古代世界の午後雑記


「古代世界の午後」更新履歴と雑記
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伝説と歴史像

 イスラム勢力に征服する前のイランの歴史は、あまり記録が残っていないせいか、歴史イメージを伝説や伝承に大きく負っている面が強いと思います。アケメネス朝からササン朝まで1200年もの歴史がありながら、イラン人自身があまり歴史書を残さなかった為、日本で言えば古事記のような、イスラム時代になってから書かれた歴史書や叙事詩に歴史像が大きく依存することになってしまっているのです。そうして、7世紀以前の日本史についての客観的な史実確認はお隣の中国の史書に頼らねばならないのと同じく、ギリシャ・ローマの史書に頼らなくてはならない点も日本の状況に似ていると思います。
 それでは、外部の民族の記述以外に、神話と伝説・伝承が殆どを閉めるこの時期のイランの歴史から、どの程度の部分が史実なのかを判断する尺度・方法論は、なにか無いものなのでしょうか。

 そう思っているところへ少し参考になる事例が手に入りました。それは中国史の例です。中国では史記以来代々歴史書が書き連ねられてきた結果、比較的確定的な史実がつかめています。なので、中国にも民間伝承や伝説が無かったように思い込んでいましたが、実際にはかなり史実とは隔たった、荒唐無稽な伝承があったことを知りました。それは演劇や講談の世界や地元民だけが知るローカルな伝承として営々と伝えられてきたもののようですので、イランの状況とは逆に、なかなか発掘することは難しそうです。しかし今回一つの事例を知ることができました。それは後漢建国の光武帝についての伝承です。色々な伝承をあわせてみると、全体として以下のような内容であると言えます。

 王莽が平帝を殺した時、王莽の娘である平帝の皇后は妊娠中だった。役人が生まれてきた子供を自分たち夫婦の娘とすりかえ逃がす。王莽は皇族を根絶やしにする。王莽の追撃を逃れつつ、各地を流浪しつつ成長して王莽を滅ぼし、帝位につく。つまり彼こそが後漢の光武帝である。その後漢家再興に手柄のあった二十八武将を酔いに任せて全員誅殺し、酔いから覚めると、しでかしたことを後悔し、狂死する。彼はもともと紫微星の化身であり、死して天界に戻る。

 これは典型的な貴種流浪譚、棄児伝説、英雄化身神話のパターンを3つとも含むでいます。この部分だけ見ると、イラン神話に伝わるアレクサンドロスとダレイオスのパターンも同じといえます。すなわち、ダレイオスが離婚してマケドニアに追い返した妃が、実は既に妊娠していて、誕生したこどもがアレクサンドロスと名乗り、やがてダレイオスを滅ぼす、というものです。棄児伝説はキュロス大王にも伝わっており、更に遡るとサルゴン1世にも同様の棄児伝説があります。しかし上述のような極端な部分を除けば、光武帝の場合、登場人物や、全体的なストーリまで史実と異なってしまっているわけではないと言えるのではないでしょうか。そう考える時、イランの伝承の中も、結局はまったくの創造物ではなく、そこには何がしかの歴史的事実が根底にあると期待できる可能性があると思うのです。
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by zae06141 | 2006-10-01 16:41 | その他歴史関係 | Comments(0)
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