古代世界の午後雑記


「古代世界の午後」更新履歴と雑記
by Solaris1
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卑弥呼の発音はやはりピミコ?

昨夜のNHKの日本語に関する番組「みんなでニホンGO!」では、現在の日本語の「ハヒフヘホ」は、古代では「パピプペポ」であり、平安期になって「ファフィフフェフォ」となった、との話をやっていた。根拠は、言語学者の金田一京助だったか金田一春彦氏だったかが作成した、「万葉時代の発音で読む万葉集」「平安時代の発音で読む枕草子」の録音資料や、一般に、言語は辺境地帯ほど、古音が保存されるという学説により、現在の石垣島で、標準語でのハ行音がパ行音とされる単語が多い、など。「春過ぎて」で始まる持統天皇の短歌を「パル過ぎて」、「春はあけぼの」で始まる枕草子を「ファルはあけぼの」と音読する資料は興味深いものがありました。

 そこで思い出さされるのが、唐朝に亡命したサーサーン朝の最後の王ヤズダギルドの子、ペーローズが、唐書では、「卑路斯」と記載されている件。無論唐書が書かれた時代(五代、宋)と魏志倭人伝の書かれた3世紀後半とは開きがあり、ペーローズも、近世ペルシア語ではフィールーズと音価が変化しているので、卑弥呼も、フィミコであった可能性もあります。ひとつ共通しているのは、ペーローズからフィールーズへの、P音からPh/F音への変化が、推測される万葉時代から平安期日本語の変化と共通している点。

 卑弥呼の発音はがピミコ、或いはフィミコという説は従来からあるようですが、ペーローズの発音との共通点を考えると、やはりピミコかフィミコに近く、少なくとも「ヒミコ」ではなかったのではないかと思えてきてしまいます。

 とはいえ、唐代に成立した「魏書」で、ペルシアは「波斯」と書かれ、これはファールスの音写とされているが、「ファールス」は近世ペルシア語発音で、中世ペルシア語では「パールス」。唐代に成立した「魏書」が、「Ph/F」音の「ファ」で、五代・宋代に成立した唐書の方が、Ph/Fではなく、P音を使って、ペーローズを「卑」としていたというのは矛盾することになってしまうので、このあたり、どうなのでしょうね。

なお、youtubeに、源氏物語を当時の発音で読んでいる映像があがっています(朗読 源氏物語(Tale of Genji) 若紫1 平安朝日本語復元による試み)。
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by zae06141 | 2010-04-23 23:58 | その他歴史関係 | Comments(2)

東京国立博物館・平成館の古墳時代の展示物

海外では多数の博物館を訪れているのですが、日本では、博物館の常設展示というのは修学旅行以外、殆ど見にいった経験がありません。基本的には企画ものの特別展だけ。そんなこともあって、少し以前、丁度土偶展が開催されている頃ですが、東京国立博物館に行ってきました。
 実は、日本の博物館には偏見があって、数種類の貴重な展示物が、がらんとした広間に、いかにも、稀少な貴重品とばかり置かれている、というイメージがありました。このイメージが覆されたのは、海外の博物館を見たときでした。日本で開催される特別展などや、美術書や歴史書などでは、1点モノの貴重品のように展示・掲載されている遺物が、無造作に、大量にそのへんにころがっている状況に衝撃を受けました。そこではじめて、「層の厚さのあってこその文明」ということを考えるようになりました。1点、2点の遺物だけでは、「文明」とか、社会像を描いたりとか、歴史学の学説を成り立たせる程のものとは言えない、大量にあってこそ、学説史を書き換えたり、社会像を描くことができるようになるのだ、と思うようになりました。

 さて、東京国立博物館の土偶展は、まさに「大量感」の味わえる展示でした。有名な、眼鏡をかけたような「遮光器土偶」なんて、1,2点しか無い特殊なものかと思っていたら、ぜんぜんそんなことは無い、ということを知りました。今回の土偶展で少し不満だったのは、展示されている土偶を集めた範囲が、東日本だけ、ということで、展示されている出土地一覧の地図も、東日本だけ。土偶が「日本全土から出土されている」という点を誤解してしまうようなところがありました。この点以外は、遮光器土偶以外にも多くのユニークな形の土偶があることがわかり、「遺物の大量性による文明」というものを実感できる展示でした。

 一方、、東京国立博物館の本館の常設展示は、私の従来の「日本の博物館」というものへの先入観そのまま。まあ展示の内容が、「宝物」ということなので当然なのかも知れませんが、中世の鎧や刀などがちらほら展示されているだけ(鎌倉時代の鎧が残っている点は収穫でしたが)。

 一方、1999年に開館した平成館の考古学展示には驚かされました。土器、銅鏡、古墳時代の鎧、埴輪、奈良時代の瓦などが「大量展示」されていました。
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5世紀の鎧が残っているとは思いもよりませんでした。しかもひとつではなく、各地から出土された鎧が4つも展示されていました。とはいえ軍事用ではなく、儀式用だったとの説もあるようですが。同様に馬の甲冑も展示されており、こちらも儀式用だったとの説があるようですが、同時代の中国華北の重装騎兵の馬甲と同じ形なのには驚きです。かなり密接な交流があったということなのでしょうね(中国華北の重装騎兵の壁画はこちら中国遼寧省博物館の重装騎兵の図解についてはこちら)。
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また、中国との交流という点では、中国華南の、古代百越族の風習にも似た刺青が、いくつかの埴輪に描かれている点にも興味をそそられました。
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 また、交流は中国だけではなく、古墳時代の朝鮮半島の密接な交流も、改めて認識させられました。「ローマ文化王国‐新羅」という書籍では、新羅の墳墓から、ローマングラスや、金細工の王冠などが、こちらも、大量とは言わないまでも、1,2点ではなく、かなりの数が出土している点が描かれ、実は本書の中身を見るまでは、1、2点の珍品の出土を大袈裟に、センセーショナルな題名でアピールしただけの書籍なのだと思っていましたが、書籍の内容を見てみて、そうではないことを知りました。そうして、「ローマ文化王国‐新羅」で紹介されているような、ローマングラスや王冠が、日本の古墳からも出土していることを、平成館の展示で知りました。下記の王冠なんかは、韓国ドラマ「善徳女王」に登場している王冠にも似ています。
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さらに、「ローマ文化王国‐新羅」では、馬甲の記載もあり、新羅の王冠、兵士の甲冑、馬甲、ローマングラス(正倉院にある奈良時代のペルシアグラスではない)など、当時の日本は半島の文化圏とも強いつながりがあったことがわかります。
 当時から、日本は、中国華北、華南、朝鮮半島と、多様な地域の文化の影響を受けた地域だったことが、改めて認識することができた展示でした。

 平成館の展示は、一部を除いて撮影が可能でしたので、サイト「古代世界の午後」の方に掲載しておきましたので、ご興味のある方はご参照ください。

 なお、平成館の展示は、古墳時代以降の展示もあり、国分寺の瓦が、これもやはり沢山展示され、さらに、国分寺の、当時製作された石造の塔の模型が発掘されているのには驚きました。かなり進んだ建築物が奈良には現存しているとはいえ、当時の東京の武蔵国という辺境地帯でさえ、立派な建築があったことが、この石造の塔から見て取ることができます。また、平成館ではなく、法隆寺館の方ですが、当時の経文の現物が展示されており、その紙が、想像していた以上に立派な、現代での売っていそうなきれいな紙であることにも衝撃を受けました(石塔と経文の写真はこちら)。もっとざらざらした、品質の悪い和紙を想像していたのですが、当時の技術に驚かされました。このように、私にとっては、東京国立博物館の展示は、既成の認識にいくつも打撃を与えてくれた、有益な展示となりました。

 ところで、先週NHKで放映した「大仏開眼」に登場していた武士の鎧兜については、遺物が残っているのでしょうか?こちらについては、東京国立博物館の展示にも無かったので、改めて興味を持ちました。ひょっとしたら、日本の歴史博物館である、国立民族博物館にでも遺物か、画が展示されているのかも知れませんね。国立民族博物館もまだ行ったことが無いので、いづれいってみたいと楽しみになってきました。
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by zae06141 | 2010-04-15 20:56 | 古代中国関係 | Comments(0)