古代世界の午後雑記


「古代世界の午後」更新履歴と雑記
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東京の地下鉄路線図と漢代領域図って似てる感じがします(+少しまじめな中国歴史地図の話)。

 という、どうでもいい話題(後半は少しまともな話です)。

上が漢代(Wikipedia掲載)、下が東京地下鉄路線図。漢代地図は、ちょっと上下の縮尺を縮小していますが、そうすることで一層似てくるような気がします(特に大江戸線の路線が)。

a0094433_1133086.jpg

こちらのWikipedia掲載地図を加工しました

a0094433_114059.jpg


ところで、中国版Wikiの漢朝の項目を見ると、紀元前87年と紀元2年の漢代地図が2つ掲載されています。

紀元前87年の地図はこちら

紀元2年の地図はこちら

両者を見比べると、紀元2年の領域図では、あきらかに隙間が増え、領域が縮小していることがわかります。今資料を参照したわけではないのですが、福建省のあたりは、紀元87年当時には、武帝が内地移住政策をとったため、一部の居住者が残っていたものの、基本的には放棄されていた筈です(史記か漢書にそのような記載がある)。
 ところで、中国科学技術院が出している谭其骧編公式歴史地図によると、前漢は、後期の状況を記載したものと(具体的年号は書いていない)となっていて、こちらで参照することができます。これによると、当時の浙江省には、西部都尉とか、東部都尉、南部都尉などの役人の駐在所があり、現福建省を統括していた筈なので、前87年の地図が、福建省全土を覆っているのは、そのへんの事情を詳細に反映しているものなのかも知れません(更には、現福州のあたりに、治県という役所もありました(治県の遺跡情報はこちら)。

 一方、谭其骧編公式歴史地図の後漢代の地図(こちら)では、西部都尉、東部都尉、南部都尉は掲載されておらず、現福州に、東治、現温州に永寧が置かれており、Wikiの地図を拡大してみると、そのあたりも点として塗りつぶされているようにも見えます。つまり、中国語版Wikiの2つの掲載地図は、かなり正確な状況を著しているものなのかも知れません。

 ところで、私としては、Wikiの紀元2年の地図の方が、当時政府がちゃんと把握していた領土、実情に即しているように思え、この地図は結構好きです。同じ理由で、Wiki掲載の秦朝の地図や、三国時代の地図も、一般的な地図では、塗りつぶしてある箇所が、ちゃんと隙間だらけになっているところが、リアルな感じがして好きです。

 ところで、中国版Wiki掲載中国歴史地図でちょっと興味を引かれるのは、明代の地図。我々が一般的に目にするものと同じような明代地図(1580年)なのですが、中国政府の公式見解では、この時代はチベットは領土になっているんですよね。谭其骧編公式歴史地図でも、後期明代地図(1582年)では、チベットはちゃんと明朝領として塗りつぶされています。中国版Wikiは、中国国内でも参照できるので、この辺が鷹揚というか、単に放置されているだけというか、まあこんな感じではありますね。

 最近のWikiの中国歴史地図では、ここでご紹介したような、単にベタで領域を塗りつぶすのではなく、実際の把握地域を正確に記そうという努力が見られる地図が増えてきて、この点は非常に嬉しい傾向だと思っています。最近は、宋朝のもできたようです(半年前には確か無かった。ただ高麗領がちょっと広すぎな気がしますが。。。)。そのうち唐朝や清朝もできるかも知れません。あと、西晋の行政区画地図というのも中国版Wikiに掲載されています。こちらも大変珍しい貴重な資料だと思います。
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by zae06141 | 2009-12-29 02:13 | その他歴史関係 | Comments(0)
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