古代世界の午後雑記


「古代世界の午後」更新履歴と雑記
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突厥同時代史料『キョル=テギン碑文/ビルゲカガン碑文/トニュクク碑文』、メナンドロス・プロテクトールのビザンツー突厥使節記訳注の掲載場所

 今回の記事は、国会図書館の遠隔服複写サービスを利用したい方向けの情報です。

 突厥の同時代史料である、東突厥代第二帝国の可汗、ビルゲ可汗(在716-734年)と彼を補佐した1歳年下の弟のキョル・テギン(731年没)、更に同時代の高官のトニュククの三つの碑文の邦訳が、1943年刊『満蒙史論叢』第四巻、小野川秀美訳注「突厥碑文譯註」にあります。本史料は、突厥自身が自ら刻んだ同時代史料の中の最長のものとして突厥史最重要史料のひとつです。「突厥碑文譯註」は『満蒙史論叢』4巻のp249-425頁です。249-50は論文扉頁とその裏頁なので、実質251頁からの開始です。内訳は以下の通りです。



1.251-280頁 解説  
 前半はほぼ同時代と思われるキルギス人のイェニセイ碑文との比較解説です。後半が、突厥三碑文の訳注の解説です。

2.281ー316頁 ビルゲ可汗とキョル・テギンの碑文突厥文字部分翻訳
 両碑文は重複部分が多く、印象では8割がた重複文です。そこで訳者は、個別行→重複行→個別行→重複行という具合に翻訳しています。解説によると、重複行は、二人の甥のヨルグ・テギンが刻んだ部分と推定できるそうです。こういうわけで、ビルゲ可汗碑文とキョル・テギン碑文を別々にコピーすることはできない構成となっています。重複部分では、ビルゲ碑文とキョル碑文で、単語のスペルが異なっている部分もあるので、原文が2行並んでいます。つまり、重複部分は、ビルゲ碑文/キョル碑文/邦訳文の3行構成となっています。ビルゲ碑文は、キョル碑文の2年後に刻まれたものなので、その間にヨルグ・テギンの文章作成能力が向上したか、正書法がより整備されたのではないか、と訳者は記しています。この時代の突厥は、文字による文章作成技術を習得中であり、その様子が、碑文の文字や内容を比較することで看取できる、とのことです。

732年頃に刻まれたキョル碑文は、ビルゲ可汗が一人称で、弟キョルを三人称で表現し、キョルの人生をビルゲが語る構成となっています。ビルゲ可汗の独白とも取れるスタイルです。しかしながら、735年頃に刻まれた、ビルゲ死去後に刻まれたビルゲ碑文でもビルゲ可汗が独白していて、自伝となっている点がキョル碑文との違いです。しかし、碑文最後の方の非重複行の部分で、ヨルグ・ビルゲが、キョル、ビルゲ双方の碑文をヨルゲ自身が刻んだ、と書いていることから(キョル碑文に関する行では20日かけて刻んだ、とある)、小野川氏は、基本的に両碑文ともヨルグが刻んだもので、キョル碑文の文章をもとに、一部修正、加筆、割愛をして成立したものがビルゲ碑文だ、と推測しているわけです。更に、ビルゲの息子登利可汗の独白部分も一部あり、ビルゲ碑文は、ビルゲ/登利/ヨルグ三者の独白から構成されている点に特徴があるとのことです。
 
 なお、キョル碑文の英語訳はネット上のこちらビルゲ碑文の英訳はこちらにあります。

3.316-327頁 トニュクク碑文邦訳
 英訳はこちらにあります。

4.328頁 キョル=テギン碑文漢文部分
 訳文はなく、漢文のみ(邦訳は無い可能性があります。小野川氏は、白鳥庫吉氏の解説で十分と記載しています。この漢文は、碑文の漢文そのものがネット上のこちらにあります。突厥文字の部分の現代中国語訳も掲載されています(漢文部分は、当時の漢文のままです。碑文の拓本画像はこちらが有用です)

5.329-330頁 ビルゲ・カガン碑文漢文部分
 訳文はなく、漢文のみ。百度百科のこちらの記事に現代中国語訳がありますが、突厥文字の部分含めて本書の内容とは大きく分量が異なっています。

6.331-402頁 註(全251箇所)

7.403ー425 語彙集(碑文に登場する単語のローマナイズ突厥文字-日本語辞書)

8.正誤表1枚
 私が参照したのは大学図書館収蔵本で、奥付の次ページに正誤表が貼られていました。国会図書館本を確認したわけではないため、国会図書館遠隔複写依頼を出す場合は、「正誤表」と指定すれば、複写可能なのではないかと思います。 


 本巻は、全425頁で、「突厥碑文譯註」は176頁、正誤表含めて177頁、書籍の半分以内なので著作権法内で収まります。「突厥碑文訳注」以外の所収論文を確認してくるのを忘れましたが、仮に本巻に他著者論文が掲載されていたとしても、本書は、『満蒙史叢書』という全4巻のシリーズものなので、雑誌扱いとなるため、「複数著者による論文集の場合、一人の著者の論文については半分しか複写できない」というしばりもありません。

 本訳注でも、百聞は一見に如かず、という思いをいだきました。ビルゲ・キョルニ碑文は、基本的に自伝形式で、枚数も多く、読んでみてがっかりするようなものではありません(がっかりする碑文の例については、こちらの記事「突厥碑文一覧表へのリンク」をご参照ください)。トニュクク碑文は、新旧唐書に記載のない、トニュククの前半生のことを回想しているもので、周囲の国からやってきたスパイの二つの事例が特に面白く読めました。
 最初に漢字表記でのビルゲの前後の突厥可汗の名前の一覧表を作っておいて読むと読みやすいかと思います。



本記事ではもうひとつ、遠隔複写のための突厥同時代史料の訳注の紹介をしたいと思います。6世紀ビザンツの歴史家メナンドロス・プロクラトールの著した史書の、突厥ービザンツ間の3人の使節の話が記載された節の邦訳と訳注です。こちらの本は、都立図書館にもありますから、各県レベルの図書館にもあるものと思います。『満蒙史論叢』よりはレアではないかも知れませんが、一応記載します。

内藤みどり『西突厥史の研究』(1988年刊)のp374-395頁に「付録 II 東ローマと突厥との交渉に関する史料 ―Menandri Protectoris Fragmenta訳注―」が掲載されています。p374-75前半が内容紹介、p376-378が18節、ソグド人マニアク(568年)について。p378下段からp382上段が19-21節でゼマルコス(568年)の部分、p382-85上段が43節でウァレンティノス(576年)の部分、p385後半ー395が註です。合計10頁とはいえ、西突厥の王の天幕や周囲の人々の様子が描写されていて貴重です。

西突厥史の研究』、現在アマゾンで29000円します。手が出ません。ぜひ5000-1万円くらいで電子書籍化して欲しいものです。

関連記事
 匈奴と突厥の暦
 突厥碑文邦訳一覧とリンク

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by zae06141 | 2017-04-04 00:14 | その他歴史関係 | Comments(0)
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