古代世界の午後雑記


「古代世界の午後」更新履歴と雑記
by Solaris1
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カテゴリ:旅行・海外駐在関係( 37 )


旅行先一覧・旅行日記へのリンク

旅行先一覧(出張以外)

1.中国上海          1991/9/15-24
2.香港             1993/6/20-25
3.ドイツ・スイス        1993/12/25-1/5
4.カナダ・米国・メキシコ  1994/7/11-25    
3.英国・アイルランド     1994/9/15-27
4.韓国              1995/3/20-25
5.ブルガリア在住       1995/12-1998/7
 -ブルガリア国内旅行一覧はこちら
6.ルーマニア・ハンガリー・オーストリア 1996/7/23-8/12
7.ギリシア           1997/12/31-1/10
8.トルコ(イスタンブル)   1998/7/10-12
8.マケドニア・セルビア   1998/7/18-22
9.ローマ・チュニジア・トルコ 1998/7/29-8/26
10.ウズベキスタン・トゥルクメニスタン・イラン 1998/9/8-10/8
11.中国新疆省        1998/10/14-11/2
12.オーストラリア(シドニー・メルボルン) 2001/12/30-2002/1/8
13. スペイン・コペンハーゲン旅行 2002/12/29-2003/1/8
14.中国上海・南京      2004/11/19-23
15.中国成都-西安-北京  2006/12/30-2007/1/8
16.アルメニア・グルジア   2007/4/27-5/6
-中国駐在2007/6-2009/10
17.中国雲南・貴州      2007/9/30-10/6
18.中国広西・ハノイ     2007/11/23-26
19.中国南京-武漢-深セン 2007/12/29-1/4
20.中国福建          2008/3/20-23
21.中国貴州・湖南省     2008/4/26-29
22.中国広西省・南寧     2008/5/3-5
23.中国澳門と崖門古戦場 2008/9/14-15
24.中国三峡          2008/9/20-23
25.中国浙江省        2008/10/31/11/3
26.中国零陵・桂陽      2008/12/27-1/3
27.中国梧州・肇慶・開平  2009/1/10-12
28.中国泉州・廈門・福建土楼・潮州 2009/3/20-3/23
29.中国瀋陽・遼陽・大連  2009/5/2-5/5
30.中国鄭州・洛陽・南陽・武漢 2009/7/18-22 

旅行記はこちら
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by zae06141 | 2014-12-21 20:02 | 旅行・海外駐在関係 | Comments(0)

中国・深圳の書店で書棚を独占する東野圭吾

 先日所用で久しぶりに深圳に行ってきました。深圳の大書店深圳書城南山店での東野圭吾作品の陳列に圧倒されてしまったので、思わず写真を何枚もとってしまいました。

 これが、東野圭吾の棚。
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 ご覧のように、天井から床まで、書棚7段全部、東野圭吾作品で占められています。
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このような扱いとなっているのは、中国の作家含めても、東野圭吾とその隣の村上春樹だけ。更に隣の渡辺淳一のコーナーは、上三段目までが渡辺作品で、四段目以下はその他日本の作家作品群(京極夏彦とかありました)。

 遠めに見るとこんな感じ。青い服の人の前が東野圭吾の棚、その右隣が村上春樹の棚、その右隣が渡辺淳一の棚、その隣三列が日本の各作家、その隣が米国文学の棚。日本文学の棚は、合計6列あり、これは米国文学の棚6列と同じ数となっています。
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文学のコーナーの全体像はこんな感じ。
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 平積み部分にも、東野圭吾や渡辺淳一作品が並んでいます。手前中央二冊が渡辺淳一作品で、左側が「愛、ふたたび」、右側が「失楽園」、「愛、ふたたび」の上方三冊と、「失楽園」の上方二冊が村上春樹作品、「失楽園」の上方6冊目に東野圭吾の「白夜行」が並べられています。
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 更にこちら、床から積まれている書籍、手前がガルシア・マルケスの「百年の孤独」ですが、その上方は「白夜行」
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 東野圭吾が中国で売れている理由については、いろいろのことが言われているようですが、私は、『白夜行』の影響が一番強いのではないかとの考えが、個人的にはあります。『白夜行』は、日本の高度経済成長期末期の暗い側面を描いている部分があり、そこから這い上がろうとする主人公達の生き様や世相が、現在の中国人にとって身近なものであるところが、この作品が中国で受けている理由なのではないかと思うのです。
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by zae06141 | 2014-12-17 00:13 | 旅行・海外駐在関係 | Comments(0)

小説「渚にて」のラストの地

 ネビル・シュートの小説「渚にて」は、高校時代に読んで以来、もっとも好きな小説のひとつです。オーストラリアのメルボルンが舞台なのですが、ラストシーンの舞台となった、メルボルン郊外の場所へもいつかは行ってみたいと思っていました。で、2002年の正月と、ずいぶん前の話ですが、たまたま行くことになってしまいました。

 元々はオーストラリアのシドニーに移住した友人を訪ねただけで、シドニー以外へは行く予定は無かったのですが、3日目に大喧嘩してしまい(なんかそうなる気がしてたんですが、その通りになり)、4日目の朝、ダイニングのテーブルにメモを残してそのままカンタスのオフィスへ直行、カウンターで4日後の夕刻の帰国便と伝え、3泊4日でいけるどこかいいところないか?と相談したところ、メルボルンに行くことに。その時点ではまだ特に、『渚にて』ゆかりの地へ行くつもりは無かったのですが、たまたま、夜景を見にいったなんとかいうメルボルンの超高層ビルの展望台で出会った、メルボルン在住の、日本人ツアー客のガイドの人と会話した時に、『渚にて』の話題を出したようなのです(ようなのです、というのは、この旅行については、記録や資料が一切残っていない為。通常の遺跡旅行と異なり、空港のインフォメでもらったパンフレットを元に、誰でも行くような場所しか訪問しなかった為、特に資料を残さなかったと思われます。なので今回の記載も全て記憶を元に書いています)。

 その方は映画も小説も知らなかったのですが、「図書館に行けばおいてあるかも。旅行者でも利用できるから、行ってみたら」との情報をもらい、翌日朝、市立だか州立だかの図書館に行き、1週間限定の旅行者用テンポラリーカードを発行してもらい、借りることができました。早速ラストのページを開いて、地名を読み、地図と参照すると、約150キロも南の町の郊外にある岬であることが判明。翌日午前中の便でメルボルンを発ち、夕方の便でシドニーを発つことになっていたので、時間があまりありません。日帰りするか、フライトに間に合わないことを覚悟で宿泊する賭けに出るか、レンタカーを借りるか、列車とバスにするか考えた挙句、何故そうしたのかわからないのですが、列車で行くことに(友人のところで車を運転しており、国際免許は持っていた筈なので、何故レンタカーにしなかったのか、まったく記憶にありません)。で、行ってきたのが下記写真の場所。メルボルンから南、ポートフィリップ湾の西側の突端部のロンズデールという岬です。到着した時はもう結構夕方。落ち着いてのんびりしたいい場所でした。

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 ところが!

 今この記事を書くために、Google Mapで写真に写っている場所を確認し、ついでに創元社版『渚にて』の最後のページを確認したところ、ヒロインが最後に立つ岬は、ロンズデール岬ではなく、そこから10㎞ほど離れたバーウォン岬だと判明。図書館で参照した時、コピーを取らず、場所をメモしただけだったので、慌てていて読み間違えたのか、確か列車は途中のジーランド(メルボルンから120㎞南)までで、そこから2回バスを乗り換えた筈なので、日帰りできるバーウォン行きのバスが無く、ロンズデール(ロンズデール岬もラストシーンに登場している)を選んだのか、今となってはまったく不明なのですが、訪問した場所を、ヒロインが最後に立った場所だとずっと信じていたので、衝撃を受けてます。。。。。。 
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by zae06141 | 2010-08-06 23:53 | 旅行・海外駐在関係 | Comments(0)

英国滞在歴に関する献血制限の緩和とブルガリア

 たまたま本日献血センターの前を歩いていて知ったのですが、一昨日(2010年1月27日)から制限されていた英国滞在歴所有者の献血制限が緩和されていました(日本赤十字社の通知はこちら)。1980年から96年の間に、英国に一日でも滞在した人はNG、という制限だったので、当該期間に正味3日程度しか滞在していなかったのにNG、ここ5年程献血ができない状況でした。この制限は、狂牛病に起因するもので、新ルールによると、欧州各国別に制限となる滞在対象期間が異なっており、こちらの赤十字社のサイトに詳細が記載されていますが、この記載、献血センターにあった表となっている一覧表に比べると、少しわかりづらい感じ。献血センターに掲げてある表をホームページにも掲載すればいいのに。

 欧州各国の詳細は当該ページをご覧いただくこととにして、英国滞在に関しては、1980年から96年までの通算31日以内の滞在者はOk、となっています。献血センターの人に聞いたところ、「新型インフルエンザの影響で、血液が集まりにくくなっており、それがきっかけで緩和が検討された」とのことでしたが、緩和の根拠はちゃんと検討されているので、インフルエンザの流行終了後に緩和撤廃となることはなく、「寧ろ、研究が進んでより細かく緩和条件が追加されると予想される」とのことでした。5年前に献血禁止を言われた時には、「研究が進んでいないから、とりあえず1日でもだめという条件となった」と献血センターに人に言われた覚えがあります。新型インフルの流行が無い限り、進まなかった、とさえ思える話。単なる職員の談話なので、事実度は不明ですが、まあ、ありそうな話です。

 しかし、この制限には少し過敏さを感じます。ヤコプ病はアルツハイマーと症状が似ているので、実際の日本国内での発症例は不明とされているようですので、実際は、献血制限のきっかけとなった事例以上の件数があるのかも知れませんが、私としては、発症事例の低いヤコプ病での献血制限よりも、成田空港でのインフルチェックやホテルでのチェックをもっとしっかりやって欲しい、と思うのです。まあ、成田でも、外国人に対してはチェックしているのかも知れませんが、香港と中国の国境や香港のホテルでの(これも外国人だけかも知れませんが)問診と比べると成田や日本のホテルはザルのように思えます(香港のホテルに至っては熱まで測定されました(2009年5月)。新型インフルエンザ対策については中国の方がしっかりしているように思えます。新型インフルによるGDPへの影響も取りざたされていますが、インフル対策の相違程度の差で2009年のGDPが中国に抜かれるとしたら(日本の数値はまだ未発表なのであくまで仮定)、情けないように思えます。なんか日本は優先順位がちぐはぐな感じがします。

 話を戻しますと、私は1995年12月から98年7月まで2年8ヶ月ブルガリアに滞在しておりましたが、ブルガリアをはじめとする東欧については、「5年以上の滞在」が献血制限条件となっています。というわけで私はこの点もパスだったのですが、狂牛病ではなく、マラリア地域への渡航の方でひっかかってしまい、結局献血はできずじまい。。。。マラリア指定地域に1ヶ月以上の滞在者や帰国後1年間献血できないとのこと。税金以外の数少ない安易な社会貢献の道だったのに、またしばらくおあずけとなってしまいました。。。。

 ところで、96年から97年にかけての経済危機のブルガリアでは、「英国で検査に合格できなかった牛肉を安く密輸入している」という噂がありました(「狂牛病の肉」とは言っていませんでしたが。。。)。当時(もいまも)英国に滞在している友人も、「密輸出している噂がある」と言っていました(こちらも、輸出国は噂には含まれていないとのことでしたが)。以前「1996年の経済危機」で記載したように、当時のブルガリアではゼネストが発生し、IMFに国家金融を管理されてしまう状況で、ソフィア駅では週末になると、田舎の実家や親戚に食料を求めに行く人が、列車に窓から乗り降りするなど、戦後日本の映像でも登場するような状況が見られていました。危ない肉を安く輸入している、という噂はまことしやかに流れたものと思われますが、本日献血センターで制限対象国に「ブルガリア」という文字を見るまですっかり忘れていました。なぜならば、当時のブルガリアにとっては、こんな輸入肉の話は大して事件ではなく、毎日のように新聞紙面をにぎわしていたのは、あまりに急な体制変換にノイローゼになる人が急速に増加し、貧困化と相俟って多発するようになった家庭内射殺事件や強姦事件などだったからです。汚染肉の輸出入の噂も、1994年に日本でも出版された、ロシアを舞台にした小説「屍肉」(新潮文庫)を読んでいたので、さもありなん、と思っただけで、あんまり大したことだと思わなかったのです。といっても牛肉を食べるのはやめましたが。ただし、マクドナルドには通い続けたので、マクドの肉に牛が使われていたかも知れないですが。。。(「屍肉」は、今考えると、よくできた作品だったと思います。1996、7年頃のブルガリア社会とオーバラップする部分が多く、当時の東欧はどこも似たような状況だったと言えるのかも知れません)

 なお、当時のブルガリアでは(今は知りません)、牛肉は食用としては主流な肉ではなく、もっともポピュラーな肉は、羊、次いで豚、鳥、その次に子牛という序列だったので、実際に英国から牛肉が輸入されていたとしても、人間が食した量はあまり多くは無かったように思えます。一方、当時のソフィアは野犬が非常に多く、これも経済危機により、ペットを手放したことが原因と言われていましたが(ソフィアだけではなく当時の東欧諸国は同じ事情で野犬が多くみられたようです)、96年末から97年初の冬は、その野犬が激減しました。野犬を食料としているとの噂がありました。

 ブルガリア滞在では、暗いことばかりだったわけではないのですが、帰国しての日本の印象からか、このところ暗い話しばかり思い出されてきます。。。。。当時は「冷戦に敗戦」した「敗戦国」なのだけど、世界大戦の日本やドイツの敗戦のように、目に見える敗戦ではないので、人々の考えもなかなか変わらず難しいのだ、と思ったものですが、今の日本も、似たような気がします。新興国の急激な勃興は、現在起こっていることは、敗戦ではないとはいえ、(体制変更をしない限り)相対的に先進国の取り分の低下を齎す=所得や生活水準が低下する、ということに他ならないもだと思うのですが、なかなか変えることができないのでしょうね。。。。
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by zae06141 | 2010-01-29 23:56 | 旅行・海外駐在関係 | Comments(0)

中国でのITオフショア業務のポイント

 2009年の終わりにあたって、中国駐在時代に得た知見をまとめることにしました。オフショア業務の知見と、中国社会一般についての知見です。これで中国については一区切りつけたいと思っています。

 後者については、長文となってしまったし、歴史に関する話題が入っているのでサイトの方に記事を掲載しました。記事は2本あり、日本の高度経済成長時代と2000年代の中国政府の政策や中国社会が似ている、という話と、もうひとつは、日本はアジア圏か欧米圏か、という、最近話題の書籍「日本辺境論」などでも扱っている、中国の影響力が増大する中で議論がかまびすしい日本のアイデンティティの話です。

 日本の高度経済成長時代と2000年代の中国

 秩序の東アジアと日本辺境論
 
 前者についても、それほど多くを語ることは無いのですが、駐在中の業務を通じて強く感じたこと、また、見込み違いだった点を下記にご紹介したいと思います。なお、ここではIT業界のオフショア業務一般に適用できそうな内容を記載しています。私の職場・勤め先の体制に依存した内容は省いています。

【1】業務を通じて得た知見

1.業務はWin Winであること。
 IT業界のオフショア業務は、もともと日本でも、外注・下請けに任せていた開発業務が中心です。しかし、日本でも、封建時代のようなIT業界の、しわ寄せを下請けにまわすゼネコン構造は通用しなくなってきています。いわんや中国人のIT技術者には通用しません。中国では、内陸部の貧しい農村出身者が、出稼ぎ労働者として過酷な肉体労働に従事していますが、IT業界に携わる技術者には大学卒の、中国国内では、エリート階層に属する人もいます。特に、オフショア業務という、日本語の読み書きがある程度できる技術者に、単調な繰り返し業務のような付加価値の低い業務を出しても通用しません。良く、中国人の離職率が高い、と言われますが、中国社会の私営企業では終身雇用の習慣が無い為、成長性の無い業務は、即将来の失職時の保険が利かないことになることから、付加価値の低い業務・成長の無い業務を与えると離職されてしまうわけです。これは、「中国人は直ぐ辞める」ということではなく、「終身雇用」という保証が無い為、自分を守る為に、付加価値の高い業務に移るだけの話なわけです。最近の日本でも、終身雇用の崩壊に伴い、付加価値の低い業務や成長の無い業務の離職率は高まってきえちるものと思います。また、オフショア先が、外部の会社ではなく、私の場合のように、同じ会社の正社員である場合には、絶対に避けるべきです。

 このような内容を知ることになった理由は、私の業務における日本側の発注者に、付加価値の低い、外部業者に委託していた「作業」を、そのまま中国サイドに移管しようとし、社員の離職・モチベーション低下を招いたことがあります。

2.委託開発業務モデルと、ナレッジ集約型モデルが向いている。
 委託開発モデルとは、システム構築、日本語による資料作成業務。発注仕様と成果物が明確な作業です。ナレッジ蓄積型モデルとは、技術的な質問事項を調査し、回答するモデルです。いづれのモデルも会話の割り合いの高いインタラクティブなコミュニケーションを必要としない業務です。この理由は、現在のオフショア業務は、インターネットのインフラに大きく依存している為です。日本語ができる中国人といっても、会話が得意な人より、読み書きができる人の方が圧倒的多数を占めている為です。理由は3つあります。

 1)読み書きであれば、ネット辞書、翻訳ツールを使って簡単翻訳できる。
 2)日本語と中国語で同じ意味の漢字が多く、読解は習得し易い。
 3)筆記能力は、ブラウザでアクセスできるネット上の日本語文章や、社内データベースから検索される日本語文章のコピーで補うことができる。

 つまり、メールやチャットで、それなりの日本語文章を書けるからといって、会話能力があるとは限らない、ということです。メールや作成資料の日本語文章が上手だからといって、安易に日本語会話業務も可能だと考えることは、避けた方がいいと言えます。

3.日本語コミュニケーション上の誤解

 平均的なオフショア人材は、日本語における以下の3つのスキルは、別のものだということがわかりました。

 1)顧客と会話できるレベルの会話力
 2)社内コミュニケーションができるレベルのコミュニケーション力
 (必ずしも会話力である必要は無く、メールやチャット、文書資料やPPTなどを用いた画像などを用いて、意図を伝えるスキル)
 3)日本語ビジネス文書筆記能力

 私の勤め先のサンプルでは、会話能力が高い人程、日本語ビジネス文書作成能力は低い。逆に、一番会話スキルが低い人が、もっとも高い日本語ビジネス文書筆記能力を備えていました。理由は単純で、会話力がある人は、「話言葉をそのまま文章に書いてしまう」ので、顧客に出すようなビジネス文書としては使えず、日本側の文章修正負荷が非常に高くなり、投資効果が出ない結果となってしまいました。反対に、会話ができない人は、膨大な日本語ビジネス文書のサンプルを蓄積しており、それらからコピー&ペーストをすることで、そのまま顧客に出せる品質の日本語文書を*作成*していました。文章を「書いている」のではなく、「作成している」という点がポイントです。つまり、このタイプの人の日本語スキルは、ナレッジ蓄積型モデルに該当することになるわけです。
 更に、ビジネス文書の上手な人は、ホームページやマニュアルに書かれている言葉に強く、口語に弱い、という特徴があります。また、日本語ビジネス文書が上手な人は、日本のビジネスマナーも心得ている傾向が見られました。この点で、私は、日本の新入社員教育や、大量に出版されている新卒者向けビジネスマナー解説本は、日本のビジネススキルを底上げする重要な日本文化であると思うようになりました(中国では、大手企業であっても、日本の新卒教育のようなビジネスマナーを必須教育としている企業はまだ少ない)。ビジネスマナー読本には、報告書や資料、伝言の書き方、話を整理して伝える方法などがサンプルとともに詳細に記載されており、こうした知見が、日本語ビジネス資料作成能力に寄与しているようです。私が日本で購入してきた、新卒向けビジネスマナー読本をむさぼるように読んでいたのも、会話力が低く、ビジネス文書が上手なタイプの社員でした。

 このようなことから、日本側が書く文章も、会話調ではなく、堅苦しいくらいの「マニュアル言葉」である方が、意思の疎通率が高まるのですが、日本人側は、日本語が通じる、ということで、「くだけた日本語のいい廻しも理解できるのだろう」「ホウレンソウは理解しているよね」と安易に思い込んでしまう傾向がありましたが、これは大きな間違いでした。寧ろ、日本側が使う日本語も、英語をつかう様な感覚で、日本語を使う必要があります。以下に、私が作成した、「日本人向けの日本語マニュアル」の一部をご紹介します。

1)辞書や翻訳ツールでひきやすい日本語文章を書く
2)指示代名詞を少なくする
3)主語を明確化する。会話・文章において、頻繁に「誰が」を確認する
4)文章の文末を、最後まで正しく言い切る(体言止めは却下)
5)単語の種類を絞る(似た意味の単語を複数使わず、極力ひとつに絞る)
6)使用率の低いカタカナは、英単語で記載する
7)訓読み単語は使わず、音読み単語を使う
8)くだけたやりとりは却下。堅苦しいアナウンサー言葉、マニュアルやニュースサイトで利用されている文章を使う



【2】見込み違いだったこと

1.採用事情

 駐在前は、「日本のIT人口は40万人不足しており、年間2万人の新卒しか得られない」という日本の採用事情の辛さに対して、「中国では日本の人口の10倍もいるのだから、採用は容易だろう」と予想しておりました。しかし、実際には、赴任後、採用担当者から聞かされたことは、

 1)今の学生にはIT業界は人気が無い。新卒に人気があるのは金融・製造業。
 2)日本語が会話もビジネス文書作成もできて、更に技術力もあるIT人材はそもそも稀少。
 3)深圳は、日本で言えば広島のような地方都市で人気が無い。人気があるのは北京や上海。(実際、半年間で100通の履歴書応募があったが、場所が深圳だとわかると、90人に辞退され、残りの10名を面接したが、スキル不足で半分が落選。残りの5名は、給与や志望にずれがあり採用に至らず、という状況でした)
  4)日本語ができて、技術力もある人材を深圳に来させようとすれば、日本側で作業をした方が安上がりになる程の高給を支払う必要がある。

2.途上国なので、文句も言わずにどんな仕事でもやるだろう、という予想

 これも見事に裏切られました。マズローの欲求段階説というものがありますが、現在の中国人ITオフショア技術者人材をあてはめてみると、日本側は、「生理的欲求」「安全の欲求」レベル(食べていく為に文句を言わずに仕事しろ)にあると思い込んでいるように思えますが、日本語や英語ができるIT人材は、既に「承認の欲求」や「 自己実現の欲求」を求めるレベルにあるように思えます。実際、所得が3000ドルを超えてくると、「承認の欲求」や「 自己実現の欲求」に進むようです。中国は、2009年に国民1人あたりの平均年収が3000ドルに到達したとされている為、既に、「食べていく為に文句を言わずに仕事しろ」は通用しない段階に来ていることになります。そうして、IT業界のオフショア人材は、中国語しかできない人材でも、年収3000ドルは突破しているのでした。
 また、深圳周辺では、日本の製造業の現地工場も多数あり、そこでは組み込み系のプログラミング業務を担当するプログラマは多数いるものの、彼らはそれほど高度な日本語を必要としておらず、しかもプログラムを組むことだけしかできない為、より高度な作業ができるような学生は、最低でも大学卒である必要があり、大卒の家庭は比較的裕福な育ちであるため、要するに3K作業と言われるIT業界で働くには、忍耐力の低い人が予想以上に多く見られるなども予想違いでした。更に、一人っ子政策の影響で、1980年以降出生者は、特に忍耐力が低く、これには、年配の中国人社員のマネージャ自身が、「彼らは使い物にならない」と苦言を呈する状況でした。。。。(とはいえ、私の勤務先では、逆に深圳という僻地にわざわざ働きに来るような人=そんなに選択肢が豊富なわけでなない人、ということで、割合忍耐力がある人が多かったように思えます。上記苦言を呈していたのは、北京のマネージャ。北京は、転職先がいくらでもあるので、深圳よりも離職率が高い、という傾向があるようです)


3.途上国なので、物価も所得水準も低く、優秀な人材を安く雇えるだろう

 これもまったく予想はずれ。「日本人と同じ品質・技術力で業務ができるのであれば、日本人と同じ給与でないとおかしい。日本人より遥かに給与の低い我々に、日本人と同じレベルの成果物を求めるのはおかしい」 という国際的に絶対的な所得価値観を持っている人が目立ちました。「安かろう、でもそんなに悪くなかろう」が、投資目安と言えるのではないでしょうか。

4.インフラソフトよりも、顧客向けソフトの業務がマッチ

 これは唯一良い方の見込み違い。ビジネスインテリジェンスソフトや、グループウェア、セキュリティなど、エンドユーザーが利用するソフトウェアはオフショア向きでは無いと予想していました。顧客の一般社員が直接操作するソフトなので、日本の業務知識や、日本の顧客に関する知見がオフショア側にも必要となる業務だと考えていた為です。OSや、ネットワーク、データベースなどのインフラ系ソフトウエアの業務が、言語依存度や業務依存度が低く、また技術者が扱うソフトウェアなので、こちらの方がオフショアには向いていると思っていたのですが、結果は逆でした。前者は、

1)「顧客関連部分は全部日本側社員が引き受ける(しかない)ので、それ以外の部分を中国側に依頼したい」と、作業分担の線引きが明瞭に成り易い
2) ソフトウェアの機能と、そのソフトができる業務が一致している為、そのソフトを利用した業務経験の無い中国社員でも、業務の理解が容易
3)エンドユーザーが利用する場合、簡単な初心者用手順書などを作成する必要があり、中国側社員も、エンドユーザーの作業が高度化するにつれて、作成する資料が扱う機能も高度化する、という、エンドユーザーの学習ステップにあわせた資料を作成しながら一緒にStepByStepで学習ができる
4)画面系のソフトなので、作業支持の理解が容易で、成果物のイメージ把握も容易

という利点を発見することになりました。後者は反対に、日本側担当との分担が不明瞭になり、更に、

・災害対策に使える機能をピックアップして資料を作成して欲しい
・検索速度を10倍にする方法を考えて欲しい
・顧客のシステムに問題があるかどうか、この送付する資料から判断して欲しい

など、抽象的で、中国側作業者にとって、イメージが掴みづらい、経験が必要な作業が多く、日本側との協業ポイントを見出すことが困難だということが判明しました。私のような立場のブリッジ社員がいれば、作業を細かく分けて指示を出せば良いのですが、私の永続的な駐在はありえない(中国に永住するつもりで中国支社に転籍しない限り)という勤め先の方針もあったため、インフラ系業務は取りやめる方向となりました。


 私が得た、公開できて、誰かのお役に立てそうな知見は以上となります。お役に立てれば幸いです。
それでは来年もよろしくお願いいたします。
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by zae06141 | 2009-12-31 23:59 | 旅行・海外駐在関係 | Comments(0)

2009年10月3日は中国の中秋節。餅を食べる起源は元末だとか

 他のサイトにいくらでも情報があるので、ここで記載する意味はあまりないのですが、歴史ネタだとのことなので、一応紹介したいと思います。昨日から8日間、中国は、建国記念日である国慶節の為お休みシーズンなのですが、国慶節をまともに見るのは3年目の今年がはじめて。1年目は雲南観光にでかけ、昨年は日本出張だったので、今年の国慶節は町の探索をと、仕事を終えた後、蛇口の繁華街をふらふらしたのですが、確かにいつもより人手が多く、特に観光地である海上世界の付近はひときわ賑わいを見せていました。近所のスーパーによった折、月見のお菓子が大量に売られているのを目にし、「中秋節は9月に終わったのに、まだ売ってるのかな」と思っていたら、途中で入ったBARの娘から、明日は中秋節だよね、と聞いて納得した次第。10月にずれ込むこともあるんですね。で、帰宅して、アパートの入り口の掲示板に、中秋節に月餅を食べるようになった縁起について掲載されていました。それによると、

 元末、各地に反乱勢力が芽生えていたが、元朝政府の摘発は厳しく、なかなか相互に連絡が取れず、各個鎮圧されている有様だった。朱元璋の連合勢力も相互連絡が取れず、一斉蜂起ができずにいたが、劉伯温という人が、餅の中に伝言を隠して連絡する方法を思いついた。果たして各地の勢力が餅を開けると、その中に、(農暦)8月15日(中秋節)に一斉蜂起すべしとの伝言がありました。そこで、各地の勢力は8月15日に一斉蜂起し、全国的な反乱となったとのこと。

 とまあ元末は朱元璋がリーダーになる以前から各地で反乱が起こっていた筈なので、若干史実と合わないようにも思えますが、由来なんてこんなものなのでしょう(こちらのサイトにもう少し詳しい話が載っています。中秋節自体の起源は、夏王朝にまで遡るんですねえ。夏王朝時代の縁起については、こちらのサイトの方が詳しく載っています)。

 ところで、中国には、「軍事新聞」というべき種類の新聞が各種結構出回っていて、題名通り、自国の軍備を誇らしげに紹介し、日本の軍備を直ぐに軍事大国化だのと騒ぐ、まあどこにでもある右翼ミリタリスト新聞なのです。ただ、中国では、特に地方に行くと幾種類も出ていて目立つとはいえ、比較的先進化の進んでいるシンセンではあまり目にすることがなかったのですが、昨日の60周年建国記念祭を扱った、普段はかなりリベラルに見える「南方都市報」という有力紙の本日号が、完全に軍事新聞化してしまっていたのには驚きました。表紙一面が行進中の兵士の写真。そこにでかでかと「国威!」という文字。めくっていっても、ほぼ全面的にパレードで紹介されていた戦車や戦闘機の説明ばかり。軍備以外に目に付いた記事は、胡総書記の乗っていた国産碎高級車の紅旗が、1984年モデル以来、基本的に型が変わっていない、ということがわかった過去の紅旗の写真ぐらい。

 今回の建国記念祭の報道については、マスコミは相当政府の統制にあったようで、南方都市報も政府に逆らえずにこのようになってしまったのだろうなぁ、とは思うのですが、なにやら数十年前の冷戦時代にでも戻ってしまったかような感じ。中国と北朝鮮がかなり似かよった国だとの印象を確実に与える内容。反中派の人は喜ぶでしょうね。まあこれも中国の本質のひとつの面なので仕方がないとは思いますが、それにしても時代錯誤な感じ。北京オリンピックは、諸外国の目があったので、かなり現代化した祭典と報道ぶりでしたが、建国記念式典は、国内行事なので、思いっきり中国の(中国というより独裁国というべきか)本質が全開となって出てしまったのかも知れません。
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by zae06141 | 2009-10-03 03:21 | 旅行・海外駐在関係 | Comments(0)

「スーパー間諜の中国行/米国の衛星は凄い」 ~福建省土楼の話~ 

 鶴湖新居という、深圳にある客家の囲い屋があります(ここに紹介があります。私のサイトの記事はまだ作成していないので、こちらを紹介します(でもネット上に豊富な情報があるので、私のサイトで掲載する意味はあまりないのですが。。。)。境内には、客家の独特な住居についての解説が展示されていて、博物館を兼ねているのですが、福建省の土楼(客家の住居の中でも更に独特な、福建省西部から広東省東部に見られる建築物。下記写真は、南靖県の土楼)に関して、下記のエピソードが展示されていました。

               「スーパー間諜の中国行」

1985年12月18日、福建省漳州市の文連は米国からの客人であるベイカーとソマンジュ夫婦を接待した。彼らは漳州から50キロ離れた南靖県の客家集落を見ることを望んだ。
 ベイカー夫婦は米国中央情報局の間諜だった。ベイカーの公の職業はニューヨークの撮影学院の教授で、ソマンジュは1945年ニューヨーク生まれ、祖父は中国客家人だった。
 汽車は南靖県の田螺坑に到着し、国道の下に巨大な円形の建築群が出現した(それが下記写真)。約20メートルの高さで直径50メートル。傘を開いたキノコの形をなし、ベイカーはひと目見て訊いた、「これは何だ」運転手は「これは客家土楼です」と答えた。目の前には5基の大型の客家土楼が並んでいて、中間の1つは正方形、その周囲の4基は円形の土楼だった。それらは梅の花が緑の山谷の中に花開いたようであり、高く堅固だった。一座は城砦のように屹立し、数百年来風雨に耐えてきた。その基盤は動揺することもなく、人に「天上から落ちてきた蝶、地上に出てきたキノコ」という絵を描かせしめてきた。目の前の奇観に非常に驚き、ベイカーは車を降りて写真を撮影せずにはいられなかった。

 ベイカーとソマンジュの中国行は、自然に関連部門の注意を引いたが、しかし彼らの行為はわからなかった。まず、核情報の間諜ベイカー・ソマンジュは我が国最初の原子爆弾炸裂地である西北地区には行っておらず、南方福建省に行っている。旅行なのか?撮影なのか?明らかにどちらでもない。客家に対するベイカー・ソマンジュの感動は極めて大きく、福建を離れる前に彼らは漳州市の図書館で2冊の本を閲覧した。それらは「中国近代建築史」と「客家人と客家土楼」だった。客家土楼は客家人の典型的な住居で、既に600年の歴史があり、土楼と核情報は相容れないものだった。ベイカー夫妻の行動の目的は何だったのか?

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               「米国の衛星は凄い」

 ワシントンのホワイトハウスで米国大統領レーガンが朝食を食べながら中央情報局の文書に目を通していた。それは霍華徳・H・貝克(ハワードベイカー)が書いた報告書で、中国南部の調査報告だった。調査地区は中国福建省南靖県。報告書には、300平方キロメートルの範囲内に、1300基の各種の土楼を発見したとあった。これは客家人の居住する場所で、円、正方形、傘形などの形状をしており、各々1000平方メートル前後を占有していて、一般は3から5階、高さは13から20メートル、最大の土楼は直径74メートル、壁の厚さは1.5から2メートル。各々の土楼には100から150名が住むことができる。客家土楼の概観は奇抜で、主に円形、正方形であり、高いところから見ると特殊用途の建築に見えることから、往々にして誤解を生じてきた。レーガンはキャビネットから国防省情報局の報告書を取り出した。

 :我々は、ここで、「群」という複数名詞を用いているが、決して誇張ではない。中国南部には、核基地群が非常に沢山あることは事実である。根拠は、我々の毎日7度中国上空を通過するKH-22衛星の報告にある。中国福建省の600平方キロメートルの範囲に1500基あまりの、不明な性質の建築物があり、これは巨大なキノコ形をなし、核装置に極めて似ている。これは核基地だと思う以外にありえない。そこで、これら疑いのある建築物の性質を十分調査する必要がある。

 レーガンは2つの報告書を見て、苦笑いしながら頭をゆらした。それから報告書をゆっくりと燃やし、思案深げにそれが灰となるのを見守った。
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by zae06141 | 2009-09-09 23:55 | 旅行関係 | Comments(0)

東野圭吾「湖辺凶殺案」

 東野圭吾「レイクサイド中国語訳を読み終わりました。大体14時間。また語彙が増え、この学習法は私には有効なようです。それにしても、簡体字の漢字と、幾つかの日本語に無い文法単語さえ覚えれば、結構簡単に読めるようになることがわかりました。読むだけであれば、日本人にとっては、英語よりも簡単な気がします。

 そこで次は中国人作家の推理小説に挑戦しようと少し調べてみたところ、こちらにドンピシャの、日本人が中国ミステリ事情を探索しているサイト「トリフィドの日が来ても二人だけは読み抜く」がありました。このサイトによると、中国本土のミステリ業界はまだまだとのこと。1950年代の日本のように、海外ミステリを吸収している段階なそうな。しかも翻訳の半分くらいは日本のミステリらしい。本日書店を見てきたところ、確かに中国ミステリは、軍事小説と一緒の棚にあり、しかも推理ものは僅か(のように見えた。タイトルからは判断できず)。日本文学の棚が同じサイズで、その半分くらいが推理小説。これを見ても、日本の推理小説の方が中国推理小説よりも量が勝っているように見えました。

 というわけで、広大な中国推理小説の大海原があるのかと思っていたところが大きな見当違いだったということが判明。なんかがっかり。井波律子「中国ミステリ探訪」を読むと、中国ではミステリに分類されるような種類の小説は長い伝統があるとも思えるので期待していたのですが、予想に反した状況に脱力。なんか最近脱力することばかり。

 中国に来てから、中国歴史ドラマの進化に圧倒されたこともあり、更に歴史ドラマでも、包青天や宋慈、狄仁傑シリーズなどがあることから、一般ミステリの世界にも期待していたのですが、どうやらドラマだけだったようにも思えてきました。一方、台湾のミステリは、比較的発展段階に入っているらしいのですが、まだ日欧米の後追い段階の模様。

 気落ちしてはいたのですが、最近どこかで、ポーの「盗まれた手紙」について書かれたサイトを読み、結末が気になって仕方が無いので、本日中国語版を購入してきたのですが、今、思いついて「青空文庫」を検索したら、邦訳がネットに。一気に中国語版読む気失せてしまいました。

 それにしても、「トリフィドの日が来ても二人だけは読み抜く」というサイトは、非常に有効な情報を提供していて有用です。また、東野圭吾が、米国ミステリの小説の帯に推薦文を掲載していたり、東野圭吾はかなり中国でメジャーなようです(中国推理小説界自体がまだ小さいようですけど)。

 ところで、歴史本や地方本もチェックしてきたのですが、確かに新刊は出ているのですが、なんか従来本と似たり寄ったり。この2年、日本で出版されていない膨大な書籍に圧倒され続けてきたのですが、そろそろ漁りつくした感じもしてきました。帰国後、半年に1度は中国訪問して新刊書籍を買い占めようと思っていましたが、1年に一度でもいいかも。などと思い始めています。このところ、急速に日常生活モードに入ってきている為、段々発見が減ってきたということなのでしょうが、同時にどんどんエネルギーが尽きてゆく感じ。そろそろ潮時ということなのかも。
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by zae06141 | 2009-09-04 00:27 | 旅行・海外駐在関係 | Comments(0)

本日(8月26日)は中国バレンタインデー(情人節)

 父の日母の日というのは、日本だけの話だと思い込んでいました。中国でもあることに気づいて、日本の菓子メーカーの戦略かと思っていたら、もともと世界全体の話だったのですね。恥ずかしながらまるで知りませんでした。バレンタインデーを盛り上げるのも日本からの影響かと思っていたら、中国ではそういうわけでも無く、もともと七夕がそれに該当する祝い日だったとのこと。というわけで、今年は旧暦の7月7日に相当する本日が、中国の情人節(バレンタインデー)。2月14日と合わせて、中国では2度バレンタインデーがあるとのこと。本日うちの部署では、女性陣は18時きっかりに全員消えうせ、普段は18時過ぎにはいなくなる男性連中が、なぜか今日は18時半くらいまで固まって残ってました。男ども集団で飲みに出かけたようです。

 さて、本日の話題は、華やかなバレンタインデーとはまるで関係ない暗い話です。暗い話なので、とりあえず景気良さそうな話を冒頭で触れてみました。

 先々週、以前の部署の後輩の一人が病気で倒れてしまいました。私が知ったのは一昨日のことです。社内システムで日程表を見ると、ここ数ヶ月朝8時から夜8時まで予定がびっしり。私の感覚では、週の予定の半分が埋まっていれば、だいたい就業時間中の仕事が埋まる感じ。7割も入れば毎日2時間程度の残業。予定が満杯となると連日遅くまで残業という感じ。それが毎日12時間も入っているのだから、病気になっても不思議では無い状況な筈だったのです。予定表に「資料作成」とか「メール処理」、「経費清算」などと入れて時間を確保しておいても、実際には社内や顧客から予定外の問い合わせが入ったり、殆ど常に資料作成が予定通りに終わることは無く、更に技術調査などは予定に入れていないことがほとんどなので、これがだいたい夜間に回る。12時間予定が入っていれば、1日16時間働いても終わらない、というのが実態なのです(因みに年俸制なので残業代はなし。まあ給与はそれほど悪くは無いのかも知れませんが。。。)。

 その後輩も新人ではないので、後輩自身の自己管理に問題はなかったか、上司はちゃんと管理できていたのか、技術がわからない営業部傘下になったからいけないのか、ここで誰かを責めても仕方が無いのですが、その後輩が責任感が人一倍強く、頑張り過ぎて仕事を抱え込んでしまう性格で、それを本人の力ではどうにもできず、強制的に休ませるしかないことを知っていれば、回避できたかも知れないのです。部署を異動したばかりで、その後輩のことを、現在の上司はあまり知らずに察知できなかったのかも知れませんが、顔色が悪かったり、変な咳が続く部下がいたら、強制的に医者に行かせるのは上司の努めだと思うのです。

 営業部付云々の話は、苦労して顧客を見つけてくるのは営業の方なので悪くは言えないのですが、我々技術営業の仕事を、車でいえば、ショールームの説明員程度だと勘違いしている営業の方が結構多かったりします。我々の業務は、商品自体を作っているわけではなので、自動車自体の開発エンジニアではありませんが、自動車修理・整備工とテストドライバー、ショールームやイベントでの説明員、教習所の教官、ガソリンスタンドの整備員を合わせたような内容です。中には販売キャンペーンを企画したり、エンジンのテストを行ったり、改造したりする人までいます。私は、共同プレスリリースの原稿を書き、法務の確認作業もしたことがあります(「俺なんてプレスの原稿かかされたんだぞ」と偉そうに言ってる営業がいたので、私も偉そうに書いてみました)。勿論オールマイティにできる人は少なく、ショールームの説明員に近い人もいれば、自動車整備工に近い人もいます。しかし、中にはまんべんなくこなせる優秀な人もいます。その後輩は、バランスが取れ、更に足りないところは努力で補う、幅広いスキルを持った有能なタイプでした(欠点は飲み過ぎなところ)。しかも以前は顧客向けのメルマガを書いたりしていたり、倒れた時も、ベンチマークテストの最中だったと聞いています。

 技術営業をショールームの説明員程度と勘違いしている営業は、とにかく営業の認識で空いてると見える時間にどんどん予定を入れてきます。この手の営業は、技術営業など、ExcelかPowerpointを説明する程度の認識しかないわけです。ショールームの説明員だって学習する時間は必要な筈です。ましてや我々は修理やテストドライバーまで担当するのです。就業時間の全部をショールームにいたら、いつ修理工の知識を身につけるのでしょうか。正確に言えば、困った営業とは、技術営業をショールームの説明員程度と勘違いしているというよりも、車を売るにはショールームの説明員以外に何が必要かを知らない人なのだと思います。(ちょっと偏見入ってますが)アフリカの田舎にいけば、車を売るには、舗装道路や免許制度、ガソリンスタンドなどのインフラが無いとそもそも売れないわけです。そして、現在成熟しつつあるIT産業は、アフリカに売らないと売り上げが上がらない、というところまで来てしまっているわけなのです。

 今(というかとっくに)IT業界は大きな曲がり角に来ています。私の勤め先も揺れています。それを、今の経営陣の責任に帰している社員が多いようですが、そうした人は、業界の流れが見えてないとしか思えません。
 前回記載した、要素技術の時代とは、電車と1台500万円のバスしか無い社会に、100万円台のセダンを販売していたような時代です。価格だけみれば激安ですから、実は販売機会を見つけるのは簡単だったわけです。しかし、今は社会の隅々にまで100万円代の車が行き渡り、今や純粋に車の性能や機能、販売スキルで勝負する時代に入ってしまっています。そんな時代の流れに乗っただけで高額な年収が確保できていた社員の多くは、今後の時代は苦しむことでしょう。真に有能な人以外は、年収が半減することも当然くらいの時代認識が必要なのです。これまでの年収を自分の実力だと勘違いしていた人程苦しむことになるのではないかと思います。

 私が中国に来る前までいた部署は、雑務が多く、なんでもしなくてはならず、まじめにやるとなんでも出来るようになってしまうのですが、逆に言えばひとたびリストラの嵐でも吹き荒れれば、真っ先に対象となりそうな人材になってしまうわけです(逆に何でもできるので、えり好みしなければ、確実にどこかで仕事は見つかるとは言えそうです)。それでもなんとかしたいとなると、毎晩24時まで頑張って履歴書に書けるスキルを磨くことになる。そんな職場から雑務を取り除き、社内の重複業務を整備し、不足部分を埋め、これから先の時代のキャリアの開ける業務にするのが、中国に来てまでやりたかったことだったのですが、それは、私の為でだけではなく、後輩達の為でもあったわけです。その後輩も、今月一人辞め、一人が倒れ、残る一人は確かもう36歳なので、私が何かしてやるというよりも、そろそろ私が何かする時助けて欲しい年齢になっているということで、もういいかな、という気になりはじめています。もう私が、この会社でしなくてはならないことは残っていないような気がし始めています。足掛け17年近く勤め、通算でもそろそろ14年。潮時な感じもしているのですが、前回も記載しましたように、この2年を利用したパラダイムシフトに失敗したので、簡単に次の仕事が見つかるかどうか。。。。少し長居し過ぎたようにも思えます。終身雇用から外れたところを生きるには、1社5,6年がいいころなのではないか、とも思いつつあります。

 ところで、倒れた後輩の病気をネットで調べてみたところ、回復したとしても、数年以内で再発し、長くは生きれない人が結構多いという記事を目にしました。外資ということで、勘違いしたような浮ついた社員も多く目につく中、地に足のついたその後輩には幸せになって欲しかったし、幸せにならなくちゃいけなかったのに。こんなところで営業の悪口書き連ねたところで、別に営業が悪かったわけでも無いし、IT業界の揺れのしわ寄せというわけでも無いのですが、ただ、状況を良くしようとして参画したこの中国プロジェクトが、一定の成果は出たとはいえ、大した成果でも無く、そもそも後輩達には結局何一つ役に立たなかったどころか、日本に私がいて、一緒に仕事を手伝っていたら、こんなことにはならなかった可能性もあったかも知れない。と、思い始めています。おそらくは、帰国後、より痛切に思い知ることになるのかも知れません。
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by zae06141 | 2009-08-27 02:52 | 旅行・海外駐在関係 | Comments(0)

CCTV撮影所「南海影視城」

 広州近郊にある中央電視台(CCTV)の撮影所に行ってきました。広州の隣の市、仏山市にある南海影視城というところです。上海と南京の間にある無錫、琢州、威海に次ぐ、4つ目の大型撮影施設兼遊覧施設とのこと。日本人の訪問記はいくつかあるようですので、ここでは簡単な感想とアクセス情報を記載します。
a0094433_20302680.jpga0094433_20291592.jpg 左は地図。宮殿地区、江南水郷地区、香港マカオ地区の3つの分かれています。右上は内側から入り口を見たところ。かなり立派な城門と城壁。入り口前にバス停があり、広州から市バスでいくことができます。こちらのブログこちらのブログでは、広州駅前からの直通バスは、本数が少ないようで、両ブログの方とも、10時半発を利用されています。広州駅前には、近郊バス駅の「流花汽車站」、主に広東省内行きバスの「広州市汽車站」、中国全土向け「広東省汽車站」の3つがあるのですが、完全に区域で分かれているわけではなく、重複している行き先もあります。南海影視城いき直通バスは、「広州市汽車站」から出ています。101乗り場。ただし本数が少ないようなのでこれを回避するには、2,30分で一本出ている近郊バスか市バスを利用するとよいと思います。近郊バスの方は、仏山市北部の官窑という町行きのバスが、広州市汽車站101乗り場から出ています。官窑まで30分程度。15元。終点の官窑から5本程度の市バスが出ていて、そのうち、224、244の2本が南海影視城前を通過しています。官窑から10分。2元。
a0094433_20334370.jpga0094433_20332198.jpg 市バスを利用する方法は、広州駅前から地下鉄で、坑口駅に出て、駅前の芳村客運站から244バスに乗ります。地下鉄15分、4元。バス40分程度、5元。広州駅前から1時間程度で着きます。また、こちらのサイトでは、仏山市客運駅から38番バスで30分とあります。このように、郊外にあるのですが、交通手段は幾つかあり、予想以上にアクセスは便利な感じです。
 上記左写真は、江南地区。ほとんど写真の、100m程の、運河の両側の一区画だけしか無いのですが、規模の割りには本格的。この一角で撮影が行われていました(右上写真)。ジャーナリストと思われるカメラを構えた主人公が、雑踏の中を歩くだけの場面でしたが、暑いため、主人公の汗を拭いたり、テイクの度に子供が通りを往復して何度も走りぬけるなど、ちょっとした一場面でも大変なのだということが良くわかる場面でした。下右は遠方から見た江南地区と宮殿地区。影視城は小高い山の麓にあり、散歩に丁度いい遊覧コースがあり、ピクニックがてら訪問するのもいいかも。左下は香港マカオ地区。ここはもう利用されていないのか、完全に廃墟と化していて、多少期待外れ。しかも広場に面しているので、西部劇の宿場町のようにしか見えない。規模は同程度なのに、江南水郷地区は結構広めに見えるのと対照的でした。
a0094433_20343563.jpga0094433_2035081.jpg 園内では4種類のアトラクションが行われていて、2種類しか見られなかったのですが、騎馬戦は意外に見ごたえがありました。
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by zae06141 | 2009-08-23 22:02 | 旅行・海外駐在関係 | Comments(0)