古代世界の午後雑記


「古代世界の午後」更新履歴と雑記
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カテゴリ:古代イラン関係( 24 )


中世ペルシア語文学『ホスローと小姓』の<女性>の部分の翻訳

 最近女性と子供の歴史に興味が出ています。カロリング朝時代の女性ドゥオダが著した著作(『ドゥオダの遺訓書』)を読み、古代中世の女性の著作家を調べるために『西洋中世の女たち』等いくつかの著作を見てみたところ、女性史そのものに興味がでてきて完読してしまい、最近古代中世の女性について少しづつ調べているところです。

 古代ローマと中世については日本語書籍もでていて比較的情報があるのですが、古代イランについては殆ど情報がありません。女性に関する記載のあるササン朝の史料で思いつくところでは、『ホスローと小姓』と『千の審判の書』くらいです。後者はササン朝末期に成立したと考えられる判決事例集で、英語訳があります(こちら)。多分家族法が判決で言及されていて、そこから女性像が伺われるはずなので、いつか調査してみたいと思っています(しかしたいした情報はないと予想しています。アケメネス朝については、ペルセポリス城砦文書に登場する女性の研究があり、日本でも川瀬豊子氏が多数論説を書いているものの、書籍は出そうもないのが残念です。英語書籍では『Women in Ancient Persia, 559-331 B.C』という書籍があります)。『ホスローと小姓』は、ササン朝時代に成立したかどうかは確定できないものの、ホスローという王が登場することから、ホスロー1世(在531-579年)か、ホスロー2世(在591-628年)時代の作品だとの可能性もある掌編です(もっと後世の可能性もある)。今回その中に数行登場する女性のパートを英訳本から翻訳しました(こちら)。アラビア語版の【女性】の部分と、中世ペルシア語版の97行目です。

 以前(2014年11月)に翻訳した時に女性のパートを訳出しなかったのは、内容があまりにつまらなかったからです。女性の性格や気質、趣味や習慣・習俗・活動・行動・思想や内面などについての記載は殆どなく、「髪が長くて腰がくびれていて胸が大きい」とうような、ステレオタイプな外見の記述ばかりなので訳す気にならなかったのです。この部分よりは、中世ペルシア語版の116行目の女性の一言の方がよほど女性の気質や性格を現しているので、そちらの方で十分だと思ったこともあります。
 まあ、しかし、今回良い機会なので訳しました(ほんとに数行です)。

ところで、定価6400円の17世紀の冒険旅行家シャルダンの『ペルシア紀行』(17世紀後半のサファヴィー朝)の中古が650円くらいで出ています。656頁の分厚い本です。置き場に困りますし、学生や高齢者以外読んでいる時間はないような本ですが、買い時です。あと、日本語で読める数少ないサファヴィー朝通史本であり、かつオスマン・サファヴィー・ムガルの近世三大イスラム帝国の並立を描いた『三日月の世紀』のレビューがなかったので書きました。これは良書だと思うので、特にイスラーム史にご興味のない一般の歴史愛好家に読まれて欲しい本です。

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by zae06141 | 2017-05-14 00:05 | 古代イラン関係 | Comments(0)

後期パルティア関連論説:南部玲生氏『後期アルサケス朝の帝国統治』と桑山由文氏『2世紀ローマ帝国の東方支配』

 今年3月頃ですが、昨年12月の『北大史学』55号22-42頁に掲載された南部玲生氏『後期アルサケス朝の帝国統治』と西洋古代史研究』2004年号に掲載された桑山由文氏『2世紀ローマ帝国の東方支配』を読みました。

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by zae06141 | 2016-11-05 00:07 | 古代イラン関係 | Comments(0)

セウェルス凱旋門に描かれたパルティアの都クテシフォンの概観

※10/26(水)~ トルコの歴史ドラマ『エルトゥールル』第三部放映開始 第二部以上にビザンツが登場しそうです。

 同時代に限らず後世含め、史料が殆どなく、遺跡すら殆ど定かではないパルティア・サーサーン朝時代の都クテシフォン。サーサーン朝時代の一部の遺構は少し発掘・調査されているものの、概観については殆どわからず、パルティア時代となると、まったくといっていいほど史料が無い幻の都。パルティアもサーサーン朝の都市は、ローマ都市のようにある程度の統一的な規格が見られる都市と違い、遺跡を見る限り、地方により結構多様です。パルティア時代のメソポタミア都市遺跡として有名な世界遺産ハトラ遺跡がありますが、ハトラのイメージをそのままクテシフォンに適用し難いところがあります。ローマについても、ローマやコンスタンティノープルの概観を地方都市から類推することは難しいものがあり、首都の景観は独特のものがあります。そういうわけで、まったく大した内容ではないのですが、少なくともクテシフォンに遠征したセウェルス帝が作らせた凱旋門のレリーフに登場するクテシフォンの概観は貴重なものがあります。

 


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by zae06141 | 2016-10-26 00:34 | 古代イラン関係 | Comments(0)

特別展『黄金のアフガニスタン展』の展示会カタログの宣伝

 東京国立博物館で4月12-6月19日の間開催中の『黄金のアフガニスタン展』に先日ようやく行くことができました。展示会の混雑が苦手なので、通常は休暇を取得していくようにしているのですが、3-6月は一年で一番仕事が忙しい時期(6月期首のため)なのでなかなかいけないうちに展示会終了が近づいてきてしまい、一昨日、午後出勤にして午前中、なんとか行って来ることができました。このように書くと、展示会の感想記事だと思われるかも知れませんが、この記事の目的は、展示会の感想ではなく、展示会カタログがいかに良書であるか、について書くことだったのですが、結局展示会の感想になってしまいました。展示会の感想はネットでもでてきますが、カタログについて書いている記事は、現在のところなさそうなので書いてみました。


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by zae06141 | 2016-06-12 00:22 | 古代イラン関係 | Comments(3)

パルティア人がちょっと登場する古代ローマ・漢王朝邂逅映画『ドラゴン・ブレイド』

 古代ローマと漢王朝の邂逅を扱った2015年ジャッキー・チェン主演の中国/香港映画が2月12日に日本公開予定です。前53年パルティアとローマ軍が激突したカルラエの戦いの後、敗北したローマ軍団は中央アジアのメルブに移送され、更にその後脱走して、建昭三年(前36年)に中央アジアの康居へ遠征した西域副校尉陳湯が遭遇した「魚鱗の陣形」をとる軍団(『漢書』陳湯伝(巻40)ちくま文庫版第六巻p216)が、そのローマ軍団だったのではないか、という説*1が生まれ、更にその後甘肃省金昌市永昌県焦家庄郷驪靬村*2に白人の容貌を持つ村民が多いことから、陳湯が戦った軍団がその後更に東遷したとの説に発展し、村民のDNA鑑定が行なわれた、という話が、本映画の製作の背景にあります(ただし、本作の舞台は前48年)

*1 
当時オックスフォードの中国学名誉教授であった ホーマー・H・ダブズHomer H. Dubs/1892–1969年)が1957年に発表した『古代中国のローマの町(A Roman City in Ancient China. The China Society Sinological Series 5.London, 1957)』により主張された。Wikipediaの記事 古罗马第一军团失踪之谜 で反論(居延漢簡、金関漢簡に"驪靬宛て"という文言が登場しているが、それは前60年(神爵二年の紀年を持っているなど(こちらや、こちら))含め詳しく解説されている。なお、この説(ローマ軍団のメルブ移送含め)は定説となっているわけではなく、学問的にはローマ軍団のメルブ移送説さえ史料がない仮説に過ぎないネタのレベルです。

*2
驪靬村のある金昌市のホームページには、村おこしとして建設されたローマ神殿風建築とローマ兵士装束をまとった一団の写真があり、こちらの写真ではローマ人石像も建てられている(記事中段写真の右がローマ人、中央が漢代の儒者、左がムスリム女性)。2014年7月には驪靬古城にて、金昌驪靬文化国際旅行祭が開催され、欧米人エキストラも出演したイベントが行われた(記事はこちら)。


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by zae06141 | 2016-01-23 00:21 | 古代イラン関係 | Comments(0)

最近(2015年8月)見つけたパルティア・サーサーン朝関連本など

□Decline of Iranshahr: Irrigation and Environment in the Middle East, 500BC-AD1500の再販

 デンマークのイラン学者Peter Christensenの1993年の書籍「Decline of Iranshahr: Irrigation and Environment in the Middle East, 500BC-AD1500」のペーパーバック版が、2015年11月30日の予定で出版予定です。1993年出版のハードカバー本は絶版となっていて、ここ数年中古がUSアマゾンで150-300ドル(本日は352ドル)と、大変高額だったので入手しがたかったのですが、今度のペーパーバック版は、39ドル(現在のところ、JPアマゾンでも送料含めて5260円です。ローマ帝国は、都市ローマや中枢部であるイタリアだけではなく、帝国各地地域別の研究も進んでいますが、サーサーン朝となると、歴史的にまとまりのある展開を見せてきた地域毎の区分すら、あまり採り上げられないことから、本書の扱っているテーマは大変貴重な内容となっています。類書が少ないことから、本書がより多くの人に読まれて欲しいと希望していたので、廉価版の出版は大変ありがたいことだと思います。

The Sasanian World Through Georgian Eyes: Caucasia and the Iranian Commonwealth in Late Antique Georgian Literature Stephen H., Jr. Rapp 著

2014年9月に出版された、グルジアの史書や遺跡を通して、サーサーン朝の従属下にあった古代末期のグルジアにおけるサーサーン朝の痕跡を検討した書籍です。アルメニアにおけるパルティアやサーサーン朝関連の情報を扱った書籍は割とありますが、グルジアに関しては無さそうだったので、本書は貴重な書籍となっています。とはいえ定価115ドルと高額なので、手がだしずらかったのですが、本日見たら、新刊は売り切れていて、新古書が120ドルに値上がりしていました。本書は513ページと大変ボリュームがあるのですが、内容の概要に近い同著者の論説pdfがカリフォルニア大学のサーサーン学のサイトで公開されています(New Perspectives on “The Land of Heroes and Giants”: The Georgian Sources for Sasanian History)わずか32頁のpdfですが、サーサーン朝の影響を受けていると考えられるグルジアの遺跡や、サーサーン朝に触れている、或いはその影響にあると考えられる4世紀から11世紀グルジアの史書などの文献が紹介されていて有用です。


□フィルダウシー『シャーナーメ』と、ビールーニー『インド誌』に登場するパルティア王の名前

History of the Parthian Empire」(2008年8月)という書籍のp17-8に掲載されていました。現ウズベキスタン西部のホラズム出身で、11世紀初にアフガニスタンの王朝ガズニー朝に仕えたビールーニーの『インド誌』には、他で見られない情報も多く、古代イランについてどういう情報が掲載されているのか興味があるのですが、本書(History of the Parthian Empire)のp17-18に、以下のパルティアの王名が記載されていました。

---------------------フィルダウシー--------------------------------
アシュク
シャープール
ゴダルゼス
ビジャン(Bijan)
ナルセス
アラシュ
アルダワーン
バハラーム
アルダワーン大王
---------------------ビールーニー--------------------------------

ダーラーの息子のダーラーの息子のアシュク
アシュクの息子アシュク
アシュクの息子サボール
サボールの息子ヴァラシュ
ヴァラシュの息子ホルミズド
ホルミズドの息子フィーローズ
フィーローズの息子ヴァラシュ
マラザーンの息子ホスロー
ヴァラシュ
ヴァラシュの息子アルダワーン
アルダワーン al-kabir al ashkanan
アシュカナーンの息子ホスロー
アシュカナーンの息子Bef'afarid
アシュカーナーンの息子Jodar(ゴダルゼス)
アシュカナーンの息子ヴァラシュ
アシュカナーンの息子ナルセス
最後の王アルダワーン
----------------------------------------------------------------------------------------
タバリーの『諸使途と諸王の歴史』のアルサケス朝の王達の章に記載されている王名(こちらの記事でまとめています)とあまり変わらず、恐らくサーサーン朝の時代になって創られたと思われる王統となっています。がっかりしましたが、長年気になっていたことがわかり、一歩前進ではあります。

An historical atlas of Central Asia / by Yuri Bregel
 2003年に出版された中央アジアの歴史アトラス。昨年の記事で紹介した書籍です。国会図書館関西館に所蔵されているのですが、東京館への貸出しはできないそうなので、前回の記事時点では見れなかったものです。大学図書館にあることがわかり、閲覧してきました。感想は、200ドルするだけのことはある、というものです。全頁カラーで、中央アジアに勃興した王朝の領土が、非常に詳細に描かれています。砂漠地帯をベタに塗りつぶすのではなく、極力都市と農地・遊牧地だけを王朝の領土として国境線を引いています。428年のサーサーン朝の遠征路なども記載されていて、サーサーン朝の中央アジア付近に関しては、イラン歴史アトラスよりも詳細です。

An Introduction To The History Of The Assyrian Church: Or The Church Of The Sassanid Persian Empire, 100-640

 1910年の書籍の復刻版。サーサーン朝治下のアッシリア教会も、シリア語文献を多数残しているようなので、シリア語文献におけるサーサーン朝の景観などが何かわかるかも、という期待があります。

Sarvistan: A Study in Early Iranian Architecture (Monographs on the Fine Arts) (College Art Association Monograph) Hardcover – October 1, 1986
by Lionel Bier (Author)

 サーサーン朝の宮殿遺跡、サルヴィスターン宮殿遺跡の調査研究書のようです。

Persia's Imperial Power in Late Antiquity: The Great Wall of Gorgan and the Frontier Landscapes of Sasanian Iran (British Institite of Persian Studies Archaeological Monograph Series)
by H. Omrani Rekavandi (Author), T. J. Wilkinson (Author), J. Nokandeh (Author), Eberhard Sauer (Author)

 ローマのリメスや、古代中国の長城と並ぶ、サーサーン朝が北方民族の侵入を防ぐために構築した、200kmに渡るゴルガンの長城とその周辺地域の維持システムの研究のようです。ゴルガンの長城遺跡(サッデ・エスキャンダル)の残骸を見学して以来、妙にこの遺跡とその維持システムに興味があるので、そのうち買ってしまうかも。

□青木健著『ゾロアスター教ズルヴァーン主義研究 : ペルシア語文献『ウラマー・イェ・イスラーム』写本の蒐集と校訂』書評 春田晴郎(西南アジア研究81号2014年)

 春田晴郎氏による書評。「書評 青木健著『ゾロアスター教の興亡--サーサーン朝ペルシアからムガル帝国へ』(オリエント51巻1号、2008年)と同様厳しい内容となっていますが、英仏語版の出版を勧めるなど、高く評価している部分も多々あります。青木氏と春田氏の間に直接の師弟関係があるのかどうかは知りませんが、氏の文章を読んでいると、師が弟子を厳しく育てるような印象を受けます。本評を読んで、私的に重要だった点は、青木氏が、『ウラマー・イェ・イスラーム』の一部を、5世紀初のサーサーン朝の宰相ミフル・ナルセの見解を述べたものだという可能性を指摘しているのに対して、春田氏は、その可能性は低いと見ている点でした。

□物語『インドのジャリアッド王と宰相シマス

 10世紀のペルシア人学者ハムザ・イスイファハーニーが挙げているパルティア時代の書物に「シマスの書」があります。東洋文庫版と岩波文庫版の千一夜物語には入っておらず、ぎょうせい社から1990年に出版されたバートン版第六巻に、「インドのジャリアッド王と宰相シマス」の邦訳があります。この物語は、10世紀のアラビア語書籍『フィフリスト』によると、ギリシア語からアラビア語に翻訳されたものだ、とされていて、実際読んでみても、パルティアやイラン、古代メソポタミアといった雰囲気はありません。枠物語自体は、「シンドバードの書(或いはシュンティパスの書)」に似ているものの、ジャリアッド王の王子の名前ウィルド・ハンという、トルコかモンゴル系の名前だったりして、古代よりも中世の香りがするのですが、枠内の物語はインドの説話という感じです。しかし、こうした物語がパルティア時代に、その領内で読まれていた可能性もゼロではないので、それを想像しながら読むことでそれなりに楽しめました。


□小説「砂漠の薔薇 ~女王ゼノビア~ 」阿部剛著

2014/6/1に出版された、パルミラ女王ゼノビアを主人公とした小説。ササン朝も少しだけ登場しています。ゼノビアを主人公とした日本の小説では、1994年の赤羽尭著『流沙伝説』という2段組597頁の、大変ボリュームのある小説があり、年長者にはこちらの方がお奨めですが、阿部剛氏の本書は、文庫で247頁、文字も大きく、中高生向きのライトノベルという感じです。図書館で20分くらいかけてざっと目を通しただけなので、面白いかどうかまではわかりませんでしたが、中高生でゼノビアに興味を持った方には、取っ付き易いかも知れません。

Zutra (Kahana Chronicles) (Volume 5) Paperback – January 10, 2015
by Allen E Goldenthal

 495-502年の7年間、サーサーン朝の都マーホーゼ(セレウキアとクテシフォンなど複数の都市から構成されたサーサーン朝の首都圏)において、ユダヤ人共同体の独立を指導したMar Zutraを扱った小説の模様。北魏の姫とのロマンスとかも描かれているらしい。クテシフォンがまともに登場する唯一の小説かも。表紙のイメージ通りのドラマにしたら面白いかも。

大阪大学 イラン祭祀信仰プロジェクト
 一時期サーバーにアクセスできなくなっていましたが、現在は復活しています。恐らく日本で一番詳しく、マイナーなパルティア・サーサーン 朝遺跡写真が大量にあるサイト。

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by zae06141 | 2015-08-24 00:30 | 古代イラン関係 | Comments(0)

初期ササン朝碑文、ナグシェ・ロスタム碑文、パイクリ碑文、ナグシェ・ラジャブ碑文の翻訳

 ササン朝自らが残した史書は残されていないので、ササン朝史のイメージは、同時代のローマ側の史書や、後世イスラーム時代の史書に記された内容に大きな影響を受けています。しかし、王朝初期については、幾つか碑文が残されていて、ササン朝自身の自己認識を垣間見ることができます。ここでご紹介する碑文は、何年も前に翻訳して、少しづつ誤字などを修正してきたもので、ずっと「最後まで翻訳していますが、まだ下訳段階です」、と注意書きを入れていたものです。多数の地名・人名がローマ字のままとして残っているので、これらすべてをカタカナに訳すまで注意書きを入れたままにしておくつもりだったのですが、どうも今後もやりそうにないので、誤字だけあらかた修正して今回リリースとすることにしました。

 シャープール1世(在241-272年)のナグシェ・ロスタム碑文は、イランのペルセポリスの近郊にあり、前半には長年に渡るローマとの戦争について比較的詳しい記述があり、イラン人自身の国内地理名称が多数わかる内容となっています。後半は、戦勝を記念して奉納した拝火寺院について記載され、奉納される内容物の詳細や、多数の宮廷・政府の官職と、その官職に就いている個人名が100名以上記載されています(碑文の翻訳はこちら)。

 ナルセス(ナルセフ)王(在293-302年)のパイクリ碑文は、イラクの東北部スレイマニヤ県で発見され、現在スレイマニヤ博物館に収蔵されています。内容は、ナルセフ王即位の事情(前王との内戦)が詳細に語られています。文中欠落部分も多いのですが、大意は汲み取れます。

 キルディール(カルティール)は、シャープール1世、ホルミズド1世、バハラーム1世、ナルセフの4代に渡って仕えた聖職者で、シャープール時代に広まったマニ教撲滅と、王国のゾロアスター教化を推進した人物です。彼より40年ほど後に、ローマ側で、皇帝の傍らにあってキリスト教化を推進したエウセビオスに相当する人物といえるかも知れません。個人的には権謀術数に秀でた権力者というイメージです。彼の碑文からは、シャープール一世やナルセフ王の碑文とはまた違った観点でのイラン人自身の世界観を垣間見ることができます。王が交代するごとに、彼の称号がランクアップしてゆき、出世していった様子が良くわかります。彼の碑文は四つ残されており、今回は、ナグシェ・ロスタム碑文、ナグシェ・ラジャブ碑文を翻訳しました。

 なお、シャープール1世のハージーアーバード碑文の英訳がこちらにあります。これは短く、いつでも読める程度の長さしかないので訳しませんでしたが、結構重要な碑文のようで、足利惇氏『ペルシャ帝国(講談社世界の歴史第九巻)』p309の記載によると、「 the kings and princes and magnates and nobles」という英訳となっている部分が、シャーフルダーラーン(王朝内の諸国王)、王族(ヴィスプフル)、大貴族(ヴァスプフラーン)、小貴族(アーザーダーン)、というササン朝の社会階層の出典とのことで、重要碑文ということのようです。
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by zae06141 | 2015-07-25 00:28 | 古代イラン関係 | Comments(0)

ササン人の世界観

 古代イラン人自身が書き残した文献は、ほとんど伝わっていません。しかし、ササン朝については、若干残されており、そこからある程度推測することができます。この記事では、ササン朝の帝王、貴族、宗教界それぞれに関する文献を紹介したいと思います。

1.帝王(1)
 
 6世紀最盛期の王ホスロー1世の世界観をうかがい知ることができる中世パフラヴィー語文献『カワードの子、フスラウの教訓』が残されています。伊藤義教氏が邦訳を残していますので、こちらに引用してみました。3頁ほどの短い文献です。次項の「ホスロー二世の弁明」と比べると、建前的な内容であり、民衆側の心情を忖度した理想的君主・統治像が印象づけられる内容となっています。


2.帝王(2)

 ホスロー一世の孫、7世紀の帝王ホスロー2世の世界観を窺い知ることができぶ記載が、9世紀イスラームの歴史家タバリーの『諸預言者と諸王の歴史』のササン朝王「シールーヤ」の章に登場しています。シールーヤは、ホスロー二世の息子で、王を捕縛して王位についた王です。シールーヤの章は、国王を監禁したシールーヤが、ホスロー王の国家に対する罪状を述べて糾弾、それに対して、ホスロー2世が弁明する章です。章題が知名度の低い王であることから、ホスロー2世の章は読んでも、シールーヤの章を読んでいる人は多くはないのではないかと推測されます。しかしこの章は、「ホスロー二世の弁明」ともいうべき内容であり、ホスロー2世の国家や統治に対する見解が直截的に述べられている点で異色の内容であり、民衆より支配者側の論理と都合のみを語っている点で、上記ホスロー1世の理想化された君主像と比べると、遥かに現実的で傲岸な帝王像が垣間見られる点で貴重です。


3.貴族階級(1)

 貴族階級の生活像を描いた中世パフラヴィー語文献『ホスローと小姓』という小品があります。これも数頁の内容ですが、当時の生活のあり方通じて、貴族階級の世界観をも若干うかがうことが出来ます。こちらに3/4ほどの翻訳を掲載しております


4.貴族階級(2)

 『カリーラとディムナ』という、8世紀に中世パフラヴィー語からアラビア語に翻訳された書籍の中に、「ボフタカーンの息子ボゾルジミフル、医師バルザワイヒについて語る」という節があり、バルザワイヒが自らの人生を語る場面が20ページ近くあります。医師という職業を選択した理由と背景とともに、生き方を巡る思索や当時の社会背景が述べられています。社会的背景を垣間見ることができます。ただ、バルザワイヒは、少し理想化された人物なので、より世俗的・現実的な印象を受けるのは『ホスローと小姓』の方です。


5.宗教界

 中世パフラヴィー語の宗教文献は多数残されていますが、端的に世界観を知ることが出来る文献として、以下の2点があげられます。

 『ジャーマースプに関する回想』 
 『デーンカルドの教祖伝』

 前者は、伊藤義教『ゾロアスター教論集』の281-312頁に掲載されていおり、後者は、『ゾロアスター研究』のp1-151頁に掲載されています。前者は、聖書の創世期と黙示録を合わせたような内容で、端的に世界観を知ることができます。後者は、量が多いのですが、その殆どがゾロアスターその人の伝記部分であり、終わりのほうの一部が『ジャーマースプに関する回想』と重なる内容となっています。


  全体的に、ササン朝時代の人びとの世界観や、世界のありかたは、、中世西欧に似ている印象があります。
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by zae06141 | 2015-05-17 00:24 | 古代イラン関係 | Comments(0)

各種地図におけるアケメネス朝・パルティア・サーサーン朝の地方名比較表

 各種地図におけるアケメネス朝・パルティア・サーサーン朝の地方名比較表

というものを作成しました。なぜこんな表が必要なのか?といいますと、

 それは、各地図で、微妙に地名や、その示す場所が異なっているからなのです。古代イランの地図は、ひとつとして同じものはなく、必ずどこかに地名や、その地名が指し示す場所が異なっていたりするのです。どれが一番正確なのか、を知る為に比較してみた次第です。

 例えば、現イラク南部は一般にバビロニアと呼ばれていますが、ササン朝時代は、アッシリアと呼ばれていました。しかし多くのササン朝地図では、「バビロニア」の表記のものが多そうです。また別の例では、「メソポタミア」というと、一般にはイラク南部のバビロニアに相当する地域を連想するものと思いますが、古代イランの地図では、南イラクを示すものはなく、メソポタミアは北イラクを示しています。これは、ギリシア人が認識する「メソポタミア」が北イラクを示しているからです。一方、この呼び方は、ギリシア人側の呼び方であって、イラン側の用語では、この地域は「アッシリア」や、「アディアバネ」と認識されていました。このように、ポピュラーな地名である「メソポタミア」「アッシリア」にしてから、場所の特定と、「誰がそう呼んだのか」についてかなり間際らしい状況にあります。

 こうした間際らしさの原因のひとつは、アケメネス朝やパルティア、ササン朝の地名が、ヘロドトスの『歴史』や、アッリアノス『アレクサンドロス東征記』、プトレマイオス『地理学』、アンミアヌス・マルケリヌス『歴史』など、ギリシア語やラテン語史料に登場する地名を、基本的に用いて地図が作成されていることにあるのではないかと推測しています。

 現地史料のほとんどないパルティアについては、ギリシア語史料に頼るしかないにしても、アケメネス朝とササン朝については、ベストゥーン碑文や、ナグシェ・ロスタム碑文など、ペルシャ語側の地名史料が残されています。そこで、各種地図と碑文の地名の対応表を作成して、より確からしい地図はどれか、地図ごとに地名が異なっている場合、どれが確からしいのか、を比較検討してみるために、表記の地名比較一覧表を作成してみた次第です。

 これでまた、古代イラン世界の世界認識に、一歩近づけた気がしています。

 ところで、ササン朝とローマの国境付近を扱った地図がこちらのサイトにあります。この地図では、サーサーン朝の州名として、バビロニアが「アソーレスターン」、北部のモースル付近がアルバーイスターン、イラク北東部スレイマニヤ県がNōdarada-shīragān ud Garamīgと記されていて、当時のイラン側地名で記されている非常にマニアックで貴重な地図です。

 もうひとつ、ササン朝治下のメソポタミア(現イラク)の地名を、恐らく当時のパフラヴィー語名称だけで著した地図が、エンサイクロペディア・イラニカのIRAQ i. IN THE LATE SASANID AND EARLY ISLAMIC ERASの項目のこちらにあります。この地図には、現モースル地方がNOD ARDAXŠIRAGĀN(北アルダクシールの意味でしょうか)と記されていて、恐らく上記の地図Nōdarada-shīragānと同じ単語だと想われます。現イラク北東部スレイマニヤ県は、GARMAGANと記されていて、これは上記地図のGaramīgに相当する単語だと思われます。

 リサ・ジゼランの印章・封泥研究書に、アーマルガル(州長官)の一つとして、Garmēgān Nōd-Ardašīragānという名称が登場しているので、これが出典なのかも知れません。

 この他にも、前傾イラニカの地図には、パフラヴィー語の地名・都市名が多数登場しており、我々が普段目にするギリシア・ローマ語化した名称とは、異質な印象を受ける世界が展開していることが強く印象づけられます。

 この地図が読み解ける段階のだいぶ手前ではありますが、なんとか手が届きそうな段階まで来れた、という気もしているところです。それにしても、地名ひとつとっても、奥が深く、ため息が出てしまうササン学なのでした。
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by zae06141 | 2015-05-07 00:09 | 古代イラン関係 | Comments(0)

古代イラン(ササン朝)の一般のひとびとは、どのような名前だったのか?

 古代イラン人の名前として知られているのは、ダレイオスやクセルクセス、シャープールやホスローといった王族の名前です。一般人の名前にはどのようなものがあるのでしょうか?

 これについては、シャープール1世(在241-272年)の碑文ナクシェ・ロスタム碑文に、王族含めた役人の名前が役職とともに延々と記されています。この役人の名前は、一般の人びとの名前と考えてもいいのではないか、と考え、碑文から抽出し、以下に並べてみました。アルダワーンやヴァラシュ、ゴンドファル、セレウコスなど、パルティア人の名前も見えています。一方後期ササン朝王に多く登場するホスローやヤズダギルドが見えていないなど、前期ササン朝時代の特徴が出ているように思えます。

 ところで、縄田鉄男教授退官記念論文集刊行会編の言語文化論叢『縄田鉄男教授退官記念論文集』という書籍に、『名前の意味するもの-イラン人名学事始め-』(上岡弘二、吉枝聡子)という論考があり、現代イラン共和国の男女の人名ベスト30の調査と解説があり、現代イランの人名の傾向を知ることができます。これによると、現代イラン人男性のほとんどはアラビア語起源のイスラーム関連名で、イラン起源の名前も、『シャーナーメ』などに登場する、中世になってからメジャーとなった神話系の名前や国王の名前で、古代イランで一般人が利用した名前は現在には引き継がれていないようです。一方、女性名の場合は、ナーヒード(古代の女神アナーヒター)、ミートラー(古代の太陽神ミトラ)などがベスト30に入っていて、女性名については、古代イランの名前が、現在も多く引き継がれているようです。


以下、ナグシェ・ロスタム碑文に登場する人名一覧です。


【1】王族の男性の名前(11種類)
 バフラーム、シャープール、ホルミズド・アルダシール、ナルセフ、ペーローズ、パーパク、 アルダシール、Hamazasp、Valash、ササン、Shapur bidakhsh

【2】王族の女性の名前(6種類)
 Khoranzim
 Aduranahid
 Dinak
 Shapurdukhtak
 Rodak


【3】女性の名前(8種類)
 Narsehdukht
 Ćašmak
 Mirdut( Myrrod)
 Rud-dukhtak
 Varazdukht [Gorazdukht]
 Stahyrad
 Shapurdukhtak
 Hormizddukhtak


【4】男性の名前(90種類)

 Abdagash
 Abursam
 Abursam Rakhsh
 Abursam-Shapur
 アルダシール
 Andegan
 Anošak 
 Ardashir bidakhsh
 Ardashir Karen
 Ardashir Varaz
 Ardashir Suren
 Arshtat Mihran
 Artaban
 Asporik
 バフラーム
 Bandak
 Barrak
 bidakhsh
 バグダッド
 Chashmak
 Chihrak
 Dehin Varaz
 Diran
 Farrak
 Frīk
 Geliman
 Gok Karen
 Gondofarr Abgan
 Gurik(Vardik)
 Kerdir Ardavan
 Kerdir(キルディール)
 Khoranzim
 Khudik
 Khumafrat
 Khur
 Kiduk
 Kirdisro bidakhsh
 ホルミズド
 Hormizdak
 Manzik
 Mard
 Mihr-khwast Baresigan
 Mihrak
 Mihrkhwast
 Mihrožan
 マーディン
 ナルセフ
 Nashbad
 Naduk
 Odabakht
 Pabish
 パーパク
 Papak Vaspurigan
 Pasfard
 Pazihr Vaspurigan
 Pohrik
 ペーローズ
 Peroz Karen
 Rastak
 Pažihr
 Sagbus
 ササン
 Sasan Ornekan
 Sasan Suren
 セレウコス
 Shanbit
 Shahimust
 シャープール
 Sritoy
 Tir-mihr
 Tiyanik
 トサール(Tosar)
 Vahunam
 Valash
 Vartragnipat
 Vardbad (Gulbad)
 Vardan
 Vardapad (Gulbad)
 Varzin
 Vinnar
 Vifar
 Vifard
 Virod
 Yazdbad
 Yoymard
 Zayen
 Zik
 Zik Zabrigan
 Zurvandad
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by zae06141 | 2015-04-27 00:19 | 古代イラン関係 | Comments(2)