古代世界の午後雑記


「古代世界の午後」更新履歴と雑記
by Solaris1
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オルハン・パムク「わたしの名は紅」と「薔薇の名前」

 配送代2200円も払って取り寄せた「わたしの名は紅」。漸くよみ終わりました。多くの書評が既にネット上にあるので、私の方であまり追加することは無いとかいいながら少しだけ。

 重厚な歴史ミステリーということで、「薔薇の名前」を連想しましたが、単に歴史ミステリーというだけではなく、思想的論理闘争が似ているように思えました。「薔薇の名前」では、中世的神の論理に対して、近代的論理がテーマのひとつでしたが(「薔薇の名前」はテーマが多過ぎと言えるほど深い小説なので、もちろんこの思想的対決はあくまで数あるテーマのひとつでしかありません)、「わたしの名は紅」も、イスラーム的論理と西洋近代論理の対決がテーマのひとつであるように思えました。

 もっとも、この点に関して、「わたしの名は紅」が、「薔薇の名前」と異なる点は、根源的な思想的対決ではなく、絵画に関する限定的な対立である点と、決定的な回答が出ない点にあるように思えました。
 「根源的な」と言っているのは、「薔薇の名前」において、近代論理が、中世的論理に打ち勝つのではなく、近代論理もまた、ひとつの「論理体系」(つまりは記号体系)であるに過ぎない、という、論理と記号体系というものの、底冷えのする結論点まで描き出してしまっている部分を指しています。舞台となった14世紀前半が、廃れ行く中世的論理と勃興しつつある近代論理の狭間の時代にあり、真理はどちらにあるわけでもなく、近代的論理もまた、ひとつの「論理体系(記号体系)」であることを、遂には主人公は知ってしまう。それゆえ、20世紀もまた、近代的論理の終焉の近き、狭間近き時代にある、ということを描き出していたものと思うわけです。

 「わたしの名は紅」においては、ここまで深い論議が行われているわけではなく(いや、ひょっとしたら行われているのかも知れないが、私には理解できなかっただけなのかも)、イスラームの画の論理、「画とは、神の視点で見たものを描くことである。そこに画家個人の視点は存在しない」ということと、「画家が見たままのものを描く」という、西洋画の論理の対決に、1000年間程イスラームに主に防戦ばかりだった西洋が、攻勢に出るようになった時代の趨勢が象徴されているだけの様に思えました。神の視点と個人の視点との相克や、絵師の内面の葛藤などは描かれても、神の論理と近代西洋論理との間の究極的な結論が描かれていない点が、「決定的な回答が出ていない点」であるように思えるわけです。とはいえ、だから「わたしの名は紅」が、「薔薇の名前」に及ばない、などと言っているわけでは無く、つまりは、この点が、「似ているようで、異なっている点」である、と思う点なのです。もっとも、「薔薇の名前」のごとく、神の論理も記号だなどと言ってしまうようなことがイスラーム社会で受け入れられる筈がなく、また、そのような小説を書いた作者が、有神論者でありうる、などという考え方も、誤解されるだけで、やはり今のイスラーム社会では受け入れられないでしょうから、この点を掘り下げて描くことは、できなかったものと思うのですが。。。。

 「薔薇の名前」を連想させた点についてはこの程度なのですが、当時の時代状況を描いた歴史小説と言う観点では、それが作者の視点ということではあっても、さまざまな示唆を受けることができました。

 西洋論理と神の視点との対立は、16世紀末に一時イスタンブールで盛り上がったものの、どちらも支配的勢力とはならず、沸騰しないまま煮え切らずにずるずると後退し、それが17、18世紀のオスマン朝の停滞に結びついてゆく、という、当時の時代状況を活写した点。

 また、細密画に関する文化史的側面など、日本語ではあまり情報が無いように思えるのですが、ヘラト派、タブリース派、イスファハーン派、そしてイスタンブール派など、さまざまな派が各地に勃興し、相互に影響を与え合っていた様子や、モンゴル時代の、中国からの影響などを実感することができました。最近この時代のインドの細密画についての手軽な解説書が出版されていますが(「インド細密画への招待 (PHP新書)」)、オスマン朝やサファヴィー朝の細密画や文化史についても、手軽な紹介・入門書が出て欲しいと思います。

 更に、歴史上は、非常に短い、挿話に過ぎないようにしか思えなかったチムール朝の時代が、意外なインパクトをもって16世紀のオスマン世界で認識されていた(かも知れない)、ということ。ひょっとしたら、当時のオスマン朝の人々にとってのチムール朝とは、現在の日本における江戸時代のごとき存在であって、その前のセルジュークやアッバース家、ブワイフ家の時代などは、足利以前、鎌倉とか平安時代のように感じられていたのかも。

 というように、フィクションではありながら、十分16世紀末のイスタンブールの世界にトリップさせてくれる作品でした。

 最後に1点。欧米で激賞される、非欧米圏の作家は、とかく、欧米の論理思考を身に着けた「欧米人」だったりするのですが、オルハン・パムク氏は、この点、どうなのでしょうか。中南米の作家などには、よくこうした分析がなされることが多いのですが、氏の場合はどのように分析されているのか興味があります。もっとも、そうした視点の記事は、ネット上に多く見つけることができるように思うのですが、もし、この観点で優れた論考をご存知の方がおられましたら、ご紹介していただけますと助かります。

 なお、前回紹介いたしましたが、この時代のオスマン朝、それも同じ細密画をテーマとした、「Cenneti Beklerken」という映画があります。最近アクバルの映画や、15世紀初頭ビザンツ映画を見たりと、この地域・時代関連の作品に接する機会が増えてきています。

2014年追記:
 本書が背景としている、16-17世紀頃のイスラームの書物や写本、細密画の歴史を扱った書籍『イスラーム書物の歴史』という書籍が2014年6月に出版されています。『わたしの名は紅』の背景である当時の書籍事情にご興味のある方にはヒットするかも知れません。
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by zae06141 | 2009-04-14 00:08 | その他歴史関係 | Comments(0)
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