古代世界の午後雑記


「古代世界の午後」更新履歴と雑記
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西ゴートとランゴバルドの史書に登場するペルシア王

 8世紀西欧の史書、西ゴート史書『754年のモサラベ年代記』とランゴバルド史書『ランゴバルドの歴史』をパラパラとめくっていたら、ペルシア王の文字が目に入ったので読んでみたところ、面白いので紹介することにしました。



 『754年のモサラベ年代記』は、後期西ゴート史の重要史料で、西ゴート滅亡後、8世紀に書かれたとされるものです。邦訳は、安達かおり著『イスラム・スペインとモサラベ』(1997年,彩流社)に掲載されています。

 記述は、ヒスパニア暦649年(西暦611年)のヘラクリウスの戴冠から開始され、3節目にペルシア軍との対戦が記載されています。この時、ホスローとヘラクリウスは、両軍から一人づつ代表兵士を出して一騎打ちし、その結果をその後の全面戦闘の予告と見なす、とします。ここで、ペルシア軍側は一兵卒が出てくるのですが、ローマ軍側はヘラクリウス自らが出てきて勝利した、という話です。

 ヘラクリウス自身が戦闘に加わった可能性はあるとしても、一騎打ちに出てくるとは思えませんが、それでもこの内容は、『ランゴバルドの歴史』の荒唐無稽さと比べると遥かにマシです。なお、この話は、12世紀フランスの詩人ゴーティエ・ダラスの叙事詩『エラクル』にも登場しています(あらすじは根津由喜夫『夢想のなかのビザンティウム』(2009年、昭和堂)の第4章に掲載されています。そこでは、場所はドナウ川にかかる橋の中央で、ペルシア側の代表者は、ホスロー王の息子とされています。

 『ランゴバルドの歴史』(2016年,知泉書館)の第50章に登場するエピソードでは、ヘラクリウスの息子コンスタンス(史書では皇帝の名前はコンスタンティヌスとされている)の時代、ペルシア王の妻ケサラが身分を隠してコンスタンティノポリスに来てキリスト教の洗礼を受けた。この噂を聞いたペルシア王が妻を帰国させるための使者を送ったところ、妻は断たっため、ペルシア王自ら6万の軍を率いてコンスタンティノポリスにやってきて洗礼を受けて帰国した、という話です。時期からするとヤズダギルド三世時代の話となりますが、似た話が、メロヴィング朝の『フレデガリウス年代記』に587年の出来事として記載されているそうです。587年とすれば、この場合のペルシア王はホルミズド四世ということになりますね。王の妻ケサラは、ホスロー(コスロー/キスラー)がなまったものかも知れません。

 両史書が書かれた時代は、ギリシア語圏の情報は、ラテン語圏ではかなり曖昧だったのかも知れませんが、ギリシア語圏自身、7世紀後半の『ニキウのヨハネス年代記』と9世紀初頭の『テオファネス年代記』の間は優れた史書がなく、またローマ帝国自身、混乱の時代だったと考えられるので、正確な情報が伝わっていなかった、ということなのかも知れません。まあ、ちょっと面白い話でした。

※その他最近見つけた古代イラン関連

ムガル帝国やオスマン帝国では、皇帝を意味するパーディシャーという用語がありますが、この用語の起源について、フランス語のWikipediaの記事(こちら)では、ゾロアスター教における太陽への祈祷で、アフラ・マズダが、「全ての王を支配する王」( pādishāh bar hamā pādishāhã)という意味で呼ばれている、と記載があるのを見つけました。出典が書いてないので、ゾロアスター教徒ファンの人が書いたデマという可能性もありますが、どうなのでしょう。Wikipediaのアラビア語の記事(こちら)では、Paddy (Mr.) と Shah (King)を組み合わせた造語で、アケメネス朝時代由来に起源がある、とあります。トルコ語の記事(こちら)ではササン朝の王に使われていた、とあります。昔作ったパフラヴィー語辞書を見てみたら、pādixšā=rulerとあり、pādixšāで検索してみたら、TITUSサイト掲載のパフラヴィー語文書「Shayast-ne-shayast 」(こちら)がヒットしました。しかし私の辞書自体がTITUSサイト掲載文献を用いて作成したものなので、これは当然です。念のため、日本唯一のパフラヴィー語辞書が掲載されている「パフラヴィー語 : その文学と文法」(こちら)を参照しましたが、掲載されていませんでした。とはいえ、当該書籍の辞書にはMātar(母)、Pētar(父)も載っていないので、単にpādixšāが漏れているだけかも知れません。(言語学的にありえるのかは不明ですが)Pētar+xšāというのも一応説として成り立つのかも知れません。
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by zae06141 | 2017-07-12 00:08 | 古代イラン関係 | Comments(0)
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