古代世界の午後雑記


「古代世界の午後」更新履歴と雑記
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後期ローマ帝国の爵位 ver2

 昨年大清水裕著『ディオクレティアヌス時代のローマ帝国』を読み、後期ローマ帝国の爵位について繰り返し言及されていたことに興味が出たので、少し調べてみました。

 この背景には、ビザンツ時代(7世紀以降)では爵位が重要視され、官職売買の目安となっているものの、それがいつ・どのように、帝政ローマの制度から発展・移行したのか、がよくわからず、かねてからの疑問だったからです。今回調べた後期ローマ帝国の4世紀初頭前後と4世紀末の間では、以下のように変化しています。なお、日本語の爵位名称とギリシア語名は、豊田浩志著『キリスト教の発展とローマ帝国』(南窓社、1994年(p80))に記載されているものを、爵位の語訳は、Matthew Bunson著『Encyclopedia of the Roman Empire』(Facts on File,1994年(p608)を利用しました。




①3世紀末から4世紀初頭

元老院議員爵位
 クラリッシムス級(clarissimus vir/略称V.C)
    ギリシア語 λαμπρότατος ενδοξότατος)(侯爵)
    意味的には”高い身分の人”,”非常に著名な人”,”最も光輝ある人”

騎士階級爵位
  ペルフェクティッシムス級(vir perfectissimus)略称 V.P
    ギリシア語 διασημοτατος(伯爵)意味は”最高の人”
  エミネンティッシムス級(vir eminentissimus)略称 E.V
     ギリシア語 εξοχώτατος (侯爵)意味は”非常に著名な人”
  エグレギウス級(vir egregius)略称 V.E ギリシア語 κρατιστος(子爵)
    意味は”区別された人”

この時期は、まだ元老院議員の爵位はクラリッシムスひとつだけです。ローマ帝国の官僚制は、皇帝官房が発展し、更に皇帝配下の国制の官職や地方都市の官職を創設・増設しながら発展しました。共和制ローマの官職は、基本的には、政務官、都市ローマの一部の役人、政務官を勤めた者が就任する属州総督くらいでしたから、官職の上下を認識するのは簡単です。政務官には、財務官、造営官、法務官、執政官というローマ市民なら誰でも知っている官職があり、属州総督も首都官職と対応して、一級属州(執政経験者が就任する執政官級)と二級属州(法務官就任者が就任する法務官級)に分かれていました。地方都市の行政職も、二人官(ローマの執政官相当)、造営官、財務官と、基本的にローマの官職と対応していましたから、官職のレベルを把握するのは難しくはなかったと思われます。

 しかし帝政時代に入り、皇帝管轄範囲の増大に伴い、段階的に騎士官僚の役職が多数増え出すと、職名だけでは、どのレベルなのかわかりにくくなり、上述のような爵位名の重要性が増したのではないかと推測しています(上記爵位がいつの頃から使われ始め、いつ頃から爵位名が重視され始めたのか、まではまだ調べておりません)。更に、官職が必ず爵位に対応していたとは限らず、通例では下の爵位の者が、上位の爵位が就任する官職に就くことも、その逆もあったようです。なぜなら、爵位と官職の一般的な対応表は、古代の碑文や文献史料から近現代の研究により復元されたものであり、当時の法律文書の対応表が残されているわけではないからです。研究者たちは、帝国官僚のキャリアパスについて、何を通例とし、何が例外となるかを研究することを通して、こうした官職階梯や爵位対応表が整備されてきた、ということのようです。

 この時期における重要な点は、元老院爵位は1つしかないのに対して、騎士階級が3つに細分化されている点です。これはつまり、騎士階級層の官僚・役人職が増大し、ランク分けをする必要が生じてきたからだと思われます。つまり、この時期の爵位のありかたは、高級官僚ではなく、中級官僚層が増大していたことに対応していると思われるわけです。
 日本語では、「属州総督」という共通の訳語があてられていますが、厳密には、共和政末期や帝政初期では、プロコンスル(元執政官就任者)、プラエトル(元法務官就任者)、プラエフェクトゥス(皇帝管轄属州の騎士階級就任者)に、帝政後期には、プラエセス(騎士階級総督)、コンスラリス(元老院階級総督)など、ラテン語官職名は数種類ありました。それぞれ元老院議員と騎士が就任可能な総督職が基本的に別れていて、騎士なのにも関わらず元老院議員格の属州総督に就任するとか、騎士総督属州が新設・分割により増加するなどの方法で、増加ポストが騎士階級により占められていたものと考えられます。帝政初期には約200人くらいしかいなかった官僚が、2世紀には約300人となるのにたいして、元老院議員数は600人のまま変化なく、増加した中級官僚ポストは主に騎士階級によって占められたわけです(1世紀初、1世紀末、2世紀半ばに関する全官僚職ごとの人数表が、新保良明著『古代ローマの帝国官僚と行政』(ミネルヴァ書房、2016年)p16-17に掲載されています。なお、4世紀末の長官職のポスト数(武官服務)は、A.H.M Jones 『Late Roman Empire 284-602 』1964年、通番p1411によると、5世紀初頭の官職一覧であるノティティア・ディグニタートゥムに掲載されている長官職は200名程度、Jonesの研究によると全官吏のポストは3万以上とのこと(浦野聡,1992,p272註61))。

②4世紀末

4世紀末の主たる史料は、テオドシウス法典やローマ法大全などの法典、シュンマクスやリバニオスの書簡(官職推薦状)とのことです。以下の爵位は、浦野聡著「後期ローマ帝国における官職パトロネジ―「推薦」の法制化を巡って」(『古典古代とパトロネジ』(長谷川博隆編、名古屋大学出版会,1992年,p242)を引用しました。

 3世紀初頭と比べると、元老院議員爵位の上位3つが増えています。これらの3爵位は、原則として官職終了時に獲得されたそうです(浦野聡,前傾p266註18)。WikipediaのVir Illustrisの項目には、イッルストゥレース級の史料上の初出は354年で、372年に法文化されたとされています。

元老院議員爵位
  イッルストゥレース級(vir illustris )略称V.I ギリシア語 Λαμπρότατος
  スペクタビレース級(vir spectabiles),略称 V.S
  クラリッシムス級(clarissimus vir/略称
V.C)
騎士階級爵位
  ペルフェクティッシムス級(vir perfectissimus)略称 V.P
  
表にはconsistrianiの語が爵位のように置かれていますが、これは、太線枠内の「comites consistriani(皇帝顧問会議構成員)」のことで、爵位ではありません。

スペクタビレース級のギリシア語については調べがつかなかったのが残念です。しかし一見してわかることは、元老院議員爵位が増大している点です。テミスティオス(317頃‐388頃年)の『弁論集』34-13には、コンスタンティノープルの元老院議員2000人、同数がローマの元老院にいるとされ、合計4000人の元老院がいたと推測されているそうです(『古典古代とパトロネジ』p267註25に出典記載あり。豊田1994,p64によると385年のことかも知れない)。騎士階級の人物が属州総督になると同時に元老院議員に編入されたため、エミネンティッシムスとエグレギウス級爵位は無意味となり、ペルフェクティッシムス級のみ名誉称号として残り、騎士階級も騎士爵位も、騎士概念も政治の舞台からは消えていったとのことです(豊田浩志,1994年,p64)。

 重要な点は、元老院議員の数が大幅に増加し、高級官僚だけではなく、中級官僚をも出せる人数にまでふくれあがった、という点です。そうして、帝政前期の元老院議員の出世階梯(クルスス・ホノルム)であるローマ市の役人と軍団を行ったりきたりするモデルである、
 
 二十人委員→軍団副官→財務官→造営官→法務官→(属州総督/軍団長等法務官(プラエトル級官職))→執政官→属州総督/
ローマ市長官等コンスル級官職

というものから、
帝政後期になると

元老院議員が、
各級属州総督(プロコンスル、コンスラリス、コレクトル、プラエセス)、管区長官、道長官などの地方行政高級文官職と皇帝官房の各職(官房長官、法務長官、財務長官、書記長官、文書局長官)の間を行き来して、最終的にローマ市長官か道長官となるモデル
に移行した(ただし、文官総督職キャリアだけでローマ市長官にまで出世した事例や、皇帝官房だけのキャリアだけで道長官に達した例もあるとのこと)、

ということになったとのこと。同じ階層の者が増えたり、官僚ポストが増大すると、爵位を増やしてポストの価値を示し、差別化を図り、出世へのモチベーションを作り出していたことがわかります。


③5世紀

5世紀前半に、官職インフレ対策として、元老院議員を
イッルストゥレース級のみに制限するようになったそうです。この出典はA.H.M Jones 『Late Roman Empire 284-602 Vol1』1964年、p527-30にあり、どうやら、学説彙纂1, 9, 12, 1のウルピアヌスの見解のようで、Wikipediaのこちらの注釈に法文の当該部分が掲載されています。しかしピエール・マラヴァル著『皇帝ユスティニアヌス』(白水社p13)によると、スペクタビレース級、クラリッシムス級は、元老院議員称号としてまだあった、とあります。このあたりは、当該部分を詳細に扱った専門書にあたらないとわからなさそうです。一方、Wikipedia情報で出典書籍の信頼度にも詳しくないのでなんともいえませんが、6世紀にはイッルストゥレース級も価値が下落し、vir gloriosus(ギリシア語ἔνδοξος)という最上位爵位ができたそうです

なお、ティンネフェルト『初期ビザンツ社会』p74には、5世紀に入り、
イッルストゥレース級が以下の等級に細分化されたとの記載があります(典拠は、ローマ法大全の『勅法彙纂』の12-8-2(441年)の条文とのことです)。

現職の者(イン・アクトゥー・ポンティ)
元官職就任者(ワカンテース)
名誉
イッルストゥレース(ホノラーリイ)

6世紀以降

ビザンツ帝国に関しては、899年に作成された
フィロテオスの「クレートロロギオン(席次一覧)」(フィロテオス文書ともいう)という高級官職一覧表があり、官職とともに爵位が書かれています。ビザンティン同好会様のサイト記事「付録-爵位・官職表-」に引用掲載されています)。ビザンツ時代は官職売買が盛んで、時代が下るにつれて爵位を増設し、爵位のインフレが起こっていたとのことです。後期ローマ帝国の爵位の残存が、「クレートロロギオン」に出てないかと思ったのですが、その痕跡は全然ないことがわかりました。ビザンツは、後期ローマ帝国の爵位ではなく、官職名を爵位化したということのようです。ラテン語の官職名とギリシア語の官職名がそれぞれ爵位化しているようなので、後期ローマ帝国(284-602年)のラテン語の官職名がギリシア語で何と呼ばれていたのか、「クレートロロギオン」に登場する爵位がどのような過程で、もとの官職から爵位化したのか、そのうち調べてみたいと思います。
 どうやら、このあたりがあまり明確ではないところが、ローマ帝国とビザンツ帝国の継続性に関してもやもやしているところなのではないか、と感じています。


□参考文献
 大清水裕『ディオクレティアヌス時代のローマ帝国』(山川出版社,2012年)
 豊田浩志著『キリスト教の発展とローマ帝国』(南窓社、1994年)
 長谷川博隆編『古典古代とパトロネジ』(名古屋大学出版会、1992年)
 新保良明著『古代ローマの帝国官僚と行政』(ミネルヴァ書房、2016年)
 ティンネフェルト著『初期ビザンツ社会』(岩波書店、1984年)
 Matthew Bunson著『Encyclopedia of the Roman EmpireFacts on File ,1994年

 HERMENEVMATA MONTEPESSVLANA(ラテン語・ギリシア語官職名対応表)


※ver2 2017/Feb/5 5世紀のイッルストゥレース級分割部分追記


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by zae06141 | 2017-01-30 00:34 | 古代ローマ・ビザンツ関係 | Comments(0)
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