも日常家庭料理になっている。
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# by zae06141 | 2006-10-19 00:52 | 旅行・海外駐在関係 | Comments(0)

歴史と記録メディア


 久しぶりの更新です。最近思うのですが、インターネットの世界に情報が蓄積され、日々膨大な情報が蓄積されてきています。しかし、反面紙の情報が減ってくると、歴史的にまずいことになるように思うのです。

 例えばアッシリア史が豊富に残る粘土板に刻まれた楔形文字から、前800-700年くらいは、1年刻みくらいで歴史がわかるのに、紀元後3-7世紀のササン朝時代は殆ど現地同時代史料が残っていないのです。この理由については様々な理由がありますが、粘土板が主流記録メディアであったアッシリア時代に比べ、絹や羊皮紙が主な記録メディアであったササン朝時代のメディアの方が、保存に弱い、という理由が挙げられます。同様に、現代、ディスクに記載された情報は、将来文明が衰退したら、読み取れなくなり、反って、紙の史料が豊富に残る時代の歴史の方が、記録がよく残る、ということになるのではないでしょうか?

 また、ディスクに情報が蓄積されたとしても、ハードディスクの耐用年数なんてたかが知れています。粘土板よりも、保存力は低いといえるでしょう。このため、数十年に一度は、新しいディスクにコピーする必要があります。これは、古来写本によって情報が伝えつづけられたことと似たようなことなのではないでしょうか? あちこちのディスクに、複数に記載されたメジャーな情報しか、遠い未来までコピーされつづけて残らないのではないでしょうか?
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# by zae06141 | 2006-10-01 17:10 | その他の時代の歴史映画・ドラマ | Comments(0)

遺物の収集


 池袋のオリエント博物館で開催されている「古代エジプト展」に行ってきました。先史時代~ローマ時代の様様な文物が展示されていて、古代エジプトとなると、もう日本でも何度も展示会が開催されているわ、不思議発見などTV番組で散々見ているわで、あまり新しい知見はないのでは、と期待していなかったのですが、それなりに新しい発見もあり、やはり百聞は一見に如かず、と改めて思いました。特に2点についてここで書いてみたいと思います。

 ひとつは、新王国時代のエジプトのガラス製品が展示されていたことです。出口の売店に置いてあった、「古代オリエントのガラス」という冊子に、これについての記述があったので読んでみました。すると、ガラスは前2300年くらいからメソポタミアで開発され、エジプトにガラス技術が導入されたのは、トトメス3世などのシリア遠征時期だとのこと。このため、エジプトで発見されるガラス製品は、最初から完成された製品として出土されるとのことだった。
 また、古代ローマのプリニウス博物誌には、「フェニキア人がガラスを発見した」という伝承が掲載されており、これによると、天然ソーダを扱う商人が、料理か何かの火を起こしているとき、鍋を支える木材が足りなくて、たまたま手元にあった天然ソーダを代りに使ったところ、溶けたガラス成分が流れ出した、とのこと。フェニキア人の伝承は、もとはメソポタミアから伝わったものかも知れず、案外そんなもんかも、と思いました。

 ふたつ目は、末期王国時代に「ネコ」が崇拝されていた、との話。これまで、エジプトの歴史の本で、末期王国時代のページに、説明もなく発掘ネコの像の写真が掲載されてあり、そのページの近辺には「ネコ王」の記述があることから、きっと冗談好きな編集者なんだろう、と勝手に思っていたのですが、今日始めて事実を知りました。当時のエジプトではネコは、女神バステトの化身とされていて、子宝、安産の守り神とされていた。そこで家庭で飼われていたネコが死ぬと、ミイラにして葬り、またネコの像を作って祭ったとのこと。なるほど~。そういうことでしたか。

 ところで、今回の展示は、エジプト本国や大英博物館などからの遺物を持ち込んだのではなく、日本各地の博物館や個人の所蔵物を集めたものでした。そこで気になってしまいました。古代エジプトの文物を、これ程の量を各国・各地域で分散所有してしまっていいのだろうか?今回は以下博物館から集められたものでした(これ以外に個人もある)。

松岡美術館(東京目黒)
成羽町美術館(岡山県)
下関市立美術館(山口県)
天理参考館(奈良県)
遠山記念館(埼玉川越)
岡山市立オリエント博物館(岡山県)
MIHO MUSEUM(滋賀県)
大原美術館(岡山県)
中近東文化センター(東京三鷹)
オリエント博物館(池袋)

 中近東文化センターや、オリエント博物館は、日本を代表する専門の機関なのですが、その他の美術館では、岡山県の大原美術館以外、古代エジプトの文物を所有していることを、今回始めて知り、驚きました。こんなに多くの美術館が、遠いエジプトの文物を所有していいのだろうか?こんな調子で世界各国がエジプトの文物を持ち去ってしまったら、研究が困難になるのではないか?それとも、当のエジプトには腐るほど文物があるのかもしれず、この程度は問題ないのだろうか?など、色々考えてしまいました。全ての文物に管理番号を振った資料一覧などができていて、いつでも研究者が参照できるのならいいのですが、もし、そうでない場合、遺物は限定された機関(せめて各国1箇所ずつとか)で集中管理した方がいいのではないのだろうか?と思ってしまいました。地域博物館にはレプリカがあれば、子供達に夢を与えることができるわけだし、展示会は、限定された機関から、定期的に地域の美術館に貸し出して行えばいいわけですし。
 などなど、いろいろ考えてしまいました。
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# by zae06141 | 2006-10-01 17:10 | その他歴史関係 | Comments(0)

帝国の広大さを測る尺度

 史上最大の帝国というと、領土的観点からすると、大英帝国とモンゴル帝国、抜きん出たパワーという観点では、モンゴル帝国、現在の合衆国、人口という観点では、現代中国とインドということになるかと思います。また歴史上での存在感というと、ローマ帝国を無視することはできないでしょう。ここで一つ新しい観点を提案してみたいと思います。それは、帝国で暮らした総合的な人口数という尺度です。例えば、ローマの場合、平均4500万人で平均寿命50歳、世代30年として500年とすると、
次のようなモデルが考えられると思います。

第1世代の年齢/第1世代の人口/第2世代(第2世代の子の世代)の人口/第3世代(第2世代の子の世代)   
0~29歳    /1700万     /
30~59歳   /1700万     /1700万
60~89歳   /1100万     /1700万                   /1700万
90~       /0         /1100万                   /1700万

 かなりデフォルメされているますが、これだと、4500万人が、30年スライドで、500年で18世代、4500万*18で8億1000万人の人口がローマ帝国で生活していた計算になります。モンゴル帝国の場合、仮に、元の人口約6000万、イル国人口約2000万、高麗1000万、アナトリア500 万、中央アジア500万、ロシア500万、東欧500万として、1億1千万人が約150年間の帝国を維持したと考えると、1.1*5世代として5億5千万人となります。こうすると、「ローマ帝国」に暮らした人口の方がモンゴル帝国より多くなります。また、ローマと漢は同じような期間、ほぼ同等の人口を有していたように思えますが、漢の場合、厳密には、前漢初と末、後漢初と末でそれぞれ人口が4倍くらい異なっています。前後漢で暮らした人口は、ローマより低かったはずです。
 帝国の規模について、このように考えて見るのも、面白いのでは、ないでしょうか?
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# by zae06141 | 2006-10-01 16:56 | その他歴史関係 | Comments(0)

伝説と歴史像

 イスラム勢力に征服する前のイランの歴史は、あまり記録が残っていないせいか、歴史イメージを伝説や伝承に大きく負っている面が強いと思います。アケメネス朝からササン朝まで1200年もの歴史がありながら、イラン人自身があまり歴史書を残さなかった為、日本で言えば古事記のような、イスラム時代になってから書かれた歴史書や叙事詩に歴史像が大きく依存することになってしまっているのです。そうして、7世紀以前の日本史についての客観的な史実確認はお隣の中国の史書に頼らねばならないのと同じく、ギリシャ・ローマの史書に頼らなくてはならない点も日本の状況に似ていると思います。
 それでは、外部の民族の記述以外に、神話と伝説・伝承が殆どを閉めるこの時期のイランの歴史から、どの程度の部分が史実なのかを判断する尺度・方法論は、なにか無いものなのでしょうか。

 そう思っているところへ少し参考になる事例が手に入りました。それは中国史の例です。中国では史記以来代々歴史書が書き連ねられてきた結果、比較的確定的な史実がつかめています。なので、中国にも民間伝承や伝説が無かったように思い込んでいましたが、実際にはかなり史実とは隔たった、荒唐無稽な伝承があったことを知りました。それは演劇や講談の世界や地元民だけが知るローカルな伝承として営々と伝えられてきたもののようですので、イランの状況とは逆に、なかなか発掘することは難しそうです。しかし今回一つの事例を知ることができました。それは後漢建国の光武帝についての伝承です。色々な伝承をあわせてみると、全体として以下のような内容であると言えます。

 王莽が平帝を殺した時、王莽の娘である平帝の皇后は妊娠中だった。役人が生まれてきた子供を自分たち夫婦の娘とすりかえ逃がす。王莽は皇族を根絶やしにする。王莽の追撃を逃れつつ、各地を流浪しつつ成長して王莽を滅ぼし、帝位につく。つまり彼こそが後漢の光武帝である。その後漢家再興に手柄のあった二十八武将を酔いに任せて全員誅殺し、酔いから覚めると、しでかしたことを後悔し、狂死する。彼はもともと紫微星の化身であり、死して天界に戻る。

 これは典型的な貴種流浪譚、棄児伝説、英雄化身神話のパターンを3つとも含むでいます。この部分だけ見ると、イラン神話に伝わるアレクサンドロスとダレイオスのパターンも同じといえます。すなわち、ダレイオスが離婚してマケドニアに追い返した妃が、実は既に妊娠していて、誕生したこどもがアレクサンドロスと名乗り、やがてダレイオスを滅ぼす、というものです。棄児伝説はキュロス大王にも伝わっており、更に遡るとサルゴン1世にも同様の棄児伝説があります。しかし上述のような極端な部分を除けば、光武帝の場合、登場人物や、全体的なストーリまで史実と異なってしまっているわけではないと言えるのではないでしょうか。そう考える時、イランの伝承の中も、結局はまったくの創造物ではなく、そこには何がしかの歴史的事実が根底にあると期待できる可能性があると思うのです。
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# by zae06141 | 2006-10-01 16:41 | その他歴史関係 | Comments(0)

アントニオネグリ 「帝国」によせて

 アントニオ=ネグリとマイケル=ハート共著 「帝国」の日本語訳が出版されました。 実はこの著作のことは この翻訳が出て初めて知りました。 本屋で前文を立ち読みし、非常に興味をもちましたが、大部でもあるし 大学時代ならともかく、仕事に終われながら全部読みこなすのは大変だろうと、結局「帝国」特集号の「現代思想2月号」を買ってきてちょっと読みました。 そうして、少なからず衝撃を受けています。 そんなこともあって、1年近く放っておいた雑記にちょっと書きなぐりたくなりました。 

 この書物「帝国」で言っている”帝国”とはなんなのか。  
 古代のローマ帝国や 近代の帝国主義という言葉の帝国と何が違うのか。

 著者は明かに 「帝国主義」の帝国ではないといっています。 それでは古代ローマ帝国やモンゴル帝国などの帝国という意味なのでしょうか。
 勿論これは私個人の私見ですが、私は古代ローマの帝国に近い、と思いました。ただしそれは アウグストゥスによって確立された帝国ではありません。 書物「帝国」の帝国とは、具体的な「帝国」ではないようです。 それは、まだ名称の与えられていない、見えない、まさに既にできつつあり、運営されつつあるが、新しいが故に 具体的名称の与えられていない、 一般名詞化して人々の意識に上らない、 見えつつある秩序 だと思うのです。

  これは 古代地中海社会で言えば このようになると思います。 
 まだ明確に帝国が見えなかった、新しい秩序が模索されている、紀元前2世紀中頃~前1世紀中頃までの 地中海世界で模索されていた秩序、現れつつあり、進行しつつある、がまだ名称の与えられていない 地中海世界にとっての新しい秩序である 「帝国」。 この紀元前1世紀の まだ言葉は無く、具体的なイメージを誰も持っていなかったけれども、 成立しつつあった 地中海世界を統合する秩序、後世「ローマ帝国」として 具体的な名称を与えられることになる 地中海世界を統合する「帝国」。 この帝国こそが、 書物「帝国」の ”帝国”に最も近い対応物ではないかと思うのです。

 書物「帝国」によれば、現代世界は、国民国家だけではくくれない、グローバリゼーションと国民国家、地域国家群の相克する時代を迎えている。国民国家がまだ終わったわけではないし、グローバリゼーションが一方的に国民国家を否定・無化するものでもない。 帝国主義時代は既に過去の遺物となっている。 そんな現代世界は 実は既に新しい秩序の世界へ向かっている - その新しい秩序は、新しい名称を与えられるべきだが、 取りあえず 『帝国』と呼ぼう。
 ネグリ達の主張はこのように感じられます。

 地中海世界を統合する「ローマ帝国」は紀元前1世紀初、同盟都市戦争、スパルタクスの乱、カティリナ事件以降既に誕生していた、との見方があります。 カエサルは、王という 古い秩序名で 新しい秩序を 再構築しようとし、アウグストゥスは新しい方法で行ったということなのではないかと思います。

 現代世界は 「帝国」状態になりつつあるが、まだなりきっていない。 
 ここで問題となるのが 現代のローマたる合衆国と「帝国」の関係です。

  ネグリ達は ブッシュ政権の帝国主義政策は 「帝国」の方向性にそぐわないゆえ、失敗する、としています。ブッシュ政権は スラの政権みたいなものでしょうか。 また、世界の警察たる合衆国中心に世界が統合される、という意味の「帝国」ではなく、 新しい秩序は中心を持たない、とも言っています。
つまり、これは 「ローマが統治するわけではなく、皇帝のいる場所が帝国の中心」であった 古代ローマにも言えることかも知れません。
 恐らく、 「帝国」 は合衆国をも 凌駕する、新しい秩序に採りこまれる、ということなのでしょう。

 このように考えてきて、私の古典古代世界に対するテーマと 現代世界とが 遂にリンクする、そのリングが見えた気がしました。 自分自身なぜ ここまで 古典古代世界に関心を掻き立てられるのか、 単なる趣味だと考えていたのですが、ここでやっと 自分自身の仕事に繋がっているリングを見つけ出せた気がしています。

 さて、書物「帝国」では 「帝国」は一つだけ、という認識です。 私はこれについては まだ判断が出来ないでいます。 ただ、新しい「帝国」が仮に複数成立したとしても、それは古代世界のように 地理的に明確に区分できる帝国ではないことだけは わかります。
 そうして、複数帝国が成立するとしたら、それはやはり、イスラム、インド、中国 がキーになるのではないかと思うのです。 但し、繰り返しになりますが 地理的区分は重要ではなくなるように思います。 ムスリム、インド人、中国人は それぞれ世界中に展開し、また欧米人も中国、インドへ進出しているからです。 多元的「帝国」へ向かうのか、単一の「帝国」なのか、 それが今後の探求のテーマとなるのかもしれません。


 ところで、塩野七生さんは 現代の日本や合衆国への警鐘というような文章を「ローマ人の物語」の中で書いていますが、紀元前1世紀の記述を行
う時、このネグリの「帝国」をどう考えたのか、興味があります。ネグリはイタリア思想界の重鎮なので、塩野さんがネグリの「帝国」の議論は知っている筈ですので、古代ローマとは関係ない、と考えたのか、それとも別の考えを持ったのか、興味があります。

※この記事は2003年2月頃記載したものです。当初はサイトの方に掲載していましたが、ブログを開始するにあたって、ブログ開始日に移行したものです。

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# by zae06141 | 2006-10-01 16:28 | 古代ローマ・ビザンツ関係 | Comments(0)

歴史小説

赤羽亮の小説「流沙伝説」はパルミュラ女王ゼノビアを扱った小説で スケールも大きく 当時のローマとササン朝イランという2大世界帝国間の狭間で生きるパルミュラを舞台とした国際謀略小説である。軍事的にはまったく対抗しきれない大国の狭間で翻弄される小さな都市国家が 諜報活動を最大限活用して うまく大国間を泳いで行くストーリは この時代くらい古い歴史小説としては少ないと思う。 パルミュラ在住の中国人などが出てきて 孫子呉子の兵法の講釈をパルミュラの諜報部員に行ったり、ゼノビアの父がかつてササン朝のセレウキアで暮していた時 ササン朝のスパイになっていたなど、舞台設定も面白く、楽しめる小説である。 しかし一つどうしても納得できないのは、登場人物達の台詞に「アルダシール1世」とか「シャープール1世」とか「1世」という言葉が出てきてしまっていること。当然だがアルダシール2世もシャープール2世もこの時代にはまだいない。ササン朝の今上国王がシャープール1世なわけで、その父親がアルダシール1世。シャープール2世が誕生し、国王に即位するのはこの時代のだいたい40年後でアルダシール2世となると即位は100年以上あと。この小説の時代にはまだ「アルダシール」という国王も「シャープール」という国王もまだ一人しかいないのだから、この時点で「アルダシール1世」とかいうのは絶対におかしい、不可能な台詞なのである。登場人物の台詞以外の部分で、作者が使うのならまだしも、台詞の中にでてきてしまうのは絶対におかしいよね。 作者が語る部分くらい「1世」とかいれとかないと、いつの時代だの話だか読者にはわかりにくくなる、ということもわかるのだけど、本当は出きれば 歴史小説は当時の目線で方って欲しいので、当時の人が使っていた用語の範疇はでて欲しくないよね。 例えばこの小説中に「比翼連理」という台詞がでてくるけど、これは唐の時代の白楽天の詩がもとで一般に膾炙されるようになった言葉だから この時代の登場人物が語っちゃいけないと思う。 熟語となると これはなかなか難しいとは思うけど、人名や称号、国名などは気をつけて欲しいところ。歴史小説で一番チェックしたくなるのはこの部分。現代の我々だって、英国女王は「エリザベス女王」というのが普通で、あまり「エリザベス2世が」とか言わないし、ワシントンとかリンカーンなどの場合は「ワシントン大統領」とは言わないはず。だから当時の人も例えば3世紀くらいの人が「トラヤヌス帝が」とか日常会話で話していたのかどうか?単に「トラヤヌス」と言っていたんじゃないの?明かにその当時使われていた筈のない言葉が出てくると興ざめになってしまうもの。 よく中国の小説でも、前漢代の小説の中で、後漢時代に書かれた「漢書」が作者の語る部分で出てくることがあるけど、こうした歴史書の引用は中国歴史小説に非常に顕著で もう一つの様式といっていいと思うが、これも私の場合結構興ざめである。あと登場人物が「漢帝国」とか「ローマ帝国」とかいうのもちょっと興ざめ
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# by zae06141 | 2006-10-01 16:18 | その他歴史関係 | Comments(0)