古代世界の午後雑記


「古代世界の午後」更新履歴と雑記
by Solaris1
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31
アクセスカウンター
UU数
無料カウンター
無料カウンター
無料カウンター
カテゴリ
以前の記事
最新のコメント
pepeino様 ..
by zae06141 at 00:27
最後は一般論として,..
by pepeino at 22:44
そこで,感謝の念を示すた..
by pepeino at 22:43
zae06141様 ..
by pepeino at 22:42
zae06141様 ..
by pepeino at 20:44
pepeino様 ..
by zae06141 at 20:28
pepeino様、 ..
by zae06141 at 00:46
ブログというものをやった..
by pepeino at 16:06
単位が分からない
by なし at 09:15
Mellow様 こ..
by zae06141 at 22:00
最新のトラックバック
venusgood.com
from venusgood.com
venushack.co..
from venushack.com/..
whilelimitle..
from whilelimitless..
http://while..
from http://whileli..
http://www.v..
from http://www.val..
検索
ブログパーツ
南アフリカランド取引業者
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧

130万円1年間で世界一周と個人旅行六つの階層

 というような題名の本が出版されたと、以前ラジオのトークショーで聞いたのですが、正確な題名がわからず、googleで引いても、うまくヒットしません。そのラジオ番組では、「意外と知らない人がいるので、お役に立つかもと思って、出版してみました」ということでした。類似の書籍は他にも多数あると思うのですが、記憶では、「アジアを半年10万円」という本も出ていたかと思います。

(1) 130万円1年間で世界一周

 私の実感からすれば、1年130万円で世界一周は可能だと思います。もちろん贅沢はできませんが、かといって、バックパッカー並みに、ヒッチやキャンプをはったり、ドミトリばかりに泊まり歩かなくても、可能だと思います。具体的数値を上げて検討してみます。

 例えば中国ですが、一泊50元、食費一食10元3回で30元。平均一日150km移動するとして交通費50元、計130元(2080円)。これだと余裕はまったく無いので、多少の観光費を入れて、一日2500円とします。すると、100日で25万円です。途上国には、中国よりもコストが高い国もありますが、低い国もあります。アフリカやインドは中国よりも安く、東南アジアや中南米は中国と同等か少し上、というところでしょう。おおまかに言えば、中国は、平均的なところなのではないか、と思います。アジア・アフリカ・南米と、世界の2/3は、ほぼこのコストで旅することができますから、だいたい、250日で62万5000円、東欧や南欧の田舎などは、もう少し高くで、一日4000円。この地域を50日で20万円。最後に先進国、1日6000円50日で、30万円。合計で112万5000円。季節にもよりますが、日本から中国行きチケットは4万円程度、米国-欧州、米国-日本間各8万円程度ですので、合計132万程度。ビザ代を含めると、140万近くなってしまいますが、まぁなんとか130万円近い数字に収まりそうです。

 ポイントは、先進国は殆ど見ないか、首都など、コストのかかるところを避け、アジア・アフリカ・南米中心に回るところにあります。

 一応数字の上では、130万円程度で世界一周はできそうですし、アジア・アフリカ・南米だけであれば、確実に1年間、旅行しながら暮らすことは可能だということは、お分かりいただけるかと思います。一日2500円であれば、これらの地域ならば、年間100万円もかかりません。

 とはいえ、これだと、まったく贅沢はできないので、ストレスはたまるし、あまり観光施設にはいけません。また、実際見所が多いのは、やはり先進国なので、先進国が、たったの50日では、駆け足で首都を通過するくらいにしかならないでしょう。反対に、途上国は、広い割りには、単調な景色が続いていたりして、小刻みに移動する意味もあまり無かったりします。そこで、もう少し余裕があり、先進国も詳しく見て回るとなると、どの程度の額があればいいのでしょうか?

 途上国は、一日3000円として、200日で60万円、東欧、南欧、韓国、台湾など、一日5000円で70日、35万円、先進国、1日1万円で95日、95万円としてみます。すると、190万円となります。航空運賃、ビザ代を入れても、250万円あれば、比較的余裕で世界1周ができることになるかと思います。しかも、1年間有効の世界一周チケット(詳しくはこちら)を使えば、大陸間で数回航空機が利用できます。世界一周チケットを使うとしても、250万円の枠内で余裕で収まります。

 このように、気力と体力さえあれば、最低で130万円から世界一周が可能であり、250万円あれば、かなり余裕で行って来れることになります。私の旅行費用実績は、こちらにまとめてあるのですが、ブルガリア以外の、費用が判明している旅行130日で(日本からの往復航空券を除く現地費用)合計約80万円程度です(2010年追記:全行程81449km(中国、中央アジア、中近東、東欧、西欧)、190日間で120万円程度)。単純に3倍して、390日でも240万円です。これらの地域は、アフリカ・南米・インド・東南アジアを含んではおらず、しかも私は、交通費はケチらず、高速バスを使い、一日300~500kmを移動し、しかも普通は誰もいかない遺跡へ、タクシーを使ったりするので、通常の旅行者の倍以上の交通費を消費しています。これらのオーバヘッドを割り引けば、1年間で200万程度に収まるのではないかと思います。

 というように、バックパッカーの人達のようなかつかつの生活をしなくても、比較的普通の生活の範囲で、ちょっと高額の60万くらいのツアー3、4回分で、世界一周が可能です。
 ただし、ここでご注意いただきたいのは、そこそこ清潔でシャワートイレ付き個室旅行ができるとしても、誰でもできるかというと、そこはやはり向き不向きが出てくるものと思うのです。例えば三ツ星以上のホテルが普通の、同僚や、英会話教室などで知り合った、普段あまり周囲にいない、中年のおじ様やおば様(私も中年ですが)に、私の旅行先の話をすると、だいたいが、「お金持ちなんですね~」と言われることが多いのですが、具体的な旅費の話をすると、これまで話をしたほぼ全員が、衝撃を受けていたようです。では、彼らに、この格安旅行がお勧めできるかというと、それも難しいと思ってしまうのです。私は、個人旅行には、6つランクがあると思うのです。一見外側から見ると、似たような部類に見える個人旅行者も、実は細かく階層に分かれ、それぞれが、お互いをかなり異なったものと見なしている、という側面について、次に記載してみたいと思います。

(2) 個人旅行六つの階層

 最近、勤め先で、出張時の経費について、ちょっとした悶着がありました。というのは、これまでの私の中国旅行では、一泊50元前後の宿を中心に宿泊していたので、同僚の中国人が、出張時、500元のホテルに泊まり歩いていることに違和感を覚え、部門費用が限られていることもあり、経費削減対象にしようとしたところ、猛烈に反発を食ってしまいました。何も50元の宿に泊まれといっているわけではなく、せいぜい200~300元で十分、という提案だったのですが、かなり揉めに揉めました。そこで段々と分かってきたことは、中国の宿泊施設のプライスは、日本と殆ど変わらない、ということです。高級ホテルは2万円以上、中級ホテルで1万円前後、5000円以下となると、低級ホテルとなるわけです。これまでは、1万円程度が高級、2万以上となると、超高級だと思っていたのですが、基本的な物価は日本の数分の1の中国でも、ホテルだけは、日本と変わらない、という印象を持つに至りました。

 すると、私が中国旅行で宿泊しているような安宿は、一体なんだったのでしょうか。少なくともビジネスマンが宿泊するようなところではないことになります。

 実は私は最近まで知らなかったのですが、東京都内にも、一泊1000~2000円程度の宿はあるのでした。エスニックレストランやクラブなど、外国人旅行者が出入りするような店に、英語の冊子やチラシとしておかれていたりするので、今まで目に留まらず、じっくり見たことも無かったので、気づかなかったというわけです。まぁ、発祥は、失業者や日雇いさん相手だったのかもしれませんが、いつのまにか整備されて、わりと清潔(に見える)ゲストハウスが多数できていたのでした。Webで探せば、容易に見つかることでしょう。私が中国で泊まり歩いていたのは、こうした宿なのでした。確かに、自営業者や学生のような人はよく見かけますが、スーツ姿のビジネスマンやOLは見たことがありません。これはつまり、通常5000~1万円の宿が主体の日本のツアーやパック旅行を想定すると、世界一周250万円といえども、かなりきついハードルになってしまうのではないかと思うわけです。

 安宿を泊まり歩いていると、バックパッカーの人と同一視されているように思えることもあります。しかし、実は、同じ貧乏旅行者といえど、安宿旅行者とバックパッカーでは、宿泊施設や、行動パターンに、かなり違いがあるのです。また、一口にバックパッカーといっても、彼らも、実は大きく異なる階層に分けることができるのです。そこで、私が漠然とおもう、個人旅行者の階層を記載してみました。

1.話題のホテル宿泊旅行
2.三ツ星ホテル旅行
3.安宿旅行
4.バックパッカー旅行
5.旅行生活者
6.乞食旅行

 下へ行くほど、貧乏旅行となっています。 

1.は、コスト度外視。話題のホテルやレストラン、リゾートマンション、古城や古い井民家などを泊まり歩く、施設そのものが目的の旅行。

2.は、普通のOLや大学生が主体と推定されるレベル。この階層の人々は、安く済ませる日でも、せいぜい一つ星ホテル。1点豪華に、旅行中1度は、1のホテルに泊まったりするタイプ。

3.この旅行者は、まず、「ホテル」といわれるところは泊まりません。他に選択肢が無い場合や、たまに贅沢がしたくなったとき、ホテルに宿泊する程度。場合によっては、ドミトリーにとまることもあります。また、タクシーを敬遠し始めるのもこの層。私はこれ。

4.これは、主にドミトリーを中心に泊まり歩くバックパッカーの人です。旅費を安く上げるために、値切り、団体割引など、様々な情報を駆使します。宿やビザに関する情報交換も頻繁に行い、全世界各地に、バックパッカー御用達の安宿とネットワークあります。タクシーは旅行者の天敵と見なす層。

5.一見4とあまり変わりませんが、自炊・野宿用具を持ち歩き、宿がなかったり、物価が高かったりすると、野宿・自炊・ヒッチをやるバックパッカーの人たちです。このタイプの人々は、旅行をしているというよりも、生活しながら各地をさすらっている、という気がします。旅先で旅費がなくなると、アルバイトし、数ヶ月、中には数年も、その地に滞在してしまう人がいたりします。遺跡の発掘のアルバイトでもよく見かけます。

6.宗教施設の貧窮者や信者への施しや、浮浪者相手の慈善事業の救世鍋にありつき、土木工事の人足として、トラックで運搬される、という方法で、旅行(というよりも移動)している人々です。彼らは、最初は旅行者だったのかも知れませんが、事実上、各地を放浪する浮浪者と見分けが殆どつかなくなってしまっています。というか、本人が旅行してる、という意識が無くなったら、もはやただの浮浪者なのではないかと思います。

 さて、東京の安宿ですが、6月と8月に帰国した時に利用したかったのですが、上司に止められてしまいました。それでも、こっそり大久保あたりの宿に1、2日は泊まろうと思い、わざわざ歌舞伎町に宿泊したのですが、毎晩つきあい飲みでふさがり、とうとう一度も行く機会がありませんでした。次回帰国時は、トライしてみたいと思います。

 とはいうものの、そろそろ年相応のところに泊まるようにしてくださいよ、と、後輩にまで注意されるようになってきてしまいました。確かに、もうとうに卒業していてもいい年ではありますね。
[PR]

# by zae06141 | 2007-11-16 23:54 | 旅行・海外駐在関係 | Comments(0)

「反転」(2)

 前回父親の事に少し言及してしまいましたが、この機会にもう少し歴史とからめた、時代認識の話を記載してみたいと思います。私の父は、山脈の間の谷あいにある農家に育ち、終戦近く三重県の予科練航空隊に入隊し、終戦は厚木基地で迎えたそうです。予科練に居たといっても、畑を耕しながら、田舎の谷を飛ぶ訓練機にロマンを感じ、パイロットになりたくて航空隊に参加しただけ。父の田舎では、空襲も無く、戦争に関係なく、貧しい生活だったため、父の話昔からは、戦争の悲惨さや苦痛についての話が出たことがありません。父の昔話は、貧乏だったけど、田舎生活への郷愁なのです。なので、60近くになって、人生が落ち着いて(?)きてから、予科練の同期会に出席したり、そこでもらってきたゼロ戦の写真を額に入れて居間に飾ったり、私が読んでいた松本零士のドイツと日本の大戦中の漫画を、いつの間にか、全巻揃えてしまったりと、リベラルだった父がどうしてしまったのだろう、と家族の眉を顰めさせたこともありましたが、結局なんのことはなく、単に「ひこーき」が好きだっただけなのでした。

 こんな父なので、、数年前から、自分の少年の頃何が起こっていたかを、歴史の本(孫文とか司馬遼とか満州事変とか)で学びはじめ、「そーいうことだったのか。やっとわかったよ」などといっているのです。

 これに対して母親の話はもっと凄絶です。母の実家は山梨県の甲府の町の中心地にあったため、毎晩のように空襲に襲われたそうです。空襲の銃弾が、家の壁を突き抜けて、隣の家で寝ていた少年の心臓に命中した話、焼夷弾の降る中、夜中畑を逃げ惑った話、爆撃機が富士山を目印にして空襲に来るので、ずっと富士山が憎かった。悪魔の山だと思っていた、という話など、なぜか子供の頃よく聞かされたものです。現在の両親の家は米軍基地の近くにあるため、米軍機の爆音を聞くたびに、「B29」を思い出す、といっては耳を塞いでいました(現在では、騒音訴訟などを経て、沈静化しています)。こういう体験をしている母でも、戦後ハリウッド映画にはまり、すっかりアメリカナイズされてしまい、何度か旅行もしたりしていて、メディアの力はすごいものだと思いました。父はあまり自分の事や昔のことは語らなかったため(というか退職するまで仕事人間だったため、あまり会った事が無かったので)、私はずっと、両親とも戦争認識は共通しているのだと思い込んでいました。父から戦争の記憶を聞いたのは、この10年内のことです。それで、初めて、戦争という強烈な時代を体験していても、全く異なる世界認識にある人がいる、ということを身近に認識することになりました。

 実は、「反転」を読みながら、父親だけではなく、父の兄にあたる、伯父の事も思い出していました。

 父方の一族にあっては、伯父は例外的に出世した方で、官庁の次長を勤めた人です(とはいえ出世競争に敗れたので次長で終わっているわけですが)。この人が、敗れた恨みもあってか、余力を残して退職したこともあってか、引退後、自伝つくりに励み始め、恨みがあってのことなので当然でしょうが、実名が、有名政治家含めて多数登場する自伝となっていて、この辺が、「反転」を読んでいて、伯父の自伝を思い出した所以です。伯父の自伝は自費出版に過ぎず、部数も限られているため、影響力はまったくかったのだとは思いますが、身内の身びいきということもあるとはいえ、面白く、分厚い割りには、するする読めてしまいました。とはいえ、戦前から書き起こされているとはいえ、伯父の場合、貧農では養いきれなかったことと秀才だったことで、少年の頃養子に出されたため、、田中氏や父と異なり、酷く苦労した少青年時代を過ごしたわけでもないので(そこそこ苦労したとは思いますが)、この点については、「反転」とは異なるのですが、役所に入ってからは、同じ官庁ということもあり、田中氏との共通点が多く見られます。なかでも興味を引かれたのが、こういう人たち(官僚とか政治家)とは、国家を、自営商店のように扱っているかのような思考です。

 制度や法律を、学生サークルのルールを作るがごとく、認識しているようなのです。否定的にとれば、国を私物化している、と批判されてるようなことではありますが、ここではそういう意味ではなく、ある種スケールの大きさといったようなものを感じた記憶があります。前回「キャリアと叩き上げ」という観点で記載した、キャリアも叩き上げも組織を巡ってへとへとになっているような気配は微塵もなく、出世に汲々とした連中とは別次元の、はるか高みで、ゆうゆうと好きなこと(ちょっと言い過ぎかも知れませんが)をやっている、という印象なのです。なぜかと考えてみるに、性格というよりも、役人としての世代的な要素が強いのではないか、と思いました。伯父の場合、昭和のはじめの生まれですから、戦後日本の成長とともに生きた父や田中氏より少し先、戦後日本の成長を用意した方の世代に属すように思えます。自伝を読んでいると、気に入らなかった上役世代が、戦後の混乱期に地位を失い、新興勢力として伯父の世代が力を握ってゆく様に思える描写が、ところどころ登場しています。つまりは、「反転」で描かれるところの、既に権力を持っている世代の側に、伯父は属していたのではないかと思うのです。こういう人たちにとって、組織は戦うものではなく、最初から、自分達に都合のよいように、コントロールするものなのです。とはいえ、彼らに圧倒されるのは、公益や国益という成果を出しながら、私欲や権力争いをやっている点です。こんなことを書いていると、憤慨したり、こんなことをだらだら書き連ねている私に呆れたりされそうな気もしてきますが、こうした現象は、創生世代、第2世代というような、史上の政権や、現代の政府や企業であっても、比較的普遍に見られる現象のひとつであり、この意味で、「反転」も伯父の自伝も、戦後の日本という、勃興する組織を巡る世界、及び戦後の歴史を描いているのだ、と、改めて思ってのでした。

 ところで、「反転」では、大阪と東京の違い、という切り口で語られている部分がありました。田中氏は、東京は首都がある為、政治的なのかも知れない、と記載していましたが、中国でも、北京と上海の相違は、同じようなものなのではないか、と思ったことがあります。新卒の頃、同じ職場に、北京大学出身のAさんという方と、上海出身のBさんという方がいたのですが、このお二方の性格は、かなり異なっていました。単なる性格だけなのか、育った世界の相違なのかはわかりませんが、際立った相違を感じたことが何度かあります。

 例えば、天安門事件のおり、当時夜中に生中継放送がされて、Aさんは、毎晩殆ど徹夜で放送を見ていたそうです。事件の前後、われわれと飲みにいくことなどなかったのですが、Bさんは、事件の期間も、一緒に飲みにいって、くだらない話に興じていました。また、別の時期に、少人数で飲みにいった時、一人が、タイのプーケットでドラッグをやってきた話をしたところ、Aさんは、突然立ち上がって帰ってしまいました。こんな風な、生真面目さが、Aさんにはありました。

 当時は、バブル時代で、人出不足であったため、コンピュータシステムの開発の場には、多数の中国人が来て作業をしていたのですが、他の中国の人に、Bさんは、直ぐに上海人だとばれてしまうのです。Bさん曰く、「一度も上海語を聞いたことが無い人にもわかってしまうのには、理由がありますよ。上海は商人の町なので、言葉が汚い。だから、直ぐわかる*1」などといっていました。冗談ばかり口にする人なので、本当かどうかはわからないのですが、これ以来、こうしたくだけた気質と、生真面目さ、商業と政治というキーワードが、北京と上海、東京と大阪それぞれに当てはまるようなイメージを抱くようになってしまいました。

 このAさんとBさんというと、もう一つ印象に残っている場面があります。
 ある日、廊下で会話をしている2人の横を通過したところ、はたと気付いて振り向くと、2人が日本語で会話していました。日本人がいないところでなぜ日本語!?と聞いたところ、「上海人は、北京語を理解できるが、話せない、北京の人は、上海語を理解できない。だから日本語の方がよく通じるんですよ」とのこと。 今の私の職場の皆は、一人を除いて全員華中華南の出身であり、非日常語として北京語(普通語)を学習しているため、相互の会話は、普通語を利用しているので問題ないようなのです。

 ですが、彼らの中国語の会話を聞いていると、ところどこで日本語がでてしまうのが面白いですね。私も実は、いまだに、とっさに出てしまうブルガリア語というのがあります。そっちの方が単語的に短いため便利だったり、日本語で回りくどい言い回しになる微妙なニュアンスを、端的に表現できたりすることがあるからなのです。なぜか英語はそうならないのですが、英語は、生活言語として使ったことがないからかも知れません。

 私も、中国滞在しているうちに、広東語と普通語や、他の地方語を聞き分けられるくらいには、中国語を上達させたいものです。

*1 商人の言葉=汚いというのは、あくまで会話で出てきた内容であって、私がここで、そのように決め付けているわけではありません。商業関係者の方が気を悪くされないことを願います。
[PR]

# by zae06141 | 2007-10-31 01:41 | 雑記 | Comments(0)

田中森一「反転-闇社会の守護神と呼ばれて」~一つの戦後史~

田中森一氏の「反転-闇社会の守護神と呼ばれて」を読みました。次いで、Amasonの書評及び、15程のブログを読んでみました。予想通り、殆ど全部が、著者の立身、及び実名で登場する政治家や事件の首謀者達、裏社会とのつきあい、バブルの狂乱生活ぶり、及び著者の意図などについての言及でした。当然私も、これらの点に興味を引かれましたが、読みながら始終頭の中にあった言葉は、「叩き上げ」ということ、そして、私の父親のことです。

 キャリアと叩き上げというテーマは、古代ローマや古代中国にも見出せる現象です。近年では映画「踊る大走査線」などでも描かれ、また、プロ野球などでのコーチや監督など、身近にお目にかかる話だと思います。何も「反転」に関する記載で言及するようなものでもないのですが、田中森一さんの人生を「反転」させる分水嶺ともなった重要なキーだとの印象を受けました。因みに、田中氏は、44歳で、叩き上げの検事生活を終えましたが、私も41歳、ここ数年「キャリアと叩き上げ」について考えることが多くなってきています。なんだ、自分が直面しているから、「反転」もそのように読めたのだろう、との思われるかも知れませんが、まったくその通りです。しかし、私が思うには、キャリアと叩き上げというテーマは、実は、「誰もがわかってるようで、実はあまりよくわかっていないんじゃないか」とも思うようになっています。キャリアと叩き上げとは、高級官僚とノンキャリア、東・京大卒エリート社員とそれ以外の大卒社員の関係などの場合だけに当てはまるわけではなく、多かれ少なかれ、大きな組織では、必ず出てくる現象だと思うのです。

 20年前、最初に入社した職場で、「担当○長」という、出世競争に敗れた人々を目にして、「単に競争に敗れただけ」ぐらいに思っていました。新卒から見ても、彼らはそれなりに課題があるように見受けられました。しかし、仕事の場に出てみると、仕事そのものが面白くなってしまい、入社4年目に、マネージのようなことを任されてしまった時には、「こんな力不足で管理なんかしていていいんだろうか?」と疑問に思え、転職した経緯があります。その後10年以上、ひたすら現場を走っていたように思います。そうして10年が経過したあたりから、現場の面白さ、大切さと、組織というものが、簡単に両立しないもの、そして、これは、一定以上の規模の組織であれば、官民、業種、業態を問わず、どこででも見られる現象なのだ、と思うようになりました。何をいい年して今更青臭い、と思われるかも知れません。確かにその通りで、数年前、父親にこの話をしたところ、「組織の中で、上へ上がるには、現場を踏み台と見る政治的認識が必要で、仕事への愛着は適度にとどめるべき」と指摘され、「なんだ、知ってたんならもっと早く言ってよ」と親の教育を詰った記憶があります。ただ、現場の仕事というものは、どんな仕事であれ、うまくいくほど面白く、のめり込んでしまうところがあるものなのではないでしょうか。最初の頃は、会社の規模も小さく、仕事をやるほど、会社が拡大し、スキルもついて収入も上がったので、たまたま幸運な環境にいた、というだけの話なのかも知れません。また、このようなことを書けるお前は幸せだ、と思う方もおられるかもしれませんが、やりがいのある仕事程、こうなることは多いのではないでしょうか。個人事業主だったら、これでよく、仕事にのめりこむ程、収入も実績も膨れ上がることも多いのかもしれませんが、組織の場合は、仕事にのめり込んでキャリアを積む程、組織というものが意識されるようになり、しまいには、対立するか、従属するか、逆に同一化せざるを得なくる側面もあるのではないか、と思うのです。

 一定以上の大きさの組織では、組織を維持するための力学も一部働き、その中で政治の占める要素が大きくなる、ということがここ数年個人的には実感されています。もちろん私の勤め先のような民間企業は、会社の収益が第一ですから、収益を上げることが前提で、ビジネスを成功させることもできないのに、政治力だけで生き延びることはできません。ビジネスの成功ありきで、その成功は、政治的材料になる点が重要なわけです(というか、政治的材料にしないと意味がない)。組織の世界では、「お客様第一」を考える現場というものも、上昇志向の強い人々の政治的材料にしか過ぎません。こんなことを昨年くらいまでは、つらつら考えてることも多かったこともあり、田中氏の著作を読みつつ「組織というものは、どこの世界も同じようなものだな」などと感じたのでした。「反転」の中に登場する様々な検察庁の人々には、典型的なキャリアや叩き上げだけではなく、キャリアであり、能力があるがゆえに出世してしまっている、本来現場志向と思える人もいれば、上昇志向なのに、敗れて去る人など、様々な人が登場し、これらの人々も、身近の誰かにいそうな感じがして興味を引かれました。

 そんな最近、ある記事で、マスメディアの世界とは、ラインマネージャになることよりも、論説委員などになって原稿を書いていられる方が幸せだと思う人の集まり、という話に、これを聞いた官僚が、理解できない、と眉を顰めた、という話が載っていました。少しうらやましい、と思いました。

 さて、このような自明なことを、恥ずかしげも無く記載した背景の一つは、いまの若者の中には、「叩き上げ」という言葉すら知らない人がいる、という事実です(事例。私の後輩。20代)。「叩き上げ」は死語かも知れませんが、キャリアと叩き上げという現象は、無くなったわけではありません。また、エリートと非エリートの間だけの話でもありません。少し大きな組織であれば、どこでもある話であり、現場にのめりこむ程、40歳前後を中心として、田中氏のような選択を迫られることになることが多い、そういう事例としても、本書「反転」は読めるのではないかと思うのです。

 ずいぶん長くなってしまいましたが、最後に、2つ目の感想である父親のことにふれておきたいと思います。私の父親は1930年生まれで、田中氏よりも13歳も年上ですが、田中氏程ではないにしても、田舎の貧農に生まれ、戦後すし詰めの列車で上京し、勤めながら2部の大学に通う為に、食事を一日一食にしたなど、苦労した若い時代から、バブル期も、田中氏とは桁が2桁くらい違うとはいえ、瞬間風速的に異常な時期を体験するなど、共通点があるように思えました。戦後田舎から都心に出てきて、バブルを体験した世代の、一つの戦後史としても、本書は読めるのではないだろうか、と思いました。父親には読むように伝えてあります。後日、感想を聞いてみたいと思います。
[PR]

# by zae06141 | 2007-10-30 01:16 | 雑記 | Comments(0)

中国歴史ドラマ「江山風雨情」

 明末の明清の抗争を扱った歴史ドラマ「江山風雨情」を見ました。全45話、先週と今週の週末、約30時間近くかかって全部見ました。この調子でドラマを見続けると、さすがに人生の浪費になってくるので、良質のドラマを取捨選択して見る必要がありますが、「江山風雨情」には、それだけの内容があったと思っています。中国の歴史ドラマはここまで来ているのか、素直に関心しました。脚本と演出などでは、NHKの大河ドラマでも、そこそこのレベルだと思うのですが、歴史劇を撮影可能な土地と野外セットについては、比較にならないように思えます。見終わった印象は、欧米の歴史映画並みに、洗練された映像となっています。

a0094433_22315384.jpg

 ここ5,6年で、中国TV局の歴史ドラマは、大幅に進歩したのだと、理解しました。香港映画であれば、「始皇帝暗殺」や「英雄」などで、かなり進歩してなぁ、という印象があるのですが、中国のドラマというと、日本でビデオ屋においてある「三国演技」のような、チャチなセットと、大げさな演技、化粧の濃さが目出つメイクなどが記憶にあり、評判の「康煕王朝」でさえ、満足できないレベル、「雍正王朝」は、例外だと思っていましたが、いまや、「雍正王朝」並みのドラマが多数できてきていることを知りました。

 江山風雨情は、度々紹介している古装劇場の解説で、その存在を知って興味を持ったのですが、古装劇場の解説にある通り、重量級歴史ドラマです。崇禎帝と呉三桂、ホンタイジ、の3者を中心に話が進むのですが、最初から最後まで登場している人物はおらず、主役の一人の崇禎帝とその家臣は、41話まで、呉三桂とその夫人の陳円円は、第5話からの登場です。崇禎帝家族と宦官の王承恩、呉三桂と陳円円、清朝皇帝ホンタイジを中心に、李自成、袁崇煥、洪承畴といった取り巻く人々を描いています。中国史に関する書籍は、割と多くの書籍を読んできたつもりなのですが、時代イのメージは、実は、高校生の頃に読んだ、こちらの河出書房新社の「十八史略物語」(18史とあるが実際は1911年までを扱っている)で植えつけられたイメージに今でも影響されています。しかし、「江山風雨情」のお陰で、明末清初の時代イメージが、すっかりこのドラマのものになってしまいました。この時代を描いた作品としては、これを越えるものはもうでないかも知れない、とも思わされるくらいの迫力がありました。

 特に、インパクトのあったのは、皇帝一家の最期の場面です。それまで25時間にわたって、努力はしているが、責務が重すぎ才能が追いつかず苛立つ皇帝、それを助けるけなげな皇后、無邪気で明るい皇娘の幸せ家族模様が描かれてきたため、臣下が全員逃げ出し、がらんどうとなった宮殿で、寂しく、しかも最期にあたって取り乱しながら死んでいった皇帝一家の最期は、胸に迫るものがありました。皇帝一家の最期をここまで正攻法に描くとは予想していなかったこともあり、明朝の最期を描く、これを越える作品は、今後でることはないのではないか、とまで思わされる迫力です。

a0094433_2354967.jpg

 このほかにも、迫力ある映像が多く、紫禁城や山海関、盛京など、中心的な舞台となった場所が、現在も史跡として残っていることから、GCなどは使わずに、現地ロケが多く、これもドラマのリアルさと迫力を高めることができた要因だと思います。

 ドラマですので、細かいところでは、史実と若干異なる部分もあるようです。袁崇大煥処刑の前に大清と称していますが、史実は後。清に投降して呉三桂にも投降を呼びかける大臣は、洪承畴ではなく、祖大寿。投降した呉三桂が辮髪でない。陳円円が早く育ち過ぎ、など。しかしこれらは瑣末なところだと思います。上に画像を入れましたが、これは第11話での、呉三桂とホンタイジの対決場面。ホンタイジが、ヌルハチの子息のうち、もっとも優秀であったことを思えば、大将が前線で一騎打ちをしたことも、ひょっとしたら史実なのかも、と思わせるものがありました(実際はどうだったのでしょうか。呉三桂との一騎打ちは史実ではないとしても、ホンタイジ自ら戦闘に出たことはあったのではないかと思います)

下記は、ホンタイジの宮廷。後期ルネッサンスの絵画でも見るような豪華な映像です。

a0094433_22531023.jpg


 一つ難点を言えば、登場人物の中に、真の悪人がいなかった点でしょうか。汚職役人や、策謀は登場するものの、心根がどこまでも卑怯で、登場人物に悲劇を齎すキャラがいなかったと、見終わった今気がつきました。最期に明の皇子を、清に差し出す呉三桂も、悩みに悩んでのことですし。

 物語には、冗長な部分もあるので、それらをカットして、15時間くらいの短縮版を作って、日本語字幕をつけて売り出せば、そこそこニーズはあるのではないでしょうか。

:中国中世・近世の歴史映画・ドラマ一覧表はこちら
[PR]

# by zae06141 | 2007-10-21 23:12 | その他の時代の歴史映画・ドラマ | Comments(0)

ドイツと日本の賠償責任

 本日1週間ぶりに出勤したところ、メールが550通たまっていました。一日仕事になりましたが、夕方には処理し終えることができ、少しオフィスでネットサーフィンをしていたところ、たまたまドイツと日本の前大戦の賠償責任について議論しているサイトやブログに出くわしました。

 その議論の多くでは、ドイツと日本の賠償責任は同一に比較できない、という内容で、このあたりは確かに納得できる部分がありました。また、ドイツが、統合するまで国家賠償を延期し、統一後に、英仏などが、賠償請求したところ、これに応じなかった、という話や、ドイツは、ナチスの与えた損害については賠償しているが、国家としては賠償していないのだ、という意見は、恥ずかしながら始めて知った次第です。

 とはいえ、一連の議論、というか、基本的に、「ドイツは賠償しているのに、日本はまだだ」という中韓両国の主張に対する、「ドイツは国家賠償はしていないが、日本はしている」という反論にある意見群を読んだわけですが、一点気になったのは、ドイツのワイツゼッカー大統領が1985年に行った有名な演説(「荒れ野の40年」という題名で、全訳が出ています)を引用し、「ワイツゼッカーは、ナチスの罪と、それに対する責任を認めているのであって、ドイツ国家としての責任を認めていない」という主張です。

 今手元に「荒れ野の40年」が無いため(中国駐在中で、書籍は東京の自宅にある)、またあっても、出版社が左派の岩波ということで、ドイツ語の原文にあたらないことには、訳者の思いが入っているや否やの判別もつかないとは思うのですが、この文章、この20年間で数度読み返した記憶があるのですが、私個人の印象としては、「戦後、そして将来生まれてくるドイツ人には罪はないが、ナチスのしたことについての責任はあるのだ」という内容に読めました。直接の加害者であるナチスと、ナチスを選出した有権者に罪はあっても、その罪を、子孫までが負うことはできない。だが、責任はあるのだ、と、私には読めました。

ドイツの大統領という立場から、政治的権益のために、ドイツの国家賠償を認めない、という隠された意図があったのかも知れません。しかし、私が、ワイツゼッカー演説を引用し、「ドイツと違い、日本の賠償責任は終わっている。だからドイツが謝罪したから日本もせよとは、おかど違い」と主張する人々の意見について疑問に思うのは、国家賠償を終えたということで、戦争を仕掛けた国々の人への責任までも免責されたと考えているのではないか、ということです。ワイツゼッカー演説の重要であり本質的な部分を軽視、あるいは無視しているのではないだろうか?という疑念です。

ワイツゼッカーは、「子孫にも責任はあるのだ」と言っています(と私は理解しています)。ドイツ人の思考を、必ずしも日本人が同調する必要はありませんが、しかし、心の問題として、責任は感じないのだろうか?祖先がしたことだから、賠償も終わったから、と免責されるべきことなのでしょうか? 政治家としてのワイツゼッカーは、ドイツの国益という観点から、国家賠償の問題を摩り替える意図があったのかも知れませんが、一方では、人間として、責任の問題を、人々の良心に訴えかけていたのだと、思うのです。

 少し観点が変わりますが、日本人のどれほどの人が、先の大戦で、中国に敗戦したとの認識を持っているのでしょうか?実は、正直なところ、私は持っていません。敗戦時に15歳だった父親に聞いても、「満州以外の中国在住者だけが中国に敗戦した意識を持っていたのではないか」との意見でした。

 多かれ少なかれ、多くの日本人がこのような意識なのではないでしょうか。反対に、中国の方はというと、抗日戦争に勝利した、という意識です。あまり反日意識の無い中国人も、このような意識なのではないでしょうか。今度同僚と飲みに行ったときにでもさりげなく聞いてみたいと思いますが、恐らくあたっているものと思います。このギャップが、日本と中国の間の歴史認識の食い違いの一つの要因でもあり、また上記賠償問題の議論において、ワイツゼッカーの言うところの責任意識についての言及が無い背景でもあるように思うのです。

 軍部の独走もあったでしょうし、日本はドイツと違い、民主的に選出された政府ではなかった、という言い分もあるでしょう。帝国主義政策を採らなければ、植民地化される恐れがあったことも事実だと思います。また、インフラ整備という観点で、日本が、支配下地域に貢献したこともあったでしょう。また負けたから謝罪せよ、という戦勝国の態度に割り切れないところもあるでしょう。

 しかし、だから大戦中日本がやったことが正当化されるとか、国家賠償すれば、それでいいのだ、ということにはならないと思います。ここはドイツではありませんし、キリスト教国の倫理感がそのまま適用できるわけではありません。ワイツゼッカーがああいったから、だから日本人も責任を取るべきだ、とはまったく思いません。ただ、やったことについての罪と責任の問題については、日本人として考えて欲しいし、また、将来に渡って考えてゆかねばならないと思うのです。この問題は、国家の賠償云々とは異なった、人として、国民としての良心の問題だと思うのです。

ワイツゼッカーの演説が、多くの人々を感動させたのは、こうした要素が根底にあったからだと思うのです。少なくとも、私はそう信じます。

他人に暴力を振るわれて、金さえ払えばいいだろう!と謝りもしないでお金を渡されて気がすむのでしょうか。お金の問題は、それはそれで法廷で闘争することにすればいいわけで、賠償問題は、政府と法廷に任せればいいのです。それはそれで重要なことではあるのでしょう。しかし私がより重要なことだと思うのは、罪と責任の問題を考え、必要であれば、心から謝罪する、という意識を持つことだと思います。少なくとも、罪と責任の問題を考えることが、戦争を起こした側の責任だと思うのです。

それが無い状況での日中韓それぞれの賠償紛争は、ただの双方ともども、単なる賠償ビジネスかつ、外交ゲームの駒だと思うのです。

 その一方で思うのは、日本が戦って、敗戦した米国との間には、中韓と比べると謝罪や賠償問題を引きずらず(賠償問題が無いとは言っていません)、良好な関係にあります。主要な都市を徹底的に焼かれて、原爆まで落とされたのに。どうしてでしょうか。これこそが、戦後の日本に、米国的価値観を内面化させることに成功した米国の政策の勝利、および文化的優位性ということになるのでしょうが、日本人が植えつけられた敗戦意識も一役買っているのではないか、と思うのです。人間関係一般でも、敗北を腹のそこから認められない限り、心からは謝ろうとはなかなか思えないものだと思うのです。これもまた、人間の本質の一つなのではないでしょうか。

※補記 2013/8/25
ドイツと日本の国家賠償の比較については、以下の回答で記載しました(zae06141の回答です)
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14112203754

[PR]

# by zae06141 | 2007-10-08 23:57 | 雑記 | Comments(0)

雑誌「中国国家地理」

という題名の月刊誌が出ています。見た目「ナショナル・ジオグラフィク」とそっくりです。

装丁は、「ナショジオ」の黄色の枠で囲まれたレイアウトに対して、こちらは、赤色ですが、ページの質感、きれいな写真や詳細な地図が豊富に掲載されいている点、記事の視点、サイズ、厚さ、記事の構成まで、どれをとっても、「ナショジオ」のパクリとしか思えません。さすがに記事は流用ではなく、オリジナルのようですが、中国でもこんな雑誌が出せるようになったんだ!と少し驚きでした。

まぁ、車やコンピュータや生活用具など、先進国並に近いクオリティとなってきていますから、考えて見ればこれくらい当然なのかも知れませんが、それにしても嬉しい雑誌です。日本でも、「中国地理紀行」という題名で、5年程前から出版されています。こちらの地理紀行は、日本にいる頃に入手していたのですが、ナショジオのような洗練さはなく、日本の雑誌としては、ちょっと野暮ったい感じ、紙質も硬く、大判のコンピュータ雑誌という感じです。ナショジオに訴えられるのを避けるために、わあわざこのような体裁にしているのではないか、と思える程。価格も1480年とちょっと高め。

さて、「中国国家地理」ですが、ざっと見た限りでは、ナショジオと提携しているわけでもなさそうです。ノウハウの提供くらいは受けているのかもしれませんが、とにかく中国版ナショナル・ジオグラァフィックであることは間違いありません。対象は、中国国内のみ。中国国内だけといっても、まだまだ国外に知られていない様々な地域があり、ナショジオを補完する位置づけだといえると思います。

早速巨大書店シンセン書城にバックナンバーを買いにいったのですが、日本のように店頭にバックナンバーが置いてなく、バックナンバーを中国語でなんていうのか調べていかなかったので、バックナンバーの入手は今後の課題。一冊16元(260円程度)ということで、取りあえず滞在中は毎月購入する予定。とはいえこの価格でも、同僚曰く、「高い雑誌」とのことです。ドラマが全回収録されたDVDが10元で売っているのと比較すれば、雑誌1冊16元は、高いと思うのかもしれません。

「中国国家地理」のHPはこちら

2009年1月追記:
 昨年7月号から、「华夏地理」という雑誌が、ナショナルジオグラフィックと正式に提携し、見た目も記事も、ナショナルジオグラフィックと一緒になっています。
 ナショジオの記事は、全世界で同一だと迂闊にも思い込んでいたのですが、中国で発売されている2008年12月号が、洛陽の後漢皇帝陵がある邙山が表紙を飾る巻頭特集であることから、調べてみたら、中国版の「華夏地理」では、中国ローカルの記事が掲載されているということがわかりました。油断していた。。。。しかもこちらのバックナンバーの頁は昨年4月分までしか掲載されていないという。。。。
[PR]

# by zae06141 | 2007-09-14 22:55 | 旅行・海外駐在関係 | Comments(0)

ドラマ「大宋提刑官」

大宋提刑官パート1のDVDを購入しました。
その辺の店になかったので、ウォルマート前の店に行ったら、足元を見られて25元という高い値段で買わされてしまいました(といっても、そこで買うのは初めてなので、25元が標準価格かも知れないし、また3枚組なので高いのかもしれませんが。。。)。

本日一部を見てみました。パート2は、全体で1つの話とのことですが、パート1は、全36話が、複数のエピソードから構成されている為、筋を把握しやすいと思い、途中のエピソードを1つ見てみました。ミステリーである以上、ネタばれとなってしまう為、何話目かは記載しませんが、作品の宣伝のためでもあるので、少し筋を記載してみたいと思います。もちろん中国語はわかりませんので、一部の字幕から理解した範囲ですので、理解が不十分なところがあるかと思いますが、大筋はほぼ下記の内容かと思います。

ある郊外の川で、男性の溺死体が発見され、男の妻を慕っていた青年が犯人と断定されます。その町の役人は、青年の妻と図った共謀と決め付け、拷問をして自白に追い込みます。青年は、妻をかばおうとし、青年の母親(実の親か育ての親?)は、青年をかばうため、血痕の残る着衣を捏造します。このように、お互いにかばおうとしたため、事件は複雑化してしまったわけですが、宋慈(主役。南宋時代の実在の人物。各地を持ち回りで裁判を担当する役人ということらしい)は、部下と再調査を行い、証言と証拠の矛盾から、真相に迫ります。

 当日は雨だった、血痕の衣服が残るのはおかしい、とか、墓を掘り返して、殺された後、川に放り込まれたのか、水死なのかの検死を行うことで、死因は水死だと突き止め、事件を解決に導きます。最後は、大岡さばきのごとく、「真の悪は、間違った判決をした役人だ!」と役人を罰します。ラスト、町を後にする宋慈とその部下をみていると、日本の時代劇の隠密とその部下、といった風情、現地役人の自白を強制するやり方を罰するところも、日本の時代劇という感じです。このように書くとただの時代劇という感じですが、実際のドラマと映像は、本格的な歴史ドラマという感じで、偉大なるマンネリチャンパラとは、大分赴きが異なります。町を後にする一向の前に、死体から財布を持ち去ったことがばれ、宋慈に、40叩きの罰を受けた男が立ちはだかり、宋慈に噛み付くという、あまり後味のよくない場面があります。こうした点をはじめ、勧善懲悪モノの時代劇とは異なる感覚があり、時代劇というよりも、歴史ドラマという感覚に近いものがあります。

これは是非、日本語版も出してほしいと思います。

ところで、このシンセンの史跡、新安古城の訪問記を記載しました。また、シンセンには、他にも明清時代の史跡、今も利用されている住居、客家の家などがあるそうです。9月になったら、訪問してみたいと思います。調べれば、意外にありますね。さすが中国です。
[PR]

# by zae06141 | 2007-08-26 03:02 | その他の時代の歴史映画・ドラマ | Comments(0)

違法コピーと著作権問題

昨夜になってようやく、石景山遊園地のニュースをYouTUBEで見ました(ついでにMLBオールスターでのイチローのヒーロインタヴューとランニングホームランも)。ニュースのコメンテーターたちは呆れて激怒していましたが(立場上仕方がないとは思いますが)、私は、直接利害がないので、単に可笑しかったです。しかしまぁ、元気のないパレードと、いまいちな着ぐるみ。こんなクオリティにいちいちめくじら立てなくてもいいじゃないの、と思ってしまいました。

またこの夏、ドラえもんのアニメが、日本映画社により、正式に中国で上映されているとのことですが、そのときの交渉についての記事を読みました。契約としては普通の細かい条項に、「そんなに信じられないか」と怒り出す交渉相手の中国人のエピソードが出てきます。石景山遊園地の件含め、中国人の著作権への認識のなさに呆れ、笑ってしまう日本人の方は、おそらくニュースのコメンテータ同様、結構いるのではないかと思います。

しかし、本当に、著作権の内容をきちんと知っている日本人がどれほどいるのだろうか、とも思うのです。おそらく多くの人々の認識は、中国の一般の人々とあまりかわらないのではないかと思うのです。私は一度、自サイト公開時に、調査したことがあるのですが、一口に著作権といっても、知的財産権、所有権、肖像権、複製権、商標登録権など、様々な権利が重層的にからみあい、「とにかく確認しまくればいい」ということはわかったのですが、現実問題、確認しきれないという事態が殆どだということがわかり、絶対安全と思われる、最低限の引用しかしないことにしました。

勤務先の仕事で、膨大な社内技術文書をホームページに掲載しようとしたときにも、著作権の難しさを知ることになりました。技術文書は、その一部にどこかから転載してきた文書の引用や、参考用サンプルプログラムがついていたりするのですが、このプログラムの中にも、一部、他のプログラムを流用されていることが多いためです。現在コンピュータソフトのプログラムは、コードを一から書くことはむしろ稀で、既存のコードを下敷きに追加修正をすることが一般的です。よって、引用コードの全てをチェックすることは事実上困難なのです。企業の製品であれば、引用するのも全て自社内のコードとして、著作権を企業が持つようにすれば問題ないのですが、現場の技術者にとって有用な技術文書に付属する参考用プログラムの多くは、製品ではないため、社外のコードをテンプレートに利用していることも多いのです。通常は、こうしたテンプレートは、裁判となったとしても、まず著作権が認められることは無く、問題ないとは思うのですが、企業としては裁判などが起こること自体、イメージダウンとなりますから、慎重にならざるを得ないわけです。

 話は戻りますが、長らく西欧の強い影響下にあった日本においては、「グローバルスタンダード」というものに従いやすくなっている側面もあるのではないでしょうか。われわれにとってのグローバルスタンダードは、中国人には、単なるローカルルールとしか見えないかも知れません。たとえば、中国が独自立法で、三国志や孫悟空などのキャラクターの肖像権、著作権などを作り出したとしたら、どうなるでしょうか?日本のゲーム、コミック、映画など、かなりの権利料を、中国から請求されたとしたら? もちろん私は、中国にすこしづつ世界のルールが浸透することを望んでおり、まだ未発展の段階だから、しばらく中国が大人になるまで我慢して欲しい、と思っているわけですが、さりとて、「中国の常識のなさ」を笑うことは、実は、自身をスタンダードだと思い込んで傲慢に振舞っているだけで、スタンダードといえど、ひっくり返る可能性のあるものであることを知らないだけ、という幼さを露呈しているだけなのではないか、とも思ったりするのです。
[PR]

# by zae06141 | 2007-08-03 10:24 | 世界情勢・社会問題 | Comments(0)

深圳書店

先週、地下鉄4号線の駅がオープンしました。全部で6駅くらいしかない、深圳を南北に走る駅ですが、深圳市は東西に長い市で、南北はあまりないので、この駅数となっています。早く自宅近くを通過する予定の、2号線も開通して欲しいものです。

また、7/1日には、香港と深圳の間の、西側の湾を跨る、香港-深圳間の橋もオープンしました。オフィスの窓から、横浜ベイブリッジや、湾岸レインボーブリッジのように、白い橋の支柱が美しく見えています。香港返還10周年のイベントがあちこちで開催されているようです。

週末には、深圳最大の書店と言われる、少年宮駅前の深圳書城に行ってきました。シャングリラホテルの人には、深圳最大の書店は、大劇院駅前の「深圳書城」だと言われ、リロケーション会社の人には、南山区の「深圳書城」が深圳最大だと言われ、更に、HPには、少年宮近くの深圳書城が、中国最大、と記載されていました。

どれが本当に最大なのでしょうか、ということで行って見てびっくりでした。幕張メッセのような、広大な敷地を持つ、展示会場としか思えない、巨大な書店でした。といっても地下一階、地上2階で、広い空間をのびのびと利用しているので、売り場面積としては、中国一(または深圳一)でも、本の数では、北京王府の書店(名前忘れました)と大差ないかも。ちなみに、Googleでヒットしたところでは、広州にも、「中国最大」の本屋がありそうです。白髪三千条のお国柄ですから、あちこちに「中国最大」があってもおかしくないですし、そのうち「東洋最大」「世界最大」書店も登場するのではないかと期待しています。

それにしても、少年宮駅前の深圳書城は、ピザハット、KFC、スタバが入り、建物もメッセ的で、ここが中国とは思えない場所でした(近くにカルフールもある)で、ピザハットで、安いパスタとお茶で、日本円にして800円)。物価も施設も日本並み。こんなところがこれからだんだん増えていくんでしょうね。

※2008年2月3日追記

先日、深圳の書店の歴史書籍はいまいちだ、と記載してしまいましたが、昨日福田区にある深圳書城本店と、少年宮店にいってきました。両店はこれまでも行っていて、それ程本があるようには思えなかたのですが、南山店を見慣れた目で今一度見てみると、印象が大きく変わりました。深圳博物館近くの本店の歴史コーナは、新宿ジュンク堂書店くらいの規模という印象。南山店は、概観は大きいものの、レコードショップやおもちゃ屋など、書籍と関係のないショップも多数入っているので、本店に比べると、意外と書籍の種類は少ない、ということなのではないかと思います。歴史書籍コーナーに関しては、南山店が新宿小田急百貨店に入っている三省堂程度、少年宮店(幕張メッセをイメージさせる施設の一部に入っている)は、新宿紀伊国屋本店規模、本店が新宿ジュンク堂程度なのではないかと思います。
a0094433_0545675.jpg

        (深圳南山店:木立に隠れている下の部分が五階建てくらいの書店部分)

 しかも、南山店と本店は、歴史書と考古学コーナが分かれていますが、少年宮店は同じ場所にありました。

 スペース的には紀伊国屋やジュンク堂に匹敵するとしても、深圳書城では、同じ本が何冊も並んでいるので、実質的な本の種類は1/3程度だと思いますが、とはいえ、その内容は充実しています。めぼしい書籍の奥付を確認すると、だいたい2000年以降出版種類が増えている感じです。昔は歴史関連書籍というと、典籍関連と学術向けばかりが目につきましたが、ここ数年一般向けの読み物が充実してきているように思えます。


※2014年10月14日追記
先月久しぶりに南山店に行ってきました。店内が階層されていて、売り場面積は全体的に縮小し、内装が非常にオシャレになっていました。
a0094433_0594352.jpg

上が以前の書棚。下が改装後の書棚。
a0094433_102711.jpg

a0094433_112893.jpg

[PR]

# by zae06141 | 2007-07-09 14:02 | 旅行・海外駐在関係 | Comments(0)

アンガス・マディソン「経済統計で見る世界経済2000年史」 ver7

 昨日19日の日経新聞5面に、オランダ、フローニンゲン大学のアンガス・マディソン教授が、過去2000年間のGDPの推計を試みているとの記事がありました。アンガス教授の書籍は、以前「世界経済の成長史1820‐1992年―199カ国を対象とする分析と推計」という書籍を読んだことがあるのですが、過去2000年間の方も、「経済統計で見る世界経済2000年史」という書籍を出していることを知りました。
 
 前著には、1820年のGDP1位は中国、2位はインドとなっていましたが、これは人口が多いためで、一人あたりのGDPとなると、英国や日本よりも低い状況でした。これに対して、後者の書籍では、宋代の一人あたりのGDPは、西欧よりも高かった、とあるとのことです(日経新聞記事より)。
まぁ、西欧が一番低調だった頃と比べても、とは思いますが(10世紀で比べるなら、ファーティマ朝か、ビザンツにして欲しいと思います)、実験的な試みとはいえ、興味を引かれてしまいます。

※追記1 2007年4月
 本屋で立ち読みしてきました。ざっとめくっただけなので、ちゃんと読めているわけではありません。その範囲内での感想ですが、あんまり期待した感じでもなかった、というところでしょうか。

基本的には、「世界経済の成長史1820‐1992年―199カ国を対象とする分析と推計」 に書き足したという感じで、2/3くらいは、「世界経済の成長史」の統計図版がそのまま掲載されている感じ。次に解説の量が多いのは、1500年-1820年。しかし、この部分であれば、ウォーラーステインはじめ、多くの学者の研究しているところです。特に本書に頼る必要もない部分かと思います。一番興味のあった紀元0年~1000年に関する部分は、ほぼ人口推計の算出だけと言ってよく、GDPは、各地域400ドル~450ドルの間にまとまっていて、都市や地域・職業別に推定されているわけではありません。また、人口やGDPは、地域別に指定されているのですが、西ヨーロッパ、東ヨーロッパ、アフリカ、トルコ、イラン、イラン以外のアジアなど、地域別となっていて、古代国家の単位と関連付けされていないため、ローマ帝国やペルシア帝国などの単位での参考値とはなっていません。

※追記2 2008年5月
 アンガス・マディソンの「Chinese Economic Performance in the Long Run 960-2030」の中国語訳、「中国经济的长期表现 公元960-2030年」の付録に、明代初期、1380年から、10年刻みの人口推計表が掲載されています。1895年以降は、3~5年毎、1952年以降は毎年の人口が掲載されています。邦訳だと「世界経済の成長史1820‐1992年―199カ国を対象とする分析と推計」が定価で5040円、 「経済統計で見る世界経済2000年史」が、13650円と高額だったりしますので、統計表程度しか見ない私のような向きには、30元(450円くらい)で手に入る中国語版は非常にリーズナブル。本書には、紀元1年、960年、1300年、1700年の欧州(トルコとロシア以外の欧州)と中国の推計GDPの比較が掲載されていて、1人辺りの平均年収が掲載されています。
      1年  960年  1300年  1700年(単位、1990年ドル)
中国  450   450    600     600
欧州  550   422    576     924

 きれいに、ローマ帝国の最盛期と中世暗黒時代、ルネッサンス以後の復興という欧州人の歴史観を反映した値となっています。こんな微妙な相違は、殆ど誤差の範囲であって、集計方法によりいくらでも調整できてしまう値だと思うのですが、そうはいっても、何もないよりはマシ。ということでついつい参照してしまうことになるのでした。

 この手の推計となるとマディソン教授ばかり。教授の算出を検証するような他の研究は見たことが無いのですが、数字だけが様々なメディアに転載され、学問的に確定した事実のように、一人歩きしている印象があります。

というわけで、期待した程の参考にはなりそうにもなかったのですが、いくつかわかったこともあります。ひとつは、18世紀の日本の都市化が、西欧と同じ13%程度と、中国よりも高かったこと。もうひとつは、西欧の経済データは12世紀頃から比較的把握されていて、西欧の経済的浮上が1000年頃から起った、と考えられている点などがありました。

※追記3
2010年1月 アンガス・マディソン氏のサイト掲載の数値情報を利用して、紀元1年と2008年の世界人口のグラフを作成してみました。 また、2次大戦前夜の日本の国力を知りたいと思い、1937年と41年のGDPベスト15国も一覧も作成してみました。ご参考にどうぞ。

※追記4 2010年6月
清代中期の役人洪亮吉の一人当たりを養う耕地面積論とアンガ・スマディソン推計の清代一人当たりGDP」と言う記事も作成してみました。

※追記5 2016年2月
アンガス・マディソン氏のローマ帝国の一人当たり平均所得の計算根拠の概要を、『世界経済史概観-紀元1年~2030年』(2015年)をもとに各世界のプロファイル(古代ローマ、漢、サーサーン朝の人口、財政、生活費、GDPなど)に追記しました。もうちょっと史料的な裏づけがあるのかと思っていましたが。。。計量経済史学を歴史経済学がほぼ無視している理由がよくわかりました。アンガス氏の研究数値のうちのGDPについては、出典として利用しても概ね妥当な範囲だろう、という段階に達しているのは1820年以降くらいだ(イタリアは1500年くらいかも)、という結論をようやく出せそうな気がしています。

 ここ数年、計量経済史学関連の史料とロジックを渉猟してきてわかったことが2点あります。ひとつは、平均寿命(≒平均余命)や歴史人口学、財政規模、穀物生産性などはそれなりに史料的裏づけがあること、二つ目は全時代・全地域を通じて、一貫して比較的残っている文書史料は、税収(≒歳入)と兵士の数(≒歳出)だということです。歳入は金額が重要なので、中央集権が貫徹していない場合、人口は重視されず記録もまた残りにくい、対して歳出のほとんどはどこでもいつでも軍事力≒兵士の数なので、総人口に関する史料は少ない代わりに兵士の数に関する史料は結構残っている、という点。

※追記6 2016年12月(2017年5月一部修正加筆)
アンガス・マディソン氏の『世界経済史概観-紀元1年~2030年』(2015年)に、ローマ帝国各地地域ごとのGDPの算出方法が記載されていました。同じ方法を漢王朝に適用した記事を書いてみました。ご興味のある方はこちらをご参照ください。2014年春にウォルター・シャイデルの論考を読ん時から思っていたのですが、古代・中世に対する数量経済学史は、もうまったく、オーダー・エスティメイションの世界だということが、私の結論です。経済理論自体が、数々の前提条件のもと、「XXの値がYYならば」というオーダー・エスティメイションで成り立っていることを思えば*1、特に不思議ではないのですが、歴史学の経済史家が数量経済史を真面目に相手にしないのが本当によくわかりました。まあでも、仮定を積み重ねるだけのことでも、何もやらないよりはましではありますね。それなりに意味のあることだと思います。
 アンガス氏の1820年以前のGDPに関する算出値ありきで論を構築する研究はろくでもない研究だと考えた方がよく、アンガス氏が仮定として用いた各要素の値を、ひとつでも多くより実証的に深める研究こそが、数量経済史家には必要とされているのだ、ということがよくわかりました。アンガス氏を知ってから10年、ようやく彼のGDP推計の問題点も有効性もだいたいわかった、といえる段階になりました。長い探求でした(この10年間にアンガス氏の研究に関心をもって調べた各記事はこちらこちら)。

*1経済理論が現実の世界でなかなかその通りに機能しないことが多いのは、条件の幾つかが現実と一致していないからです。諸条件がほぼ揃った滅多にない成功事例がブレトンウッズ体制下の西側先進国経済であるといえると思います。オーダー・エスティメイションは、現在ではビジネスコンサルやITコンサルでもよく使うので、理系分野だけではなく、ビジネス界でも馴染みのあるものだと思います。

追記7(2017年7月)

 日本経済新聞社の記事7/1日の『習近平氏の「中国の夢」、千年間のGDPで精査』で、今年4月に発表された、宋代以降の中国と中世欧州、徳川日本のひとりあたりの平均GDPに関する最新研究『China, Europe and the Great Divergence: A Study in Historical National Accounting, 980-1850』(PDFはこちら)が紹介されています。時間のある時にじっくり読んでみたいと思います。1700年前後のイングランドの値をかなり低めに出しているような気がします。アンドレ・グンダー・フランクが『リオリエント』で叙述的に示しただけで数値的根拠がいまひとつだった、近世における中国への銀の流入量の総額見積もりや物価との連動を数値的に説明できていたりすると嬉しいかも。

 ところで、日経の記事にある、習近平氏が、「アヘン戦争の前は中国は世界一豊かな国だった」との文言は、ひとりあたりGDPの話ではなく、当時の単一の国家としては飛びぬけて膨大な4億という人口による総GDPの話をしているのだと思うのですが、どうなのでしょうか。個人的にはポメランツ説よりも、アンガス説に基づいての主張だと思っていました。GDP総額で米国を抜くのが当面の現実的な範囲の値であって、ひとりあたりのGDPが米国を抜く、という議論が現実味を持つにはあと50年くらいかかると思っているのですが、、(輸出競争力確保のため、為替の完全自由化はなかなかしないでしょうから、PPPのひとりあたりで米国を抜く、ということなのかも知れませんが、、、こちらは現実的な目標になりえると思います)。

 いづれにしてもこうした研究が地道に進んでくれるのは嬉しい限りです。

 今回の追記では以下5点の関連論文や書籍等を紹介したいと思います。

1.ローマ・漢王朝・パルティアのひとりあたり最低生活費の研究(オランダ・ユトレヒト大学)
 The standard of living inancient societies: a comparison between the
Han Empire,the Roman Empire, and Babylonia (PDFはこちら
 Bas van Leeuwen, Reinhard Pirngruber, Jieli van Leeuwen Li著

2.18世紀のロンドン・アムステルダム・ミラノ・北京都市部・北京農村部・京都/東京の実質賃金比較研究
 『実質賃金の歴史的水準比較』J.-P.バッシーノ、馬徳武、斉藤修著
 (『経済研究』通巻56号,2005年第四号pp349-369)

3.斉藤修『比較経済発展論-歴史的アプローチ』(岩波書店)
 掲載グラフを解説しているところで、上記バッシーノ達との研究に追加して、同時期に対するストラスブールやオックスフォード、畿内、京都、銚子、広東との賃金を基準とした生活水準比較グラフが掲載されていて有用です。アンガス・マディソンの方法論についても解説しています。

4.歴史学畑の西洋経済史学者が書いた数量経済史の入門書としては、カルロ・マリア チポッラ著『経済史への招待―歴史学と経済学のはざまへ』 国文社/2001年)が良書だと思います。

5.アヘン戦争時の清朝と英国の財政規模
 めちゃくちゃ適当な計算ですが、当時の両国の中央政府の財政総額が残っているので、労働者ひとりの年収を100万円と決めうちした場合、両者の財政規模がいくらになるのか計算した記事です(こちら)。清朝1兆円弱、英国本国1.3兆円くらいになりました(英国は、植民地政府の財政は含まない)。この背景として清朝は康熙・雍正帝の時代に中央政府の税額を固定してしまった点と、英国は巨額な国債を発行していた二点があげられます(あくまで中央政府の税収で、地方政府の税収は別にあります。更に清朝では公式の財政記録に載らない要素(徭役等)も大きいと思われます。よって、これはあくまで数字のお遊びです)。しかし簡単に計算しただけでも英国の財政規模が清朝を上回ってしまう結果となる具合ですから、アヘン戦争の敗北も妥当なように思えた次第です。

[PR]

# by zae06141 | 2007-03-20 00:55 | その他歴史関係 | Comments(0)