古代世界の午後雑記


「古代世界の午後」更新履歴と雑記
by Solaris1
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紀元前後と2008年の世界人口の内訳

 アンガス・マディソン教授の資料が、教授のサイトで公開されています。ここの資料をもとに、各時代の人口とGDPをまとめた「世界日本化計画」というサイトを見つけました。大変な労作で、非常に参考になります。こちらのURLに、一覧頁があります
 私の興味は、特に下記の4つの資料にあり、どれも興味深く参考になりました。

紀元1年世界全体の人口とGDP
紀元1年のローマ帝国の各地域の人口とGDP
紀元1000年の世界全体の人口とGDP

 しかし、古代イラン史に興味のある私としては、イラクの人口とGDPが低過ぎる点に納得できなかった為、マディソン教授の資料、Statistics on World Population, GDP and Per Capita GDP, 1-2006 AD (Last update: March 2009, horizontal file, copyright Angus Maddison) を参照してみたところ、そもそも教授の資料の数値におけるイラクの値に原因があることがわかりました。McCormick.Adams教授の南イラクの研究によると(こちらに以前まとめたパルティア・サーサーン朝時代に関する概要があります)、パルティア・サーサーン朝のイラクは、パルティア・サーサーン時代は大変繁栄していて、それが、サーサーン朝末期の混乱とイスラームの侵攻による破壊を経て、都市や集落の規模が、イスラーム初期には、サーサーン朝期の半分程度にまで落ちていることが明らかにされています。GDPも人口も、パルティア・サーサーン朝とイスラーム期では大きな相違があったことがわかるのですが、マディソン教授のデータでは、イラクの人口は、紀元1年に100万、紀元1000年に200万となっていてイランの紀元1年と1000年が400万、450万となっている点と比べると、非常に低い値に留まっています。ところで、湯浅赳男氏「文明の人口史―人類と環境との衝突、一万年史 」の5章第8節「イスラーム文明と人口」の章p118では、ラッセル氏の(「後期古代と中世の人口」)研究を引いて、7世紀のイスラーム期イラクの人口を910万と記載しています。7世紀のイスラーム期とは、既にサーサーン朝末期の混乱による農地荒廃と、イスラーム初期における、南イラクの一部地域が放棄された時期であり、イスラーム帝国の重心は、アラビアとシリアにあった時期です。バグダードの建設も8世紀後半。となると、サーサーン朝の繁栄のピーク期は、910万を上回る人口とGDPがあってもおかしくはないということになります。紀元前後のパルティア期でさえ、Adams氏の主張では初期イスラーム期を上回る値となっていることから、パルティア期にも900万前後の人口があったとしてもおかしくはないと言えそうです。

 ところで、湯浅氏の前掲書p124では、他の研究者の例も引いて、初期イスラーム期のイラク人口について、ベロッホ氏の600から800万、イサウィ氏の500から600万という数値を引いていて、いづれにしてもマディソン教授の掲載している紀元1年の100万、1000年の200万という値とは大きな幅があります。これら人口推定の根拠として、当時のエジプトの税収よりもイラクの税収の方が高く、そのエジプトの人口が400万から500万とされている為、イラクの人口が、各氏とも500万以上の値を示す結果となっているとのことです(ちなみにマディソン教授のデータでも、エジプトの紀元1年に450万、紀元1000年に500万となっていて、上記各氏の値とほぼ同じ値となっている)。

  というわけで、所詮は数字のお遊び、イラクに910万という数値を適用し、紀元1年の人口グラフを修正したものを作成しました。その他、グラフ作成時に加工したポイントには下記のものがあります。

・ローマ帝国の人口は、湯浅氏の著作に掲載されている、ベロッホ氏の数値5400万を採用(内訳はこちら)。マディソン氏の算出値だと、東方領土の数値に欠損が多いこともあり、掲載値だけを採用すると、4000万強にしかならないこともあり、領土全域について記載のある5400万を採用した。
・中央アジア・北アジアの人口は、「中国人口通史(4):東漢巻-中国人口通史叢書 袁延勝 著 人民出版社」記載の値、約635万を採用(こちらに数値をまとめた資料があります
・インドネシア以外の東アジアと、コーカサス・シリア、地中海東海岸の値が、マディソン・シートに記載が無い為、数値の記載のあるアジア諸国の値をアジア合計値から差し引いたものを、4等分し、1/4づつ東南アジアとパルティアに配分した。残りの1/2はローマ東方領土と中央アジア・北アジアに相当する為、こちらは、上記5400、635万に含まれているものとみなし、省いた。
・旧ソ連の値も、コーカサス、中央アジアに含まれる部分があるため、390万のうち100万を「その他欧州」に加算し、他は省いた。

 以上の加工の結果、紀元1の人口グラフは下記となりました。

a0094433_16562572.jpg


 ローマ帝国が22%、パルティア圏7%、インド31%、漢帝国29%となりました。
 更に、参考までに、マディソン教授のシートから2008年の人口割合のグラフも作成してみました。古代世界と比較しやすくする為、欧米圏、イスラーム圏の間は白い線を引きました。下記は、欧米圏25%、イスラーム圏12%、インド20%、中国20%となっています。

a0094433_16563332.jpg


なお、下記加工を行っています。
・インドの値は、バングラディッシュ、スリランカ、ネパールを含む
・中国は、香港・台湾を含む
・インドネシアとマレーシアは、東南アジアに含む

 結局、結論ありきの牽強付会な結果としかなっていないとはいえ、欧州とローマ、インド、パルティアとイスラーム、中国の割合は、それ程大きく変わっているわけではない、ということになっています。とへいえ、サハラ以南のアフリカと東南アジアの人口増加が非常に目立つ結果となっていることがよくわかりました。7世紀に、アラブが急激に世界史を動かしたように、アフリカや東南アジアが世界を動かす日がやってくるのかも知れません。
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by zae06141 | 2010-01-02 19:15 | その他歴史関係 | Comments(0)
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