古代世界の午後雑記


「古代世界の午後」更新履歴と雑記
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カテゴリ:世界情勢・社会問題( 25 )


ドイツ輸出額 7年間で2.5倍の謎

 今年年初に、2009年、中国に抜かれて輸出額世界一位の座から降りたとはいえ、今年もドイツの輸出は相変わらず好調のようですね。出生率低下と老齢人口増、更に高福祉であることから、可処分所得が低いので、内需より外需へ傾注するのは正しいように思えます。それにしても輸出額1位は米国だと思っていたので、ドイツが一位だったというのは知らなかったのですが、「2009年版 「今」がわかる!世界経済ダイジェスト」を見ていたら、2000年以降2007年までの輸出額上位5国のグラフが出ていて、それによると、ドイツは2003年以降世界一になっているだけでなく、2000年から2007年の間に輸出額が2倍となっているのに驚きました(ほぼ同じグラフがこちらのサイトに出ています)。いったいどういう成長をしたら、輸出が倍になるのだろうか?このデータは正しいのだろうか?と少し調べてみました。

 まず、こちらの国連の統計サイトで輸出額を出してみました。
 
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これによると、2000年以降、急激に輸出が上昇し、2008年までの8年間で2.67倍になっていることがわかります(2001-2008の7年間で2.54倍)。凄い!一体どうやったらこんな急激な成長ができるのか。EU統合のお陰だろうか。もしかしてEU域内貿易額が増えているのかも。。。と、「財務省 世界の統計」から、ドイツ輸出相手先別金額上位10カ国を取得してきました。

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 米国に比べ、EU諸国が特に急激に伸びているわけでもありません。しかしこれらの国合計も2003-2008年の間に倍額となっています。すると、本当にドイツ経済が伸びているのだろうか。となれば、GDPにおける輸出依存度も相当上がっているに違いない、と、この辺で気づけばよかったのですが、「世界の統計」から輸出依存度を持ってきてみました。右グラフのオレンジがGDP、青が輸出額、左グラフが輸出依存度(GDPに占める割合)です。
 
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 すると、確かに依存度は増えているものの10%程度。倍といえる程ではありません。一体どうしてだろうかと悩んだ挙句に漸く気づいて、ユーロ/ドルのチャートを調べてみました。下記はinfoseekの相場チャートから持ってきたものです。
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2000年から2008年中頃迄の間で概ね1.6倍となっています。ユーロ額でのドイツの輸出額を知る必要があるため、ジェトロのドイツ貿易統計を見てみました。
a0094433_21123048.jpg

 2000年から2008年までで1.65倍。つまり、2.67倍の正体は、1.65*1.6=2.65ということだったのでした。早く気づけよ。。

 とはいえ、8年間で1.65倍という事は、年率7%近い伸びが必要です。現実的かつ、好調な様子でうらやましい限り。でもきっとユーロ決済してるんだろうなぁ。だからユーロ高でも関係なく輸出が伸びたんじゃないかなぁ。前々回の記事で、日本の輸出の決済通貨別割合表を作成してみましたが、ドイツの輸出のユーロ建て決済表もそのうち調べてみたいところです。中国への輸出が大きな要因、という話もありますが、きっとユーロ建なんだろうなぁ。

 ところで、先月、3年毎の発表となっている、外国為替市場の取引総額がBISから発表になってますね。こちらは貿易決済だけではなく、投機含めた総額なのであまり参考にはなりませんが、ユーロ/人民元の為替取引割合が掲載されているかもと見てみました(こちらのBISのページの右枠、「Related information」の「Triennial annex tables (XLS)」をご参照ください。Table4タブに、それぞれの通貨の取引の組み合わせが出ているのですが、小額なのか、残念ながらユーロ/人民元はOthersとなっているようです。掲載されている中では、一番額の小さい日本円/ニュージーランドドルの日額平均4000億円よりも小さい、ということなのでしょうか。日額平均720億ドルにもなる「その他組み合わせ」の中身が気になるところです。

 それにしても、2010年の外国為替取引総額(前傾BISのXLS表のTable1タブ)は約日額400兆円。年間休日を140日としても245日で975兆ドル。。。2001年の数値と2007年の数値を比べると、世界のGDP総額が1.73倍(前傾国連データ)であるのに対して、同期間の為替取引総額は3.21倍(下はGDP総額。2008年で60兆ドル)。

 
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 財務省のこちらの貿易統計(9-1のエクセル表40kb)によると、2007年度の輸出入の総額は、26兆212億ドル。世界GDP総額の48%(ちょっと多すぎないかという気もしますがまあいいや)、貿易総額と為替取引年総額の比較に意味があるのかどうかわかりませんが、2007年の世界GDP54兆ドルに対して為替取引年額(245日とした推計)814兆ドル。貿易総額の31倍。。。。時代の趨勢としてこれでいいのか悪いのか、なんとも私にはわからない世界ですが、金融に実体経済が振り回される世界は今後も続き、益々想定外の事態が起こり続けるんでしょうね。。。。
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by zae06141 | 2010-10-02 22:38 | 世界情勢・社会問題 | Comments(2)

書籍「ドイツ病に学べ」「「イタリア病の教訓」「ブレア時代のイギリス」

 あまりにも暑くヘタれています。海外のお天気ニュースを見ていたら、ジャカルタやニューデリー、バンコクやシンガポールよりも最高/最低気温とも東京の方が高くで驚きました。深圳市でも最高は32度程度(内陸の広州の方が暑い)、8月も10日を過ぎれば朝夕は気持ちのいい涼風が来て、夏が去るなと思ったものですが、今年は未だに夜の暑さも続いている状況。。。深圳市より夏は暑く、冬は寒いとは恐ろしいことです。

 前回、英米、オランダ、イタリア、スウェーデンなどの80から90年代の財政再建について各30ページ程でまとめた「世界の経済・財政改革」をご紹介しましたが、ドイツと、その後のイタリアはどのような状況なのだろうか、と探したところ、見つかったのが表記の2冊。「ドイツ病に学べ」は選書、「イタリア病の教訓」は新書なので、「世界の経済・財政改革」と同程度の概要書で、著者も経済の専門家ではない為、経済素人にはわかりやすい内容でした。良書とも、1995年頃から2006年頃までの10年間の経済・財政政策の概要を記載しています。専門書ではないのでもの足りない部分もありますが、それなりに表やグラフも多く、参考になり、今後の役にも立ちそうでしたので、これらも中古を注文しました。

 「ドイツ病に学べ

 日本と似たような、製造業中心の経済で、冷戦期までの自民党支配時代の日本のように、概ねキリスト教民主・社会同盟が安定政権であり続けているドイツはどのような財政状況・経済状況なのだろうか、が知りたくて読んだのですが、日本より厳しい状況にあり、構造改革に迫られながらも国論が割れて上手く進んでいない、ということがわかりました。興味深かったのは下記の点。

1.西ドイツでは、1972年以来既に「ドイツ人」は減少に入っており、90年代は年間30-78万の移民を受け入れていたが、90年代中頃に移民を制限した為、2003年以降は移民を含め、人口が減少している
2.日本以上に年金・福祉負担が重く、高福祉で、財政は火の車。なかなか改革できない。この強固な社会保障制度の基はビスマルクが導入した、受験にも出てきた社会保障制度だというのも驚き。
3.ナチスが導入した「値下げ禁止法」が2001年まで生きていた(p132)というのも驚き。

4.労使協調型経営(英米よりも日本に近い、会社は社員のもの、という感じ。恥ずかしながら「社会的市場経済」という言葉を初めて知りました)と規制の多さ。アングロ・サクソン流経営や英米流グローバリゼーションへの違和感・抵抗感(投資会社をイナゴに喩えて非難する論争が2005年にあったとのこと。日本での「ハゲタカファンド」への拒絶感に似ている)
5.東ドイツの急激な年収上昇率が(東西統一の呼び水とした1西ドイツマルク=1東ドイツマルクでの交換に原因がある)、生産性上昇率を上回ってしまい、イタリア・日本並みの労働コストとなってしまった為、東ドイツをスルーしてポーランド・チェコに仕事が出されるようになった、
6.ポーランド人の出稼ぎ労働者が行っているアスパラガスの収穫を、ドイツ人失業者4000人に対して行うか、と質問したところ、100人のみが実施し、しかも最後までやり遂げたのは皆無(p73)という話(裕福国民が軟弱化するのはどこも同じかも*1)。

7.「サラリーマンAさんの給与明細」(p109) 可処分所得が低い為、ドイツが成長するには外需依存度(2008年GDP比39.9%)を高めるしかないことが良くわかりました。
8.2003年ドイツのジニ係数は0.257で日本の0.3986より低いが、スイスなどタックスヘイブンへ逃れている富裕層が多い(タックスヘイブンへのドイツの徴税強化の記事の背景がよく理解できた)
9.1998年から2005年の社会民主党のシュレーダー政権は社会保障制度改革(年金・失業・健保。両親援助金(p188)などは民主党の子供手当てに似ている)など競争力を高める構造改革を始めたが、国民の不評を買って政権を降りることになった。興味深いのは、2005年9月18日の連邦選挙では、キリスト教民主・社会同盟の選挙区得票率は40.8%、SPD38.4となり、今年の日本の参議院選挙での民主と自民の選挙区得票率38.97、33.38%と、第一党が過半数を取得できず、更に第二党に迫られている共通点。更に興味深いのは、選挙戦中にメルケル氏が「有権者に対する正直さ」を重視し、「付加価値税(日本では消費税に相当)を引き上げる」と発言し、「メルケルが首相になっても、構造改革路線が継続される」ことを有権者が知ってしまい、得票率を大きく減らしたとされている点。消費税発言をしたり、昨年9月の衆院選時のマニフェストから現実路線に舵を切ってきた民主党政権と似ている感じ。

 本書は、執筆時点で在独16年になる元NHK職員の著作である為、ことさらに日本の課題に即した事柄を強調しているようにも思えますが、先進産業の構造や社会構造が代わっても先進国でい続けたいのであれば、構造改革は必要だと思います。とはいえ、日本も上手くいっていないのと同様、ドイツでも、2009年9月27日の選挙では、改革路線が後退し、既存大政党に満足が得られない結果となっている点も似ているように思えました(そういえば、アングロ・サクソン資本主義本家の英国でも今年の選挙では労働党と保守党とも過半数割れしていますね。。。)

 ところで、私は「30歳以上の子無し独身者には消費税15%でもいいのじゃないか」と思っていました。可処分所得が多いのは事実だし。将来の年金財源(子供)に貢献してないし。と思っていたら、ドイツでもそうした論議は行われているようですね。

「「子供いがいない市民は、将来の年金制度の維持に貢献しない。この為、子供がいない市民に対しては、年金を減らしたり、年金保険料を増やしたりしないと不公平だ」という声が出始めている(p125,関連p186)」

 何か日本の参考にならないかと読み始めた本書ですが、ぜんぜん希望は得られませんでした。とはいうものの下記ミュンヘン大学の研究者の言葉は印象に残りました(p201)

 「この国では、アングロサクソン流のネオリベラル的な政策は、過半数の支持を得ることはできない。グローバル化の時代に社会的公正をどのように実現するのか、という市民の問いかけに対して、二大政党は答えを出すことができなかった」

 第二次メルケル政権でもその答えは出ていないようですし、日本は今後より深刻に悩み続けることになるのだと思います。中国や米国という大国や中東やロシアなど莫大な資源を持つ国々の狭間で、似たような性質と来歴を持つ中堅国家同士がお互いに参考にしながら自国の良さを保ちつつうまく構造改革に立ち向かえるようになることを祈っている次第です。
 
*1 雨宮処凛「プレカリアート」「第5章 就職氷河期世代の逆襲!―超世代座談会」では、団塊世代の主婦(61歳)、25歳の勝ち組企業OL、赤木智弘達氏含めたフリータの2名の座談会において、団塊世代主婦が、「新聞の広告欄に「鳶募集・寮完備・未経験者歓迎」といった待遇のよさそうな働き口は結構あるじゃないか」と水を向けると、フリータ2氏が「〈職人の世界って独特な体育会系の雰囲気じゃないですか」と返し、団塊主婦が「何を言ってるの!?」と絶句するところが出てくる。また、フリータ氏が「格差の固定を避けるために、収入のある正社員の女性はフリーターの男性と結婚すべき」で、「家庭に入って家事や育児をする権利を男性にも認めてほしい」(p.168)ということを主張すると、勝ち組OLは「璧な家事のプロでなければ駄目」と返すのに対し、「僕は実家暮らしが長いので、家事全般は余り得意ではありませんね(笑)」(p.177)となるのであった(「プレカリアート」書評)。

 「イタリア病の教訓

 英国病、日本病という言葉もあったし、どこもかしこも病ばかりという感じ。冒頭でいきなり「停滞の10年」と出てくる(「ドイツ病に学べ」でも「失われた十年」という言葉が出ている。p127、統一後の10年間を指す)。90年代半ばに財政再建し、GDP成長率も1-3%の間にあったのにどうして?と思ったが、これは、96-2006の間の成長率が、常に0.5%EU平均を下回っており、更に2000年以降0%スレスレを何度も経験し、2002年以降一人当たりのGDPはEU平均を下回り、2006年にはほぼスペインと並んでしまったことにある模様。その背景としては、労働生産性成長率(IT化の遅れ)の低さ、繊維・靴など中国などと競合するローテク産業に比重が高い(これをイタリアでは「間違った産業構造」と呼んでいるとのこと)ことが挙げられ、90年代後半せっかく立て直した財政も、2001年から2006年までのベルルスコーニ政権下ですっかり取り崩され「イタリアがアルゼンチンと同様の結末を迎えるリスクは増大している」と新聞にも書かれている状況とのこと(「アルゼンチンにとってみれば、破滅に向かいそうな国を論じる際にいつも引き合いに出され、いい迷惑であろう」という記載には笑ってしまった)。

 しかし読み進めて行くと、病にしては、日本やドイツ程の深刻な感じはしないのでした。2006年に脱税で失われた税収はGDPの8%(p125)と見られており、この半分でも摘発できれば、4.1%の財政赤字は解消してしまうと見られているとのこと。政府が脱税対策を口にすると、「増税反対」と市民は叫ぶそうな。

 「イタリアの予算編成の特徴を50字以内で述べよといわれたら、「連立各党が存在感の発揮を図るため混乱するが、あまり赤字を出すとEUから糾弾されるので破綻を免れている」」(p130)

 とあり、赤字を出しすぎたベルルスコーニ政権が終了し、「(EU向け)財政再建政権(プローディ首相)」を発足させ、本格的な構造改革までいけないまま、とりあえず財政が回復すると、2年余りでベルルスコーニ政権に戻ってしまう。。。。。

 イタリアは従業員数10名未満の零細企業に勤める労働者率は47%(英27、仏22、独21)と、文字通り「家族経営」が多く、本来なら、大規模化、IT化して構造変換を計るべきところが、国際的ブランド力を利用して、高級消費財へシフトすることに成功しつつあり、p173掲載のグラフでは、世界の輸出市場におけるイタリアのシェアは、数量ベースでは一貫して低下している一方で、金額ベースでは横ばいになりつつある状況を示しています。抜本的な改革を回避し、大枠の経営形態を残しつつ、地道なレベルで改善している模様。

 これが一時的な先送りで終わってしまうのか、イタリア的な「グローバリゼーションへの対応」なのかは今後を見ないとわからないことですが、比較的まじめに税金を納め、まじめに統計を出すドイツと比べると、イタリアの病は遥かに気楽そうに思えたのでした。

 著者は財務省の官僚であり、本書出版時(2007年5月)はイタリアの日本大使館勤務とのことですので、財政再建を重視するバイアスがあるかも知れませんが、「イタリアといえども基礎的収支の黒字は財政運営に際しての当然の前提と見られており、日本のようにこれを目標とする発想は無い」という指摘は重要なので、本当にそうなのか機会を改めて調べてみたいと思います。とはいえ、仮にそうだとしても、EUのような外圧であれ、財政運営指標をきちんと持つことは重要なのだと思うのでした。

 しかし、この人は、結構文章力があるように思えます。「あとがき」の冒頭

 「はっきりいって、イタリアのマクロ経済・財政などに関心を持っている日本人は、そう多くないだろう」 

 はい。その通りかと思います。貴重な情報、結構楽しく読めました。ありがとうございました。

 


ブレア時代のイギリス

 ブレアが進めた政策の特徴は全体的にわかるものの、財政・経済政策について「世界の経済・財政改革(2001年出版)」に記載のある3ページあまりの記載よりもわからなかった。そういう本ではないので仕方が無いけど。1期目は国債を増やさない方針を採った、とあるが、具体的にどのように差配したのか知りたかった。1期目と2期目の施策も区別して書かれていない為、1期目のどのような成果が評価されて2期目を迎えることができたのか、下記のような期待を持たせる文章があったため、余計残念。

 「しかし、ブレア労働党は、政権を獲得した暁に何をしたいかというアイディアを豊富に持っていた。そうした政策の展開は、労働党政権を10年続けるという周到な計画の中で、準備されていた。一期目の後半から二期目にかけて、そうした政策が花開いていくのである(p23)」

 ところで、「世界の経済・財政改革」p90には、ブレア政権の財政規律について、「80年代末に循環的な黒字を構造的な黒字と誤認した結果が景気過熱を招いた経験」に基づいて導入された、とあります。フロックのような税収増を構造的増収と取り違えた安部政権に煎じて飲ませたい内容。

 どうでもいい話ですが、シュレーダー氏もブレア氏も小泉氏も党内異端児という共通点があるとは知りませんでした。あと、菅首相がテレビで、「雇用、雇用、雇用」と演説しているとき、偶然にもブレア氏が「教育、教育、教育」と主張したくだりを読んだのは面白い偶然でした(菅首相はNHK出演時、ブレアを意識した、と言ってました)。


 最後になりますが、また首相交代になりそうですね。
個人的には小沢さんにやっていただいても良いかと思います。菅首相は自らも公言している通り、「まだ3ヶ月」で「これから」なので、小沢さんが登板して、仮に失敗したら、その後登板しても良いのではないでしょうか("次"は前原さんとか岡田さんが騒ぎそうだけど)。「カネ」の問題にしても、もし小沢さんが日本経済の再生に成功したら、その報酬としては少ないくらいな額じゃあないでしょうか。ゴーン社長でさえ8億ももらっていることですし。とはいうものの、政府資産の証券化について「まだ詳しく試算もしてませんが(昨晩のNHK出演時」というのはいかがなものでしょう。いくら剛腕でも、本気で必要だと考えている政策(のひとつ)について今の段階で準備不足というのはありえないのではないでしょうか。「壊し屋」という異名があるくらいだから、無思慮に剛腕を発揮していただいて、小泉さんのやった"自民党"どころか、「日本をぶっ壊す」くらいやれば、既得権層に不満を持つ人々が新しい日本を作るかも知れないから、それはそれでいいかも。
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by zae06141 | 2010-09-04 21:26 | 世界情勢・社会問題 | Comments(4)

「ジャーナリズムが倒れると社会が崩壊する」=「ローマの没落は全世界の没落」と同じこと

 風邪を引いてしまいました。ニュースを見ると今年最初の寒波が来ていて、典型的な冬型の気圧配置となったとのこと。本日朝から調子が悪かったのですが、外出中に悪化してしまいました。やはり深圳で購入してきたスラックスは日本の冬には耐え切れないようです。というわけでぐっすり眠って治さなくてはならないのですが、本日放送のNHKの「クローズアップ現代:変わる巨大メディア・新聞」を見てしまった為、少しだけ記載。

 題名は悪くないと思うのですが、「新聞崩壊=ジャーナリズムが崩壊すると権力を監視できなくなる」という視聴者洗脳文句が何度も繰り返された点などに、マスコミの自衛プロパガンダ番組という気がしました。表題の文言も、登場した立花隆氏の「ジャーナリズムが倒れると社会が崩壊する」の言(録画してチェックしたわけではないので100%このとおりの文字だったかまでは責任が取れませんが、このような趣旨の発言でした)。これにしたって、立花氏は既存の情報流通体制内の人だからそう考えるだけじゃないのかな。紀元410年のローマの陥落時、ヒエロニムスは

「世界の光りが消えた。都市ローマにおいて全世界は没落した」
「ローマが没落するならば、地上の何者が安泰でありえようか」
(引用元:講談社「世界の歴史」旧版三巻「永遠のローマ」 弓削達著 p135)

と手紙に書き送ったそうですが、それと同じことなんじゃないの。 「ローマ=世界そのもの」であった人にとっては、ローマの陥落は世界の没落だったかも知れないけど、そうでない人にとっては滅亡でも何でもなく、世界は残ったのと同様に、IT革命で変動を迫られている旧体制に依存して恩恵を得ている人にとってはIT革命の危機が「社会の崩壊」と思えるだけなのでしょう。立花氏言の「社会の崩壊」とは、本質的には、「旧社会の崩壊」という意味に過ぎないように思えます。

 番組を通して、「新聞」と「ジャーナリズム」の語句が倒置的な語句として曖昧に使われていたのも少し気になりました。ITはジャーナリズムを維持できないのかな。迫られているのは「旧体制のありかたの変革」なのであって、ジャーナリズムそのものの有無では無いのは明らかなのですが、この点が明言されず、「新聞の崩壊=ジャーナリズムの崩壊=権力の監視ができない」とプロパガンダを繰り返している印象を受けました。 「ITはジャーナリズムを担えないのか?」「ITデジタル革命における今後のジャーナリズムのあり方」など、前向きな視点と議論をもっと出して欲しかったところです。

 そもそも新聞だけがジャーナリズムなのでしょうか?
 権力を監視できるのはジャーナリズムだけなの?

という論点まで30分の番組に期待するのは難しいのかも知れませんが。。。。権力の監視なら市民団体や政治団体だってやってるんじゃないの? そもそも既存の大メディアと権力との癒着部分はあり、伝えないことも多いでしょ。新聞の一面に記載するかどうかで、「社会的重要事項にランキングをすることが可能」、という点は新聞、特に大新聞にしてはじめて可能なことなのだと思うのですが、権力の監視だけなら、各種社会団体と新聞の相違はカバーできる範囲と影響範囲が異なるだけなのではないかと思うのですが。。。 そもそも、「社会的重要事項にランキングをすることが」自体が「大新聞の権力」であるように思えますし、そうした権力を彼らが手放したがらないのは無理からぬところかとは思いますが、現在のネットの課題のひとつは情報の氾濫・乱造にあり、この点は現時点では新聞には適わない点です(反対に新聞が提供する統計データなどは、常に最新のものをネットで見ることができるようになっているのでネットが有利)。

 また、ネットは、中国のような言論統制国での国でさえ「人肉検索」などができてしまうツールです。重要なのは、健全な社会倫理の維持と情報公開の為の法整備なんだと思うんだけど。。。。まあ中国政府に折れたGoogleなどのように、ITがそもそも権力に迎合してしまえば意味が無いということになってしまいますが、こうした癒着はマスコミでも同じことだと思うのですが。。。。

 健全な社会倫理とは、情報セキュリティ法や所属組織の内部法令を侵してでも遭遇した違法または既存法では抜け落ちていても、社会的に異常だと考えられることを内部告発・リークする人間を社会が育て続ける(例えば匿名の掲示板に書き込むなど)、ということであり、情報公開の為の法の整備とは、不審な情報を目にした社会団体が公開を請求した時に情報公開させる、という法律を意味しています。この点では、番組の中で、確か解雇された米国の記者が「権力を追求しつづける人は一定以上必ず発生する」と語っていたように思うのですが、こういう使命感を持った人間は必ず出続けると思うのです。新聞が崩壊しても、ジャーナリズムという社会的機能は崩壊しないように思うのですが。。。。。
 
 良く引き合いに出される「ロッキード事件も、当時の新聞記者は皆周知の話だったのに、週刊誌が取り上げた為表面化した」、という話があります。これを見ても新聞の権能とは、「監視」よりも、「社会的重要事項にランキングをすること」で社会秩序の維持を図ることにあるように思えます。新聞社社員の高額給与の理由は、この「ランキングによる社会秩序の構成と維持」にあり、権力の監視は、週刊誌に記事を提供している薄給のフリーライターさん達にあるように思えてしまいます。。。。いつの時代も世の中には使命感を持っている人や、その体制で恩恵を得られない人が必ず発生するものであり(えらそうなことを記載していますが、実のところ今の私は恩恵を得られない側に移りつつあるので他人事として書いているつもりはありません。このような匿名ブログでは何とでもいえることではありますが)、そうした人々がフリーのライターとなったり、またはそのよなライターや匿名掲示板に情報をリークしたり、政治・社会団体に参加したり資金を提供したりするものだと思うのです。そうして、そもそも日本の新聞は広告収入よりも、直接販売に依存している比率が米国より高いとのことなので、世の人が新聞に、「権力の監視に支払うコストに見合った働き」をしていると判断するならば、販売収益で運営できる範囲の体制にすれば良いだけのように思えます(明確に%までは記載されていなかったかと思うのですが、番組中で表示されていた新聞の収入に関する円グラフは、広告と販売収入の比率が、米国では、2/3,1/3程度、日本では1/4、3/4程度だったかと思います)。

 そういえば、番組では、「広告収入に大きく依存する米国と日本では体制が異なる」と何度か強調されていましたが、一方で、「新聞崩壊=権力の監視機能崩壊」という印象を与え、総合的に「(事業モデルが異なる筈の米国の)新聞崩壊=権力の監視機能崩壊」という混同した印象を与える結果になっているように思えます。

「日本の新聞業界のビジネスモデルは直接投資により収益を支えるビジネスモデルなので、米国にも提案すべき」

 くらいは番組で言っても良かったのではないか、とさえ思うのでした。

ところで、番組では、ピューリッツアー賞受賞者でさえリストラの憂き目にあっている、とありましたが、これは単に彼の年収が高過ぎるからだ、という風に考えるのは行き過ぎでしょうか。「社員として抱えなくても、記事を買った方が安い」「あなたくらい有名なら、独立してやっていけるでしょう」との判断というように思えてしまいました。。。。。。
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by zae06141 | 2010-01-12 20:59 | 世界情勢・社会問題 | Comments(3)

違法コピーと著作権問題

昨夜になってようやく、石景山遊園地のニュースをYouTUBEで見ました(ついでにMLBオールスターでのイチローのヒーロインタヴューとランニングホームランも)。ニュースのコメンテーターたちは呆れて激怒していましたが(立場上仕方がないとは思いますが)、私は、直接利害がないので、単に可笑しかったです。しかしまぁ、元気のないパレードと、いまいちな着ぐるみ。こんなクオリティにいちいちめくじら立てなくてもいいじゃないの、と思ってしまいました。

またこの夏、ドラえもんのアニメが、日本映画社により、正式に中国で上映されているとのことですが、そのときの交渉についての記事を読みました。契約としては普通の細かい条項に、「そんなに信じられないか」と怒り出す交渉相手の中国人のエピソードが出てきます。石景山遊園地の件含め、中国人の著作権への認識のなさに呆れ、笑ってしまう日本人の方は、おそらくニュースのコメンテータ同様、結構いるのではないかと思います。

しかし、本当に、著作権の内容をきちんと知っている日本人がどれほどいるのだろうか、とも思うのです。おそらく多くの人々の認識は、中国の一般の人々とあまりかわらないのではないかと思うのです。私は一度、自サイト公開時に、調査したことがあるのですが、一口に著作権といっても、知的財産権、所有権、肖像権、複製権、商標登録権など、様々な権利が重層的にからみあい、「とにかく確認しまくればいい」ということはわかったのですが、現実問題、確認しきれないという事態が殆どだということがわかり、絶対安全と思われる、最低限の引用しかしないことにしました。

勤務先の仕事で、膨大な社内技術文書をホームページに掲載しようとしたときにも、著作権の難しさを知ることになりました。技術文書は、その一部にどこかから転載してきた文書の引用や、参考用サンプルプログラムがついていたりするのですが、このプログラムの中にも、一部、他のプログラムを流用されていることが多いためです。現在コンピュータソフトのプログラムは、コードを一から書くことはむしろ稀で、既存のコードを下敷きに追加修正をすることが一般的です。よって、引用コードの全てをチェックすることは事実上困難なのです。企業の製品であれば、引用するのも全て自社内のコードとして、著作権を企業が持つようにすれば問題ないのですが、現場の技術者にとって有用な技術文書に付属する参考用プログラムの多くは、製品ではないため、社外のコードをテンプレートに利用していることも多いのです。通常は、こうしたテンプレートは、裁判となったとしても、まず著作権が認められることは無く、問題ないとは思うのですが、企業としては裁判などが起こること自体、イメージダウンとなりますから、慎重にならざるを得ないわけです。

 話は戻りますが、長らく西欧の強い影響下にあった日本においては、「グローバルスタンダード」というものに従いやすくなっている側面もあるのではないでしょうか。われわれにとってのグローバルスタンダードは、中国人には、単なるローカルルールとしか見えないかも知れません。たとえば、中国が独自立法で、三国志や孫悟空などのキャラクターの肖像権、著作権などを作り出したとしたら、どうなるでしょうか?日本のゲーム、コミック、映画など、かなりの権利料を、中国から請求されたとしたら? もちろん私は、中国にすこしづつ世界のルールが浸透することを望んでおり、まだ未発展の段階だから、しばらく中国が大人になるまで我慢して欲しい、と思っているわけですが、さりとて、「中国の常識のなさ」を笑うことは、実は、自身をスタンダードだと思い込んで傲慢に振舞っているだけで、スタンダードといえど、ひっくり返る可能性のあるものであることを知らないだけ、という幼さを露呈しているだけなのではないか、とも思ったりするのです。
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by zae06141 | 2007-08-03 10:24 | 世界情勢・社会問題 | Comments(0)

「這い上がれない未来」とグローバリゼーションの時代

 最近「這い上がれない未来」という書籍を読みました。そして、グローバリゼーションについて、少し考えさせられました。
 
 ウォーラーステインの世界システム論というものがありました。16世紀以降、西欧植民地政策に取り込まれ、「世界システム」として、一つのシステムに、取り込まれてゆく、という主張です。その中で、「中心」とは、西欧列強の企業家、資本家であり、更に植民地の現地支配勢力が、システムを支える「列強側」価値観を身につけた社会層として、中心に位置付けられています。周辺とは、列強と植民地の労働者ということになります。

 この世界システムは、現在、1989年以降に進展しつつある、グローバリゼーションの時代での、世界規模での再編成の原理そのものとなっていると思うのです。
共産圏と中国・インド・ASEAN・BRICSの勃興とグローバリゼーションの進展は、かつて先進国・発展途上国のエリート階級・途上国の貧民・低開発国のヒエラルキーを

多国籍企業=中心
先進国・途上国問わず、それ以外の企業群=周辺

という、かつて、旧植民地国と宗主国の間で機能していたシステムが、グローバル企業とそれ以外の企業というように、世界規模で再編成されているように思えるのです。 これまでは日本で、給料が、手取り15万の人でも、グローバルな基準では、1500$の高給取りだったといえました(途上国の平均給与は、月 100以下~500$程度)。海外旅行をして、物価の安さに驚くことも多かったのではないでしょうか。先進国が中心にあり、発展途上国は、周縁、という構造があり、経済力としては、先進国はヒエラルキーの頂上を構成し、その最下層にいる低所得者も、自国内では、経済力を意識できなくても、ひとたび海外へでれば、ヒエラルキーの上の方にいる感覚を味わうことができたのです。

しかし、現在のグローバリゼーションの進展は、今後は世界中どこへいっても、15万円の給料は、15万給料の階層でしかなくなる時代が来ようとしている、そんな風に思うようになりました。そうして、多国籍企業は、発祥の国に囚われられず、発祥国の政治や経済システムに問題があれば、その中心を、より活動のしやすい別の国に移して、常に「世界システムを維持する」ように活動する、そんな時代がきつつあるように思えます。世界システム論や周辺論は、再び脚光を浴びる時が来るものと思いました。グローバリゼーションとは、輸出入という程度の「国際化」という意味ではなく、「世界規模の秩序再編」だと思うのです。
 
 このイメージは、紀元前1世紀のローマの体制に近いのではないかと思います。紀元前2世紀までのローマは、都市国家連合と、領域国家との同盟が、基本的秩序であり、各地の支配層にローマ市民権を与え、支配層に取り組む、という構造をもっていました。ウォーラーステインが近代西欧の植民地支配システムとして捉えた構造に似ています。これに対して、前1世紀の、ローマ有力者による抗争は、それまでの構造を再編成し、有力者達の各ヒエラルキーが、最終的に単一の、「皇帝」に再編・統合されてゆく過程に似ているように思えるのです。
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by zae06141 | 2006-04-30 21:11 | 世界情勢・社会問題 | Comments(0)