古代世界の午後雑記


「古代世界の午後」更新履歴と雑記
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ロシア歴史映画「1612」

 ロシア動乱の時代を描いた「1612」を見ました。この時代のことは、殆ど知識がなく、予備知識の無いままに見たため、よくわからないところが多かったのですが、こちらの紹介に記載されている内容からすると、史実に題材をとっていても、史実そのままというわけではないようです。

 こちらのホームページなど見ますと、主人公は、ポーランドからモスクワを解放したミーニンとバジャルスキーとなっていますが、本編の主人公にそれらしい人はでてきません。前掲のページの記載によると、主人公はボリス・ゴドノフの宮廷に仕えていた召使の子とありますが、この解説を読むまであれが宮廷とは思っていませんでした。このあたりについてはこちらのサイトを参照してみますと、ボリス・ゴドノフはモスクワで病死したとされ、その子供の代になってから、一家は偽ドミートリー派に襲撃されたことになっています。

 一方映画では、ポーランド(コサック)のヘトマン(統領)が、地方都市のような規模の町としか思えない町を襲撃し、娘のゼニア(ゴドノフの娘?)を略奪し、彼女にあこがれていた(と思える)主人公の少年は、ゼニアが略奪するところを目撃しますが、彼の家族兄弟もその場で殺されます。その後数年間、スペイン人の荒くれ騎士(傭兵?)の従者(奴隷)となって諸国をさすらっていたところ、たまたま主人が乗り合わせた船にゼニア姫が乗っていたことから、彼女を救うべく立ち上がる、というものです。
  立ち上がるといっても、実際は、野盗に襲撃されて殺された主人に成りすまして、ポーランド人ヘトマンに大砲を売りつけて取り入る、という方法です。しかし、スペイン人でないことがばれ、軟禁されているゼニア姫を救い出して近隣の町へ逃げ込んだことから、ポーランド(コサック)部隊が、その町を襲撃し、結果的に町衆を率いて防衛し、最後の決戦でヘトマン一派を打ち破る、というものです。

 町の包囲攻撃や、一介の平民である主人公がいつの間にか、町の防衛のために英雄的な働きをするところなど、「キングダムオブヘブン」を彷彿とさせるところがあります。とくに、町の包囲攻撃場面は、「始皇帝暗殺」の邯鄲攻城や、「キングダムオブヘブン」のエルサレム攻城などと並ぶ、歴史映画史上に残る大迫力だと思います。こちらに予告編の動画があり、もっとも迫力のある場面を見ることができます。

 更に、試してはいないので、はっきりとはわかりませんが、こちらのサイトでは、映画そのものがダウンドードできるようです。またこちらの映画評も参考になります)

 まぁ、背景を調べてからもう一度最初からよく見れば、地名や場所、人名がわかり、もっとまともな情報を掲載できるかも知れませんが、実際のところ、主人公は、こちらのサイトでも、Andrey、名を騙ったスペイン騎士はAlvaro Borjaとなっていますが、映画の中で普通に使われていたのは、Cavalier(カヴァリエール)(後日調査。Cavalierは、cavalry(騎兵)に連なる騎士の古語でした)。よくわからないまま見終わった今でさえ、誰が史実の誰に相当するのか、やはりまだわからないので、結局、スウェーデンやドイツ、ポーランドなど、外国勢力に侵略され、混乱していた当時のロシアを象徴的に描いた作品、ということでいいのかも知れません。どなたか、この作品についての正確な情報がある方、お教えいただけますと助かります。 

 そういえば、ローマ法王が何度か登場していて、コサックヘトマン部隊には、スペイン傭兵としか思えない装備の兵士達が軍隊規模で従軍していた。あれはカトリックの包囲網ということだったのだろうか。白昼夢のように登場するユニコーンもよくわからなかった。まるで、「ブレードランナ」の主人公の夢に登場するような感じで、白馬のユニコーンが何度も登場していたけど、あれはいったいなんだったのだろうか。

 とまぁ、ほめもけなしもしない焦点のあいまいな映画紹介となってしまいましたが、当時の風俗や町の再現はよくできていると思いますし、大砲による町の砲撃シーンは、歴史映画史上に残るできばえだと思います。

ロシア歴史映画一覧表はこちら
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# by zae06141 | 2008-02-26 00:05 | その他の時代の歴史映画・ドラマ | Comments(0)

書籍「古波斯币」

 面白い本を見つけました。「古波斯币」という題名の、古代イランの貨幣を扱った中国書籍です。

 深圳の大手書店でも、外国史の書籍は少数です。さすがに中国史の書籍は多数ありますが、それでも店舗に置かれている書籍棚で言えば、新宿ジュンク堂書店の日本史関連コーナーの半分くらいなのではないでしょうか。外国史など、新宿紀伊国屋本店の外国史コーナーの1/8程度しかありません。あくまで印象ですが。イラン史の本など、「世界各国史全集」の中の1冊を目にした程度。それも、そんなに厚くなく、古代のパートなど、20ページくらい。

 なのに、歴史コーナとはまったく異なる古銭コーナーの中に、日本で入手できるイラン書籍よりも詳細な情報が色々と記載されている書籍を見つけることになるとは予想外でした。
 なぜか歴史書籍コーナーに、中国各地の博物館で発行されている遺物紹介書籍が置いていないので、建築書コーナーなどを探していたら、なんと建築書籍の傍の、古書道のコーナーの横に、考古学のコーナーと、古銭コーナーがありました。深圳書城の特徴なのでしょうか。歴史関連書籍は、歴史書コーナーだけではなく、建築史の書籍なら、建築書コーナーにまとまった建築史コーナーがあり、地方史書籍コーナーや歴史アトラスが旅行の地図コーナーにあるのです。深圳書城南山店では、2階に歴史書、3階地図コーナーに歴史アトラスと地方史。5階に建築史と考古学、古銭学コーナーがあるのでした。

 さて、その「古波斯币」ですが、なかなかよく出来ています。アケメネス朝、アルサケス朝、サーサーン朝の貨幣だけではなく、アケメネス朝に影響を与えたリュディア王国の貨幣や、アルサケス朝時代の服属国、エラム、カラケネ、インド-パルディア王国、ファールス王国、クシャノサーサーン朝の貨幣も紹介されています。Sanabaresという、これまで知らなかったアルサケス朝の服属国や、サーサーン朝滅亡後の、タバリスターンや、アラブで利用されていたサーサーン朝形式貨幣などにも及んでいます。

 しかも、各国王別に表裏の写真と解説が掲載されているだけではなく、地図や、国王一覧表も充実しているのです。これまで知らなかった事項が多数掲載されていて、驚くべき有用な書籍となっています。Amazonで購入可能なので、古代イランにご興味のある方には非常にお奨めです。

 もちろん裏を取る必要はありますが、アルサケス朝時代のファールス王国の最後の数代は、パーパク、シャープール、アルダシールとなっていて、シャープールとアルダシールはともに、パーパクの子であるとコメントが記載されています。ファールス国王については、前180年以降の23名ほぼ全員の名前の一覧が、在位年は不確かながらも掲載されていて、前88年以降は、ほぼ親子関係が記載されているなど、興味深い情報が多数掲載されています。
 ファールス王国だけではなく、エラム、アラケネ、サカ王国についても、国王一覧表が掲載されているのです。

 アケメネス朝シグロス銀貨を、アップの写真で何枚も目にしたのは初めて。地図も各時代毎に掲載されていて、古代パルティアの地図は、スミソニアン博物館のパルティアサイトの地図が引用されていたり、サーサーン朝時代は、シャープール時代だけではなく、7世紀ホスロー2世時の最大領域図まで掲載されていて、行き届いた内容となっています。中国史書に登場したサーサーン朝の使者の記述などは、以前私が調べたもの以外にもあることがわかり、大収穫。ペーローズ1世が、3回も北魏に使者を送り、ヤズダギルド2世も1度送っているとのこと。ギリシア文字やパフレヴィー文字の解説、貨幣に刻印されている図形の、各パート20箇所の詳細な解説など、とにかく古代イラン愛好者の心をくすぐる内容に溢れています。
 
 巻末引用文献には、www.parchia.comや、先日紹介した、古代イラン総合サイトhttp://www.cais-soas.com/なども記載されており、とにかくこの書籍には、著者の古代イランへの愛着を感じました。カバー扉写真を見ると、もういいおじいちゃんですが。

カラーページは少ないものの、これだけの内容でたったの22元!(約350円)。中国からの配送量を入れても、損はない買い物だと思います。お奨めです。是非是非、いかがでしょうか。
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# by zae06141 | 2008-02-02 02:16 | 古代イラン関係 | Comments(0)

1996年冬の経済危機

 異常気象で中国全土が大変な状況になっていることを、本日知りました。
 1月11日から、華南地方(陜西、貴州、江西、湖南、湖北、安徽省)を大雪が襲い、20日を経たいまだにふり続けているようですね。50年ぶり、中華人民共和国成立以来の事態だとか。
 同僚には、TVのニュースで大騒ぎなのに気がつかなかったの?と驚かれてしまいました。

 これでまた、似た様なブルガリアでの経験を思い出しました。

 私が滞在していた頃のブルガリアは、政策の失敗から経済危機に陥り、1995年12月の赴任時に1ドル60レバ程度だったUSDとブルガリア通貨レバの為替レートが、記憶があまり定かではないのですが、96年秋口に240レバを突破してからは加速的に下落し、11月下旬に500レバを突破。以後、手が付けられない程加速し続け、12月以降一日のうちに500レバ下落する日も出て来るに至って、台風でもきているような高揚感のある、異常状態が日常化する、神経が麻痺したような、お祭り騒ぎのような日々が続くことになりました。正確な日にちは思い出せないのですが、年末年始に旅行に出ているので、そのあと、恐らくは年明け1月、一日500づつがたんがたんと下落し、最大瞬間風速では、1ドル3000レバを越えた記憶があります。その後も2200~2500程度でだいたい安定し、2月末に1ドル1900レバで固定相場制へと移行しました。

 この間、私は、給与がドル支払いでしたので、数ドルづつ両替したため、特に影響は出ませんでしたが、ブルガリア通貨レバで生活する一般市民にとっては、通貨はまったく信用できないものとなり、煙草とブランデーが、貨幣の代わりに利用されているのを目撃することになりました。第2次世界大戦を扱った、ナチスに抵抗するパルチザンの映画などで、煙草とブランデーが、貨幣の代わりに利用されるのを見たことがありますが、そんなものが本当に通貨の換わりに機能するとは驚きでした。

 さて、このような最悪の時期の少し前だったと思いますが、1月に入ったある日、職場に電話がかかってきました。ソフィアから50km程離れた村にある林間学校に勤務する青年協力隊の同期の隊員でした。

 「今ソフィア駅ですけど、これから行ってもいいですか。歩いていくので2時間くらいかかりますけど」

 「え?なんで?」

 「知らないんですか?いまゼネストが起こってるんですよ。ソフィアの交通機関は全面停止です」

 「ええーっつ!!!」

 「職場に誰も来てないでしょう?」

 「そういえばそうだけど、休み(今は勤め先の学校は1ヶ月の冬休み期間中)中に学校来る先生なんて殆どいないもの。言われてみれば、今日は誰も見てない気もするね。ひょっとしたら俺1人かも」

 「中心部では、デモで集まった人にバリゲードが張られて、車は一切動けないので、誰もいないはずです」

  「ええーっつ!!!!!!」

 職場にはTVなどなく、そもそもこの日はTV放送さえ停止していたかも知れないとはいえ、そもそも私にはあまりTVを見る習慣がないのでした。とはいえ、3チャンネルしかなく、しかも放映していない時間帯の方が多いブルガリア時代と異なり、今は60チャンネル24時間、多様な番組を視聴できる状況なので、ニュースくら点けっ放しにしておいてもいいのかも知れませんが、自宅TVは、DVDとTVを切り替えるのに、いちいち入力端子を付け替えなくてはいけないという面倒さから、DVD配線にしてある時は、とんとTVは見なくなるのでした。ま、それも言い訳で、株価や為替、世界情勢は毎日Web経由でチェックしているというのに、天候や気温など身近なことに疎いというのは、やはり改善したほうがいいのでしょう。

 ともあれ、いま中国華南は、電力不足で深刻な事態に陥りつつあります。湖南省あたりでは、雪の為に送電線が切れたりして停電し、電話も普通になったりしているそうです。私の住む広東省では、雪で高速道路や鉄道が不通になり、華南との交通が遮断され、火力発電に使う原料の石炭の輸送がストップし、発電所が機能しない事態に陥っているとのこと。中国の電力は、まだ大半が石炭による火力発電なので、このような事態に陥っているわけです。広東省では、省エネ指令を出したとのこと。

 原子力発電を推奨するわけではありませんが、石炭はエネルギー効率も悪く、無駄なエネルギーがCO2となって大気に拡散することを思えば、早く、石炭に変わる発電インフラを整える必要があることには違いありません。固定電話が普及していない中国で、一気に携帯電話時代に突入してしまったように、原子力ではなく、更に次の世代の普及型発電インフラが発明され、そちらにジャンプできるといいのですが、そんなにうまくはいかないでしょうね。

 既に深圳では、正月帰省客500万人に影響が出ているとのことで、帰省を取りやめる人が増えています。私の職場でも、取りやめた人がでてきました。お陰で、この時期懸念された深圳の治安悪化は、今年は避けられそう。思わぬ副作用というところです。
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# by zae06141 | 2008-01-31 00:51 | 旅行・海外駐在関係 | Comments(0)

ブルガリアの寒くて冷たい記憶

 寒い記憶、といっても、ブルガリア人のつまらないダシャレの話や、人種差別絡みで冷たくされたとかいう話ではありません。普通に、寒さ冷たさにまつわる記憶の話。
 というのも、このところあまりに寒いので、10年前、ブルガリアに住んでいた頃のことを思い出したりすることが増えているのです。

 どうやら、中国華南では、2,30年ぶりの寒波がきているとか。どうりで週末異様に寒かったと思った。湖南省の長沙市あたりでは、ここより寒いらしく、相当酷い状況のよう。今日帰りのバスの中で見た明日の予報では、香港・深圳は、最高気温15,6度、最低が10度程度で、あまり寒くなさそうだけど、この先1週間くらいは、最高気温10度程度が続くらしい。少し内陸の広州の明日は、最高が8度、最低が6度で殆ど東京と変わらないくらい。恐らく、先週末の深圳も、明日の広州くらいだったのではないかと思われます。ともかく週末は寒かった。部屋の中の気温が終日10度だったので、外も終日同程度だったのではないかと思います。広州と深圳で、10度近くも違うとなると、内陸の長沙市にいたっては、氷点下、あるいはそれ以下なのかも知れません。

 東京の冬の暖かい日と大して変わらない程度なのに寒く感じるのは、暖房器具が無く、真冬用の服を持っていないというしようもない理由もあるのですが、週末は身動きできないくらい寒かったので、今日は帰りに温風扇風機を買いに行ったのですが、近所のスーパーでは売り切れ。この寒さに一気に在庫が掃けてしまった模様。ウォルマートまで買いに戻る時間もなく、今日は諦めて戻ってきたところですが、今部屋の中は、昨日ほどは寒くありません。明日が最高気温16度ということで、ピークは去ったのかも知れません。しかしそれでも、寒さで行動力が低下し、ビタミン不足で眠気が多発しているので、明日は温風旋風機、買ってしまうに違いありません。

 部屋の中については、暖房器具を買えば済むのですが、それでも解決しないのが、シャワーの温度。ここらあたりでは、温水シャワーではなく、装備されているのは、台所用の湯沸かし器(としか思えないもの)。今の日本ではあまり見ることもないのかも知れませんが、私が子供の頃は、台所と風呂場に備え付けられていて、熱いお湯を出そうとすると、水量がちょぼちょぼになり、水量を多くすると、ぬるくなる、というもの。あとお風呂の最中、台所で洗い物をされると、途端にぬるくなったり。若い方はイメージしがたいかも知れませんが、このような給湯器は、昔は多くの世帯に装備されていたのだと思います。ところが、どうやら、このあたりでは、こういうものしかないらしい。お陰で、シャワーが寒くてかないません。この話を上司にしたら、「高級ホテルに泊まりに行けば」とのこと。さすがに湯船も恋しいので、今週末は行ってしまうかも。でもそれなら、いっそのこと温泉にでも行った方がよさそう(旅行会社のチラシによれば、このあたりにも、温泉があるようなのです。1泊2日、1万2千円でいくバスパッケージツアー、というような、日本でもよく見る、湯船に漬かる女性のチラシが置いてありました)。

 さて、なかなかブルガリアの話になりませんが、11月末頃から2月一杯、気温が0度前後になるソフィアの方が、実は、意外に寒くなく過ごせるのでした。理由は、セントラフヒーティングが完備されているから。シャワーの温度がどうだったか記憶にないのですが、セントラルヒーティングのお陰で部屋は常に20度くらいあり、部屋の中ではシャツ一枚でいられるくらい。夏は湿気が無いので、部屋の中は涼しく、夏も冬も、快適なのでした。シャワーが多少ぬるくても、20度の部屋にいるので、特にシャワーが寒かった、という記憶もありません。朝布団から出るのが辛い、ということもありませんでした。

 寒いのは、セントラルヒーティングが開始になる前と後。つまり9月末から10月初と、3月末から4月頭。私が住んでいたのは、学校の寮だったので、全館一斉に開始・停止となるのでした。もちろんセントラルヒーティングが入る前後、シャワーは水。しかもソフィア南のリラ山系から下りてくる雪解け水だったりするので、暖房が入る直前直後の2週間くらいは、「心頭滅却」とか言いながら冷たいシャワーを浴び、マッチ売りの少女の話を思い出しながら、手を擦りながら洗濯をしたものです。というのは、当時洗濯機を持っておらず、衣類を手洗いしていたのでした。当時のブルガリアでは、都市部中流家庭であれば、洗濯機くらい普及していたかと思いますが、下宿生活の学生や農村では、少なかったと思います。何より、私のいた学生寮では、洗濯機を持っていた学生は恐らくいなかったのではないかと思います。もちろんコインランドリーなどありません。学生が部屋に出入りすることも多いので、貧乏学生の手前、洗濯機の購入を控えたわけです。お陰で、洗濯をはじめた最初の1ヶ月くらいは、手の皮が剥けまくり。大分手の平の皮膚が鍛えられました。

 というような事情から、寒かったのは真冬ではなくその前後、真冬は意外に快適でした。なので、ブルガリア時代よりも、今の方が年を取っていて、抵抗力も落ちているとはいえ、確実に、昨今の環境の方が、寒くて冷たい冬の日々を送ることとなっています。今回の、「ブルガリアの記憶」という題材の真意は、実は、「ブルガリアの冬の方が快適で、今の方が寒い」ということにあるのでした。

 ところで、10年前の滞在時の前後数年間は、経済危機の時代でした。このため、地方の町や大都市でも、郊外となると、秋口には、街路樹を切り倒して、薪にしている光景によく出くわしました。さすがにソフィア市街では見かけたことはありませんが、地方都市へ行くと、一見町内会のボランティアが、伐採しているような光景にでくわすことがよくありました。彼らは、町内会でも何でもなく、勝手に、街路樹を薪にしているのでした。ひょっとしたら、行政府の方から、「今年の冬はセントラルヒーティングの資金が無いので、めいめいなんとかするように」などと案内が出ていたのかも知れませんが、大方は、ハイパーインフレの為、セントラルヒーティング代が数十パーセント値上がりし、支払えない市民が、その辺の木を勝手に薪にしていたのでした。

 きっと、平年ではありえないくらいの寒さを向かえた長沙市など湖南省の都市の人々も、余裕の無い世帯では、ひょっとしたら、同じようなことをする羽目に陥っているかも知れません。農村であれば、薪や糞尿など、暖をとるための燃料にはあまり困らないかも知れませんが、都市化が進むほど、インフラに依存する傾向に陥るのは、比較的一般的な現象といえるのだと思うのです。
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# by zae06141 | 2008-01-29 00:26 | 旅行・海外駐在関係 | Comments(0)

書籍雑誌「中国重要考古発現」

中国重要考古発現」という書籍雑誌を見つけました。毎年出ているらしく、その年の、中国の重要な考古学上の発見について、A4版で、全頁カラーで紹介している書籍です。「書籍雑誌」と書いたのは、書籍というより、美術展のガイドブックのような体裁であるため、そのように記載しました。内容は、石器時代から元代くらいまでの発見を、約40種類、短いもので3ページ、長いもので10ページ、平均だいたい5ページほどで紹介しています。

 カラー写真が豊富で、装丁が、日本の書籍と同レベルのクオリティで値段は80元(約1300円)。Googleで検索をかけたところ、書籍販売サイトでの紹介はありますが、ブログやHPでの紹介があまり見当たらないようなので、ここで紹介することにしました。

 1999年頃から、現在の装丁で毎年出版されているようです。日本で注文すると5000円近くなるので、中国考古学にご興味のあるかたは、旅行のついでに購入してお持ち帰りになるといかがでしょうか。3,5冊買ってもあまり荷物にはなりません。値段も日本で購入するのと比較すると、1/4程度。

2006年版では、39の遺跡が紹介され、その中で、(私的に)めぼしいのは、山東省青州の香山漢墓陪葬坑。赤と黒が主体の漢代の彩色ですが、薄紫や青色が主体の、数百体の俑が発見されたとのこと。鞍や鐙が鮮やかな色彩で彩色された馬や薄紫の服装をした人物俑など、貴重な遺物を知ることができました。
 中国史をご専門としている方であれば、有名な雑誌なのかも知れませんが、私のような素人にとっては、新鮮でした。早いうちに、バックナンバーを揃えてしまいたいと思います。私がこれ(2006年版)を購入したのは、荊州の博物館なのですが、湖南省博物館にもおいてありました。少し大きな歴史博物館であれば、おいてありそうです。(深圳の本屋ではまだ目にしておりませんが。。。)

続いて、これも周知の情報かも知れませんが、戦国趙長城遺跡訪問記を見つけました。私のHPの対象外ですが、一応情報の共有の為、掲載しておきます。

瀋陽のヌルハチ、ホンタイジ時代の清朝史跡の遺跡訪問記はこちらにあります。

最後は、 観光地。南宋末期、モンゴル軍に最後まで抵抗し、忠臣の鏡とされる文天祥が、最後の決戦を行った崖山は、これも周知の話かも知れませんが、現在観光地となっています。近所の旅行代理店の店先で広告を見つけました。「宋元崖门海战文化旅游区」という名称で、特に史跡があるわけではないのですが、復元された船や、関連史料の展示館などがあります。日本で言えば壇ノ浦のようなところでしょうか。
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# by zae06141 | 2008-01-21 23:35 | 古代中国関係 | Comments(0)

水中考古学と古代イランの沈没船、漢代滇王国の遺跡

 水中考古学、というジャンルがあることをはじめて知りました。

 こちらに日本の水中考古学の普及と推進を行っているサイトがありました。

 面白そうな記事がたくさん掲載されていました。

 その一つが、パルティア または サーサーン朝時代と想像される沈没船の記事
 この時代の船なんて、絵や模型でさえ見たことがありません。また船の中に、これまで見つかったことのなかった遺物・史料が残されているかも知れません。

 続いてこちらは、雲南にある湖底に残る遺跡の話。単体の建築物だけではなく、都市遺跡の可能性もある、とのことです。木造建築が主流の古代中国で見られない、石造建築物や、ピラミッドのような建築物の存在も想定されるなど、中原とは異なった古代雲南の文化が発掘される可能性もありそうで、楽しみです。

 他にも、3300年前の古代エジプトの貿易船や、2000年前のインドの神殿遺跡など、魅力的な遺物が多く発見されているそうです。

 それにしても、水中考古学の対象範囲として、沈没船だけではなく、地震や地盤沈下により、建築物や都市そのものも海底に残されていることがあることを知りました。あまり遺跡や遺物の残っていない地域でも、古代の文物が海底に沈んでいる可能性があるそうで、今後大いに期待できそうです。
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# by zae06141 | 2008-01-11 23:07 | 古代イラン関係 | Comments(0)

古代イラン総合サイト

the Circle of Ancient Iranian Studies (CAIS)」というサイトについては、以前から、知ってはいたのですが、最近改めて内容を見てみてみました。 古代イランのあらゆる情報をまとめた内容となっています。遺跡の写真や歴史の話だけではなく、古代イランの宗教、文学など、よくあるテーマだけではなく、法律、暦、教育、経済、音楽、科学、女性など、生活に関する様々なテーマまで包括的に扱われています。私の古代イラン関連サイトは、古代イランについての、生活全体像について、あちこちに散らばっている情報を集めることを目標としていたので、より完全で網羅的な情報を持つサイトがあるとわかった以上、CAISを参照すればよいものと思います。私のサイトは閉鎖するつもりもありませんが(無料だし)、最近イランワークも一段落ついたことですし、今後はイラン関連の情報更新は、少なくなるかも知れません。

それにしても、割と詳しくなっているつもりのサーサーン朝ですが、CAIS掲載の遺跡写真を見ていると、サーサーン朝全体のイメージに影響する程インパクトのある遺跡が、まだまだあったのだと、知ることになりました。

例えば、こちらには、サーサーン朝時代の橋の写真が多数あります。

また、なんと、トルコのアニー遺跡に拝火寺院の遺跡もあるようです。こちらに写真があります。

アゼルバイジャンには、こんな巨大な塔まであるとのこと。

こういう巨大な城も、どこかにあるようです。

拝火寺院も、イラン全土に結構な数が残っているようですし、上記橋や、巨大建築物が各地にあったことを考えると、やはり、田舎の蛮族王国(ローマと比べてですが)などを考えるわけにはいかないように思えます。

いつか、イランやイラクの政情が安定したら、クテシフォンや、橋、拝火寺院などの遺跡を見に行ってみたいと思います。そういえば、CAISの遺跡写真には、アクセス情報が載ってませんね。私にもまだ出来ることがあるかも知れません。

今後少しづつ折をみてやっておきたいことは、サーザーン朝末期の法律書である「千の審判の書」を読んだり、前島信次氏が引用した、ブズルグミフルの自伝の探求などでしょうか。研究の進展は、イランやイラクの政治情勢に大きく依存するので、ここ30年近く大きな進展はなさそうな感じがしています。フランスのサーサーン朝学者ジゼランの印章研究による後期サーサーン朝の官僚体制に関する研究書の英訳(できれば邦訳)が出版されたり、川瀬豊子氏のアケメネス朝の通信や行政に関する研究が、まとまった書籍として出版されてくれると嬉しいですね。

そういえば、「Women in Ancient Persia, 559-331 BC 」という、アケメネス朝の女性を扱った書籍が出ていて、恐らく川瀬氏が利用している発掘された行政史料と同じものを扱っているものと思うのですが、アケメネス朝の王族の女性が経営する荘園の、細かい運営状況が分析されていて、面白い書籍といえそうです。女性経営荘園には、女性の役人がいたとか、支給された給与の中身などが記載されています。対象がパルティアやサーサーン朝ではないので、ざっと中身を見ただけなのですが、こちらもそのうち読んでおこうと思います。

私にとって、古代イランについての夢が4つあります。ひとつは、当時の千一夜物語の原本である、パルティア時代に成立したとされる「ハザール・アフサーナ」を読むこと、前島氏が紹介したような内容のブズルグミフルの自伝があるとしたら、それを読むこと、クテシフォンの町の様子を知ること、市井の人の生活を知ること、です。2つめ以外は、極度に可能性が低いのですが、今後、なんらかの文書が発掘・発見されないとも限りません。そうした夢を今後も見つつ、中東の政情安定を祈りつつ、古代イラン世界の旅は、ひとまず一段落としたいと思います。
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# by zae06141 | 2007-12-24 05:27 | 古代イラン関係 | Comments(0)

深圳クリスマス風景(2)

 今日会社の帰りにJUSCOに行って来ました。目当てはJUSCOではなく、隣にオープンした筈のカルフール南山区店(確認した限りでは福田区、宝安区についで、3件目。ウォルマートも3件確認しているし、カルフールも、もっとあるのかもしれません)だったのですが、広告では、18日Openとあったのに、まだ工事中な感じで、やってませんでした。これまでJUSCOにも入った事がなかったので、どんな感じか見てきましたが。一応吹きぬけに巨大ツリーがあって、下記のような感じ。

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 店内の雰囲気は、このような感じです。一応香港のショップ並みのきれいさなんですが、どこか、いまいちな印象が漂うんですよね。

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因みに4階には、このようなスケートリンクがありました。でも今夜は20度くらいあって、革ジャン着てると汗をかくくらいな暖かさ。11月末が一番寒くて、今月に入ってから、暖かくなる一方という感じがします。スケートリンクもぜんぜん冬模様という感じがしないのでした。

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 Openを控えたカルフール南山店の隣には、ガラス張りの、有楽町国際フォーラムのような、巨大な劇場が。せっかく透明感のある美しい建築なのに、既にガラスは汚れ気味。こういうところが中国っぽくって、いいのやら悪いのやら。

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 最後は、マンション1階扉に張られた不気味なサンタの笑顔。同じようなのが、勤め先のドアにも張られています。こちらの習慣なんでしょうか。

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# by zae06141 | 2007-12-22 00:22 | 旅行・海外駐在関係 | Comments(0)

深圳クリスマス風景(1)

 一応深圳もクリスマスシーズンを迎えたようです。あちこちでクリスマスっぽい飾りつけ、イルミネーションが見られます。最初のものは、勤め先のビルの1階ロビーのもの。

a0094433_2294141.jpg今日は、1階のエスカレータ脇のホールで、ビル主宰のクリスマスパーティのようなものをやってました。続いて次のものは、近所のビル。イルミネーションが切り替わって、サンタがビールを飲んだりしていました。
a0094433_221087.jpg

最後のものは、自宅のあるマンション入り口の等身大サンタ。ちょっと不気味。この辺の感覚がなんとなく米国風という感じ。米国でクリスマスを過ごしたことは無いので、イメージですけど。サンタに近づくとジングルベルがかかり出します。
a0094433_22133241.jpg不気味な笑顔のサンタのシール(しかも皆同じ顔)やツリーが町のあちこちに見られるのですが、はっきり言って垢抜けない感じ。30年くらい前の私の子供の頃という感じでしょうか。これもまた、今の中国の発展度合いの象徴の一つのような気がします。

 市の中心部へ行けば、もう少し感じが出るのかも知れません。週末は、深圳中心部や香港のクリスマス街模様でも眺めてこようかと思います。クリスマスは、だいたい毎年正教会に行っているのですが、深圳市に正教会なんてあるのでしょうか。あるという噂もあります。マカオには、確かカトリック教会があったと思うのですが、やはり正教系でないと気分が出ない感じです。

 中国では、まだ旧正月(春節)の方が、圧倒的に盛り上がるそうです。年によって日にちが違うのですが、来年は、2月7日~13日頃のはずです。はず、というのは、勤め先の休みがその日程だから。私は日本のカレンダーで勤務しているのですが、この週中国社員は全員お休みで、私は一人で出勤することになってます。この期間、深圳市の住民の大半が、故郷に帰ってしまうため、町は、軽犯罪者が横行し、相当治安が悪くなるそうです。一瞬このマンションのガードマンの休みになってしまうのかと、少しどきどきしてしまいましたが、さすがにガードマンは休まないそうです。でも人数は減りそう。

中国の旧正月を楽しみにしていたのですが、毎日職場と自宅の往復に終わりそうです。しかも、タクシー使うように奨められているのでした。「バスは最悪だよ~」とのこと。
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# by zae06141 | 2007-12-19 22:34 | 旅行・海外駐在関係 | Comments(0)

モノリスと月を見上げる

 今日帰宅した時(午後10時15分頃)、家の前で空を見上げると、満月が、ほぼ天頂近くにありました。日本の緯度では、見られない光景なのではないかと思います。
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 、向かいのマンションの屋上の先に煌々と聳えている様は、2001年宇宙の旅に登場するモノリスと月の場面を彷彿とさせるものがありました。

 明日から4日ほど、ベトナムへ行ってきます。ハノイの近くに、漢時代の遺跡を見つけてしまrった為です。情報が殆どないので、仕入れてこようと思います。

 ところで、思うのですが、9月に入ってから青空を見た気がしません。夏の間は、窓から香港島と青い海が見えていて、部屋にいるだけで気分転換になったのですが、ここ2ヶ月、香港島が見えたことがありません。10kmも無いはずなのに。これが大気汚染ということなのでしょうか。いづれにしても太陽が出ていないので、気候は日本の十月とあまり変わらない感じ。寝る前のシャワーで濡れた髪が乾かず、寝冷えしたことも体調悪化の原因なので、結局ドライヤーを買い、革ジャンと冬用ソックス、掛け布団夏用2枚を使って、漸く冬向け衣替えとなった感じです。
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# by zae06141 | 2007-11-23 00:55 | 旅行・海外駐在関係 | Comments(0)