古代世界の午後雑記


「古代世界の午後」更新履歴と雑記
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オスマン帝国歴史地図帳『A Hitorical geography of the Ottoman Empire』(1650年まで) ver2

ずっと探していた、オスマン帝国歴史地図帳、ようやく求めていたものに近いものを見つけました。探していたのは、オスマン帝国の地方行政区区画(州県)変遷図です。オスマン帝国の領土拡張ー縮小地図はよく見かけますが、州県地図は見たことがありません。しかも数百年という広域支配の間の州県統廃合などに変わっているはずなので、そのあたりを知りたいと思っていました。

州県変遷図まではありませんでしたが、1525年と1650年のバルカン半島の州県地図が掲載されており取り合えず満足です(小アジアの地図は、地図に年代が書いてないので不明です。次に図書館にいった時に確認したいと思います)。また、この地図はいくつか珍しい地図が掲載されています。地図帳紹介の記事を作成しましたので、ご興味のある方はこちらをご覧ください

※12/25 追記
ランゴバルド諸侯国前半期(カール大帝による征服以前)の政治通史史料パウルス・ディアコヌスの『ランゴバルドの歴史』の邦訳が30日に知泉書館から出版されることを知りました(こちら)。今年はカロリング朝の史料『ニタルトの歴史四巻』の邦訳(こちら)も同出版社から出ていますし、2010年にはカロリング朝史料『母が子に与うる遺訓の書―ドゥオダの『手引書』』(こちら)を出すなど、知泉書館だけの話なのか、日本の歴史ファンの間でカロリング朝が密かに人気なのか不明ですが、カロリング朝ブームが来るのかも知れません。最近古代末期の一環として7世紀西欧(仏西伊)の社会経済文化史に興味があるので、あまり政治史に興味はないのですが、パウルス・ディアコヌスの『ランゴバルドの歴史』は買ってしまいそうです。
 更にいえば、イタリア半島中世については、カール大帝以後、(オットー大帝の使節)リウトプランド以前の200年間の政治社会経済文化史にも興味があり、そのあたりの概説書すら日本語書籍ではなかなかないので、何か史料がわからないかと、仕方なく今年塩野七生氏の『ローマ亡き後の地中海世界』(上)の前半を読んでみたのですが、予想通りひっかかるところばかりでなかなか読み進められないということになりました。例えば、もっとも特徴的な例として、イスラム勢力がルーニというジェノヴァ南東の都市を略奪しているのですが、p105で849年に「ルーニはこれ以降廃墟のままで残る」と書いているのに、p185の1016年の事件のくだりで「ルーニは、ムシェットとその配下の猛攻を浴びて廃墟と化す」と書いています。思わず太平洋戦争中、昭和天皇が、「サラトガが沈んだのはこれで4度目だが」と苦言を呈したとかいうエピソードを思い出してしまいました(これ本当なんでしょうか。昭和天皇実録に載ってるのでしょうか?)。

一度廃墟となって復興して再度廃墟となった可能性もあるので調べてみたのですが、どうやらそうではなく、849年のは略奪だけで、860年にはノルマン人に略奪されているので、「これ以降廃墟のままで残る」という部分は塩野氏の修辞だと思われるわけです。こういう筆のすさびというか、文章に酔ったような極端な表現をするようなところが塩野氏の作品をあまり好きになれなくなってしまった部分なんですよね(ギボンについても同じですけど。まあどちらも文学なので当然ではあるのですが、、、All of them なのか、Some of them なのか、one of themなのか、80
%なのか60、40、20%或いは数%なのか、こういうところは印象に大きく影響するので文学でないならば、厳密に表現する必要があると思うわけです)。あと860年のノルマンによる略奪の記載を書いていないところなども気になるわけです。しかし、塩野氏の文章は、中世イタリア人側の史料に刻まれた「イスラム海賊の恐怖」をそのまま描いている、と理解すれば納得できるわけです。もしかしたら本当に中世キリスト教徒側の史料にルーニは2回廃墟となった、と書かれているのかも知れませんし、それが事実ではなくても、当時の史料作者自身がイスラム海賊の恐怖を宣伝するためにそのような文章を書いたのかも知れませんし。こういうところをきちんと本文や註で出典を示し、更に検証もしてくれれば、「物語」ではなく、「中世キリスト教徒にとっての現実」を描いた(イスラム側の言い分や検証を欠いている)歴史書として読めるのですが、、、、
 ちなみに、この前発見した学生時代の読書リストを見ていて、オスマン帝国に興味を持ったルーツは、塩野氏の『海の都の物語』なのではないか、という気がしています。当時の塩野氏はよかったのになあ、、、というのは記憶だけの話で事実は違うかも知れないので、そのうち『海の都・・』もざっと見返してみたいと思います。私の記憶によれば、塩野氏が極端な書き方をするようになったのは、確か本人が、『ローマ人の物語』の真ん中くらい(2000年頃?)に、「もうこの先のキャリアを気にする必要もない年齢になったので、いいたいことを書くようになりました」と書いたor発言した後あたりから、という記憶があり、ご本人がわかってやっているのであればいいのではないか。ただし私には合わない文章・内容になってしまったけど。と思うようになりました。塩野氏の文章に単純に酔っていられた頃はある意味幸せではありました。しかしこれは、塩野氏も変わったが、私も変わったor知識がついた、ということなのかも知れないので、できれば来年『海の都・・・』等昔読んだ塩野本を読み直してみたいと思っています。

※※2017/Feb/28追記 
 26年ぶりに中公文庫版『海の都の物語(下)』をぱらぱらとめくってみて、2分もたたないうちに、以下の記載が目に飛び込んできました。

「発端は、四世紀になされた、コンスタンティヌス大帝のキリスト教公認にまでさかのぼる。大帝がキリスト教を、ローマ帝国の国教とせずに、他の宗教と同格にして、公認だけしていれば問題は生じなかったのであった(p408)」

この文章は、

「「大帝キリスト教を、ローマ帝国の国教とせずに、他の宗教と同格にして、公認だけしてい」た。その後の諸帝も「公認だけしていれば問題は生じなかったのであった」」

と、「大帝が」を「大帝は」に修正し、「た。その後の諸帝も」を補足して分割すれば問題ない文章となります。しかし、普通に読めば、「公認だけしていれば」の主語は「大帝が」であり、コンスタンティヌス大帝は公認だけにとどめておかなかったから問題が生じた=国教化したのは大帝である、と読めるのではないでしょうか。

ローマ帝国がキリスト教を国教化したのは同じ四世紀のことで、歴史の大勢には影響しないささいな間違いですが、いつか『海の都の物語』全編読み直したいと思っていた気持ちはかなりしぼんでしまいました。ざっとめくって1分ちょっとでこれが見つかってしまうのですから、全部をじっくり読み直すと、『ローマ亡き後の地中海世界(上)』同様ひっかかるところばかりでてきて読み進められず、いちいち調べなくてはいられなくなり、いやな気持ちになるだけ、という可能性が高いように感じます。南川高志氏の気持ち(こちらで紹介しております)がようやくわかった気がします。私の中で、『海の都の物語』に別れを告げる日が来たようです(とはいえ、ヴェネツィア史入門としては、やはり今でも本書はお奨めだと思います。その気持ちは変わりません)。

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by zae06141 | 2016-12-20 00:06 | その他歴史関係 | Comments(0)
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