古代世界の午後雑記


「古代世界の午後」更新履歴と雑記
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モンゴル帝国展:「マルコ・ポーロが見たユーラシア-『東方見聞録』の世界- 」展

 上野の各美術館や池袋のオリエント博物館は定期的にチェックしており、宣伝に力を入れている展示会は広告を目にすることが多いので、興味のあるテーマの展示会情報は概ね開催前に把握できていることが多いのですが、それ以外の展示会の場合、情報を察知した時は既に終了していることが殆どです。横浜ユーラシア文化館で開催されていた『横浜ユーラシア文化館 開館10周年記念 特別展「マルコ・ポーロが見たユーラシア-『東方見聞録』の世界- 」(2013/4/27-6/30開催)』の場合、5月末頃ネットで訪問者の感想を目にした時は、既に終了しているのだと思い込んでいました。まだ開催されていると知ったのは、最終日の4日前。ぎりぎり最終日の前日に行って来ることが出来ました。

 今後各地で巡業開催されるものではないようなので、今更感想を書いても意味が無いような気がしていたのですが、展示会カタログは通販で入手可能ですので、展示会カタログの宣伝を主体に展示会の感想を記載したいと思います。

 
 まず、展示は、一言で言えば、全モンゴル帝国の展示です。マルコポーロの足跡を追うという切り口の展示会なので、モンゴル高原や元朝だけではなく、キプチャク汗国・イル汗国・チャガタイ汗国含めたモンゴル帝国全体の展示となっている点が特徴的でした。日本国内の諸機関が所有している遺物や史料を集めるだけで、モンゴル帝国全体の展示が成り立ってしまうところに驚かされました。展示カタログは、モンゴル帝国史料写真集という意味でも有用かと思います。価格は1450円、送料は290円です。掲載されている遺物の数を数えたわけではありませんが、展示会ではNo196くらいまでの札があった記憶がありますので、約200の史料の写真が掲載されていることになるかと思います。

 出光博物館、天理大学や龍谷大学、宮内庁、国立公文書館、福岡県の博物館あたりの出品は予想していましたが、陶器機器メーカーのINAXがイル汗国時代のイランの陶器の遺物を所有していることや、日銀の貨幣博物館が元朝時代の各種貨幣を所有していることには驚きました(特に銀錠は実物を見てみたかったので感激!)。また、存在自体を今回初めて知った愛知県立大学の古代文字資料館が、貨幣にも文字が刻まれているということで、イル汗国やチャガタイ汗国、天山ウイグル王国・元朝の貨幣のみならず、中央アジアのブハラで発行されたと思われる唐開元通宝の模鋳銭というレアなものまで収蔵しているのには驚かされました(今回展示されていた貨幣や印鑑は、概ね古代文字資料館のパスパ文字のページに掲載されているもののようです)。

 龍谷大学からも多くが出品されていました。龍谷大学というと仏教関連の遺物だけかと思っていたのですが、ウイグル語の書かれたマニ教経典や天山ウイグル王国の行政命令文書、ネストリウス派キリスト教のシリア文字が書かれた遺物など、モンゴル帝国の多面な側面を表す遺物が出品されていました。

 国立公文書館や宮内庁が所有している元代の刊本にも驚きでした。700年も前の書籍なのに、普通の書籍として残っているのが凄い。以前東京国立博物館で目にした8世紀の仏教経典である称讃浄土仏摂受経が(巻子本)最近のものかと見まごう程のクオリティで残っているのに比べれば、700年前の書籍はたいしたことが無いのかも知れませんが、興味深いものがありました。明代の刊本も何冊か展示されていましたが、明代となると珍しくも無い感じ。井上進氏が「中国出版文化史」の冒頭で、米国の大学が、収蔵しているインキュナブラ(15世紀欧州の印刷本)をうやうやしく展示していたものを、見学していた中国人がぼそっと「要は明本だろう?」とつぶやいた、というエピソードを紹介していたのを思い出してしまいました(インキュナブラは国立国会図書館も15点所有していて、国立国会図書館のサイトにインキュナブラのサイトが立っています)。とはいえ、今回インキュナブラも(確か)実物が一点展示されていたし、明本である永楽大全も展示されていて、意外にサイズが大きい(縦50cm、横30cm)ことを知りました。やはり実見すると色々なことがわかります。

 実は、本展示会は、実物ではなく、複製や写真の展示品も多い内容となっていました。特別展(3階)だけではなく、通常展示(2階と4階)含めての入場料が300円という価格なので、全展示品についてオリジナルをそろえることは難しいのだと思います。ただし、複製や写真の展示であっても、オリジナルのサイズで展示されているので、実物では無いとはいえ、参考になりました。例えば、16世紀ベルギーの地図製作業者オルテリウスの地図の複製は、A3より少し大きい程度。たまたま最近ネット上でオステリウスの地図を調べていたのですが、PC上でA3サイズ以上に拡大しても読みにくい程の、異様に細かい文字でびっしり地名が記載されているので、もっと大きなサイズだと思い込んでいたのですが、思いがけなく本展示会でオステリウス地図の複製が展示されていて、サイズを認識できました。逆に、1402年の中国地図である「混一疆理歴代国都之図」は、もっと小さいもの(掛け軸程度で縦横5,60cm程度)だと思い込んでいたのですが、150cm x 163cm と大迫力であることがわかりました。

 展示カタログで残念な点が幾つかあります。

 一つ目は、サイズが記載されていないものが多い点。記憶が曖昧でサイズが思い出せないものもあるので、この点残念です。こうだと知っていれば、最初にカタログを購入してから、サイズを記入しながら見学すればよかった。

 二つ目は、オリジナルが展示されていたものと、複製や写真で展示されていたものの区別がつかないこと。展示を見ていない方が、史料写真集として利用する分にはこの点は問題にならないのですが、展示見学者にとっては、メモでも取っていないことには、実物を見たのか、複製を見たのか、記憶が曖昧になってしまいます。

 三点目は、展示カタログに載っていない展示品のリストが不十分な点。期間中、数度にわたり、数点毎展示品が変更されていて、A4一枚ものの入れ替え品一覧表が展示会で配布されていたのですが、私の記憶では、カタログにも、展示替え一覧表にも掲載されていない展示品がある点(例えば、「混一疆理歴代国都之図」の横に比較の為に展示されていた、1136年の石碑版の中国地図「華夷図」の拓本や、グユク汗がローマ教皇に送った親書の実物大写真)。

 四点目は、展示一覧表が掲載されていない点(展示品一覧表はネットでも公開されていないようです)。


 今回失敗したのは、展示品一覧リストが展示会に無いことに気づいたものの、ネットでの公開有無を確認しないで帰宅してしまった点。帰宅後一覧表が公開されていないことを知り、仕方が無いので展示会カタログを通販で購入し、届いたカタログを見て、そのカタログにも展示替え一覧にも載っていない展示があることに気づいた次第。破格の入場料を考えれば仕方が無いのですが、こういうことなのであれば、展示会でカタログを購入し、カタログ掲載されていない情報のメモを取りながら見学すればよかった。今後は気をつけようと反省。


 その他、元寇の遺物の展示(砲弾や船の碇や船のバランサー)、マルコポーロが欧州への帰路で通過した当時の東南アジアやインド、ペルシア湾に関する資料の展示(ペルシア湾で取れる真珠や、真珠の養殖に関する展示など従来あまりなかったような視点の展示など)がありました。マルコポーロの以後の時代の欧州・中国の地図による、世界認識の変遷を追った展示、東方見聞録に登場する内容に関連する記述がある中国やイランの史書や史料に関する展示などが印象に残りました。
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by zae06141 | 2013-07-25 00:17 | その他歴史関係 | Comments(0)

ジャン・シャルダン「ペルシア紀行」と「ペルシア見聞録」の違い

 17世紀後半にサファヴィー朝ペルシアへ交易の旅に出て、詳細な記録を残したフランス人ジャン・シャルダン(1643-1713年)の著作の邦訳は日本でも4冊出版されています。

『シャルダン ペルシア紀行』(羽田正・佐々木康之共訳注、岩波書店〈1993年) 
『ペルシア見聞記』(岡田直次訳注、平凡社東洋文庫、1997年)
ペルシア王 スレイマーンの戴冠』(岡田直次訳注、平凡社東洋文庫、2006年)
『シャルダン「イスファハーン誌」研究―17世紀イスラム圏都市の肖像』(羽田正ほか編訳著、東京大学出版会 1996年)

 しかし、「ペルシア紀行」「ペルシア見聞録」という似たような邦題となっていて、同じ内容の異なる翻訳なのか、違う内容なのか、わかりにくいように思えます。『「イスファハーン誌」研究』も、研究書でありながら、シャルダン著作の翻訳を含んでいるとのことです。では、この『イスファハーン誌』は、『ペルシア紀行』『ペルシア見聞録』に含まれるのか、独立した著作なのか、こういった点がわかりにくく、各邦訳の内容の重複の有無や、シャルダン著作の全体像といった情報が、ネットで簡単に把握できないようなので、少し調べて整理してみました。シャルダンの全著作が収録されている全集の目次と邦訳本との関連などをこちら(ジャン・シャルダン著作目次一覧表と邦訳)にまとめてみました。


 当初、邦訳著作の内容を把握するため、各邦訳本のあとがきや解説だけを読みに図書館へ行ったのですが、「ペルシア王スレイマーンの戴冠」の冒頭を少し読み始めたところ、非常に読みやすく、興味深い内容に止まらなくなり、一気に読んでしまい、「ペルシア王スレイマーンの戴冠」程の面白さは無かったものの、閉館までに「ペルシア見聞記」も読み終えてしまいました。更に「ペルシア紀行」と「シャルダン「イスファハーン誌」研究」もざっとめくってみて、これらの4冊全てのあとがきを読んでだのですが、彼が行なった旅程や著作の内容が余計にわからない部分も出てきてしまい、結局、羽田正氏の「冒険商人シャルダン」(講談社学術文庫)を借りて帰りました。

 「冒険商人シャルダン」は、シャルダンの伝記であるとともに、シャルダン研究の現状や著作解説ともなっていて、混乱していたことが次々に氷解してゆき、非常に参考になりました。この本は、シャルダンに関する情報の混乱を踏まえて執筆されたとさえ思える内容となっています。シャルダンの邦訳本は、題名が間際らしいことから、当初の私のように同本異翻訳本だとの誤解をしている人も少なからずいるのではないでしょうか。そうして、読者の獲得にマイナスとなっている可能性もあるのではないでしょうか。本書はそうした混乱にかなりすっきりと答えてくれる内容となっているものと思います。本書を読んでいくつか腑に落ちた点を列挙してみたいと思います。

 まず、シャルダンという人は、10巻本の全集が出版されている程大部の著作を執筆しているのにも関わらず、自伝を残していないので、彼の生涯についてはわからないことが多いそうです。二度のペルシア旅行の旅程さえはっきりしていないとのこと。二度目のペルシア旅行の往路についてはその生涯で何度も改稿するほど念入りな旅行記を残しているのに、復路と一度目の旅行についてはまとまった文章を残していないため、後年研究者が手紙の発信地や、著作の記載内容から旅程を復元しているそうです。しかも、約70年の生涯のうち、ペルシア旅行に関係した部分は36歳までの15年間だけなので、後半生についても、書簡や他人の日記、東インド会社の公文書等をはじめとする様々な文献などから復元する必要があるとのこと。

 後半生では、ペルシアではなく、インド貿易に注力していて、シャルダン自身は二度と欧州を出ることはなく、英国に移住し、弟のダニエルをインドへ送り込んで貿易事業を行なっていたそうです。サファヴィー朝やシャルダン研究者であった羽田正氏が、講談社興亡の世界史「東インド会社とアジアの海」(2007年)で東インド会社についての著作を出した経緯が漸く理解できました。1685年にフランス王ルイ14世が信教の自由を認めていたナントの勅令を廃止してプロテスタントを迫害したのですが、1680年にペルシアから帰国したシャルダンはカルヴァン派のプロテスタントだった為、英国に移住して英国東インド会社の株主となり、貿易事業を行なったとのことです。弟のダニエルは1698-1707年の間、マドラス市長だったとのこと。イギリスがインドで勢力を持つ前の話とはいえちょっと驚きです。

 シャルダン全集は英語の全訳も出ていないようで、全巻の目次情報もネット上で見つけることができなかったのですが、現在シャルダンを深く研究している人は、世界に二人くらいしかいないらしく、羽田氏はそのうちの一人とのこと。しかも、羽田氏自身、1996年頃までもうひとりの存在を知らなかったそうで、シャルダンの伝記本も、当初は英語版も出版する予定だったそうなのですが、1998年に、ベルギー人研究者のファン・デア・クリュイス(Dirk van der Cruysse)氏が「Chardin le Persan」というシャルダン伝記本(フランス語)を出版してしまったので、英語版の出版を取りやめたとのこと。日本では15年以上前から羽田氏のシャルダン本を本屋で目にいたし、2000年代に入り翻訳本が次々と出版されたので、日本語以上の英語情報があるかと思っていたのですが、どうやらシャルダン情報は、フランス語の次に多いのは日本語情報のようであるということがわかりました。


 羽田氏が英国ケンブリッジ大学図書館でシャルダン文書の存在を知り、興奮のあまり図書館を飛び出して旅行代理店に向かい、数日後にはイェール大学で書簡集の調査に至ったくだりは(第四章冒頭)、研究者という人の感動・衝撃・喜びの深さが率直に伝わってきます。この部分で羽田氏は、現在減少しつつある開架式図書館の利点について、「閉架式図書館は自分の知らない文献は知らないままで終わってしまう」が、開架式図書館は「関連する書棚を眺めていて偶然自分が知らなかった重要な文献を「発見」する」ことが多い実りの多い利用が可能だと述べておられます。このくだりは、国会図書館 vs 都立図書館、Amazon vs 書店 の利点の相違にも通じるところがあり、印象に残りました。

 また、本書記載の時点(1999年)では、イェール大学のシャルダン文書は、幾つかの箱に分けて数十冊のファイルに収められていて、文書に通し番号さえ振られていない状況だったようで、本書に引用されている各文書は、「箱X、ファイルY」のように出典が記されていて、文書の総点数さえ不明だったとのこと(本書p242には1000点近いとある)。これに対して、講談社学術文庫版(2010年)のあとがきでは、文書の整理作業が進み、総点数は708点だと判明し、東京大学の羽田氏の研究室の「イェール大学シャルダン文書の研究」サイトで全ての文書に通し番号が振られた一覧表が公開されているとの記載があります。その後の研究の展開の一端を知ることができた点も印象に残りました。

 羽田氏自身の研究姿勢や研究経験や活動が随所に見て取れるところも、『冒険商人シャルダン』が単なる伝記以上に面白く読める要因のひとつであるかと思う次第です。

『ペルシア王スレイマーンの戴冠』の感想はこちら
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by zae06141 | 2013-07-16 00:12 | その他歴史関係 | Comments(0)