古代世界の午後雑記


「古代世界の午後」更新履歴と雑記
by Solaris1
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カテゴリ:その他歴史関係( 61 )


アッバース朝と唐・宋・元・清の財政規模

ビザンツやオスマン朝、イル汗国やファーティマ朝の財政規模について、各々比較しても整合性の ある数字が取れ、どうしても唐とアッバース朝の財政規模を比較してみたくなり、推計してみました。あまりきれいなロジックにはな らなかったのが残念ですが、一応整合性のある数値を得ることができました。ご興味のある方はこちらをご覧ください

これで、主要な大国の財政規模の記事が大体出揃った感じです。労働者の年収100万、食費30万と仮定して計算しています。

■ローマと漢については、こちらに記事があります
■ビザンツとオスマン朝と明についてはこちらに記事があります。 

ビザンツと同時代の北宋についても、簡単に計算してみました。財政収入が1614億文、1石(66リットル)=1500文、一人年間9石消費するとして13500文を30万円すると、一文22.22円となり、円換算額で3兆5866億円となります。

■マムルーク朝、イル汗国、サファヴィー朝についてはこちらに記事があります

マムルーク朝・イル汗国と同時代の元について簡単に計算してみました。財政収入額6053億文、一石(94リットル)=5000文、一人年間5石消費するとして25000文を30万円とすると、1文12円となり、2兆4212億円となります。だいたい漢王朝と同じくらいです。元の人口はだいたい6000万人で、漢王朝と同じくらいなので、財政規模が同じになるのは、ありそうな話ですが、元朝の場合、歳入のうち5378億文(88.8%)が商税である点に大きな特徴がります。漢朝の場合は、163億銭のうち商税は38億銭で、23.3%ですから、税体系に大きな違いがあるのにも関わらず、だいたい同じ総歳入額になる点には興味深いものがあります。

■清と英国
 アヘン戦争時の英国と清ではどうなのか、これも簡単に計算してみました。



1842年頃の歳入3714万両。この前後の年の米価は一石2.26両。更にこの年の銀一両は1572文なので、2.26両=3553文。年間食料5石として、17765文=30万円とすると、1文=16.9円。賃金の面からみると、乾隆年間の日当140-200文。年間労働日数300日とすると6万文。これを100万とすると、1文16.67円でほぼ同一となる。3714万両は、9866億9095万円となる。

 地租と人頭税は、盛世滋生人丁として2462万人に固定している(残りは商税)ので、歴代王朝と比べても、財政規模はだいたいあっていることになります。清朝は小さい政府だったといえそうです。

英国

 1841年頃の年収はどのくらいになるのかも調べて見ました。1841年の英国の歳入は5300万ポンドで、うち3200万ポンドが借入金、その多くは国債です。これは、どのくらいの財政規模なのでしょうか。
 Henry Phelps Brown, Sheila V. Hopkinsの1981年の著書『A Perspective of Wages and Prices 』のp2にある13世紀から20世紀の英国賃金物価グラフ、及びp12にあるそのデータ表によると1841年頃の一日の労働者の賃金は32ペンスとなっています(Googlebooksでp13の物価表を見ることができます)。

 年間300日働くとして40ポンドになり、100万円を40ポンドとすると、1ポンド2.5万円です。すると、5300万ポンドは、1兆3250億円となり、清朝財政を上回ります。英国の純歳入は2100万ポンドで、約5250億円となり、清朝の約半分です。純収入だけでは到底財政的には及ばないところだったといえそうです。借入金含めると清朝の歳入を上回るわけですから、民間や外国の経済力を吸収する国債という技術は、非常に重大であったといえそうです。当時の英国が清朝に戦争をしかけたのは無謀ではなかったといえそうです。

 なお、この頃の英国の人口は2700万人程度で、清朝の納税者人数の2462万人を上回っていますが、近い数字です。対する中国の人口はこの頃4億1000万人。清朝の商税割合は約20%ですから、地租と人頭税2462万人分で、当時の英国に対抗するのは財政的に無理があったといえそうです。
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by zae06141 | 2015-02-26 00:12 | その他歴史関係 | Comments(0)

ウマイヤ朝・アッバース朝時代のエジプトの人口推計

 ウマイヤ朝・アッバース朝時代のエジプトの人口を推計してみました。ご興味のある方はこちらをご覧ください

 この推計を行なった本来動機は二つあります。ひとつは、以前ローマ時代のエジプト人口推計を行なったので、その続きであるイスラーム時代の人口を知りたくなったためです。もう一つの動機は、パルティア・サーサーン朝の人口を推計するためです。パルティア・サーサーン朝の人口は、直接数字を示す史料がまったく残っていないことから、ローマ時代・イスラーム時代のエジプトの人口推計を手がかりの一つとして、人口推計を行うことになるのです。パルティア・サーサーン朝の人口推計については、来月くらいの記事の完成を予定しています。
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by zae06141 | 2015-02-16 00:33 | その他歴史関係 | Comments(0)

ファーティマ朝・マムルーク朝・セルジューク朝・イル汗国・サファヴィー朝の財政規模

 前回に続き、今回の過去の王朝の財政規模の話です。今回は、中世の西アジア、ファーティマ朝・マムルーク朝・セルジューク朝・イル汗国・サファヴィー朝の財政規模の数値と推計です。ご興味のある方はこちらを参照ください


 日本語資料があまりない、と思っていたファーティマ朝、探してみるとひととおりあることがわかりました。それら既存資料をまとめると、うまく一冊のファーティマ朝本が成立しそうです。私が妄想しているのは以下のような内容です。

第一部 ファーティマ朝
 【1】概要  ファーティマ朝国家論 莵原 卓 文明研究29号2010年 21頁
 【2】ファーティマ朝通史
 エジプトにおけるファーティマ朝後半期のワズィール職 莵原卓 史林 61巻6号(1998年11月) 31頁
 エジプトにおけるファーティマ朝後半期のワズィール職 莵原卓 東洋史研究41巻2号(1977年9月) 32頁
 【3】ファーティマ朝国家体制
  ファーティマ朝のディーワーン 莵原卓 西南アジア研究42号1995年 19頁
  ファーティマ朝のディーワーン2 莵原卓  東海大学紀要64号1995 21頁
 【4】 カリフ・ハーキム伝
  「Caliph of Cairo: Al-Hakim Bi-Amr Allah, 996-1021」掲載のマクリーズィー記載の異色のカリフ・ハーキム伝 英文で約40頁。これを翻訳して掲載
 
第二部 フスタート
  エジプトイスラーム都市アル・フスタート 出光美術館三鷹分館 1980年 (中近東文化センター研究会報告)  128頁
  【1】アル・フスタートの発掘報告 桜井清彦
  【2】フスタートの建設とアラブ支配 川床睦夫
  【3】エジプトの伝統的市場(スーク) 三木亘
  【4】東西交渉上のフスタート 家島彦一
  【5】陶磁の道 三木次男

第三部 同時代の旅行記に描かれたファーティマ朝
  【1】「ナースィレ・フスラウの旅行記訳注」 森本一夫監訳、長峯博之解題、北海道大学ペルシア語史料研究会訳 の解題 5頁
  【2】『回想録』ウサーマ・ブヌ・ムンキズ 藤本勝次他訳注 関西大学東西学術研究所 1987年 から解説(頁数不明)
  【3】イブン・ジュバイルの旅行記 (講談社学術文庫)  藤本勝次・池田修監訳 前書きと後書き計13頁

 これらを改稿して合計60頁くらいにまとめる。

合計 約360頁


 一部新規翻訳と改稿が必要そうな部分もありますが、基本、既存の論説・論文をそのまま編集することで、ファーティマ朝本が成立します。

360頁ではもの足りない感じもしますので、その場合は、

ファーティマ朝時代の書記の分類と職掌 莵原卓 東海大学紀要78号 2002年 11頁
ファーティマ朝前半期の書記規範 莵原卓 西南アジア研究 52号2000年 19頁
ファーティマ朝貴顕の商業活動 菟原卓 東海大学紀要69号1998年9月 11頁
「ジャウザルの伝記」にみる初期ファーティマ朝宮廷の内情 菟原卓 オリエント31巻2号1988年 16頁

などを加えれば、410頁くらいになります。ファーティマ朝は、本格的なシーア派初の政権、アッバース朝に対抗してカリフを名乗った最初の政権、異色の君主ハーキム、カイロを建設し後の時代に「エジプト」意識をもたらした政権、メッカとメディナを勢力下に置き、一時はバグダッドも占領、十字軍の到来など多くの特徴を持ち、イランのサファヴィー朝と並ぶ異色の政権であり、日本の学術団が首都フスタートの遺跡を発掘していたりと、様々な話題のある政権なので、是非是非こういう書籍が出て欲しい~と妄想し続ける毎日なのでした。

関連記事 ファーティマ朝:歴史と史料書籍「Exploring an Islamic Empire: Fatimid History and Its Source」
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by zae06141 | 2015-02-06 00:24 | その他歴史関係 | Comments(0)

古代・中世の農業生産性(収穫倍率)の比較

 古代・中世の農業の生産性はどの程度だったのでしょうか。これまで断 片的に、古代バビロニアについてはヘドロトスが300倍と書いているとか、西欧中世は4倍程度で古代ローマよりも生産性 が低かった、それを考えると、300倍とかは非現実的とか、インドでは古代から二毛作が行なわれていたため、西洋と比べ ると倍の生産力があった、といったような情報に接してきましたが、これら各数値を体系的・総合的に論じた書籍はないもの だろうか、と常々思っていました。少し探してみたところでは、どんぴしゃという書籍を見つけることができなかったため、 個別に論じている論文などを読んで見ました。その結果、個別には、各々詳細な論述があることがわかり、しかもあまりネッ トなどで取り上げられていないようなので、ここでまとめて紹介してみることにしました。ご興味のある方はこちらをご覧ください

 今回、中国古代の農業生産性を調べるために、粟が1升あたり何粒あるか数えるため、粟を購入したのですが、ついでに粟粥を作って食べてみました。米粒の1/10くらいの大きさしかないので、スープのようにしかなららないのではないか、と思っていたのですが、意外にボリュームが出て、腹持ちする粥ができました(作り方はこちらのサイトを参考にしました)。

 スーパーで売っているもち粟1/2カップを、ボウルに入れて4,5回研ぐ。その後なべに入れてカップ2杯の水を入れ、塩を小さじ一杯。火をつけて強火で一度煮立たせます。その後、弱火で20-25分煮ます。途中でお焦げができないように、時々火加減を見ながらしゃもじでかき回します。それだけ。
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 黍ご飯も作ってみました。作り方はこちらのサイトを参考にしました。

 スーパーで売っているもち黍一カップを3回程軽く研いで、そのまま水を黍の上まで入れて一晩寝かしておく。翌日1.5カップに水を入れて、強火で沸騰させた後、弱火にし、数分煮る。これだけ。塩は入れず、何の味付けもしなかったのですが、米のご飯程の旨みはないものの、結構普通に食べれました。
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 漢代の生活に、また一歩近づけた気がしました。
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by zae06141 | 2015-01-17 00:25 | その他歴史関係 | Comments(0)

2014年役に立った歴史関連書籍・論説・PDF

 昨年読んだ歴史関連の著作物は、書籍よりも雑誌論文やpdfが多いので、記事を分割してみました。昨年は基本的に数量経済史に繋がるものばかり読んでいたようです。昨年は、ローマ帝国の人口推計とGDPの数値の根拠とロジックや、ビザンツ帝国とオスマン朝の財政額の史料などを知ることができ、有用でした。そういうわけで、数量経済史関連のものが多くなりましたが、以下、昨年役立った書籍やPDFについて紹介したいと思います(以下more)。

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by zae06141 | 2015-01-08 00:47 | その他歴史関係 | Comments(0)

古代インドの国際文化都市ウッジャイニーの景観

 古代都市ウッジャイニーの景観をまとめてみました。企画としては、以前パータリプトラの遺構や文学作品に登場する描写を集めたものの(こちらの記事「千年の都パータリプトラ」))ウッジャイニー版です。Google Mapで遺跡の遺構を調べ、遺跡発掘報告書から遺跡の写真を集め、古代の文学作品の中でのウッジャイニーの描写の部分を抜き出してまとめたものです。

 ウッジャイニーは、4世紀の戯曲、古代サンスクリット文学において、市井の様子を扱ったほぼ唯一の戯曲『土の小車(ムリッチャ カティカー)』の舞台となっている都市で、グプタ朝の副都としてカーリダーサもウッジャイニーの宮廷に滞在し、西インドの中心都市、及びグプタ朝第二の都市として繁栄した国際文化都市だったようです。そういう都市なので、非常に興味があり、あまりインドに興味のない私ですが、遺跡さえあれば訪れてみたい、と思っている場所なのでした。今回調べてみて、訪問するほどの遺跡がないことがわかったのは残念ですが、現存するウッジャイニーの情報をほぼ集めることが出来て満足しています。

 ご興味のある方はこちらをご参照ください

ところで、京都国際ヒストリカ国際映画祭第6回が、12/6-12/14、京都文化博物館・京都みなみ会館で開催されるそうです。海外映画は知らないものばかりです。面白そうです。
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by zae06141 | 2014-11-14 00:07 | その他歴史関係 | Comments(0)

古代インドの書物

 最近『イスラーム書物の歴史』(名古屋大学出版会(2014年6月出版))という本を読みました。本文420頁で全22章、一章平均20頁で、正統カリフ時代、アッバース朝、ブワイフ朝、マムルーク朝、ティムール朝、サファビー朝、オスマン帝国、ムガル帝国など、イスラーム諸王朝の書籍事情や写本制作、蔵書具合、書道、挿絵絵画、科学書や現在の写本研究の現状などの切り口で、15名の筆者が、各々異なる観点で論じています。私は知識や情報の流通やそれらによる世界観の形成に興味があり、史上の書籍事情を扱った書籍を探してきたので、ど真ん中な内容でした。私の中では、これで、『ギリシア・ローマ時代の書物』、中国の書籍史通史本『中国出版文化史』、西欧中世の羊皮紙専門サイト 羊皮紙工房、西欧近世の『知識の社会史―知と情報はいかにして商品化したか』、『数量化革命』、と、洋の東西の書籍史・知識の流動に関する書籍が一通り揃った感じです。しかしインドの書籍史については抜け落ちているため、古代中世のインド及びヒンドゥー文化圏の近世インドの書籍本も探してみたくなってしまいました。


 そこでインド書籍史の本を探してみたのですが、英語書籍でも単著ではなさそうです。しかし一方非常に有用な日本語のpdfを見つけました(以下more)。

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by zae06141 | 2014-09-24 00:12 | その他歴史関係 | Comments(0)

グプタ朝の碑文の出土地分布マップ

 歴史史料が殆ど残されていないインド史において、グプタ朝の領土はどのように復元されたのか調べてみました。マウリヤ朝の場合、アショカ王の勅令碑文が各地で発見され、入門書籍でも発見された勅令碑文地図が出てくるくらいなので、ほぼインド全土に広まる碑文出土地を囲めば、よくある最盛期のマウリヤ朝地図が完成します。これに対して、サンスクリット文芸が栄えたインドの古典時代とされるグプタ朝では、当時或いは後世の歴史書的なものから復元された部分もあるのではないのか、と少し文献史料を調べてみたところが見つからず、碑文出土地地図も見つからないので、どのように領土が推定されているのかが、よくわからないところがあります。そこで碑文集成から自分で碑文地図を作成してみました。ご興味のある方はこちらをご覧ください
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by zae06141 | 2014-08-19 00:20 | その他歴史関係 | Comments(0)

古代ギリシア・ローマ文献に登場するインド関連の記載の雑記

 今回、プトレマイオス、ストラボンを参照したついでに、プリニウスとエリュトラー海案内記も参照してみました。エリュトラー海案内記は十数年前に一度読んでいるのですが、当時の印象は、ペルシアやインドの情報が思ったよりも少なく、がっかりしたものです。ところが、古代イランやインドの情報が希少だと深く実感できた今となっては、当時はがっかりして印象の薄かった部分に、意外に重要な情報が登場していることに気づかされ、読み応えがありました。今回色々知見得た知見をメモ代わりにずらずら並べてみました(以下more)。

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by zae06141 | 2014-08-05 00:25 | その他歴史関係 | Comments(0)

ウマイヤ朝・アッバース朝・イル汗国・アフシャール朝・ガージャール朝の地方行政区画地図

 前回ローマとビザンツ、オスマン朝の地方行政区画を調べてみたので、今回はウマイヤ朝、アッバース朝からイル汗国にかけての地方行政区画を調べてみました(以下more)。

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by zae06141 | 2014-02-11 00:20 | その他歴史関係 | Comments(0)