古代世界の午後雑記


「古代世界の午後」更新履歴と雑記
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アッバース朝と唐・宋・元・清の財政規模

ビザンツやオスマン朝、イル汗国やファーティマ朝の財政規模について、各々比較しても整合性の ある数字が取れ、どうしても唐とアッバース朝の財政規模を比較してみたくなり、推計してみました。あまりきれいなロジックにはな らなかったのが残念ですが、一応整合性のある数値を得ることができました。ご興味のある方はこちらをご覧ください

これで、主要な大国の財政規模の記事が大体出揃った感じです。労働者の年収100万、食費30万と仮定して計算しています。

■ローマと漢については、こちらに記事があります
■ビザンツとオスマン朝と明についてはこちらに記事があります。 

ビザンツと同時代の北宋についても、簡単に計算してみました。財政収入が1614億文、1石(66リットル)=1500文、一人年間9石消費するとして13500文を30万円すると、一文22.22円となり、円換算額で3兆5866億円となります。

■マムルーク朝、イル汗国、サファヴィー朝についてはこちらに記事があります

マムルーク朝・イル汗国と同時代の元について簡単に計算してみました。財政収入額6053億文、一石(94リットル)=5000文、一人年間5石消費するとして25000文を30万円とすると、1文12円となり、2兆4212億円となります。だいたい漢王朝と同じくらいです。元の人口はだいたい6000万人で、漢王朝と同じくらいなので、財政規模が同じになるのは、ありそうな話ですが、元朝の場合、歳入のうち5378億文(88.8%)が商税である点に大きな特徴がります。漢朝の場合は、163億銭のうち商税は38億銭で、23.3%ですから、税体系に大きな違いがあるのにも関わらず、だいたい同じ総歳入額になる点には興味深いものがあります。

■清と英国
 アヘン戦争時の英国と清ではどうなのか、これも簡単に計算してみました。



1842年頃の歳入3714万両。この前後の年の米価は一石2.26両。更にこの年の銀一両は1572文なので、2.26両=3553文。年間食料5石として、17765文=30万円とすると、1文=16.9円。賃金の面からみると、乾隆年間の日当140-200文。年間労働日数300日とすると6万文。これを100万とすると、1文16.67円でほぼ同一となる。3714万両は、9866億9095万円となる。

 地租と人頭税は、盛世滋生人丁として2462万人に固定している(残りは商税)ので、歴代王朝と比べても、財政規模はだいたいあっていることになります。清朝は小さい政府だったといえそうです。

英国

 1841年頃の年収はどのくらいになるのかも調べて見ました。1841年の英国の歳入は5300万ポンドで、うち3200万ポンドが借入金、その多くは国債です。これは、どのくらいの財政規模なのでしょうか。
 Henry Phelps Brown, Sheila V. Hopkinsの1981年の著書『A Perspective of Wages and Prices 』のp2にある13世紀から20世紀の英国賃金物価グラフ、及びp12にあるそのデータ表によると1841年頃の一日の労働者の賃金は32ペンスとなっています(Googlebooksでp13の物価表を見ることができます)。

 年間300日働くとして40ポンドになり、100万円を40ポンドとすると、1ポンド2.5万円です。すると、5300万ポンドは、1兆3250億円となり、清朝財政を上回ります。英国の純歳入は2100万ポンドで、約5250億円となり、清朝の約半分です。純収入だけでは到底財政的には及ばないところだったといえそうです。借入金含めると清朝の歳入を上回るわけですから、民間や外国の経済力を吸収する国債という技術は、非常に重大であったといえそうです。当時の英国が清朝に戦争をしかけたのは無謀ではなかったといえそうです。

 なお、この頃の英国の人口は2700万人程度で、清朝の納税者人数の2462万人を上回っていますが、近い数字です。対する中国の人口はこの頃4億1000万人。清朝の商税割合は約20%ですから、地租と人頭税2462万人分で、当時の英国に対抗するのは財政的に無理があったといえそうです。
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by zae06141 | 2015-02-26 00:12 | その他歴史関係 | Comments(0)

ウマイヤ朝・アッバース朝時代のエジプトの人口推計

 ウマイヤ朝・アッバース朝時代のエジプトの人口を推計してみました。ご興味のある方はこちらをご覧ください

 この推計を行なった本来動機は二つあります。ひとつは、以前ローマ時代のエジプト人口推計を行なったので、その続きであるイスラーム時代の人口を知りたくなったためです。もう一つの動機は、パルティア・サーサーン朝の人口を推計するためです。パルティア・サーサーン朝の人口は、直接数字を示す史料がまったく残っていないことから、ローマ時代・イスラーム時代のエジプトの人口推計を手がかりの一つとして、人口推計を行うことになるのです。パルティア・サーサーン朝の人口推計については、来月くらいの記事の完成を予定しています。
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by zae06141 | 2015-02-16 00:33 | その他歴史関係 | Comments(0)

ファーティマ朝・マムルーク朝・セルジューク朝・イル汗国・サファヴィー朝の財政規模

 前回に続き、今回の過去の王朝の財政規模の話です。今回は、中世の西アジア、ファーティマ朝・マムルーク朝・セルジューク朝・イル汗国・サファヴィー朝の財政規模の数値と推計です。ご興味のある方はこちらを参照ください


 日本語資料があまりない、と思っていたファーティマ朝、探してみるとひととおりあることがわかりました。それら既存資料をまとめると、うまく一冊のファーティマ朝本が成立しそうです。私が妄想しているのは以下のような内容です。

第一部 ファーティマ朝
 【1】概要  ファーティマ朝国家論 莵原 卓 文明研究29号2010年 21頁
 【2】ファーティマ朝通史
 エジプトにおけるファーティマ朝後半期のワズィール職 莵原卓 史林 61巻6号(1998年11月) 31頁
 エジプトにおけるファーティマ朝後半期のワズィール職 莵原卓 東洋史研究41巻2号(1977年9月) 32頁
 【3】ファーティマ朝国家体制
  ファーティマ朝のディーワーン 莵原卓 西南アジア研究42号1995年 19頁
  ファーティマ朝のディーワーン2 莵原卓  東海大学紀要64号1995 21頁
 【4】 カリフ・ハーキム伝
  「Caliph of Cairo: Al-Hakim Bi-Amr Allah, 996-1021」掲載のマクリーズィー記載の異色のカリフ・ハーキム伝 英文で約40頁。これを翻訳して掲載
 
第二部 フスタート
  エジプトイスラーム都市アル・フスタート 出光美術館三鷹分館 1980年 (中近東文化センター研究会報告)  128頁
  【1】アル・フスタートの発掘報告 桜井清彦
  【2】フスタートの建設とアラブ支配 川床睦夫
  【3】エジプトの伝統的市場(スーク) 三木亘
  【4】東西交渉上のフスタート 家島彦一
  【5】陶磁の道 三木次男

第三部 同時代の旅行記に描かれたファーティマ朝
  【1】「ナースィレ・フスラウの旅行記訳注」 森本一夫監訳、長峯博之解題、北海道大学ペルシア語史料研究会訳 の解題 5頁
  【2】『回想録』ウサーマ・ブヌ・ムンキズ 藤本勝次他訳注 関西大学東西学術研究所 1987年 から解説(頁数不明)
  【3】イブン・ジュバイルの旅行記 (講談社学術文庫)  藤本勝次・池田修監訳 前書きと後書き計13頁

 これらを改稿して合計60頁くらいにまとめる。

合計 約360頁


 一部新規翻訳と改稿が必要そうな部分もありますが、基本、既存の論説・論文をそのまま編集することで、ファーティマ朝本が成立します。

360頁ではもの足りない感じもしますので、その場合は、

ファーティマ朝時代の書記の分類と職掌 莵原卓 東海大学紀要78号 2002年 11頁
ファーティマ朝前半期の書記規範 莵原卓 西南アジア研究 52号2000年 19頁
ファーティマ朝貴顕の商業活動 菟原卓 東海大学紀要69号1998年9月 11頁
「ジャウザルの伝記」にみる初期ファーティマ朝宮廷の内情 菟原卓 オリエント31巻2号1988年 16頁

などを加えれば、410頁くらいになります。ファーティマ朝は、本格的なシーア派初の政権、アッバース朝に対抗してカリフを名乗った最初の政権、異色の君主ハーキム、カイロを建設し後の時代に「エジプト」意識をもたらした政権、メッカとメディナを勢力下に置き、一時はバグダッドも占領、十字軍の到来など多くの特徴を持ち、イランのサファヴィー朝と並ぶ異色の政権であり、日本の学術団が首都フスタートの遺跡を発掘していたりと、様々な話題のある政権なので、是非是非こういう書籍が出て欲しい~と妄想し続ける毎日なのでした。

関連記事 ファーティマ朝:歴史と史料書籍「Exploring an Islamic Empire: Fatimid History and Its Source」
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by zae06141 | 2015-02-06 00:24 | その他歴史関係 | Comments(0)