古代世界の午後雑記


「古代世界の午後」更新履歴と雑記
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A.H.M Jones著『The Later Roman Empire 284-602(後期ローマ帝国 284-602年)』前半がパブリック・ドメインとして公開されているようです

 後期ローマ帝国の行政制度研究の古典的名著とされるArnold Hugh Martin Jones (1904–70年)の『The Later Roman Empire, 284–602: A Social, Economic and Administrative Survey』(1964年)がネットで公開されているのを見つけました。第一巻はパプリック・ドメインを掲載するInternet Archive(archive.org)にも掲載されているので、ひょっとしたらパブリック・ドメインなのかも知れません。


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# by zae06141 | 2017-01-20 00:08 | 古代ローマ・ビザンツ関係 | Comments(0)

清朝バロック建築「北京圆明园(圆明园,円明園)」の復元建築物の画像

 清朝前期北京の宮廷に建設された円明園には、乾隆帝時代に西欧バロック建築の影響をうけた建築物が幾つか建てられました。これらは1860年、英仏とのアロー号戦争で廃墟となり、現在では一部の土台とその装飾建築だけが残されています。中国国内には、各地のテーマパークに円明園の復元建築があるようなのですが、ネットで「円明園,復元」で検索して出てくる復元建築の画像は「遠瀛観」の画像だけのようで、他の建築物の画像はなさそうです。深圳市の中央部にある有名な「世界之窓」というテーマパーク(世界の有名建築物の巨大ミニチュアパーク)の東隣にある、「錦繍中華」という、中国国内の有名建築物の巨大ミニチュアのあるテーマパークに円明園の復元建築群があるので、その画像を掲載してみました(画像は2015年秋訪問時のものです。なお、記事を書きながら調査したところ、円明園で検索しても画像は出てきませんが「谐奇趣」、「远瀛观」、「海晏堂」と、建築物ごとの名称で検索すると画像が出てくることがわかりました。各地の復元建築や復元図は若干結構異なっていたりすることがわかります)。

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# by zae06141 | 2017-01-10 00:08 | その他歴史関係 | Comments(0)

2016年面白かった書籍・映画などベスト10

今年は好調でした。今年前半は、本を殆ど読まなかったかわりに、多数の映画を視聴しました。6月中に70本に達し、学生時代以来の年間150本も達成しそうな勢いでしたが、6月後半から急激に読書に回帰し、結局100本にも届きませんでした。一方今年後半、読書はざくざく進んで終わってみれば例年並みとなりました。昨年の不作が嘘のように今年は面白い本を読めました(昨年が酷かっただけで例年並みに戻っただけですが、、)。




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# by zae06141 | 2016-12-31 12:06 | その他小説・映画関連 | Comments(0)

オスマン帝国歴史地図帳『A Hitorical geography of the Ottoman Empire』(1650年まで) ver2

ずっと探していた、オスマン帝国歴史地図帳、ようやく求めていたものに近いものを見つけました。探していたのは、オスマン帝国の地方行政区区画(州県)変遷図です。オスマン帝国の領土拡張ー縮小地図はよく見かけますが、州県地図は見たことがありません。しかも数百年という広域支配の間の州県統廃合などに変わっているはずなので、そのあたりを知りたいと思っていました。

州県変遷図まではありませんでしたが、1525年と1650年のバルカン半島の州県地図が掲載されており取り合えず満足です(小アジアの地図は、地図に年代が書いてないので不明です。次に図書館にいった時に確認したいと思います)。また、この地図はいくつか珍しい地図が掲載されています。地図帳紹介の記事を作成しましたので、ご興味のある方はこちらをご覧ください

※12/25 追記
ランゴバルド諸侯国前半期(カール大帝による征服以前)の政治通史史料パウルス・ディアコヌスの『ランゴバルドの歴史』の邦訳が30日に知泉書館から出版されることを知りました(こちら)。今年はカロリング朝の史料『ニタルトの歴史四巻』の邦訳(こちら)も同出版社から出ていますし、2010年にはカロリング朝史料『母が子に与うる遺訓の書―ドゥオダの『手引書』』(こちら)を出すなど、知泉書館だけの話なのか、日本の歴史ファンの間でカロリング朝が密かに人気なのか不明ですが、カロリング朝ブームが来るのかも知れません。最近古代末期の一環として7世紀西欧(仏西伊)の社会経済文化史に興味があるので、あまり政治史に興味はないのですが、パウルス・ディアコヌスの『ランゴバルドの歴史』は買ってしまいそうです。
 更にいえば、イタリア半島中世については、カール大帝以後、(オットー大帝の使節)リウトプランド以前の200年間の政治社会経済文化史にも興味があり、そのあたりの概説書すら日本語書籍ではなかなかないので、何か史料がわからないかと、仕方なく今年塩野七生氏の『ローマ亡き後の地中海世界』(上)の前半を読んでみたのですが、予想通りひっかかるところばかりでなかなか読み進められないということになりました。例えば、もっとも特徴的な例として、イスラム勢力がルーニというジェノヴァ南東の都市を略奪しているのですが、p105で849年に「ルーニはこれ以降廃墟のままで残る」と書いているのに、p185の1016年の事件のくだりで「ルーニは、ムシェットとその配下の猛攻を浴びて廃墟と化す」と書いています。思わず太平洋戦争中、昭和天皇が、「サラトガが沈んだのはこれで4度目だが」と苦言を呈したとかいうエピソードを思い出してしまいました(これ本当なんでしょうか。昭和天皇実録に載ってるのでしょうか?)。

一度廃墟となって復興して再度廃墟となった可能性もあるので調べてみたのですが、どうやらそうではなく、849年のは略奪だけで、860年にはノルマン人に略奪されているので、「これ以降廃墟のままで残る」という部分は塩野氏の修辞だと思われるわけです。こういう筆のすさびというか、文章に酔ったような極端な表現をするようなところが塩野氏の作品をあまり好きになれなくなってしまった部分なんですよね(ギボンについても同じですけど。まあどちらも文学なので当然ではあるのですが、、、All of them なのか、Some of them なのか、one of themなのか、80
%なのか60、40、20%或いは数%なのか、こういうところは印象に大きく影響するので文学でないならば、厳密に表現する必要があると思うわけです)。あと860年のノルマンによる略奪の記載を書いていないところなども気になるわけです。しかし、塩野氏の文章は、中世イタリア人側の史料に刻まれた「イスラム海賊の恐怖」をそのまま描いている、と理解すれば納得できるわけです。もしかしたら本当に中世キリスト教徒側の史料にルーニは2回廃墟となった、と書かれているのかも知れませんし、それが事実ではなくても、当時の史料作者自身がイスラム海賊の恐怖を宣伝するためにそのような文章を書いたのかも知れませんし。こういうところをきちんと本文や註で出典を示し、更に検証もしてくれれば、「物語」ではなく、「中世キリスト教徒にとっての現実」を描いた(イスラム側の言い分や検証を欠いている)歴史書として読めるのですが、、、、
 ちなみに、この前発見した学生時代の読書リストを見ていて、オスマン帝国に興味を持ったルーツは、塩野氏の『海の都の物語』なのではないか、という気がしています。当時の塩野氏はよかったのになあ、、、というのは記憶だけの話で事実は違うかも知れないので、そのうち『海の都・・』もざっと見返してみたいと思います。私の記憶によれば、塩野氏が極端な書き方をするようになったのは、確か本人が、『ローマ人の物語』の真ん中くらい(2000年頃?)に、「もうこの先のキャリアを気にする必要もない年齢になったので、いいたいことを書くようになりました」と書いたor発言した後あたりから、という記憶があり、ご本人がわかってやっているのであればいいのではないか。ただし私には合わない文章・内容になってしまったけど。と思うようになりました。塩野氏の文章に単純に酔っていられた頃はある意味幸せではありました。しかしこれは、塩野氏も変わったが、私も変わったor知識がついた、ということなのかも知れないので、できれば来年『海の都・・・』等昔読んだ塩野本を読み直してみたいと思っています。

※※2017/Feb/28追記 
 26年ぶりに中公文庫版『海の都の物語(下)』をぱらぱらとめくってみて、2分もたたないうちに、以下の記載が目に飛び込んできました。

「発端は、四世紀になされた、コンスタンティヌス大帝のキリスト教公認にまでさかのぼる。大帝がキリスト教を、ローマ帝国の国教とせずに、他の宗教と同格にして、公認だけしていれば問題は生じなかったのであった(p408)」

この文章は、

「「大帝キリスト教を、ローマ帝国の国教とせずに、他の宗教と同格にして、公認だけしてい」た。その後の諸帝も「公認だけしていれば問題は生じなかったのであった」」

と、「大帝が」を「大帝は」に修正し、「た。その後の諸帝も」を補足して分割すれば問題ない文章となります。しかし、普通に読めば、「公認だけしていれば」の主語は「大帝が」であり、コンスタンティヌス大帝は公認だけにとどめておかなかったから問題が生じた=国教化したのは大帝である、と読めるのではないでしょうか。

ローマ帝国がキリスト教を国教化したのは同じ四世紀のことで、歴史の大勢には影響しないささいな間違いですが、いつか『海の都の物語』全編読み直したいと思っていた気持ちはかなりしぼんでしまいました。ざっとめくって1分ちょっとでこれが見つかってしまうのですから、全部をじっくり読み直すと、『ローマ亡き後の地中海世界(上)』同様ひっかかるところばかりでてきて読み進められず、いちいち調べなくてはいられなくなり、いやな気持ちになるだけ、という可能性が高いように感じます。南川高志氏の気持ち(こちらで紹介しております)がようやくわかった気がします。私の中で、『海の都の物語』に別れを告げる日が来たようです(とはいえ、ヴェネツィア史入門としては、やはり今でも本書はお奨めだと思います。その気持ちは変わりません)。

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# by zae06141 | 2016-12-20 00:06 | その他歴史関係 | Comments(0)

自分史に関する記憶と史料

※宣伝 今月号の雑誌Penは古代エジプト特集[古代の美を探して、エジプト]で、よくあるムック本よりよくできてます。ナショナルジオグラフィックのような巻頭特集ではなく、全体の2/3が古代エジプト特集です。雑誌『ニュートラル』のような観光臭もなく、歴史と考古学に特化しています。700円でこの内容は買いだと思います。個人的に『Pen』は、美容院に置いてある、男性用ちょっと高価でおしゃれなモノマガジン、という印象があったのですが、今月号はどうしちゃったのだろう、という内容です。是非書店で見てみてください※

 最近書籍購入スペース確保のために、昔の書類を処分することが増えています。先日書類を処分していたら、中学時代から30代初頭にかけての読書・視聴映画リストが出てきました。これは貴重な自分史の資料なので処分はしないことにしました。リストを眺めていてまず思ったことは、「この資料は古代・中世の史料に似ているなあ」ということでした。どういうことかというと、

1.古代(高校・大学)

大学時代のリストがもっとも整然とまとまっていて、B5ノート1枚を4列に分割し、1行に1作タイトルが記載され、映画については視聴した月が、読書については年月日が記載され、更に映画については年間視聴本数集計や、視聴映画館毎の訪問回数、視聴方法(映画館/テレビ/ビデオ)、約80の映画館の採点表までついてます。中学・高校時代の記録は年度だけ記載されていて、年月日が記載されておらず資料としての有用性は少し落ちます。大学時代の記録はイメージ的には古代ローマ最盛期の同時代文献史料、中高校時代の記録はイタリア半島統一以前について記述した後世の史書史料という感じです。

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# by zae06141 | 2016-12-12 00:14 | 雑記 | Comments(0)

アンガス・マディソンのローマ帝国GDP算出方法を漢王朝にあてはめてみた

 アンガス・マディソンは、『Chinese Economic Performance in the Long Run 960-2030』(2007年)で、中国歴代王朝の一人上がり平均GDP(以下にGDPと称しているのは、アンガス氏が開発した"1990年ゲアリー・ケーミスドル”というもの)を、漢代紀元1年450ドル、960年450ドル、1000年を466ドル、1300年600ドル、明代1500年600ドル、1600年600ドル、清代1700年600ドル、1820年600ドルとしていて(1000年の数字のみ、フローニンゲン大学の氏のサイトのxls表から引用)、近代以前の中国史上一人当たりGDPが上昇したのは、宋代だけ、だとしています。しかし、『Chinese Economic Performance in the Long Run 960-2030』を読んでみても、宋代から元代における農工業などの技術革新の様子を描いた記載はあっても、なぜそれが、450→600という数字となったのか、についての数字的根拠の記載はありません。清代1820年の600という数字は近代の数字ですから比較的数値的根拠がありそうですが、宋代漢代がなぜ450なのか?

 昨年出版された『世界経済史概観―紀元1年-2030年』(岩波書店)に、ローマ帝国各地域別平均所得の算出方法が記載されていたことから、漢王朝に対しても適用して数字で遊んでみました。ご興味のある方はこちらをご参照ください

実はこの記事を書き始めたのは昨年11月頃のことなのですが、宇都宮清吉著『漢代社会経済史』(1955年)に登場する、都市化率30%という数字をどう処理しようかと悩んでいるうちに1年たってしまいました。1年ぶりに思い立って再度取り組んでみたところ、アンガス・マディソンが用いているローマ帝国の都市化率の根拠も大同小異だと思えるようになったので、取り合えず記事を完成させた次第です。

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# by zae06141 | 2016-12-02 00:08 | 古代中国関係 | Comments(0)

イラン製作ミステリー映画『予兆の森』(2013年)

 イランのミステリー小説や映画について語った文献やサイトをまだ発見できていないので、本作をミステリー映画と言い切ってよいのかどうか、という議論はあるかと思うのですが、現在本作以上によりミステリー映画と呼ぶことが可能なイラン映画を発見できていないため、本作を挙げることにしました。より正確にはミステリー的映画です。更に言えばスリラー映画です。イラン映画なのでグロい場面はありませんが、それでも本作はスリラーといってよいと思います。

 本作は、2014年の福岡国際映画祭で上映されており、日本語感想もいくつかネットにあがっていますが、日本語dvdは発売されていないため、内容についてあまり知られておらず、更にこれをスリラー映画と評しているものが見つからなかったので、この記事を書くことにしました。


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# by zae06141 | 2016-11-25 00:14 | 北米西欧日以外のミステリー映画 | Comments(0)

イラン製作ミステリー的映画『火祭り』(2006年)

 本作は、2012年の福岡国際映画祭で『火祭り』の題名で上映されています(『火祭り』又は『花火の水曜日』,イラン映画,で検索すると出て来ます)。

 イランのミステリー小説や映画を紹介している文献やサイトを調べたわけではありませんが、イランではミステリー小説や映画は殆どないようです。しかし、IMDbでミステリー映画の検索をかけると、評点上位のミステリー作品に、アスガル・ファルハーディー監督作品がヒットします。『彼女が消えた浜辺 [DVD]』、(2009年)『別離 [DVD]』(2011年)、『ある過去の行方 [Blu-ray]』(2013年)は日本でもdvdの入手は容易です。ファルハーディー監督は、手法としてミステリー的演出を採用しているだけで、これらの作品は厳密にはミステリー映画ではなく、『火祭り』も同様なのですが、『火祭り』については、ネットで作品紹介されていても、ミステリー映画として紹介している記事は無さそうなので、本記事では、ミステリーの観点から紹介することにした次第です。



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# by zae06141 | 2016-11-15 00:11 | 北米西欧日以外のミステリー映画 | Comments(0)

後期パルティア関連論説:南部玲生氏『後期アルサケス朝の帝国統治』と桑山由文氏『2世紀ローマ帝国の東方支配』

 今年3月頃ですが、昨年12月の『北大史学』55号22-42頁に掲載された南部玲生氏『後期アルサケス朝の帝国統治』と西洋古代史研究』2004年号に掲載された桑山由文氏『2世紀ローマ帝国の東方支配』を読みました。

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# by zae06141 | 2016-11-05 00:07 | 古代イラン関係 | Comments(0)

セウェルス凱旋門に描かれたパルティアの都クテシフォンの概観

※10/26(水)~ トルコの歴史ドラマ『エルトゥールル』第三部放映開始 第二部以上にビザンツが登場しそうです。

 同時代に限らず後世含め、史料が殆どなく、遺跡すら殆ど定かではないパルティア・サーサーン朝時代の都クテシフォン。サーサーン朝時代の一部の遺構は少し発掘・調査されているものの、概観については殆どわからず、パルティア時代となると、まったくといっていいほど史料が無い幻の都。パルティアもサーサーン朝の都市は、ローマ都市のようにある程度の統一的な規格が見られる都市と違い、遺跡を見る限り、地方により結構多様です。パルティア時代のメソポタミア都市遺跡として有名な世界遺産ハトラ遺跡がありますが、ハトラのイメージをそのままクテシフォンに適用し難いところがあります。ローマについても、ローマやコンスタンティノープルの概観を地方都市から類推することは難しいものがあり、首都の景観は独特のものがあります。そういうわけで、まったく大した内容ではないのですが、少なくともクテシフォンに遠征したセウェルス帝が作らせた凱旋門のレリーフに登場するクテシフォンの概観は貴重なものがあります。

 


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# by zae06141 | 2016-10-26 00:34 | 古代イラン関係 | Comments(0)