古代世界の午後雑記


「古代世界の午後」更新履歴と雑記
by Solaris1
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ブログのロゴ画像

 いつまでもデフォルトでは味気ないのでブログの左上のロゴ画像を入れてみました。
 1996年夏に中世ハンガリーの都エステルゴムを旅行した時に目にした、教会のライトアップに照らされた十字架の影が、空の雲に映っている、というものです(一応サイトの方に他の写真と説明を掲載しています)。
 いままであちこち旅行しましたが、もっとも印象に残っているもののひとつです。
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by zae06141 | 2010-02-24 22:32 | このブログについて | Comments(0)

国立国会図書館アジア情報室記事紹介:ブーラーク印刷所の歴史と各国図書館事情

 このところ千一夜物語や「カリーラとディムナ」などアラビア文学の情報を調べていたら、「カルカッタ版」、「ブーラーク版」などの言葉を目にするようになり、少し調べてみたところ、ブーラークとは19世紀初頭にカイロに開設された印刷所のことであり、それに関する有用な紹介記事が、国立国会図書館のサイトにありました。

 「アラビア文字活字印刷の普及とムハンマド・アリー時代のブーラーク印刷所」

 この記事によると、アラビア文字の印刷は西欧において開始され、それらがオスマン朝に輸入されたものの、イスラーム世界の印刷業の開始が遅れたのは、主に2つの理由とされています。
 
1.知識は師弟相伝の記憶によって伝えられるべきもの
2.欧州印刷の活字では、美しいアラビア文字の書体を表現できなかった

 さらに、髙松洋一氏の「オスマン朝における活版印刷の導入 - イブラヒム・ミュテフェッリカの印刷所開設(1727) を中心として」という論考では、「1485 年にはすでに、オスマン朝においてムスリムがアラビア文字によって印刷を行なうことは、勅令により禁じられていた」とされています。印刷本による知識の普及が近代西欧飛躍のもっとも重要な要因のひとつであることを考えると、このようなオスマン政府の措置は自らの可能性を閉ざしてしまったものとして非常に残念です。とはいえ、同論考によると、そのオスマン朝でも、欧州製作のアラビア文字の印刷本の輸入は行われており、イスタンブールでは、アラビア文字を利用しない、非ムスリムのトルコ語やペルシア語文献の印刷は行われていたそうですから、もう少しアラビア学芸最盛期の書籍の現存になどが行われていてもよさそうにも思えるのですが、そこまで裾野は広くなかったのでしょうね。

 一方、紙がサーサーン朝時代に中国から輸入されるようになり、紙の製造技術がアッバース朝時代に伝わったイスラーム世界に、同様に中国から印刷術が伝わらなかったのだろうかとの疑問があります。この点については、箕輪成男氏の「紙と羊皮紙・写本の社会史(p155)」に、エジプトのエルハイユムという場所で発見された、900-1350年頃に比定されるパピルスには、印刷されたアラビア文字が記載されているとのこと。同書でも、印刷術が広まらなかったのは、文字の美観にあるとされています。中国から伝わったかどうかは定かでは無いものの、アラビア学芸最盛期には印刷技術があったらしいことと、13世紀以降アラブの退潮とともに最盛期の学芸著作の多くが損失していったということを考えると、情報の流通をコントロールすることは秩序の安定に寄与することはあっても、文化の発展は遅滞もしくは退行してしまうものなのだ、と思わずにはいられません(そう考えると、現世界でネットを制御しようとしている発展中諸国家も、大局的には停滞しかもたらさないのではないかと思うのです)。

 さて、「アラビア文字活字印刷の普及とムハンマド・アリー時代のブーラーク印刷所」には、18世紀初頭ハンガリー出身のイブラヒム・ミュテフェッリカの印刷所作成活動や、ブーラーク印刷所成立の経緯、ブーラーク印刷所で印刷された書籍の分野・言語別分類などが掲載されていて有用です。

 また、この記事の掲載されている、国立国会図書館のアジア情報室というところが出している通報所収の記事は、単なる記事の概要紹介レベルを超えた情報量があり、非常に便利です。

 情報の流通に興味のある私としては、昨今のアジア各国図書館事情を調査した下記報告記は非常に興味深く参考になりました。

ベトナムの出版事情および統計にみる国外の著作動向: アジア情報室通報第2巻第2号

タイの出版界の状況について : アジア情報室通報第5巻第4号

インドネシアの出版、書店、図書館――出張報告 : アジア情報室通報第6巻第3号

エジプトとトルコの出版事情―出張報告 : アジア情報室通報第5巻第2号

カザフスタンの出版事情と図書館-出張報告:アジア情報室通報第6巻第4号

タイの出版、書店、図書館、日本関係機関―出張報告 : アジア情報室通報第6巻第2号

パキスタンの諸言語資源をめぐる現状と課題 : アジア情報室通報第4巻第4号

モンゴル国立中央図書館について: アジア情報室通報第2巻第3号

 アジア情報室の皆様にはこれからも有益なご活動と、サイトへの記事掲載のように、国民へのフィードバックを継続を期待したいと思います。
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by zae06141 | 2010-02-21 22:43 | その他歴史関係 | Comments(0)

最近の古代イラン関連雑記

 イラン在住の研究者の方のサイト「イランという国で」を読んでいると、テヘランでも密告がで始めているとの記事(昨年7月)に出くわしました。もう完全にハターミー政権以前に状況に戻ってきてしまっているようですね。残念でなりません。更にこちらには、イランの最大の貿易相手国が中国となったとの記事も。カシュガーイー族にさえ中国製品が浸透しているようです(「イランという国で」のこちらの記事)。

 イランの国産自動車会社(といってもルーツはイギリスの会社)は、プジョーと提携しているとはいえ、シリアとベラルーシに工場を持っており(出典はこちらの記事)、ロシア、シリア、イラク、アゼルバイジャン、アルジェリアなどに輸出しているとのこと(こちらWikiの記事)。そのうち中国にも輸出するかも知れませんね(だいぶ昔、中東で自動車を自作できる唯一の国はトルコだ、とあったのは間違いだとわかりましたが、中東情報はかようになかなか日本には入らないことがよくわかりますね。。。)。
 中国のインターネットアクセス規制も、2009年中盤から目だって増えてきていたし、かつての旧ソ程ではないにしても、世界は強権的な政権の陣営(ロシア及びロシア圏と中東・アフリカと中国)と、自由主義陣営に分かれつつあるのかも。つまらない時代に入っていくような気がしつつあります。冷戦が終わって、私にとっては開放感に満ちていたひとつの時代が終わりつつあるようにも感じられるこのごろです。とはいえ、こんな(少し古いですが)記事(カラフルなヘジャーブのデザイン)やこんな記事(女性アスリート用の特別ユニフォーム)を見ると、まだまだ希望はありそうにも思えるのですが、長年の宿題だったペルシア語学習も、意欲が薄れてきてしまってます。。。。

 さて本題です。山中由里子氏「アレクサンドロス変相」にプトレマイオスのカノンが掲載されていたのですが、日本語のネット上には情報が無いようなので、日本語版Wikiの方に翻訳を載せる程のものではないのですが興味があり、今後何かの役に立つかもと思い、英語版Wikiから拝借して、私のサイトの方に転載しました。、年代を表現するのに、ローマ治下のアレキサンドリアにいたプトレマイオスが、バビロニアの王名表とアケメネス朝王を利用している点に興味をそそられました。トゥキディデスなんかも、年代表現にアケメネス朝王を使えばよかったのに、などと思う一方、プトレマイオスは何故エジプト王名表を使わなかったのかなど、色々疑問が出てきて面白い材料です。

 また、これも「アレクサンドロス変相」に貨幣が掲載されていて思い出したのですが、以前こちらの記事(書籍「古波斯币」)でご紹介した中国で出版された「古波斯币」という書籍に、アルサケス朝時代のファールス(ペルシア)州の支配者(フラタラカ)の貨幣と王名が掲載されていたのを思い出し、これもサイトの方に一覧を作ってみました。これを見ると、あくまで現在把握できている貨幣の範囲での結論とはいえ、ミトリダテス1世以前のセレウコス朝時代で貨幣を発行しており、ミトリダテス2世後の、アルサケス朝の力が弱まった時点で、また貨幣を発行していることがわかります。また、アルサケス朝末期には、バーバク、シャープール、アルダシールの貨幣があることから、サーサーン朝は、アルダシールによって突然勃興したのではなく、もともとあったファールスの政権が拡大したことがわかります。これを見ても、アルダシール一世のアルサケス朝転覆は、地方領主であった足利尊氏の鎌倉幕府転覆に似たような印象を受けます。

 なお、ついでに、アルサケス朝時代のエラムとカラケネの貨幣から復元した王名表も、書籍「古波斯币」から引用して作成してみました。エラム国はこちらカラケネ国はこちら。これを見ると、カラケネ国はまんべんなく貨幣を発行していて、支配者の名も現地人のような印象がありますが、一方のエラム国は、途中からアルサケス一族の支配となっていることがわかります。

 最後。英語版Wikiからの抄訳ですが、ゾロアスター教の基本資料、サーサーン朝の史料としても重要なブンダヒシュンとデーンカルドが日本語版Wikiになかったので、英語版から抄訳しておきました。青木健氏の書籍やメアリー・ボイスの書籍でも頻繁に引用されている割には、どういう書籍なのかのちゃんとした解説が不足しているように思え、ネットで探してみたところ、ちゃんと説明のあるサイトが無いようでしたので(デーンカルドが幻想大事典に若干記載があるのみ)、面倒な記載は抜かして概要だけ抄訳しました。このブログに来る方は、古代イランにご興味をお持ちの方もおられると思いますので、追加・訂正などを行っていただけますと助かります。ちなみに最近購入したマスウーディーや、アン・ナディームの項目も日本語版に無かったので、英語版や書籍の情報から記載しました。こちらも、「閲覧には役立たない」とコメントをつけられてしまっていますので、どなたか追記・訂正などを行っていただけますと助かります。

 それにしても、マスウーディーなど高校時代の教科書にも載っていたような人物や、マクリージーなど、アラブの歴史を扱った史書にはだいたい登場するような重要人物が日本語版Wikiに無いなど、昨今の日本人はアラブに関心が無いのだなぁ。。。。と残念に思ってしまいました。私だってアラブ史にはあまり関心が無く、今回「黄金の牧場」と「フィフリスト」を買ったのも、主には古代イランの記述を目当てにしてのことだったわけですが、イスラーム史専攻の学生とか書いたりしないのかしら。。。。 専門家でも教師でも、専攻の学生でもないIT業の会社員の私がアラブの史家のWiki記事なんか書いている状況が、かなり悲しくなりました。。。。

 最後と言いながらもうひとつ。前嶋信次氏の、河出書房新社「イスラム世界」という書籍があるのですが、これに出てくるサーサーン朝の記事は、アラブ語文献と中国文献だけなのだ、ということが今更ながらわかりました(しかも、同じ前嶋氏著作の講談社版「イスラムの時代」と比べると、「イスラム世界」は人物のエピドード中心にまとめられていて、マスウーディーからの引用が多いのかも、という印象)。ブズルグミフルの自伝も「カリーラとディムナ」が出典でしたが(詳細は「ブズルグミフルの探求」の終了」に記載)、サーサーン朝の面白いところは、史料とする言語によって、かなり異なったエピソードとなり、サーサーン世界のイメージすら変わってしまうことにあるのかも、と思うようになってきています。

 伊藤義教氏が用いる中世ペルシア語史料によりイメージされるサーサーン朝、ゾロアスター教学者により近世ペルシア語史料を含めて復元されるサーサーン朝、それぞれ若干イメージが異なります。おそらく、シリア語や、アルメニア語、バビロニア在住のユダヤ教徒のヘブライ語書簡、マニ教文献から抽出されるサーサーン朝の記述は、また異なったサーサーン世界のイメージをもたらすのではないかと思います。こうした、ボルヘス的とも言える、万華鏡を思わせるところが、サーサーン朝の魅力のひとつなのではないかと思うのです。
  
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by zae06141 | 2010-02-08 23:49 | 古代イラン関係 | Comments(2)