古代世界の午後雑記


「古代世界の午後」更新履歴と雑記
by Solaris1
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カテゴリ:その他歴史関係( 62 )


ウマイヤ朝・アッバース朝・イル汗国・アフシャール朝・ガージャール朝の地方行政区画地図

 前回ローマとビザンツ、オスマン朝の地方行政区画を調べてみたので、今回はウマイヤ朝、アッバース朝からイル汗国にかけての地方行政区画を調べてみました(以下more)。

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by zae06141 | 2014-02-11 00:20 | その他歴史関係 | Comments(0)

モンゴル帝国展:「マルコ・ポーロが見たユーラシア-『東方見聞録』の世界- 」展

 上野の各美術館や池袋のオリエント博物館は定期的にチェックしており、宣伝に力を入れている展示会は広告を目にすることが多いので、興味のあるテーマの展示会情報は概ね開催前に把握できていることが多いのですが、それ以外の展示会の場合、情報を察知した時は既に終了していることが殆どです。横浜ユーラシア文化館で開催されていた『横浜ユーラシア文化館 開館10周年記念 特別展「マルコ・ポーロが見たユーラシア-『東方見聞録』の世界- 」(2013/4/27-6/30開催)』の場合、5月末頃ネットで訪問者の感想を目にした時は、既に終了しているのだと思い込んでいました。まだ開催されていると知ったのは、最終日の4日前。ぎりぎり最終日の前日に行って来ることが出来ました。

 今後各地で巡業開催されるものではないようなので、今更感想を書いても意味が無いような気がしていたのですが、展示会カタログは通販で入手可能ですので、展示会カタログの宣伝を主体に展示会の感想を記載したいと思います。

 
 まず、展示は、一言で言えば、全モンゴル帝国の展示です。マルコポーロの足跡を追うという切り口の展示会なので、モンゴル高原や元朝だけではなく、キプチャク汗国・イル汗国・チャガタイ汗国含めたモンゴル帝国全体の展示となっている点が特徴的でした。日本国内の諸機関が所有している遺物や史料を集めるだけで、モンゴル帝国全体の展示が成り立ってしまうところに驚かされました。展示カタログは、モンゴル帝国史料写真集という意味でも有用かと思います。価格は1450円、送料は290円です。掲載されている遺物の数を数えたわけではありませんが、展示会ではNo196くらいまでの札があった記憶がありますので、約200の史料の写真が掲載されていることになるかと思います。

 出光博物館、天理大学や龍谷大学、宮内庁、国立公文書館、福岡県の博物館あたりの出品は予想していましたが、陶器機器メーカーのINAXがイル汗国時代のイランの陶器の遺物を所有していることや、日銀の貨幣博物館が元朝時代の各種貨幣を所有していることには驚きました(特に銀錠は実物を見てみたかったので感激!)。また、存在自体を今回初めて知った愛知県立大学の古代文字資料館が、貨幣にも文字が刻まれているということで、イル汗国やチャガタイ汗国、天山ウイグル王国・元朝の貨幣のみならず、中央アジアのブハラで発行されたと思われる唐開元通宝の模鋳銭というレアなものまで収蔵しているのには驚かされました(今回展示されていた貨幣や印鑑は、概ね古代文字資料館のパスパ文字のページに掲載されているもののようです)。

 龍谷大学からも多くが出品されていました。龍谷大学というと仏教関連の遺物だけかと思っていたのですが、ウイグル語の書かれたマニ教経典や天山ウイグル王国の行政命令文書、ネストリウス派キリスト教のシリア文字が書かれた遺物など、モンゴル帝国の多面な側面を表す遺物が出品されていました。

 国立公文書館や宮内庁が所有している元代の刊本にも驚きでした。700年も前の書籍なのに、普通の書籍として残っているのが凄い。以前東京国立博物館で目にした8世紀の仏教経典である称讃浄土仏摂受経が(巻子本)最近のものかと見まごう程のクオリティで残っているのに比べれば、700年前の書籍はたいしたことが無いのかも知れませんが、興味深いものがありました。明代の刊本も何冊か展示されていましたが、明代となると珍しくも無い感じ。井上進氏が「中国出版文化史」の冒頭で、米国の大学が、収蔵しているインキュナブラ(15世紀欧州の印刷本)をうやうやしく展示していたものを、見学していた中国人がぼそっと「要は明本だろう?」とつぶやいた、というエピソードを紹介していたのを思い出してしまいました(インキュナブラは国立国会図書館も15点所有していて、国立国会図書館のサイトにインキュナブラのサイトが立っています)。とはいえ、今回インキュナブラも(確か)実物が一点展示されていたし、明本である永楽大全も展示されていて、意外にサイズが大きい(縦50cm、横30cm)ことを知りました。やはり実見すると色々なことがわかります。

 実は、本展示会は、実物ではなく、複製や写真の展示品も多い内容となっていました。特別展(3階)だけではなく、通常展示(2階と4階)含めての入場料が300円という価格なので、全展示品についてオリジナルをそろえることは難しいのだと思います。ただし、複製や写真の展示であっても、オリジナルのサイズで展示されているので、実物では無いとはいえ、参考になりました。例えば、16世紀ベルギーの地図製作業者オルテリウスの地図の複製は、A3より少し大きい程度。たまたま最近ネット上でオステリウスの地図を調べていたのですが、PC上でA3サイズ以上に拡大しても読みにくい程の、異様に細かい文字でびっしり地名が記載されているので、もっと大きなサイズだと思い込んでいたのですが、思いがけなく本展示会でオステリウス地図の複製が展示されていて、サイズを認識できました。逆に、1402年の中国地図である「混一疆理歴代国都之図」は、もっと小さいもの(掛け軸程度で縦横5,60cm程度)だと思い込んでいたのですが、150cm x 163cm と大迫力であることがわかりました。

 展示カタログで残念な点が幾つかあります。

 一つ目は、サイズが記載されていないものが多い点。記憶が曖昧でサイズが思い出せないものもあるので、この点残念です。こうだと知っていれば、最初にカタログを購入してから、サイズを記入しながら見学すればよかった。

 二つ目は、オリジナルが展示されていたものと、複製や写真で展示されていたものの区別がつかないこと。展示を見ていない方が、史料写真集として利用する分にはこの点は問題にならないのですが、展示見学者にとっては、メモでも取っていないことには、実物を見たのか、複製を見たのか、記憶が曖昧になってしまいます。

 三点目は、展示カタログに載っていない展示品のリストが不十分な点。期間中、数度にわたり、数点毎展示品が変更されていて、A4一枚ものの入れ替え品一覧表が展示会で配布されていたのですが、私の記憶では、カタログにも、展示替え一覧表にも掲載されていない展示品がある点(例えば、「混一疆理歴代国都之図」の横に比較の為に展示されていた、1136年の石碑版の中国地図「華夷図」の拓本や、グユク汗がローマ教皇に送った親書の実物大写真)。

 四点目は、展示一覧表が掲載されていない点(展示品一覧表はネットでも公開されていないようです)。


 今回失敗したのは、展示品一覧リストが展示会に無いことに気づいたものの、ネットでの公開有無を確認しないで帰宅してしまった点。帰宅後一覧表が公開されていないことを知り、仕方が無いので展示会カタログを通販で購入し、届いたカタログを見て、そのカタログにも展示替え一覧にも載っていない展示があることに気づいた次第。破格の入場料を考えれば仕方が無いのですが、こういうことなのであれば、展示会でカタログを購入し、カタログ掲載されていない情報のメモを取りながら見学すればよかった。今後は気をつけようと反省。


 その他、元寇の遺物の展示(砲弾や船の碇や船のバランサー)、マルコポーロが欧州への帰路で通過した当時の東南アジアやインド、ペルシア湾に関する資料の展示(ペルシア湾で取れる真珠や、真珠の養殖に関する展示など従来あまりなかったような視点の展示など)がありました。マルコポーロの以後の時代の欧州・中国の地図による、世界認識の変遷を追った展示、東方見聞録に登場する内容に関連する記述がある中国やイランの史書や史料に関する展示などが印象に残りました。
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by zae06141 | 2013-07-25 00:17 | その他歴史関係 | Comments(0)

ジャン・シャルダン「ペルシア紀行」と「ペルシア見聞録」の違い

 17世紀後半にサファヴィー朝ペルシアへ交易の旅に出て、詳細な記録を残したフランス人ジャン・シャルダン(1643-1713年)の著作の邦訳は日本でも4冊出版されています。

『シャルダン ペルシア紀行』(羽田正・佐々木康之共訳注、岩波書店〈1993年) 
『ペルシア見聞記』(岡田直次訳注、平凡社東洋文庫、1997年)
ペルシア王 スレイマーンの戴冠』(岡田直次訳注、平凡社東洋文庫、2006年)
『シャルダン「イスファハーン誌」研究―17世紀イスラム圏都市の肖像』(羽田正ほか編訳著、東京大学出版会 1996年)

 しかし、「ペルシア紀行」「ペルシア見聞録」という似たような邦題となっていて、同じ内容の異なる翻訳なのか、違う内容なのか、わかりにくいように思えます。『「イスファハーン誌」研究』も、研究書でありながら、シャルダン著作の翻訳を含んでいるとのことです。では、この『イスファハーン誌』は、『ペルシア紀行』『ペルシア見聞録』に含まれるのか、独立した著作なのか、こういった点がわかりにくく、各邦訳の内容の重複の有無や、シャルダン著作の全体像といった情報が、ネットで簡単に把握できないようなので、少し調べて整理してみました。シャルダンの全著作が収録されている全集の目次と邦訳本との関連などをこちら(ジャン・シャルダン著作目次一覧表と邦訳)にまとめてみました。


 当初、邦訳著作の内容を把握するため、各邦訳本のあとがきや解説だけを読みに図書館へ行ったのですが、「ペルシア王スレイマーンの戴冠」の冒頭を少し読み始めたところ、非常に読みやすく、興味深い内容に止まらなくなり、一気に読んでしまい、「ペルシア王スレイマーンの戴冠」程の面白さは無かったものの、閉館までに「ペルシア見聞記」も読み終えてしまいました。更に「ペルシア紀行」と「シャルダン「イスファハーン誌」研究」もざっとめくってみて、これらの4冊全てのあとがきを読んでだのですが、彼が行なった旅程や著作の内容が余計にわからない部分も出てきてしまい、結局、羽田正氏の「冒険商人シャルダン」(講談社学術文庫)を借りて帰りました。

 「冒険商人シャルダン」は、シャルダンの伝記であるとともに、シャルダン研究の現状や著作解説ともなっていて、混乱していたことが次々に氷解してゆき、非常に参考になりました。この本は、シャルダンに関する情報の混乱を踏まえて執筆されたとさえ思える内容となっています。シャルダンの邦訳本は、題名が間際らしいことから、当初の私のように同本異翻訳本だとの誤解をしている人も少なからずいるのではないでしょうか。そうして、読者の獲得にマイナスとなっている可能性もあるのではないでしょうか。本書はそうした混乱にかなりすっきりと答えてくれる内容となっているものと思います。本書を読んでいくつか腑に落ちた点を列挙してみたいと思います。

 まず、シャルダンという人は、10巻本の全集が出版されている程大部の著作を執筆しているのにも関わらず、自伝を残していないので、彼の生涯についてはわからないことが多いそうです。二度のペルシア旅行の旅程さえはっきりしていないとのこと。二度目のペルシア旅行の往路についてはその生涯で何度も改稿するほど念入りな旅行記を残しているのに、復路と一度目の旅行についてはまとまった文章を残していないため、後年研究者が手紙の発信地や、著作の記載内容から旅程を復元しているそうです。しかも、約70年の生涯のうち、ペルシア旅行に関係した部分は36歳までの15年間だけなので、後半生についても、書簡や他人の日記、東インド会社の公文書等をはじめとする様々な文献などから復元する必要があるとのこと。

 後半生では、ペルシアではなく、インド貿易に注力していて、シャルダン自身は二度と欧州を出ることはなく、英国に移住し、弟のダニエルをインドへ送り込んで貿易事業を行なっていたそうです。サファヴィー朝やシャルダン研究者であった羽田正氏が、講談社興亡の世界史「東インド会社とアジアの海」(2007年)で東インド会社についての著作を出した経緯が漸く理解できました。1685年にフランス王ルイ14世が信教の自由を認めていたナントの勅令を廃止してプロテスタントを迫害したのですが、1680年にペルシアから帰国したシャルダンはカルヴァン派のプロテスタントだった為、英国に移住して英国東インド会社の株主となり、貿易事業を行なったとのことです。弟のダニエルは1698-1707年の間、マドラス市長だったとのこと。イギリスがインドで勢力を持つ前の話とはいえちょっと驚きです。

 シャルダン全集は英語の全訳も出ていないようで、全巻の目次情報もネット上で見つけることができなかったのですが、現在シャルダンを深く研究している人は、世界に二人くらいしかいないらしく、羽田氏はそのうちの一人とのこと。しかも、羽田氏自身、1996年頃までもうひとりの存在を知らなかったそうで、シャルダンの伝記本も、当初は英語版も出版する予定だったそうなのですが、1998年に、ベルギー人研究者のファン・デア・クリュイス(Dirk van der Cruysse)氏が「Chardin le Persan」というシャルダン伝記本(フランス語)を出版してしまったので、英語版の出版を取りやめたとのこと。日本では15年以上前から羽田氏のシャルダン本を本屋で目にいたし、2000年代に入り翻訳本が次々と出版されたので、日本語以上の英語情報があるかと思っていたのですが、どうやらシャルダン情報は、フランス語の次に多いのは日本語情報のようであるということがわかりました。


 羽田氏が英国ケンブリッジ大学図書館でシャルダン文書の存在を知り、興奮のあまり図書館を飛び出して旅行代理店に向かい、数日後にはイェール大学で書簡集の調査に至ったくだりは(第四章冒頭)、研究者という人の感動・衝撃・喜びの深さが率直に伝わってきます。この部分で羽田氏は、現在減少しつつある開架式図書館の利点について、「閉架式図書館は自分の知らない文献は知らないままで終わってしまう」が、開架式図書館は「関連する書棚を眺めていて偶然自分が知らなかった重要な文献を「発見」する」ことが多い実りの多い利用が可能だと述べておられます。このくだりは、国会図書館 vs 都立図書館、Amazon vs 書店 の利点の相違にも通じるところがあり、印象に残りました。

 また、本書記載の時点(1999年)では、イェール大学のシャルダン文書は、幾つかの箱に分けて数十冊のファイルに収められていて、文書に通し番号さえ振られていない状況だったようで、本書に引用されている各文書は、「箱X、ファイルY」のように出典が記されていて、文書の総点数さえ不明だったとのこと(本書p242には1000点近いとある)。これに対して、講談社学術文庫版(2010年)のあとがきでは、文書の整理作業が進み、総点数は708点だと判明し、東京大学の羽田氏の研究室の「イェール大学シャルダン文書の研究」サイトで全ての文書に通し番号が振られた一覧表が公開されているとの記載があります。その後の研究の展開の一端を知ることができた点も印象に残りました。

 羽田氏自身の研究姿勢や研究経験や活動が随所に見て取れるところも、『冒険商人シャルダン』が単なる伝記以上に面白く読める要因のひとつであるかと思う次第です。

『ペルシア王スレイマーンの戴冠』の感想はこちら
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by zae06141 | 2013-07-16 00:12 | その他歴史関係 | Comments(0)

「ジュチ裔諸政権の研究」「スペイン黄金の世紀の大衆演劇」「ゾロアスター教ズルヴァーン主義研究」感想

 これらを読んだきっかけは、1月に視聴したジョチ・ウルス映画「オルド 黄金の国の魔術師」、16世紀スペインの劇作家を描いた映画「ロペ」、サーサーン家の滅亡を描いた映画「ヤズダギルドの死」です。いずれも全部読んだわけではなく、図書館で一部を読んだだけ。しかも高額過ぎて手が出ないので、とてもアマゾンに感想を書けるものではありません。ネット上に感想も殆ど見当たらないのでこちらに書くことにしました。

【1】「ジュチ裔諸政権の研究」赤坂 恒明著:風間書房:2005年刊:定価25200円

  中学校の教科書のモンゴル帝国地図に登場し、大抵のモンゴル帝国関連番組では、全盛期のモンゴル帝国地図に登場するので、多くの日本人にいつの間にか刷り込まれているのではないかと思われるキプチャク汗国。高校教科書では、ヨーロッパへ遠征したチンギス汗の孫のバトゥがサライの都を作って建国、ロシアを200年に渡って支配し”タタールのくびき”とロシア後進性の原因とされ、ティムールに攻め込まれ、やがてガザン、アストラハン、クリミア汗国に分裂した、とあるものの、一般書を読む限りでは、なかなかそこから先に理解が進まないものがありました。少し知ろうとすると、ノガイだのXX家だの、カザフ、ウズベク、シャイバーニーだのと、やたらと国名だか王朝名だか民族名だか判然としない勢力の離合集散と、多数登場する人名家名の多さにうんざりしてしまい、なかなか統一的な歴史イメージを把握しにくいものがありました。そんな私にとって、本書はようやく、統一的な理解の糸口を与えてくれました。

 本書は、キプチャク汗国(ジョチ・ウルス)に関する専門書籍です。定価25000円で746頁もあります。研究者や、強度のモンゴル帝国好きでない限り、これを個人で購入することは無いのではないかと思います。また、746頁(厚さ21cm)というボリュームを前に、一般読者にとっては、図書館で読むということでも、ハードルが高く感じてしまい、しかも、これを開架で置いてある図書館も少ないようなので、どういう書籍なのかあまり知られることは無いのではないかと推測されます。しかし、あくまで個人的感想ですが、本書は、その厚さから予想するよりはハードルは高くないように思いました。そこで、私と似たようなフラストを感じている方の参考になるかも知れないと思い、本書の特徴の紹介記事を書きたいと考えた次第です。


 ①チンギス汗の系譜史料の視覚的把握
 
 746頁の末尾150頁は、史料から復元したチンギス汗の長男ジュチ家の系図です。延々と系図が掲載されています。この部分は、(一般読者にとって)視覚的なインパクトに有用性を感じました。中央アジアではチンギス汗の血統が重視され、チンギス汗の子孫の系譜史料が幾つも残っているとのことですが、チンギス汗の子孫ということが如何に重視され、異常な熱意をもって系譜が記載され続けていたことが、視覚的に把握できます。研究者で無い限り、読むようなものでは無く、パラパラとめくって、視覚的に認識すればいいようなものなので、数分で終わります。更に、二種類の系譜史料(「集史」の系譜部分である「五族譜」と、「勝利の書なる選ばれたたる諸史」の系譜部分)の日本語訳が150頁掲載されています。○○の息子XX、○○の正室XXというような記載が延々と続き、この部分も、一般読者は、史料がどのようなものであるかわかれば十分なので、パラパラとめくって、短時間で終わります。

 ②ジュチ・ウルスの史料一覧

 アラビア語、チャガタイ・トルコ語、ペルシア語、ロシア語などの史料一覧。約30ページあります。ジョチ・ウルスの史料は何があるのだろうか、と興味を持っている方には有用な内容です。

 ③史料のテキスト

 アラビア語版「集史」の中の「ジュチ・ハン紀」第一部のテキストが20頁(全部写真)と、「五族譜」の「ジュチ・ハン分支」のテキスト(35頁のうち、10頁が写真。残り25頁は活字)。チャガタイ語(アラビア文字)の「勝利の書なる選ばれたたる諸史」テキスト(活字)が約40頁。


以上の内容で全746頁中430頁近くを占めます。つまり、一般読者にとっては、実質300頁(註含む)くらいなのです。どうでしょうか。だいぶハードルが低くなった気がしませんか?


 ④ キプチャク汗国研究史と問題点

 序論で、現在のキプチャク汗国(ジョチ・ウルス)研究上の問題点が説かれます。

・ジュチの子孫が君主となった諸政権である”ジュチ裔諸政権”を構成する諸集団は、諸史料・諸研究において、様々な呼称で呼ばれていて、その概念自体が、必ずしも一致したものではない(そもそも金帳汗国という呼称自体当時のものではない)

・《「何が起こったか」という史実》と、《「何が起こったと考えられてきたか」という過去に対する構成における認識》が明確にわけられないまま研究が進んできた

・ジョチ・ウルスの下位集団(XX家、○○民族、△△部族)の実態解明の本格的な研究は端緒についたばかり

・そもそもジュチ裔諸政権については、君主であった人物が誰であったのかも十分に反映していない。ジュチ裔の王統系譜に影響を与えた過去の研究には史料上の問題があり、写本の段階まで踏み込んでジュチ家の王統を確定する必要がある

・ジュチ裔諸政権とそれを構成する諸集団の実体が、政権・諸集団のまとまりの把え方についての、従来の諸研究における概念把握そのものを検討する必要がある

序論の末尾で、本書の目的が記載されます。

・従来の通説において概念把握された政権の枠組みとしての「金帳汗国」「遊牧ウズベク国家」「大帳」「タタール三汗国」等の研究概念を解体し、モンゴル帝国期以後における内陸ユーラシア北西部の歴史の枠組みを再構成することを試みる(p6)

 私がキプチャク汗国に漠然と感じていたフラストの理由がまさに整理されて述べられているように感じられました。こうした諸問題点に対して、第一章でこれまであまり利用されてこなかった系図史料*1が検討され、第二章でジュチ裔の系統確定の作業に入り(その成果が末尾150頁に渡って掲載されている系図)、第三・四章で、ジョチ・ウルスの歴史像の再構築が試みられます。頁配分は以下の通り。

第一章 ジュチ裔についての系譜史料(56頁)
第二章 ジュチ裔諸政権の王統と、史料についての諸問題(58頁)
第三章 成立期~十四世紀前半におけるジュチ・ウルス(92頁)
第四章 十四世紀中葉以降のジュチ・ウルス(34頁)
終章(8頁)


 ⑥ モンゴル帝国期以後における内陸ユーラシア北西部の歴史の枠組みの再構成

 第四章第二節「『金帳汗国(キプチャク汗国)』という概念」では、「金帳汗国」という用語と概念(成立と滅亡時期等)や通説がいつどこで出現し、定着していったのかが検討され、その概念はロシア側の視点によって成立し、近代になって確立されたものだとされます。史料や歴史書の作者の視点により、国名そのものが異なって記載されていると論じられる展開は読んでいてスリリングでした。

・ロシア側の研究では、近代に入り金帳汗国と称されるようになる(金帳汗国という用語の初出は、キプチャク汗国滅亡後の1564年頃記載された「カザン帝国史」)
・東方イスラーム史料(主にペルシア語史料)では、ウズベクのウルス(ウズベク汗(在1313-42年)がジョチ・ウルスのイスラーム改宗を国家的に推進した為)と呼ばれた
・アラビア語史料・ペルシア語史料では、ベルケのウルスと記載されているものもある(ベルケ汗(在1257-67年)がジョチ・ウルスの最初のイスラーム教徒君主となったため)

 国名が異なるだけではなく、ロシア側と東方イスラーム史料では、ジョチ・ウルスとその後継国家の概念も異なっていたと論が展開されます。ロシアでは、キプチャク汗国は、カザン、アストラハン、クリミア汗国の三汗国に分裂し、ウラル以東では、別の民族として遊牧ウズベク民族やカザフ族が勃興し、シャイバーニー朝やカザフ汗国を建国した、とされるが、東方イスラーム史料では、遊牧ウズベクの君主もカザフ君主もジョチ家の君主の一人として扱われ、新しい国を創建したという認識は見られない。更にカザフ自身の叙事詩や、サファヴィー朝の史料では、カザフ汗国はジョチ・ウルスの正統な継承者として扱われており、カザフも遊牧ウズベクもジョチ・ウルスの後継政権として自他ともに認めていたと論じられます。

 現在の研究上の問題点が整理され、過去の研究史が概括され、過去の研究がどのような史料と視点に偏っているかが検討され、別の史料により、異なった歴史像が顕れてゆく記載は非常にスリリングかつエキサイティングでした。著者は終章で、史実とは必ずしも一致しない、後世に編纂された史料の作者達の歴史認識や、近代以降現在に至る後継民族の、現在の自意識におけるジュチ裔政権像を明らかにすることも、今後の取り組み課題として挙げています。今後の研究も楽しみです。ありえないと思ってますが、本書の本論の部分の300頁だけ、5000円くらいで出版してくれれば、絶対購入します。
 

 *1イル汗国時代に記載された「集史」の「五族譜」、ティムール朝時代に記載されたペルシア語のモンゴル系譜「ムイッズル=アンサーブ」、シャイバニー朝初期1504年頃記載されたチャガタイ・トルコ語の年代記「勝利の書なる選ばれたたる諸史」、16世紀中頃チャガタイ・トルコ語で書かれた「チンギス・ナーマ」(非売品とのことですが、国会図書館に日本語訳註があります)など。

 **この記事では、本書で使われている”ジュチ”という表記とジョチという表記を混在させています。本書では、一貫して”ジュチ”と記載されていますが、”ジョチ”の表記をとる書籍も多いので、あえて統一せず、混在のまま記載しました。本書の目次や引用部分は、書籍の通り、”ジュチ”の表記を取りました。なんとなく、この表記の相違には学閥があるのではないかと感じています。

 ここまで書いて、風間書房のサイトに目次を発見しました。こちらをご参照ください

関連記事
 -~ジョチ・ウルスの終わりの始まりを描く~ロシア歴史映画「オルド」(キプチャク汗国時代)
 -キプチャク汗国(ジョチ・ウルス/金帳汗国)の都サライの遺跡




【2】「スペイン黄金の世紀の大衆演劇」佐竹謙一著:三省堂:2001年刊:定価(税込)4725円:絶版

 今年1月に16世紀末から17世紀前半に活躍したスペインの劇作家ロペ・デ・ベガの映画「Lope」を見ました(紹介・感想はこちら)。16世紀スペインで演劇が盛んだったことを始めて知り、かなりの量の戯曲の邦訳が出ていることも知りました。以降、ロペの「オルメードの騎士」を購入し(読んだのは解説部分だけだけど)、タイミング良く2月に岩波文庫から「スペイン文学案内(佐竹謙一著)」が刊行され(購入後鞄に入れて毎日持ち歩き、未だ1/4程度しか読んでいないものの、かなりボロボロに)たこともあり、図書館で佐竹謙一著「概説スペイン文学史」をパラパラとめくり、遂には本書に辿り付きました。16世紀にスペイン大衆演劇が栄えていたことなどまったく知らなかったので、「オルメードの騎士」の解説で「スペインのバロック劇の存在すら知らない人も多い」と書かれているのを読んで、(私は)まったくその通りです、と妙に感心してしまい、反って知識欲を刺激されたのか、山川出版社の「世界歴史大系 スペイン史〈1〉古代~近世」の17-18世紀の記載部分(約90頁)を読み、更には本書の前半部分の約150頁程も読んでしまいました。ちょっとしたマイブーム。昨年秋に何本か16世紀スペインを扱った歴史映画やドラマを見ていて少しは16世紀スペインに興味が出ていたものの、本を読むところにまではいたら無かったのに、映画「Lope」一発で随分興味が刺激されたものだと、我ながら感心している次第です。

 それにしても本書は得がたい内容で、是非復刊して欲しい書籍です。絶版となっていて、中古は本日現在14996円と高額過ぎなのでとても手が出せるものではありませんが、定価(4725円)で再販されたら絶対買います。本書は大きく、前半のスペインバロック劇の解説部(1-4章)と後半三人の劇作家と作品紹介の部分(5-7章)に分かれています。中でも興味を惹かれたのは、第3章「劇場と観客」の章。当時の劇場の平面図や復元図、復元CG、劇場経営や役者の報酬(当時の労働者の賃金との比較表まで掲載されている)、観客層や観客のマナーなど、文学者の著作としては珍しく社会史と言える部分まで踏み込んでいて、16-17世紀のスペイン演劇の諸相が多面的に描かれ、大変興味深い内容となっています(詳細な目次が版元三省堂のサイトに掲載されています)。



【3】「ゾロアスター教ズルヴァーン主義研究: ペルシア語文献『ウラマー・イェ・イスラーム』写本の蒐集と校訂」青木健著:刀水書房刊:2012年:定価9450円

 本書は、題名に「『ウラマー・イェ・イスラーム』写本」という単語が入っているので、イスラーム時代に入ってからのゾロアスター思想の研究だと思っていました。なのであまり関心は無かったのですが、図書館で中身を見てみて驚きました。これは、サーサーン朝時代に興味がある素人も十分読者対象に入る書籍です。誤解を招きそうな表現ではありますが、本書は、中世イスラーム圏におけるアレクサンドロス大王の伝承を研究した書籍「アレクサンドロス変相」と似たような構成です。

 あくまで私にとっての区分ですが、私の頭の中では、「アレクサンドロス変相」は、前半300頁と後半100頁に区分されます。後半100頁では、イスラーム時代初期から11世紀にかけての主に東方イスラーム世界における史書の解説があります。イスラーム時代に記載された史書や作者について、特徴が比較できる形で具体的内容に踏み込んで紹介されている日本語書籍は見たことが無かったので非常に有用でした。同様な感じで、本書「ゾロアスター教ズルヴァーン主義研究」では、第二部の約100頁で、現存ゾロアスター教史料文献の解説があります。文献を記した言語や文字の解説まで網羅的に紹介されていて非常に有用です。ゾロアスター文献にはどのようなものがあるのか、翻訳状況はどうなっているのか、網羅的に整理されたものを知りたいと思っていたのでこの部分は非常に役立ちました。1997年に出版された「パフラヴィー語: その文学と文法」という書籍でも、パルティアやサーサーン朝時代の史料の網羅的な紹介が掲載されていて、両書で紹介されている史料は重複部分もあるのですが、後者の書籍はゾロアスター教以外の史料が記載されているのに対し、近世ペルシア語へと翻訳され、現在では原典のパフラヴィー語文献が消滅している文献は対象外となっています。本書は、アラビア語やアルメニア語、近世パフラヴィー語のゾロアスター教関連文献についても扱われています。

 「アレクサンドロス変相」の前半300頁では、アレクサンドロス没後、中近東でアレクサンドロス像がどのように変貌し、広まってゆくのかが、パルティア時代やサーサーン朝時代の史料等も用いて研究されており、パルティアやサーサーン朝に興味のある読者にも有用な内容となっています。本書「ゾロアスター教ズルヴァーン主義研究」の本論である第一部では、扱っている史料は13世紀に記載されたペルシア語文献『ウラマー・イェ・イスラーム』及び5-8世紀に記載されたアルメニア史料であるものの、史料に掲載された内容のズルワーン主義に関する部分は、5世紀前半のサーサーン朝の宰相ミフル・ナルセフが起草したアルメニア人に対するゾロアスター教への改宗勅令に起源があると推察されることから、本稿が扱う対象は、3-5世紀のサーサーン朝における公式的なゾロアスター教義であるズルワーン主義となっています。つまり本論はサーサーン朝時代を対象とした研究なのでした。

 というわけで、「アレクサンドロス変相」も本書「ゾロアスター教ズルヴァーン主義研究」も、一見パルティアやサーサーン時代そのものの史料とは関係なさそうな書籍だと思っていたところ、中身を見てみて驚いた、という点と本の構成という2点で、私にとっては共通点のある書籍です。とはいえ、「アレクサンドロス変相」は、専門書ではあるものの、(分厚いけど)読み物的側面もある一般書的な書籍でもあるのに対し、本書は、『ウラマー・イェ・イスラーム』の3つの写本の校訂を行い、ズルヴァーン主義研究の基礎を確立し、更に他の史料と比較することで、ズルヴァーン主義の検討を行うという論文です。なので、研究者の方であれば、写本調査や校訂内容(校訂後のペルシア語文がえんえんと掲載されている)・論証過程については、その吟味・批判が読書姿勢となると思うのですが、素人の私の場合は、同じ部分が、好事家的・観光的な視点で研究の実態が興味深く感じられました。3つの写本それぞれに邦訳全文も掲載されていて、写本「カーメ・ボフレ教示書からのウラマー・イェ・イスラーム」の2-4節は、ミフル・ナルセフが起草した勅許原本部分に相当すると著者は推定しており、そうなると、5世紀のサーサーン人の肉声を垣間見ることができるということで、非常に興味をそそられる部分でした。

 本書も、ここまで書いてから結局目次をこちらに掲載しました。本書の目次は9頁もあり、目次を見るだけで、かなり本書の印象が変わるかも知れません。

 本書の第一部の論文部分はネットで公開されていますが、第二部も得がたい内容なので、購入する予定です。
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by zae06141 | 2013-04-05 00:16 | その他歴史関係 | Comments(0)

1913/1928/1937/1970年の世界各国輸入先第一位の国の色塗りマップ

 前回(1993/2003/2011年)の続き。今回の出典はすべてマクミラン新編世界歴史統計 1750-1993 (〈1〉ヨーロッパ〈2〉 アジア・アフリカ・太平洋州〈3〉南北アメリカ)です。

 赤紫は英国。青はドイツ、緑は米国です。

1913年(第一次世界大戦前年)
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 中南米は、米大統領モンロー(在1817-25年)以来、ずっと米国の裏庭だったという先入観があり、貿易も米国が独占しているのだと思っていましたが、第一次大戦前の輸出は英国の方が上回っていたとは知りませんでした。第一次大戦後、南米の輸入先一位はほぼ米国一色になるものの(
1928年の地図参照)、世界恐慌後は後退している様子も見て取れます。スーダンの輸入先第一位はエジプトであり、第一次大戦後に英国が一位となり、冷戦後まで長く一位の座を占めた後、2003年には再びエジプトが第一位に返り咲いています。

 ヨーロッパはドイツと英国に二分されていたのは予想通りでしたが、ドイツの輸入先一位は大戦前に既に米国となっていたとは知りませんでした。日本の輸入先一位は英国本国ではなく、インドだったのも知りませんでした。にわかに戦前日本の経済や貿易の構造分析に興味が出てきました。タイの貿易先一位は中国、インドネシアはオランダ、マレーシアはインドネシア、アンゴラはポルトガル、コンゴはベルギー、イランはロシア。
なお、一部データが空白で1912年のデータを利用した国があります(タンザニアとコンゴ)。


1928年(世界恐慌前年)
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 第一次世界大戦後に、米国が世界列強国と南米に大きく輸出を伸ばした様子が見て取れます。また、ハンガリーとユーゴスラヴィアの輸入先第一位はチェコとなっていて、戦間期のチェコが世界屈指の先進工業国だったというのもうなずける内容。北欧・東欧・ロシアの輸入先一位はドイツとなっていて、世界恐慌前のドイツ経済はかなり持ち直している印象です。20年代のドイツ経済についても詳細を調べてみたくなりました。

 米国の輸入先一位はカナダ。中国の輸入先一位は日本です。

1937年(世界大戦前)
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 真っ先に目を引かれるのは、1928年に米国一色だった南米が、英独に取り戻されている点でしょうか。ブラジルの輸入先第一位はドイツとなっていますが、ドイツは、チリ、ボリビア、エクアドルでも2位となっていて、戦後ナチスドイツの幹部が南米に亡命した背景が良く見て取れます。貿易上の密接な関係があり、パイプがあったということだったのですね。

 インドネシアとタイの輸入先一位は日本となっていて、中国の輸入先一位は米国となっています。1937年時点で、既に二次大戦中の勢力形成の下地が見て取れる内容となっています。世界恐慌後のブロック経済化の時代、輸出先一位の国の確保を強めるために軍事進出・軍事支援(米国の中国への支援など)をすることになるのは、この地図からも予測できる内容となっています。イランの輸入先一位はソ連ですし(二位はドイツ)、二次大戦中にソ連が占領することになるのも、納得できるのでした。


1970年(冷戦盛期)

 米国はすっかり復調し、中南米は米国の裏庭と化し、以前英国が輸入先一位を占め続けていたインド・オーストラリア・ニュージーランドの輸入先一位も米国となり、サウジアラビアとトルコも傘下に入っています。西欧諸国が輸入第一位を占めることができる地域は、ほぼアフリカの旧植民地に限定されています。
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 一方日本は、第二次大戦中の進出先の国々にとって輸入先一位となり、第二次大戦中の勢力圏がそのまま経済進出先となっている印象です。ドイツは、東ドイツ(ライトブルー)と西ドイツ(群青色)に分かれてしまったものの、両方併せると、第二次大戦中の勢力圏と重なって見えなくもありません。なお、西ドイツの輸入先一位はフランス(薄ピンク)。20世紀の古代イラン学では、フランスとともにドイツの存在感が高いのですが、案外貿易関係が密接という背景があってのことなのかも。エジプトの輸入先第一はソ連ですが、これは当時エジプトが社会主義政権だったことを素直に反映しているものと思います。

 1937-70年の地図を眺めていると、米独日の世界貿易でのプレゼンスは、第二次世界大戦前に成立したものではなくて(そういう先入観を持っていました)、第二次世界大戦を通じて形成され、冷戦期はソ連圏があったものの、ソ連崩壊後、1990年代から2000年初頭くらいまでは、第二次世界大戦中の国力がそのまま世界貿易上でのプレゼンスに結びついていったように思えなくもありません。しかし2011年には、リオリエントな地図となってきていることは、前回掲載した通り。

 10年後にはどうなっているのでしょうか。なんだか毎年輸入先国一位の国の地図を作るのが楽しみになってしまいそうです。
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by zae06141 | 2012-11-30 00:14 | その他歴史関係 | Comments(0)

書籍「オスマン帝国史の諸相」感想

 気鋭の日本の若手オスマン研究者達の論稿集。ひとり1章全17章から構成されています(序文の鈴木菫氏による、日本のオスマン朝研究史も含めると実質18章)。

 本書を読み始めて1/3くらいのところで思った最初の感想は、「このような切り口の論稿集がサファヴィー朝からガージャール朝初期のイランについても出て欲しい」ということでした。なんというか、A perfect book for meです。金曜夜に購入し、そのままファミレスで心ゆくまで読みふけるという、久しぶりに私にとっては至福の時を過ごせた本。午前3時までに全17章のうち、11章まで一気に読んでしまいました。一般受けはしない内容だとは思いますが、安定した時代の社会や経済に興味のある私としては、是非読みたかった時代・内容の書籍です。個人的には、略奪ボーナスがあったスレイマン時代以前や、近代化と西欧の衝撃に悩む19世紀以降よりも、略奪ボーナスの時期が終わり、国内で経済を回してゆかなければならない時代である17,18世紀の方が、成長ボーナスが終わり、停滞人口で経済を回してゆかなければいかない今の日本にとって参考になることが多い時代だと思うので、オスマン朝の中では一番興味のある16世紀後半から18世紀の論文が3/5くらい占める本書はうってつけの書籍です。

 掲載論文を時代・ジャンル別に分けると以下のような感じ。

      経済   地方史   政治   外交   行政/官界   世界観 
15世紀                                       1
16世紀  2       2
17世紀                              2
18世紀                      2       1
19世紀  1              1      1       3
20世紀                1

 各時代について、全てのテーマが記載されているわけではありませんが、時代毎に異なったテーマを採り上げることで、「その時代の他のテーマはどうなっているのだろう」「そのテーマの他の時代はどうなっているのだろう」と、上記表中のホワイトスペースへのさらなる関心を掻き立てられ、うまい編集となっているように思えました。個人的には経済に一番興味があるということで、澤井一彰氏の単著を読んでみたいと思うようになっていますが、将来はともかく、ここ数年以内くらいだと日本語で出版しても多分売れないだろうから、国会図書館に論文を読みに行こうと思っています。

 16世紀後半(スレイマン時代以後)から18世紀(ナポレオン侵攻以前)の安定した時代の行政や経済・地方史に興味があるので、19世紀以降を扱った第三部は読まないだろうな~と思ってたら、毎晩寝る前に手が出てしまい、結局全部読んでしまいました。あまり興味の無かった19世紀や、現在活動中の政党の話まで興味をそそられ、書籍の編集方針にうまく嵌ってしまいました。

統計やデータを用いた経済史に興味がある私としては、経済関連の三編が特に面白かったのは当然なのですが、世界観や地方史への興味も大きいので(本書には章番号はついていないのですが、便宜上ここでは章番号を入れています)、

第七章「オスマン王統譜における始祖立ちの変容」(小笠原弘幸氏)
第十章「部族から県へ」(齋藤久美子氏)

も非常に面白く読めました。前者は14世紀から16世紀初にかけてのオスマン史書に記載されている創世神話から現オスマン王家に至る系譜の変遷を追うことで、王家の世界観がどのように変遷していったかを分析しています。後者は、現トルコ東部でたまたま目にした碑文から書き起こし、15世紀、サファヴィー朝とオスマン朝の抗争の渦中にあった現東トルコの末端支配の在り方や地方有力一族の歴史を断片的な史料から読み解いてゆくもの。非常にスリリングな記述で読み応えがありました。最後の「サファヴィー朝防衛の重要性が薄れた為、史料にケサン県が登場しなくなる」という指摘は非常に重要な指摘なので、ケサン県だけではなく、近隣諸県についても、史料に登場しなくなるのかどうか、知りたいと思いました。

12章「オスマン帝国の税制近代化と資産税 -19世紀のダマスカスの時代」(大河原知樹氏)では、1833,39,44,52年のダマスクスの街区毎の税収一欄表や税内容を分析して都市ダマスクスの一面を描き出していて、私としてはイメージしやすく、頭に入りやすいものがありました。政治史の記述を読んでいて、「エジプトのアリー朝が1830年代にシリアを支配した」という記載を読んでも、イマイチ頭に入らず、すぐ忘れてしまうのですが、支配時期に行われた税制改革のありようを数値入りで示されると、すんなり頭に入ってくるのでした。13章「オスマン帝国における「公教育」と非ムスリム」(長谷部圭彦氏)も面白く読めました。さして興味もない19世紀の教育制度改革の話が興味深く読めたのは何故だろうかと考えるに、やはり教育というものが、自分自身に普通に関係していたテーマだからだと思い至りました。私は教育業に従事しているわけではありませんが、普通に高校生まで公立学校で学んでいたので、公教育という切り口は関心を持ちやすいのかも。マクロ経済とか、税制、末端行政、教育といったテーマは、現代に生きる私の日常生活で接する話なので、関心を持ちやすいのではないかと思った次第です。

 一方で、読むのに時間がかかったのが、司法行政を扱った2編。これは内容が面白く無いのではなく、単に、私が司法というものに殆ど関わらずに生きてきたからだということだと思います。10章「オスマン朝「軍人法官」の実像(松尾有里子氏)」では、イスタンブルの上級審の法定台帳から、訴訟のテーマの比率、当事者の分類、法定審理の進み方など、具体的に理解でき、読み始めはとっつきが悪くて進まなかったのですが、途中からぐんぐん引きこまれました。11章「オスマン帝国の制定法裁判所制度(秋葉淳氏)」は、”制定法裁判所制度”という用語に最後まで目が眩み続けましたが、読み進めてゆくと、近代化改革の為に新設された司法省と、伝統的シャリーア法定を統括する長老府の権力闘争という軸が浮き出てきて読み応えがありました。

 序文の鈴木菫氏による、日本のオスマン朝研究史もよかった。最初は「日本ローカルな研究史よりも先にオスマン朝研究史全体を知りたいのに」と思っていたのですが、読んでみたら、これはこれで良かったです。近世イランの日本での研究史も読みたくなってしまいました。世界全体での研究史ももちろん知りたいのですけれども。

 さて、私にとってメインの経済史。

4章の澤井一彰氏の「穀物問題に見るオスマン朝と地中海世界」は、読む前は、領土が急拡大して、人口が急増したイスタンブルの穀物不足問題の状況そのものを描いた話だろうと思ってたら、更に一歩進んだその先の「穀物不足の状況において、西欧に密輸出する業者とその取締の実態」という内容でした。アドリア海沿岸に、闇穀物倉庫が多数建設されていた様など、当時の景観までイメージできる記載や、各種密輸の手口など、これはこれで面白く読めました。恐らく、イスタンブルの状況は、「16世紀後半におけるイスタンブルへの人口流入とその対応策」という論文の方に描かれているものと思われるので、国会図書館に読みに行こうと思っていますが、最初に「16世紀後半におけるイスタンブルへの人口流入とその対応策」を読んでしまっていたら、「穀物問題に見るオスマン朝と地中海世界」は、「似たような内容だろう」と思い込んでしまい、読まずに終わってしまったかも。その意味で、本書に「穀物問題に見るオスマン朝と地中海世界」の方が掲載されていてよかったかも。澤井一彰氏は、フェルナン・ブローデルが、大著「地中海(フェリペ2世時代の地中海と地中海世界)」で、実質スペイン・ヴェネツィア側しか描けなかった16世紀後半の地中海世界のオスマン側を描こうとしている目標があるようですね。将来的に是非、ブローデルの「地中海」を完成させる大著をものして欲しいと期待する次第です。ひとつだけ、最後に思ったことは、屋上屋根を重ねるようなことは学者にはできない相談なのかも知れませんが、1564-90年のヴェネツィアの穀物消費量とオスマン朝のヴェネツィアへの輸出総量の推計値と年度変化のグラフが出せると、両者の連動具合がより明確になるのではないかと思えました。あともうひとつ。登場する地名の一部が掲載地図に記載がなかったのが残念。

3章の「オスマン帝国におけるフィレンツェ絹織物及び毛織物の販売」(鴨野洋一郎氏)では、フィレンツェの織物製造商社セッリストーリ会社(商社という用語は論稿には出てこないが、記述を読むと、製造だけではなく、輸入販売も行なっている)のオスマン帝国への販売内容を分析していて、1496-1500年の販売内容一覧表や、織物種別分類統計表はワタシが大好きなデータ資料。オスマン宮廷への販売額がオスマン帝国全体の売上の37.8%、絹織物に絞れば44.4%にも達し、西欧近代化を支えた一要素である富の一部が、繁栄中のオスマン宮廷からもたらされた状況が数字的に見て取れます。それにしても、英国で生産された毛織物が、商社を通じてオスマン帝国に売却されていたとは知らなかった。しかしこれで、「16世紀イングランド行財政史研究」(井内太郎著)につながることになるので、そのうち「16世紀イングランド行財政史研究」も読むかも。あと、鴨野氏の論文でも引用されている、斉藤寛海氏の「中世後期イタリアの商業と都市」もそのうち読むかも。斉藤氏の当該書は、最初の方に「イギリス羊毛のフィレンツェへの輸送」「ダマスクス市場のフィレンツェ毛織物」という章があり、以前から興味はあったのですが、9450円という価格に手が出ないでいたのですが、当該部分だけ都立図書館に読みに行くかも。本書出版の母体となった「東洋文化 第91号(2011年3月) 特集 オスマン帝国史の諸問題」は非売品とのことなので、これも都立図書館に読みにゆく予定。

 私の場合、専門書については、1/3も読めば、無駄遣いではなくなり、2/3読めば元はとった、と思っているので、専門書は大抵4,5割くらいしか読まず、7,8割読めばいい方なのですが、本書は全ページ読んでしまいました(注釈に記載されている海外の参照文献のローマ字表記の部分は殆ど読んでませんが。。。)。本書は6300円なので、十分元はとりました。ところで、この6300円という価格は、私にとっては重要な価格なのでした。どうしてそうなのか、自分でもよくわからないのですが、この10年間、新刊6500円(消費税含む)以上の書籍は、6500円以下の古書が出るまで待ってしまう、古書の場合は、送料含めて6500円以下になるまで待つ、どうにも下落しない古書の場合は図書館で必要箇所だけ読む、という傾向があるのでした。例外は、サーサーン朝とパルティア関連書籍のようで、この10年間で購入した6500円以上の書籍9冊のうち、8冊がサーサーン朝とパルティア関連なのでした。というわけで、「オスマン帝国史の諸相」も、あと200円高かったら、新刊で買わなかったかも。。。。(建築・都市空間・インフラ、文芸・風俗というテーマの論稿も入っていれば、8000円くらいまでOKだったかも)

 こんなことを書いて、著者や出版社の方には申し訳無いのですが、しかし一方、6500円以下の書籍で、かつ、あまり売れそうも無い書籍については、なるべく新刊を購入するようにしています。更に言えば、1年程前から日本の書籍については、アマゾンで新刊を購入しないことにしています。基本的には、新宿ジュンク堂で中身を確認し、購入を決めたら近所の町の本屋さんに取り寄せしてもらうことにしています。文庫やコミックでさえも。面倒くさいけど。稀に出版社に在庫が無く、ジュンク堂に在庫がある場合は、ネットでジュンク堂から購入します。ジュンク堂にも無い場合にアマゾンとしています。25年前就職活動時にコンピュータネットワークの未来を知り、ネットが発達しさえすれば情報収集できる程度の付加価値の低い媒体や、日本に輸入しているというだけで価格が3倍くらいする洋書、日本語に翻訳しているというだけで、価格が数倍になる洋書が、ITの威力で淘汰されてきている傾向は、私が望んだ未来です。仕事でも趣味でもグローバリゼーションの推進を今後も続けていくつもりです。しかし、年をとったからなのか、最近は、変化が速すぎるとも思い始めています。アマゾンに抵抗するわけではありませんが、もう閾値は越え、推進しなくても勝手にころがってゆくだろうから、町の本屋が全部ネットに置き換わるとは思っていないまでも、ある程度までネットに置き換わって減少することも間違いの無いところです。しかし、私は本が好きで、本屋さんも大好きです。自分の町の本屋さんは、やはり無くなって欲しくはありません。いつかはネットや大書店に負けて潰れてしまう運命にあるのかも知れませんが、そうであるならば、少しでも長く営業して欲しい、と1年程前から思い始め、新刊は近所の書店でいちいち注文して購入するようにしました(近所の書店に置いてるような本=売れている本は、遠慮なくアマゾンか古本屋で中古を購入していますけれど)。

 ということで、一応私なりに、出版社と著作者、町の本屋さんと、ネットと古書店での購入を分けています。しかし、結果として、ジュンク堂書店での購入が減少してしまったので、今年3月の新宿ジュンク堂書店閉店には、責任を感じてしまいました。実態としては、西新宿に「ブックファースト」が出来て、新宿大書店が過当競争となってしまったことが大きな要因だと思っています。そのブックファーストも、開店してから1年後くらいに売り場を縮小していましたから。とはいえ、少し観察していても、あまり本を大事にしないK書店ではなく、店員さんが崩れた本のメンテナンスをきちんとしているジュンク堂やブックファーストが閉店したり縮小したりするのはちょい腹に来ます。ジュンク堂が閉店するくらいなら、新宿に2店もあるK書店、片方なくなってくれればよかったのに。「オスマン帝国史の諸相」を読んで気分が良かったのに、最後は愚痴になってしまいましたので、最後に本書の話題に戻って終わりたいと思います。本書に関連する内容の、ネットで読める論文のリンクです(2本しかありませんが、そのうち調べて追加する予定。澤井氏の論文は、有料のものが他にも掲載されています)。

オスマン帝国史料解題
 オスマン帝国の史料にはどのようなものがあるかの解説です。今後も追加されてゆく予定とのこと。楽しみです。
永田雄三「トルコにおけるオスマン朝史研究の近況」 トルコ共和国成立以降1970年迄のトルコ共和国におけるオスマン研究史外観
三沢伸生「トルコにおけるオスマン朝史研究の動向(1970-1990年)
永田雄三 「≪特別研究≫18世紀トルコの地方名士ハジ・ムスタファ・アガに関する新史料
澤井 一彰 「16, 17世紀イスタンブルにおける公定価格制度
山口明彦 「オスマン検地帳に見る18世紀初頭イランの地方社会 -イラン西部アルダラーンの農村と遊牧民社会

 折よく話題がオスマン朝となったので、次回からはオスマン朝映画を数本ご紹介してゆきたいと思います。
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by zae06141 | 2012-05-27 00:05 | その他歴史関係 | Comments(0)

youtubeにあがっている古代の言語の発音各種

 突然思いついて調べてみました。まだ見つかっていないものも、今後見つけ次第掲載したいと思います。

1.シュメール語
-未発見

2.古代エジプト語

3.古代カナン・フェニキア語
 画像の途中から文章の朗読が出てきます。

4.インド・ヨーロッパ祖語
-復元祖語で記載した短い文章は2つあるそうです。
 1)The Sheep and the Horses。youtubeに発音を復元した映像「Ancient Language Recreation Linguist Recreates Proto Indo European Language Video」が上がっています。
 2)The king and the god


5.アヴェスター語

-ヤスナ31章第8節
 アヴェスターの中でもっとも古いとされる「ガーサー」の部分。当時の発音を再現したものなのか、今に残る口伝の発音で読んでいるだけなのかはわかりませんが、なんとなく、後述のヴェーダ語に似ている気がします。
 当時の発音を再現したものであれ、今に残る口伝の発音で読んでいるだけであれ、ガーサーの言葉(ガーサー語ともいうらしい)が、現代ペルシア語といかに相違しているかは、同じ編集者がガーサーの言葉と現代ペルシア語の双方で詠んでいる映像を比較すると明確にわかります。

-ガーサー語版ヤスナ28章2節
-現代ペルシア語版ヤスナ28章2節
 説明が何も無いのですが、恐らく現代ペルシア語の発音でアヴェスター語を読んでいるのではなく、現代ペルシア語訳のアヴェスターを読んでいるのだと思います。それでも相違は明瞭です。
因みに、ヤスナ28,29,33の日本語(及び各種言語)字幕付きの映像もあります(朗読は現代ペルシア語)スプリームマスターテレビというエコ団体の放送局が製作した番組とのこと。

-こちらは、フィローズガリという現在のゾロアスター教司祭の方のヤシュト朗読。インドのパールシーの方なのではないかと推測しています。

6.ヴェーダ語

-リグ・ヴェーダ
 リグ・ヴェーダは各種ヴェーダの中でも最も古い部分だそうですが、中でも第3-5巻が最も古い部分とのことで、できればこの部分を聞いてみたかったのですが、映像ではどの巻なのかわからないのが残念です。個人的には、上述のヤスナ31章の言語になんとなく似ている(あくまで他の言語と比較してみると、という話)ような気がしました。

-サーマ・ヴェーダ
-ヤジュル・ヴェーダ
 この映像のヤジュル・ヴェーダは発音的に上のリグ・ヴェーダの映像に似ている感じですが、圧倒的にテンポが速いのが特徴的。この映像で一番面白いのが、最後に登場する映画「ベンハー」のポスターをパクった画像。
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7.ホメロスのギリシア語
-未調査

8.古代ローマ最盛期のラテン語

 カエサルやキケロの著書の単なる朗読なら直ぐ見つかるのですが、それなりに古代ラテン語っぽさを目指したものは簡単には見つかりませんでした。
-キケロのラテン語(カティリナ弾劾)
 素人の方のようですが、”ラテン語テキストの朗読”ではなく、話し言葉を目指したものとのことです。
-カエサル(未調査)

9.万葉集
-未発見

10.平安時代の日本語
朗読 源氏物語(Tale of Genji) 若紫1 平安朝日本語復元による試み
 聞いていて、なんとなく意味がわかります。金田一春彦氏の指導で俳優・声優の関弘子氏が朗読したものとのこと。タイムスリップしても、なんとか会話が通じそう。


 最後。アヴェスター語の映像を探していて、クルド労働者党(PKK・過激派テロ組織とされている)かヤズィード派のクルド人か、または中東以外のクルド人作成らしき映像を見つけました。「The language of Avesta The Kurdish language」という題名がついていて、クルド語とアヴェスター語の似ている単語を取り出して、クルド人のアイデンティティの起源をアヴェスタ時代のマギに求めるイデオロギー映像なのですが(単なるロマンでやっているだけかも知れないけど)、結構見ていて面白い映像。映像的には完全にゾロアスター教徒の末裔です。映画「プリンセス・オブ・ペルシア エステル勇戦記」のカットが登場したり、アケメネス朝のグリフォンやシャープール一世のレリーフを元にしたイラストが登場したりと、ゾロアスター教の末裔と信じているクルド人の人口がどのくらいいるのか知りませんが、古代メディア・アケメネス朝・サーサーン朝の映画を作ってくれるとしたら、現政府のイランではなくて、クルド人団体とかになったりして。
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 上記映像に登場する古代イランの絵は、こちらのyoutube映像「3000 yrs Persian / Aryaian Culture 500-BC & 6th Century BC 」により大量に数十枚掲載されています。クルドの映像はこれらの画集からの引用だと思うのですが、色調が気に入ってしまいました。出版されている画集であれば、是非購入したい思っています。しかしそれにはまずタイトルを探さないとどうにもならないわけですが。。。。

 個人的にはアヴェスターのヤスナ31章第8節が気に入りました。何か作業をしている時にBGMとして聞くには、私的には波長が合っている感じです。

 あと、印欧祖語の復元音声は、どこかの誰かに是非作成して欲しいと思っています。印欧祖語復元語、アヴェスター、ヴェーダ語、ヒッタイト語、古代ペルシア語、近世ペルシア語、サンスクリット語、ヒンディー語、ゲルマン祖語、ドイツ語、古代スラブ語、ロシア語など、同じ意味の一つの短い文章を次々と各時代の言語で朗読してゆく映像とか、是非聞いてみたいと思っています。印欧祖語から枝分かれして、現代の各国語に至るまでの発音が次第に変化してゆく調子がわかるかもと期待する次第です。
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by zae06141 | 2012-05-15 00:05 | その他歴史関係 | Comments(4)

ファーティマ朝:歴史と史料書籍「Exploring an Islamic Empire: Fatimid History and Its Source」

 2010年12月30日の記事「2010年面白かった書籍・役に立った書籍ベスト10」の「役に立った書籍」第3位、Paul Ernest Walker著「Exploring an Islamic Empire: Fatimid History and Its Source (I.B.Tauris in Association With the Institute of Ismaili Studies) 」、残り4割、漸く読み終わりました。

 本書は、英国ロンドンにあるイスマイール派を対象とした研究所、「Institute of Ismaili Studies」から出ている「Ismaili heritage Series」の第7巻で、本シリーズは、他に下記書籍が出ているようです。

1.Abu Ya'Qub Al-Sijistani: Intellectual Missionary
2.The Fatimids and Their Traditions of Learning
3.Hamid Al-Din Al-Kirmani: Ismaili Thought in the Age of Al-Hakim
4.Nasir Khusraw: The Rudy of Badakhshan : A Portrait of the Persian Poet, Traveller and Philosopher
5.Al-Ghazali and the Ismailis: A Debate on Reason and Authority in Medieval Islam
6.Ecstasy and Enlightenment: The Ismaili Devotional Literature of South Asia
7.本書
8.Surviving the Mongols: Nizari Quhistani and the Continuity of Ismaili Tradition in Persi
9.Memoirs of a Mission: The Ismaili Scholar, Statesman and Poet, al-Mu'yyad fi'l Din al-Shirazi
10.Eagle's Nest: Ismaili Castles of Iran and Syria
11.Between Revolution and State: The Path to Fatimid Statehood: Qadi al-Nu'man and the Construction of Fatimid Legitimacy
12.Ismailis in Medieval Muslim Societies


、以上までは、「Institute of Ismaili Studies」のサイトに一覧が出ています。更に、そのサイトに出ていない最新刊が2011/2/15発売予定の下記のようです。

13.A Modern History of the Ismailis: Continuity and Change in a Muslim Community

 いづれも面白そうなタイトル、4千円程度で日本のアマゾンでも購入できるということで、円高の現在、お買い得な感じもします。「Fatimid History and Its Source」はJPアマゾンで3717円で新刊を購入(だから送料込み)しましたが、現在でも3792円と、あまり差がありません。

 さて、本書は、以前にもお伝えしましたが、「アジア歴史研究入門 第4巻」の前期アラブの史料案内の最後の行で、

 「なお、ファーティマ朝に関する文献については紙数も尽きたので割愛する」(p554) 

と書かれてあった為、購入することになったものです。本書は、以下の構成となっています。

序章 15頁程  概要
第一部 75頁程 ファーティマ朝通史
第二部 110頁程 史料(コイン、建築物、碑文、織物、美術、考古学、手紙、文書、回想録、同時代証言、歴史書、地域史、伝記、文学、科学、現代の研究状況)
中世史料人名索引
現代研究人名索引

 ヒッティの「アラブの歴史」下 くらいの知識しか無いファーティマ朝初心者としては、基本的な歴史と、その裏づけとなる史料が約半々で、中世と現代の研究者一覧があるのも資料としてうってつけ、という印象を与える章立て。こりゃいい買い物をしたかも、と早速「史料」の「歴史書」の章から読み始めたのですが、まず気づいたことは、ファーティマ朝どころか、ファーティマ朝前後の状況、シーア分派の歴史でさえ知識不足なので、登場する用語が、人名・地名・集団・書名なのかさえわからない点。

 例えば、Ṭayybisī Ismailiは、最初人名だと思ってしまいました。その夜寝ながら、「イスマーイル派の分派のことだったか」と気づく始末。da‘waやdā‘īもなんとなく見当はついてもよくわからないのがストレスなので、序章を読むことにしました。その後第二部の最初から読むことにしたのですが、読み終えた今思うに、本書は、序章、第一部、第二部の順番で読むようにできているので、それに逆らって読むと余分な負荷がかかるだけ、という印象を持ちました。良く考えて配置された構成だという感じです。

 しかし、それでも欠点と思える点がいくつか。

1.地図、系図が一切無いので、人名の整理に戸惑う。結局ヒッティ本の系図などを参照しつつ読むことに。

2.コインや建築物、碑文、織物史料の説明で、「写真や図が無いものか。不便だなぁ」と思っていたのですが、それが物的史料の章をとっくに過ぎ、回想録の章の途中、p144と145の間に物的史料のモノクロ写真8ページが突然挿入されていた。写真のページにはページ番号がついていない。よくよく見ると、目次の後に、「Illustrated」のページが1枚挿入されていて、ここで写真番号と簡単な説明がついているのだけど、モノクロ写真ページに「ページ番号」がつけられていないので、144ページ目を開いてはじめて写真の存在に気づいた。写真のページは紙質も違うのですが、たった4枚(8ページ分)しか無いため、ぱらぱらとめくっていても、予めそうと知っていなければ気づかないくらいな存在感。まあでも、碑文の書体やコインのレイアウトの話を文章だけでされても困るので、コインや碑文の章を読んでる時は不親切に感じたが、最終的には入っていたので、よしとしよう。

3.人名・地名・集団は序章を読んでなんとか混乱しなくなったのですが、今度は名前について、同時代人、後世の歴史家、現代の研究者のどれなのかがわからない。そこで巻末の

中世史料人名索引
現代研究人名索引

が非常に便利で大活躍する筈なのですが、これにはえらい苦労しました。というのも、

1)名前が異様に長く、名前のどこの部分から作品を引いていいのかわからない。例えば、

本文では、Abū Muhammad `abd al-Salām ibn Tuwayr  と出てくるのに、
索引では、ibn Tuwayr ,Abū Muhammad `abd al-Salām と出てくる。

お陰で、 Abū Muhammad、`abd al-Salām、al-Salām、ibn Tuwayr、Tuwayr と、5回索引を引かなくてはならず、これに相当な労力がかかった。本文で言及されている歴史家、同時代資料提供者の名前をメモしていったら、45人となった。なお、中世史料索引には92名の人名が載っているが、本文に登場する45人のうち、索引に名前が見つからない人物も少なからずいる。

別の例では

Jamāl al-Dīn Abu 'l-Ḥassan 'Ali Ibn al-Qiftī も、索引には、
Ibn al-Qiftī ,Jamāl al-Dīn 'Ali b.Yūsuf と出ていて、一見異なる人物に思えるが、本文の注釈に、Jamāl al-Dīn Abu 'l-Ḥassan 'Ali Ibn al-Qiftīの著作、Ta`rik al-hukamā' が、J.Lippertの編集で1903年にLeipzigで出版されているとあり、索引にも同じことが記載されているので、誤植でなければ、両者は同一人物と考えて構わないのだろうが、ここに至るまでにJamāl、 al-Dīn、 Abu 'l-Hassan 、'Ali Ibn al-Qiftī 、Ibn al-Qiftī、al-Qiftīと6回も索引を引かなくてはならず、更に悪いことにこの

Jamāl al-Dīn Abu 'l-Ḥassan 'Ali Ibn al-Qiftī  に対して
Jamāl al-Dīn Abu 'l-Ḥassan 'Ali Ibn Ẓāfir という、似たような名前が登場し、索引には Ibn Ẓāfir,Jamāl al-Dīn 'Ali と出てきて、これも、Abu 'l-Ḥassanの有無という点で若干名前が違うが、著作名が同一なので、これも誤りでなければ恐らく同一人物なのだと判断することになる。


 名前のどの部分から引けばいいのか、そして、索引に載っていない人物なのかそうなのか、の結論を出すまでに相当の時間を消費した。煩わしいことこの上なかった。研究者なら、直ぐに誰それ、と分かるのでしょうが、素人には大変な手間でした。


2)索引自体の問題

 この索引の問題は、索引の目的が、作者の伝記的一覧ではなく、著作が残っており、その著作の翻訳や研究が現代の研究者によって行われているか、を示すものである、と推測される点にある。せめて、索引掲載の人物の後に生存年代、没年など、簡単な紹介など、わかる範囲で書いておいてくれれば、もっと検索し易く、大幅なストレス削減が図れるものと思います。


4.その他

 Nisārīsが索引にはp9に登場する、とあるのに、p9には言及が無かったり、5章の註26が無かったり、細かいミスが目につくので、上述の名前の件も、どこまで信頼できるのか。。。。


 というわけで、価格の割りに充実した内容・構成であるにも関わらず、「ひょとして安かろう悪かろうなのだろうか?」と不安にさせられるミスが散見され、お買い得・お奨め書籍なのか、そうでないのか、初心者の私としては判断できない書籍となりました。玄人方のご意見を伺ってみたいところです。


 ところで、著者が冒頭部分で、「そもそもこの本を出したのは、英語圏の研究者にとって、ファーティマ朝への注目度があまりに低いことにフラストレーションを感じ続けていたことに答えようと始めたものである(Google bookでこの部分を読むことができます)」と述べておられます。以前、「Sasanian Iran (224-651 CE): Portrait of a Late Antique Empire」のレヴューに、読者が、「ササン朝の研究はまだまだ仏独がメインで、英語で書かれたものは無いに等しい」と英語での著作を歓迎する感想が述べられていましたが、ファーティマ朝については、学者自らがそのように考える程の状況なのですね。。。。

 ファーティマ朝は、本格的なシーア派初の政権、アッバース朝に対抗してカリフを名乗った最初の政権、異色の君主ハーキム、カイロを建設し後の時代に「エジプト」意識をもたらした政権、メッカとメディナを勢力下に置き、一時はバグダッドも占領、十字軍の到来など、イランのサファヴィー朝と並ぶ異色の政権であり、様々な話題のある政権なわりには影が薄く、情報が少ない気がします。そういう意味では、色々欠点がありながらも、有用でお買い得な書籍かと思います。なお、JPアマゾンでは、検索すると「在庫切れ」と表示され、価格さえ表示されなかったり、どういうきっかけか、ちゃんと「取り寄せ」の文言と価格が表示され、更に中古本の表示もされる時があるなど、何か不安定な感じです。いづれにしても円高のお陰で、JPアマゾンで購入した方が遥かにお買得な状況となっています。

 
 本書で得られた知見は初心者の私にとっては膨大なものがあり、全てを記載することは難しいのですが、いくつか挙げて終わりたいと思います。

1.ファーティマ朝の歴史書が少ないのは、タバリーや、イブン・アスィールなどの「世界史」と、「エジプト史」など地域史が発展する時期の狭間に位置し、「世界史」の中では、一地域としてわずかな情報しか提供されず、後世の地域史著者はスンニ派なので、シーア派政権については感心が薄く、政権全体への言及が少なく、エジプト以外のファーティマ朝の活動への言及が少ない状況となっている。イスマーイル派文書なども学説文書が多く、「ファーティマ朝全体」を描いた史書が存在しない。

2.ファーティマ朝時代の文書は同時代の欧州と比べると、殆ど残っていない。シールクーフとサラディンは、官庁を破壊するようなことはせず、ファーティマ朝の行政機構をそのまま残し、その後のマムルーク朝への王朝交代も、行政機構を破壊するものではなかったので、文書が残っていて良い筈だが、残っていない。文書が見つかっていないのではなく、文書を残さなくてもよい体制的断絶が何度かあったからかも知れない。とのこと。しかし、ユダヤ教会に残るカイロゲニザ文書(ゴイテインによると25万枚)実際には3箇所のシナゴーグのゲニザ(保管所))、及びゲニザ文書に紛れ込んだアラビア語文書、コプト教会の文書が残っている。

3.中世史料索引に92人もの著作者の名前が上がっているように、断片的に残存するものを含めると、結構な数の著作が書かれており、今欠著作であっても、後世の著作で引用されているものも多く、更にナースィル・ホスローや、イブン・ジュバイルウサーマ・イブン・ムンキズなど、ファーティマ朝時代のカイロを訪れた人物の旅行記や回想録があり、この3著は邦訳もある。ただし、重要な資料である、マクリーズィーの著作は、伝記、歴史、地域史の3種類であるが、伝記関連は17巻中8巻までしか出版されていない(本書出版当時)。

4.最近のイスマイール派の研究拠点はロンドンの「Institute of Ismaili Studies」であり、300以上にも及ぶイスマーイール派文書のテキストの復元と研究を行っている。他にドイツのテュービンゲン大学やインドのボンベイ大学にライブラリがあり、現在成果が上がっている領域は、イエメンのṬayybisī Ismaili派が残した文書の研究で、この派のコミュニティはインドやパキスタンにもあり、ウルドゥ語の研究者もいるとのこと。

5.後期ファーティマ朝の歴史は、一部実権を握ったカリフもいたものの、基本的にはワズィールが(wazir)が実権を握り、しかも彼らの多くはアルメニア人だった。最後の1世紀に7人のアルメニア人がワジィールとなり、中にはキリスト教徒のままワジィールの位につく者もいたとのこと。ワズィールとは、ファーティマ朝の場合、当初はカリフの家宰に相当し、その後文官のトップ(宰相)に相当する存在となったが、初期の頃は常設されていたわけではなかった。後期ファーティマ朝(1069年、アルメニア人バドル・アル・ジャマーリの実権掌握後)では、実質的に私兵を持った宰相となり、短期間で交代するなど、マムルーク朝のスルターンたちの原型のようである。

6.サラディンは、ファーティマ朝カリフ一族を誅滅したわけではなく、王子に女性を近づけないように軟禁し、自然に家系が絶えるようにした。宮殿図書館には160万冊の書物があったが、10年がかりでサラディンの部下達が持ち去った。



 という感じで、知りたかった史料や、後期の歴史も知ることができて満足しています。唯一得られなかったのが、得体の知れないカリフ ハーキムについて。この特異で奇怪な人物のエピソードを前嶋信次氏の「イスラム世界」読んで知り、本作にも期待していたのですが、記述が殆ど無く、同じ著者が出している、「Caliph of Cairo: Al-Hakim Bi-Amr Allah, 996-1021」を買う羽目になってしまいました。著者のPaul E. Walker 氏は後々ハーキム本を出すつもりでわざと記載をはしょったに違いない。まあでも、ハーキム本も、JPアマゾンで新刊が2582円で352ページとリーズナブルな価格。面白いといいなぁ。。。。。と期待して待ってるところです。


 ところで、突然中東で独裁政権抵抗運動が拡大しましたが、デモの伝播した地域が、チュニジア、エジプト、イエメンと、ファーティマ朝ゆかりの場所であることに、本書を読みながら、偶然とはいえ面白いと感じました。岩波書店が出版中の「イスラーム原典叢書」の「ムスリム同胞団の思想 ハサン・バンナー論考集」、今出せば売れそうな気がします。


関連記事
  ファーティマ朝・マムルーク朝・セルジューク朝・イル汗国・サファヴィー朝の財政規模
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by zae06141 | 2011-02-06 12:12 | その他歴史関係 | Comments(2)

金為替本位制下の英領インドは本当にデフレで黒字だったのか?

 相変わらず細かいことが気になります。結構評判のよさげな三國陽夫氏の「黒字亡国」ですが、英領インドに関する記載に違和感があり、少し調べてみました。すると、三國氏の主張どころか、経済史家の記載にもおかしなところがいくつか見つかり、困惑しています。

 三國氏の主張は、「日本は米国の通貨植民地であり、対米黒字は米国への資本輸出となり、日本の内需に貢献していないばかりか、デフレの要因となっている(私の要約)」というものです。この論議の正否はともかく、納得しがたいのは、現状の日本の分析に合わせる形で金為替本位制下(1899以降)の英領インドの分析をしていると思われる点です。

1.氏の主張の要点のひとつである「インドの対英黒字」について

 まず、氏はp19で「インドの歴史書を読んでみた。イギリスの植民地だったインドの通貨ルピーが、十九世紀末から二〇世紀前半にかけてインド国内の工業化のための投資に使われずに、ポンド資産を取得することによりイギリスに流出してしまったという記述があった」、p81では、「イギリスの植民地であったインドは、香辛料などの原材料を輸出してイギリスを相手に多額の黒字を計上した」「と記載しています。

 「マクミラン新編世界歴史統計 (2)  アジア・アフリカ・大洋州歴史統計 1750~1993」を参照してみました。これには、1840年以降の、年度別・インドの主要国別輸出・輸入額が記載されています。三國氏は「十九世紀末から二〇世紀前半」と記載していますので、その期間を見てみました。対英貿易収支は、1873年から1935年の間、一貫して赤字となっています。しかも1885から1929年の間は、輸入は輸出よりも50%近く多い値となっていて、圧倒的な貿易赤字となっています。マクミランが間違いなのか?と思って、「岡田泰男編・西洋経済史」を参照してみたところ、1910年のインド対英貿易赤字額が4200万ポンドと記載されていて、マクミランの内容と一致しています。なお、「マクミラン」では、1840年から1949年の間について、インドが黒字だったのは、1840-41、1843、1845-1848、1862-65、1869-72、1936-1945年となっていて、110年間中26年間となっています。つまり、1840年から独立までの間の英印貿易で比較的互角だったのはほぼ1872年以前の話で、「十九世紀末から二〇世紀前半」は、圧倒的な対英赤字の時期なのです。他にも、「金本位制の下」との記載もある(三國本p81)ので、1899年以降の英印金融関係を示しているのは明らかです(インドは元々銀本位制であり、1873年以降の銀相場の暴落により、銀本位だったルピーも暴落したため、1899年に金本位制(厳密には金為替本位制)に改めた)。

 三國本には「対英黒字」の出典についての記載も無いのですが、以下で引用する各書によると、どうやら、「イギリス以外の全世界との貿易収支が黒字だった」ということのようです。特に、「金融と帝国」p65、66では、1890年から1910年までのインドの総輸出・入のグラフが掲載されており、15%から20%の黒字だったことがわかります(「マクミラン」には、残念ながら、インドの全相手先貿易収支は掲載されておらず、主要国10カ国しか掲載されていないので、掲載10カ国分を集計しても、輸出超過にはならないのでした。ただし、1923年以降の貿易収支総額は掲載されており、それによると1000万ポンド近い黒字となっています)。結局、三國氏は、対英黒字と、全相手先黒字とを取り違えていた、ということになりそうです(しかもこの時代のインドから英国への輸出品の主力は、小麦とお茶であって、香辛料ではない。香辛料が主力だったのは18世紀以前。この点も三國氏の誤認)。


2.全相手先輸出決済金の英国への流出の実態

 残念なことに、上述の貿易収支の総額と同様に、「マクミラン」には貿易外収支総額のデータが1923年以降しか掲載されていません。しかも内訳が、イギリスが徴収しているインド運営費である「本国費」なのか、輸出決済金の資本輸出なのかが不明なのも残念です。一方、吉岡明彦著「「インドとイギリス」のp170には、1904年以降、輸出決済金を英国に留めおく手口の解説があり参考になりました。それによると、1899年以降「本国費」の送金に利用していた、「手形決済」手法を1904年に一般貿易にも拡張した、とあります。その本国費の送金方法とは、

1)インドからの商人(輸入業者)にロンドンのインド省が手形を売却し、代金として金を受け取り、銀行に保管。
2)輸入業者は、インドの商人(輸出業者)に代金として手形を送付し、手形を受け取ったインド人業者は、インド政庁から決済金を金で受け取る。
3)結果的に、インド政庁がインドで集めた金に相当する額が、英国の銀行に本国費として移転される。

というものです。本国費相当分以上の手形決済を行った場合(1904年以降)、輸出決済金はインド政庁から英国の銀行に移転され、インド政庁の資金はインド国内から集められたものですから、全体として、インドの資本が英国に流出した、という理屈になるそうです。しかしこれは、三國氏の言うような、「インドが輸出で稼いだポンドをイギリスの銀行に預けた」という話ではありません。金為替本位制導入以前から、そういうことがあったのかも知れませんが、残念ながら「インドとイギリス」には、上記以外の資本移転の記載はありませんでした。

 ところで、インドの金為替本位制については、神武庸四郎・萩原伸次郎著「西洋経済史」p124に多少詳しい記載があり、それは、上述の吉岡本の記載とは2点異なっています。

 神武本では、金為替本位制は、1873年以来の世界的銀暴落によるルピー下落対策としてインドにおける銀貨の自由鋳造を中止し、金-ルピーとポンドの為替レートを市場レートよりも高めに固定させたところ、通貨不足となってしまったので、ルピーの通貨供給量を増やす為に導入された、とあります。決済の為にインド省が手形を出し、インド政庁が業者に支払う方式は吉岡本と同じですが、神武本では、インド省が受け取る代金は、「ポンド」であり、インド政庁が業者に支払う代金は、「ルピー銀貨」となっています。

 「金融と帝国」も参照したのですが(p70)、結論としては、吉岡本に記載のある「手形を金で購入」は恐らく誤認で、神武本の「ポンドで購入」が正しいものと思われます。

 もうひとつ吉岡本との相違は、吉岡本には金為替制度の説明が不足している点です。黒字超過なのに金がインドに流出しなかった理屈は神武本では下記のような説明となっています。

 一定の為替変動枠(基準の固定レートに金の輸送費を加算したもの)を設け、その範囲を突破した場合、金実物の移動が起こる(ルピー高の場合、インドに金が流入、ポンド高の場合はその逆)というものですが、実際に、変動枠を突破してルピー高となった場合、例えば次の原理が働いて、変動枠に収まる仕組みです。

1)仮に、金固定レート=1ルピー=15シリングの場合、為替相場が15シリング=0.9ルピー(ルピー高)となり、金の輸送費が0.1ルピーかかるとします。
2)ロンドンにて0.9ルピーで金を購入し、インドで1ルピーで売却すると0.1ルピー差益を得るものの、輸送費に0.1ルピーかかっているので、儲けは特にありません。
3)ところが、15シリング=0.8ルピーとなると、インドで1ルピーで金を売却して輸送費0.1を払っても0.1ルピー儲けが出るので、一見よさそうですが、この時点で儲けたルピーで割安のポンド通貨を購入する動きが出てきてポンド高に動くので、結局は「変動幅」内に収まります。

 さて、「金融と帝国」を参照すると、神武本にも不足点があることがわかりました。それは、手形決済を行っているのは、業者ではなく、決済銀行だということです。この点、吉岡本には、「商人」と書かれていて、インドから輸入している、直接取引に関わる商人だと思ってしまうのですが、実際は、決済銀行なので、世界各国とインドの間の殆どの取引をポンド決済している銀行なのでした。これは重要な記載なのに、ここでご紹介している他の本に記載が無いのが不思議です。殆どのインドの取引をロンドンの銀行で決済しているのだから、インドの貿易黒字全体に対して「インド省手形」が利用されたことの説明がつきます。
 
 それでは、三國氏が下記に記載するように、「インドの資金がイギリスに留め置かれた」のでしょうか?

 「輸出で稼いだ黒字はポンドのままイギリス国内に貸し置かれたから、インド国内には輸出代金を持ち込んで使うことができず、金が回りにくくなっていた。もし、植民地インドが貿易取引で得た輸出代金をルピーにかえて持ち帰る、すなわち資本輸出をしなければ、インド人の生活向上に使うことができたはずだったが、それもできなかった。資本輸出によってインド国内の需要を減らしたことがデフレ要因ともなった(p82)」

 半分は当たっていて、半分は間違いだ、と言えそうです。

 神武本・「金融と帝国」の解説するメカニズムによれば、「黒字」の場合はルピー供給が増えるので、インフレになる理屈ですし、そもそも通貨不足(デフレ)対策の為に金為替本位制が導入されたことになっているます。つまり、インドの通貨不足は解消に向かった筈なのです。インド省の無制限手形発行が、インド政庁による、ルピー銀貨の連動発行(インド政庁の持つ金本位準備金の範囲内で)となったからです。この点については、三國氏の指摘は誤りだと思います。

 他方、インド省に支払われた手形代金のポンドは、本来インドに送付される筈の金なので、インドの資本が英国の留め置かれた、という指摘は正しいことになります。


 ここまでの内容についての私の理解は、下記の通りです。

1.幾つかの誤認はあるものの、英国が対インドについて「通貨膨張政策」を取ったことは間違いない
2.英領インドではデフレは対策されていたので、この点は三國氏の誤認
3.通貨膨張政策を取ったものの、ルピー・ポンド間のレートは、一定の変動幅を持った固定相場であり、通貨供給増大による大幅なルピー安にも、対貿易黒字によるルピー高にもならず、「変動幅」内で維持された。
4.金為替本位制のメカニズムとは別に、インド人が預金をイギリスの銀行にポンドで預けることはあったかも知れず、その内容は三國本の巻末の英文資料のどれかにあるのかも知れないが、今回参照した書籍では誰も言及していない。
5.イギリスに留めおかれた資本は、一部はインド以外の投資に使われ、一部は、インドへの投資(ただしイギリス企業(鉄道など)に消費された。この点で、「インド人が自由に使える資本では無かった」という点については、三國氏の認識は正しい。しかしその実態は、円高介入の為の外貨準備や、対外ドル資産投資のような現在の日米関係とはまったく異なっている。
6.インド人は金本位制を希望し、これに対して英国は金為替本位制を強行し、英国からの金の流出を防いだ点も、言葉を返せば「インドからの金流出」と言えなくも無い。しかし、産業成長率が金の供給を上回る場合、デフレとなりうるし、仮に金が供給され続けた場合、ルピー高が輸出低下となる可能性があったわけで、英国の金為替制度政策をインド窮乏化政策と言い切ることはできない(本国費と対英赤字は、明らかにインド人から見ると窮乏化政策といえるが)。

 全体としては、現在の日米関係と似ている側面もあるものの、原理はまったく異なっており、当時の英印関係を無理やりこじつける為の牽強付会のように思えます。


 その他下記2冊も参照しましたが(近所の図書館にも無かったので本屋でざっと確認しただけだけど)、有益な情報はなさそうでした。

「パクス・ブリタニカと植民地インド―イギリス・インド経済史の《相関把握》」
イギリス帝国とアジア国際秩序―ヘゲモニー国家から帝国的な構造的権力へ

 書店や図書館で見つけることができなかったので、参照はしていないのですが、
国際金本位制と大英帝国―1890‐1914年」という書籍も有用そうです。
 
 なお、こちらの「THE PROBLEM OF THE RUPEE:ITS ORIGIN AND ITS SOLUTION (HISTORY OF INDIAN CURRENCY & BANKING)」というサイトはこの時期のルピー問題を扱っているので、いづれ詳しく読んでみたいと思います。

 更に、こちらのサイトに、「黒字亡国」の感想が記載されており、その中に、「もちろん、ポンドの価値は大暴落、英国は没落して、ついでにインド人の預金もフイになってしまった」 という、ポンドの価値減価による、資産圧縮の主張がありますが、「黒字亡国」の中には該当する記述はありませんでしたし(見落としの可能性もゼロではありませんが)、そもそも、こちらの1948年以降のルピーとポンドの為替レート表を見ても、1965年までポンドとルピーは固定されており、その後はルピーが下落しているので、現在の円高によるドル資産の圧縮のような現象は発生していません。

 この件は(資本移転によるインドのデフレ)今後も調べ続けようと思っていますが、現時点では、三國説と、「黒字亡国」に基づいたネット上の英領インドに関する言説は、いい加減な歴史ネタであるように思えるのでした。

 
 ところで、尖閣諸島の船長逮捕問題はなんだったんでしょうね。個人的には、中国を悪者にして、国民の目を日米同盟の重要性に向けさせ、普天間問題の希薄化を狙う良いネタだと思っていたのですが、なんだかまったく無駄な意地をはっただけに終わりそうな感じで残念です。転んでもただでは起きない、くらいの姿勢でやっているのかと思っていたのですが、"領海侵犯"で旧ソ連に拿捕された北海道の漁民の扱われぶり同様、仮に本当に「粛々と対応しただけ」だったとしたら、ちょっと空気が読めていないような気がします。因みに、船長帰国で、日本向け旅行者が復活するのでしょうか?9月に入ってから上海万博の入場者数が激減していて、目標の7000万人到達に黄色信号が灯ってきたので、中国側としても、この機会をうまく利用して7月にビザ緩和した日本への旅行者低下->上海万博の増員、を目論んだのかも、と思っていたのですが、「中国の圧力に屈した」としか見えない結果となり、中国側は思わぬ収穫だと思っているんじゃないかなー。面倒になることはわかりきっていたのだから、小泉さんの頃のように、「あんたたちうるさいから機械的・事務的にさっさと返してるだけなんだよ」という印象を与える態度の方が良かったのではないでしょうか。
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by zae06141 | 2010-09-24 23:54 | その他歴史関係 | Comments(4)

書籍「オスマン帝国500年の平和」「大英帝国インド総督列伝」「インド 厄介な経済大国」など

 今回も、全部図書館です。

 「オスマン帝国500年の平和」

 いつ行っても図書館になかったのですが漸く借りれました。人気があるようで、既にかなりよれよれ。今まで日本語で出ているオスマン帝国の書籍といえば、スレイマーンまでの拡大期と18世紀以降の衰退期の領土の話(例えば鈴木董「オスマン帝国 イスラム世界の「柔らかい専制」」、新井政美 「オスマン帝国はなぜ崩壊したのか」など)、高校生向け歴史地図帳でも、オスマン帝国の拡大と縮小の2図が掲載されているのが普通。私は安定した平和な時代とその社会に興味があるので、16世紀末から18世紀末の社会や経済・政治体制が知りたいのに、なかなかそこに詳細な言及のある日本語書籍に出会ったことがありません。そういうわけで、林佳世子氏が「オスマン帝国の時代」や「西アジア史(2)」で、多少16世紀末から18世紀末の社会や経済・政治体制を描いていたし、林氏も、本書の冒頭で、「オスマン帝国の内側を描く」と記載しているので、本書にはかなり期待してしまっていたので、少しがっかり。

 例えば、古代ローマやビザンツ帝国については、少し調べれば属州の区画や官僚機構が掲載されている書籍を見つけることができますが、オスマン帝国についてはこうした図を殆ど見たことがありません(州区画については、三浦 徹「イスラームの都市世界 (世界史リブレット)p17にアナトリアの州と都市、推定人口表が出てくる程度)。役人の出世は個人的な人脈だったものの、職務については整然とした中央集権官僚機構があった、とあるので、できれば地方も、せめて中央の官僚体制図くらいはあって欲しかったのですが、それもなし。中国などは、高校向け参考書にさえ中国の唐、宋、明、清の中央官僚体制図が出てくるのに、近世オスマン帝国で官僚体制図が描けないとは思えないのですが、何か理由でもあるのでしょうか。。。(表は無いものの、官職については「岩波講座世界歴史 (5)帝国と支配」掲載の鈴木董「イスラーム帝国としてのオスマン帝国の方が詳しい感じ。ちなみに林氏は本書で、オスマン帝国は「イスラーム帝国ではない」と冒頭で強く述べておられますね。。。。)
 更に、1581年以降財政赤字となり、1720年に黒字に転化、とあり、独特な単位で課税する徴税請負制度をとっていたため、人口は推定しかできなくても、課税資料は多数残っているようなのだから、拡大期の略奪経済が終了した後の17,18世紀の財政数字についても知りたいところだったのに掲載なし。1581年と1720年の収支の話が、史書に記載された結果情報だけなのか、具体的な数字が残っているのかの記載すら無いのも残念でした(林氏の「オスマン帝国の時代」のp44に、16世紀後半の各州の徴税額と合計額の表が掲載されているだけに本書でもっと細かい情報が得られるものと期待しておりましたので、ここでも少しがっかり。ウラマーのキャリアパス表は多少は参考にはなりましたが。。。。

*2010/11/10追記
徴税額と体制図については、「記録と表象 史料が語るイスラーム世界」第二章「オスマン朝の文書・帳簿と官僚機構」に掲載がありました。膨大な帳簿資料などが総理府文書館に残されており、現在研究が進展中のようです。

 とはいえ、オスマン帝国通史なのだから仕方が無いか。。。通史で社会・政治・経済を詳細に描くのは無理なのかも(とはいえ、林氏は、冒頭で、19世紀は扱わない、と言いながら、結構な配分で19世紀も記載しているんですよね。その分17,8世紀の社会・経済・統治体制を書いて欲しかったところですが、18世紀で打ち切ると大方の読者には中途半端な印象を与えることになって売れなくなってしまうのだろうなぁ、とは思います。そこで、是非林氏には全領土については、17,8世紀、バルカンとアナトリアについては、14世紀末から18世紀末までの社会・経済・統治体制を扱った書籍を出して欲しいものです(絶対売れそうにないから無理だろうけど。でも 永田 雄三 「前近代トルコの地方名士―カラオスマンオウル家の研究」のようなちょっと詳細過ぎる書籍が出ていたりするのだから、可能性がまったく無いわけじゃないと期待したいところです。私は、「前近代トルコの地方名士―カラオスマンオウル家の研究」を読む程オスマン帝国に興味は無いのですが、サファヴィー朝からガージャール朝時代までの地方名士の研究書なら読んでみたいと思っています。たしかイランのこの時代については地方志が結構残っていたと思います。

大英帝国インド総督列伝

 最初に紹介した2つの書籍、及び最近嫌韓現象への興味から、歴史ある文明国を植民地化した統治の成功例として英国のインド統治に少し興味が出てきたので参照してみました。英国統治時代のインドに関する書籍に目を通すのは高校時代に読んだ講談社版世界の歴史「変貌のインド亜大陸」以来25年ぶりくらい。まあそれぐらい興味がなかったのですが、ほとんど知識もなかった分新鮮です。まず何より、「インドは総督の墓場」と言われるくらい過酷な勤務だったこと、実際33名の総督中7名、及び総督夫人5名が在任中または帰国途中、帰国直後に死亡し、インド総督が政治的キャリアとして役に立ったのは半数程度、首相に次ぐ地位と言われながら、帰国後首相になれた人は皆無だったとは知りませんでした。まだ1/3程しか読めておらず、図書館から借りてきたのですが(図書館では歴史欄ではなく、何故か政治欄の分類)結構面白そうな書籍です。ちなみに、2週間程前には、「世界のなかの日清韓関係史-交隣と属国、自主と独立」を読んだのですが、これに後のインド総督カーゾンの、当時の朝鮮半島情勢に関する見解が登場しているのも、英国のインド統治に興味を持ったきっかけのひとつです。


 インド統治の秘訣は全然わかりませんでしたが、インド総督業務が英国本国政界の政争・党争に大きく左右されていた、というか、英国政界の政争そのものを読んでいる気分になりました。独自政策を執ったり、赴任中に政権党が交替したり、本国のインド担当大臣と相性が悪かったり、ましてやインド側に立った政策をとったりすると、たとえ治績を挙げたとしても、帰国後哀れな処遇が待ち受けているなど、インド総督って割りに合わない職務だったんだなぁ、とさえ思えました。プラッシーの戦いで英国のインド支配の先鞭をつけたクライブが帰国後自殺に追い込まれていたり、カーゾンさえ、帰国後10年以上冷や飯を食っていたりと、野心家よりも寧ろ政争に敗れるか・そもそも政争に興味の無い、本国からの指示に唯々諾々と従う、インド総督が引退前の花道職でしかないタイプの方が、よい老後を過ごせているような印象を受けました。

 ところで、アンガス・マディソンが算出した1820年のGDP番付(こちらのサイトにベスト10あり)で、何で英国領土だったインドが別枠扱いになっていたのか、やっと理由がわかりました。インド政府独自に関税を設定し、英国からの輸出品から国内産業を保護するなど(インド側に立った総督は、関税撤廃に抵抗したり、インド側はポンド建て国債を買わされていた為、ルピーが大暴落した時対抗措置をとったり。でそういう総督の末路は上に記載したとり。。。)、表向きは独立国的な部分もあったからなのですね。読んでいて、非関税障壁撤廃や、スーパー301条、日米自動車摩擦、日米半導体摩擦、年次改革要望書など、結局は米国の指示に従うことに近いことになっている戦後の日米関係を連想してしまいました。。。
 もうひとつわかったことは、英国が最初に支配を広げた領域であるベンガル、東海岸、カンジス側流域は、人口密度の高い地域だったのですね。インドは旅行も出張もしたことが無いので、地理的な感覚がもてないのですが、少しイメージできるようになりました。

 で、結局、日本の朝鮮支配時代の参考になるようなものは得られなかったので、今度は「インド植民地官僚」という書籍を借りてきたのですが、冒頭を読むと、1892年以降の内容となっていて、既に統治にきしみの出てきていた時代を扱っているのであまり参考になりそうないのでした。

 「インド 厄介な経済大国」
  
 「大英帝国インド総督列伝」で独立まで少し知識がついたので、その後の歴史を読もうと思っていて探していたらこの本にたどり着きました。 「大英帝国インド総督列伝」は局所的な情報だったので、もっと戦後から最近までのインド社会を包括的に描いた書籍を探していたところ、丁度良い書籍となりました。現代インドについては、IT関連であれば、勤務先自体がバンガロールにも拠点を持っていることもあり、だいたい様子はわかるのですが、それ以外となるとNHK特集の「インドの衝撃」くらいしか知識がありません(あとはインド鉄道紀行を読んだくらい)。ただ、中国のIT業界は製造業同様、先進国の下請けなのに、インドには、欧米IT企業が開発拠点を置き、特に金融関連製品などは全面的にインドに任せてしまうなど、中国とは随分異なった感じです。中国の経済発展は、農業振興>軽工業>(重工業)>エレクトロニクス>サービス業、と通常の先進国や新興国が辿っている道なのに、農民が工場に出稼ぎに行っている風も無く、出稼ぎ先は都市スラムという印象。製造業で思いつくのもタタとミッタルくらい。一体どういうことなのか、本書を読んでやっと理由がわかりました。中国は、漢民族という一見一民族に見える民族と強力な政府から、国民国家に見えますが、実態は欧州に近いイメージを持っています。が、インドは欧州以上な感じですね。万華鏡というのか立体モザイクというのか、インドについての月並みな形容ですが、多様性、ごちゃごちゃ性に幻惑されてしまいました。一度くらいインドに旅行に行ってもいいかなー、一度はタージマハルを見てみたいし。と思っていましたが、1、2回行ったところでは何もわからなさそう。中国程インフラが発達していないから、2,3年駐在したとしても廻りきれなさそう。中途半端に手をつけない方がよさそうに思え、今後インドに行くことは無いんじゃないかという気になってきてます(暑いとこ嫌いだし古代遺跡も少ないというのもあるけど)。

 しかし、2005年の情報で、労働人口4億7000万人のうち、所得税を払っているのが3500万、うち2100万が公務員で、残りのうち製造業が700万、IT業が100万程度、HIV患者が510万で南アフリカの530万に次ぐ2位(こちらの世界基金のHPでは600万となっており、おそらく南アを抜いて世界第一)というのも驚きです(ちなみに中国でもHIVは広まっていて、ああいう国ですからテレビなどではやりませんが、病院に行くと、「エイズを知ってますか?どのようにすると感染するか知ってますか?などというアンケートに答えさせられ、国民にそれとなく情報を広める活動をしているようです)。

 ところで、「厄介な」というタイトルは、岡田英弘「やっかいな隣人、中国人」を連想してしまいますが、「厄介」の意味が違うんですよね。内容を読めば、「巨像を扱うような」というようなニュアンスがわかるのですが、間際らしいので、原題の「In Spite of the Gods: The Strange Rise of Modern India 」をうまく言い表す題名にして欲しかったと思います。


 「真説 レコンキスタ―“イスラームVSキリスト教”史観をこえて」

 これも前回、に引き続きレコンキスタ時代のスペインの経済力の調査の調査の為に参照しました。Amazonの紹介に、「世界の最新研究成果を踏まえ、誤ったレコンキスタ像を修正。宗教対立ではなく社会経済的要因による領土拡大という真相」とあったので、期待したのですが、殆どただの通史。レコンキスタ成功の要因として、法律・政治・物欲・宗教・経済の5つが挙げられていて、そのうち、物欲と政治がもっとも重要とし、略奪経済が主たる要因としているようです。一方で、入植運動(経済の一要素)も要因として挙げられるが、これについては、「スペイン形成に決定的な影響を与えたこの入植は、本書の目的とやや異なるこので別にさせてもらった」とあとがきに記載が。。。。。。そこが一番知りたかったのに。。。。まあ、でも著者によると、スペインやポルトガルの世界雄飛は、経済力が原因ではなく、略奪経済の延長だった、ということのようです。そうなると、大航海時代にスペインが集めた富がストローのように西欧に流れてしまった理由もわかります。また、高山博氏「中世地中海世界とシチリア王国」も参照しましたが、政治制度の話ばかりで経済数値は無し。「中世の覚醒」も参照しましたが、これを読んでも、12世紀ルネッサンスは、イベリア半島やシチリア島が繁栄したからというよりも、西欧側で関心を持った学者がトレドやシチリアに行った、ということになりそうです。



 政府の財政・金融政策について理解する為の基礎知識として、マクロ経済を復習しました。

「マクロ経済学・入門 第2版(2001年版)」

 最初から4冊読もうと思ったわけではなく、適当に書棚から取り出して、よさそうなものを集中的に読もうと、まずは出版年代順に読み始めたのですが、結局これが一番充実していて私のレベルでは役立ちました。とはいえ、同じ入門編でもこうも違うのか、という感じで驚きました。結局4冊全部目を通すことになってしまいました。数式以外はほぼ全部読みましたが(関数グラフの意味が理解できれば十分なので数式は全て読み飛ばし。あと設問もSkip)、だいたい大学時代に学んだ論理で合っていたので少しほっとしています。大きな発見は、私が受講したマクロ経済の授業では、ケインズ経済学は批判されていて、その時受けた講義は、マネタリズムと呼ばれているものであったことを知りました。私のマクロ経済の考え方はマネタリストの考え方だったんですね(恥ずかしいことを書いてますが、私は歴史学科で社会学と人類学の理論を専攻してたので、経済はこの程度なのです)。それにしてもグラフも多く、チャート式の参考書のようで、本書は素人には理解し易く、よくできていると思います。ただ、私が読んだ第2版は、本書出版以降に問題が多発した金融派生商品や重要度が増しているオープンエコノミーについては十分な記載が無く、第3版も2005年の出版で、サブプライム問題などの記載が無いので、買おうかどうか迷ってます。

マクロ経済学<やさしい経済学シリーズ>  浜田文雄 東洋経済新報  2002年
(何故か書籍紹介ホームページが無い)

 この本はこの手の本としては珍しく縦書きです。しかも、数式が記号ではなく、文字で書いてあり(国民所得=国民総生産-(間接税-補助金)-固定資本減耗 という感じ。しかも、縦の行で横書き(つまり、本を横にしないと読めない))、非常に読みにくかった。とはいえ、最初の書籍に書いてないこともあり、結局最後まで目を通してしまいました(が、必要な箇所のコピーをとった筈なのにどこかに行ってしまったので、本書の何が良かったか紹介できないのでした)。全体的な分量は少ないのですが、理論のチャート式参考書のような前書と比べると、具体的な例えが多く、その点参考になったような気がします。グラフが殆どないのは×かな。

「マクロ経済理論入門」 2005年

 3冊目になると、大分理解も進んでくるので読み飛ばし部分も増えましたが、この本では、具体的な事例が多く(日本の資本収支と貿易収支の2004年までの比較や1981-2001年の間のGDP成長率の内訳など)参考になりました。単に出版年代順に目を通しているとはいえ、だんだん具体例が増えていき、丁度良い学習効果が得られました。ただ、これは素人の入門書というよりも、学部生向け入門書という感じです。



「マクロ経済学 (現代経済学入門)」 2009年

 
 最後のこれは、2009年の出版ということで、サブプライム問題など、近年の金融派生商品やオープンエコノミーに結構な紙幅を裂いていて、その点有用でした。ただしこちらも学部性向けという感じです。数式は難しくなるばかり。。。。本書のp14に、1981年から2007年までの実質GDP成長率に寄与した項目の内訳が掲載されており、出典はこちらの内閣府国民経済計算(p10(ただしこのPDFは1997以降のみ掲載))となっています。これによると、1980年代は、確かに外需よりも内需寄与度が圧倒的ですが、2000年代小泉政権時代の2%程度の成長率の時は、外需1.3%程度に対し、内需1.5%程度となっています(合計が2%にならないのは、マイナス項目もあるため)。外需が50兆円程度だから、内需が重要、と発言されている政治家の方がおられますが、本当にそうなのでしょうか。。。。

 総じて、東大経済学部卒の現金融相は、ケインズどまり、という印象でした。

ところで、本年度の年次経済財政報告が内閣府から発表されましたね。ネットで見るのは結構大変なので、出版されたら購入しようと思っています。今回の参院選のマニュフェストではどの党も明確な成長政策のためのデータが出しているところはありませんでした。結局官僚じゃなきゃ駄目なんじゃないの(少なくとも今のところは)という印象があります。
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by zae06141 | 2010-07-24 23:52 | その他歴史関係 | Comments(2)