古代世界の午後雑記


「古代世界の午後」更新履歴と雑記
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書籍「ペルシア語が結んだ世界」

 最近面白い歴史書籍に続けて出会いました。「夢想の中のビザンティウム」、「ガラスの中の古代ローマ」、「古代仕事大全」、そして、本書「ペルシア語が結んだ世界」です。中国の歴史以外の書籍に飢えていたこともあり、古本が出るまで我慢できず、いづれも高額な書籍ながらジュンク堂書店の割引セールス(といっても5%だけだけど)にも嵌められたこともあって買ってしまいました。で、「ペルシア語が結んだ世界」がよみ終わり、「夢想の中のビザンティウム」も大体終わってきたところ。どちらも元はとれた感じがしています。「夢想の中のビザンティウム」は次回にして、今回は「ペルシア語が結んだ世界」の感想。

 もともと、17世紀のイスラーム世界は、安定した時代ということで興味を持っていたのですが、オルハン・パムク「わたしの名は紅」で、ティムール朝が身近な過去として描かれ、アクバル治下のインドが「同じ世界」とも感じられる描き方をされていたことで、単なる通史ではなく、よりミクロな視点で、この時代・地域を知ることができないだろうか、と思っていたところ、本書が出たので、早速読んでみました。

 非常に面白く、様々な知見を得ることができ、3000円はいい買い物だったように思えます。

 まず、近世イスラム世界でのペルシア語の位置づけについての認識を改めさせられました。
 オスマン朝・サファヴィー朝・ムガル朝でペルシア語が行政・文芸語だったのは知ってはいたものの、漠然と、ラテン語やサンスクリット語・古代漢語・シュメール語などが、口語としては死語となって以降も、学術分野や行政分野で古典文語として生き延びたのと同じで、近世イスラーム世界におけるペルシア語も同じようなものだったのではと思いこんでいました。行政で利用されていたので、近世におけるラテン語などとは違っていることはよく考えればわかることなのですが、なんとなくラテン語やシュメル語のようなものだとの思い込んでいたのでした。しかし、実際は近世の欧州各国の宮廷におけるフランス語などと同様に国際共通語としての流行であると認識が改まりました。

 更には、このペルシア語の流行は、古代ペルシア以来の歴史的イラン世界が直接影響しているものと思い込んでいて、この影響関係自体は誤りではなさそうなのですが、「歴史的イラン世界」についての認識の方が改めさせられることになりました。古代地中海世界や中華世界、インド世界と並ぶ、「大イラン圏」という認識は元々あったのですが、イラン世界の中心はあくまでパルティアやサーサーン朝だとの考えがあり、中央アジアは、イラン系言語を話すイラン系民族の地ではあっても、イラン世界の周辺だと軽視していました。中央アジアは、イラン本国に対して、「トゥーラーン」の地にあたり、中国本土に対する、匈奴と西域に相当する縁辺地帯なのではないか、との考えです。とはいえ、「ヴィースとラーミーン」などでは、パルティアの中心はメルブであり、また、近年の考古学上の成果からは、古代メルブが、メソポタミアに匹敵する程古くから開けた、かなりの先進地帯であったらしいことが推測されるようになってきているなど、なんとなく、イラン世界は、メソポタミアやファールス地方など南西部と、メルブを中心とするホラサーン地方と2つの中心があったのではないかと薄々感じてはいたのですが、本書を読んで(本書では古代については言及されていないものの)その印象は強まりました。ダリウス3世やヤズドギルド3世がメルブ方面へ逃亡したのも、西から攻められたから単に東へ逃亡した、というだけではなく、メルブ方面が、イラン世界のひとつの中心だったからではないのか、とさえ思ったりしています*1。750年のアッバース革命の中心地はホラサーンであり、アッバース朝のマームーンの拠点がメルブだったのも、辺境だから反乱を起こしやすかった、というだけではないような気がしてきました。アラブ征服後のペルシア文芸復興運動が、サーマーン朝下で発展したのも、以前は、中世初期の西欧におけるキリスト教文化の保存が、ブリテン島で行われたのと同様に、周辺地域で古い文化が保存される現象なのかもと思っていたのですが、これも事実は逆で、このあたりが古来から中心地だったからなのかも知れません。そう考えると、近世フランス語が欧州宮廷で流行し、フランスが近世欧州の文化的中心となった背景には、西欧の中でラテン語文化を保存した地域だった背景があったのと同様、サーマーン朝の領域が、ひとつの中心地帯だったからなのかも知れません。そう考えると、歴史的イラン世界と言える地域は、旧サーサーン朝の領域である所謂「イーラーン・ザミーン(イーラーン・ザーミーン)」と呼ばれる地域だけではなく、アム川の北、「トゥーラーン」をも含む地域なのかも知れません。

*1 ゾロアスター教の伝説では、ゾロアスターを保護したヒスタスペス王はバクトリアの王だったとの説があり、更に、シチリアのディオドロスの伝えるセミラミス伝説では、セミラミスが東方へ遠征し、バクトリアを支配したとの話もでてきます。こうした伝説も、当時のマルギアナ、バクトリアあたりがひとつの中心地帯だったことを伝えているのかも知れません。

 ところで、近代国民国家史観からすると、サファヴィー朝はイラン史、ムガル朝はインド史となり、セルジューク朝やチムール朝などは収まりが悪い感じがあったのですが、これについても、本書を読むうちに、「ペルシア語文化圏」と括ることですっきりするようになりました。チャガタイ汗国やイル汗国の領域は概ね、イラン世界=ペルシア語文化圏であって、チムール朝の征服行動は、旧モンゴル帝国を意識してアナトリアやロシア、インドへ遠征したとはいえ、王朝の領土は「ペルシア語文化圏」にだいたい一致しているように思えます。同時に、ムガル朝はインド史ではあっても「インド世界」とは思えなくなり、サファヴィー朝は「ペルシア語文化圏」の中心というわけではなく、一端に過ぎないと感じられるようにもなりました。

 このように、全時代を通じた、イラン世界の認識にまで影響を受ける結果となりました。私にとっては、これだけでも十分有用な書籍と言えるわけですが、本書には、他にも得がたい内容があります。

 最近は、通史的な、時代の縦軸を描いた書籍に飽き足りなくなってきて、特定の時代のみに注目した歴史書籍をよみたいと思うようになってきました。だいたい、概説史を読んだ後は、その時代の政治や経済・社会・文化史など、テーマを絞った書籍を読みたくなるわけですが(例えば漢代貨幣史とか明代経済史とか)、最近はこの段階も通り越して、更によりミクロな視点の記述を読みたいと思うようになってきています。典型例は、「万暦十五年」のような、時代の横軸を描いた書籍です。現在読んでいる「夢想の中のビザンティウム」も、「12世紀フランスの文学史」ではなく、「12世紀フランス文学を通して見た、当時の西欧人のビザンツ認識」に絞り、一見文学作品の製作年代の推論や紹介を行っているようでいて、全体としては、第四回十字軍によるコンスタンティノープル征服に至る西欧人の心性の探求となっていて、ミクロな視点から時代の横軸を描いた内容となっています。「ペルシア語が結んだ世界」でも、8人の論者が、異なった視点や素材を用いて10世紀から19世紀のペルシア語文化圏について論考を寄せていて、領域はアナトリア、クリミア半島、イラン、中央アジア、インド、中国に跨っており、時代の横軸を描いていると言える側面があります。本書の魅力と思えるのは、論者の専門分野や、残存資料の制約から来る偶然の産物なのかも知れませんが、論者が取り上げる素材やトピックが、地域毎に、詩人伝や法律文書、歴史書、トルコ語文学作品、知識人の著作などと異なっている点にもあるように思えます。歴史書についてはクリミア汗国、法律文書については、西トルキスタン、スーフィー文書についてはイランなど、それぞれのトピック毎に地域と時代が異なる為、「ペルシア語文化圏」の全体を扱った通史ではなく、特定の時代について、全部のトピックを網羅したわけでもない、いわば、「ペルシア語文化圏」の世界を斜めに横切ったような著作となっている点が、本書の魅力となっているように思えるのです。
 本書を通じて、、詩人伝の成立過程や法廷業務・知識人の教育課程・歴史書の歴史観など様々な、ミクロな切り口からこの歴史的世界の社会を一端伺い知ることができると同時に、他の地域や時代での同様な事柄はどうなっているのだろう、と、更に詳細な内容への関心を掻き立てられました。

 とまあ、久しぶりに記事を書いているので、結構な長文、しかもだらだらと冗長な文章となってしまいましたが、まだ書き足りないので、一部の内容を分割することにしました。イラン史やインド史、トルコ史などの枠組みではなく、「ペルシア語文化圏世界」という枠組みで、この時代の詳細を扱った書籍が、今後も増えて欲しいと思います。


 ところで、「ペルシア語が結んだ世界」の内容自体については、古代ペルシアに関する2つの知見を得ることができました。一つは近世ペルシア語圏の歴史認識。もうひとつはブズルグミフルに関する情報です。

「5章18世紀クリミアのオスマン語史書「諸情報の要諦」における歴史叙述」では、4冊の歴史書が紹介されています。

・バイダーウィー「歴史の秩序」(1275年)
 -アダム以降の諸預言者、古代ペルシアの諸王朝、イスラームのカリフトイマーム、アッバース朝(以下略)
・シャラフッディーン・アリー・ヤズディー(-1454年)「世界征服者の歴史」(1430年頃)
 -天地創造と預言者達、トルコとモンゴルの伝承、モンゴル帝国史、ティムールの祖先、ティムール伝
・ミールホーンド(-1498年)「清浄の楽園」
 -天地創造と諸預言者、古代ペルシアの諸王朝、ムハンマド、正統カリフ、ウマイヤ朝、アッバース朝(以下略)
・アブデュルガッサール(17世紀末-18世紀中頃)「諸情報の要諦」
 -ピーシュダーディー朝、カヤーニー朝、アレクサンドロスからサーサーン朝の間の諸王、サーサーン朝、周辺地域、ムハンマド、ウマイヤ朝、アッバース朝(以下略)

 以上の書籍中の古代ペルシアの部分は、フィルダウシーの「王書」をネタ本としているとのことですが近世ペルシア語圏においては、古代ペルシアが、「正統王朝」的に扱われていることがよくわかります。アブデュルガッサール「諸情報の要諦」は、最終的にモンゴル帝国とティムール朝を経由してオスマン朝の歴史に接続しているオスマン語書籍であるにも関わらず、トルコやモンゴルの創世神話ではなく、イスラームの創世神話(ユダヤ教の創世神話に古代ペルシアが接続している)となっている点に、この時代・地域の歴史認識が見て取れると言えそうです。

 一方、ブズルグミフルの伝記を読むのは、今や夢のひとつとなってしまっているのですが、ブズルグミフルとホスロー1世の問答が、ハムドゥッラー・ムスタウフィー(1281頃~1349年頃)の「選史」(1330年)の「賢者伝」、ブズルグミフルの項や、ハイダーウィー(が著者と推測される)の「精髄」(13世紀)に掲載されていて、アブデュルガッサールは、「諸情報の要諦」に「精髄」経由で、この問答を掲載しているとのことです。これはひょっとしたら、中世ペルシア語文献「ブズルグミフルの回想」ののとかも知れません。そうして、ひょっとしたら、「賢者伝」所収ということは、人生訓(ハンダルズ)ではなく、伝記かも知れません。アブデュルガッサールは英訳はでていなさそうなのですが、ハムドゥッラー・ムスタウフィーはどうなのでしょうか。調べてみる価値はありそうです。
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by zae06141 | 2009-11-28 23:59 | その他歴史関係 | Comments(0)
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