古代世界の午後雑記


「古代世界の午後」更新履歴と雑記
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匈奴と突厥の暦

前回の突厥の石碑一覧の記事作成時の当初の目的であった、匈奴と匈奴の暦や祖先の業績の記録は一応見付けることができました。






【1】匈奴と突厥の暦

1.匈奴

 『漢書』列伝第64匈奴伝上(邦訳ちくま文庫版第七巻p550)に、「戊と巳の日を吉とする」とあり、十干を利用していたことがわかりました。p549には、「正月」「五月」と出てきます。これは、「中国側の暦の正月/五月相当の月」のことを示しているのか、匈奴自身の月の数え方を示しているのか不明ですが、普通に読めば、「月」の概念があったように思えます(『漢書』には、中国の暦は伝わらなかった、と記載されているとのこと(林俊雄『興亡の世界史 02巻 スキタイと匈奴 遊牧の文明』p219)。
 十干だけだと、十年以上前の年を表現するのに、「前の十干の戊年」「二つ前の戊年の」とかの表現しか思いつきません。匈奴自身の「前の王、その前の王」というような歴代王で凡その過去の年代を表現する方法の有無についても不明です。今後の発掘などで文書や碑文が発見されるのを願う次第です。

2.突厥

 ブグト碑文に「卯(ウサギ年)」、オンギ碑文に「辰年」、チョイレン銘文に「未年(ヒツジ年)」とあり、更にビルゲ・カガン碑文に「[我ガ可汗]戊歳十月二十六[日]に逝キタリ。亥歳五月二十七[日]ニ葬式我営ミタリ」(『満蒙論叢』4巻p312)、キョル=テギン碑文に「未歳ニ 十七[日]死シタリ」「申年ニ七月二十七[日]」(同巻p314)とあるので、十二支を利用していたことがわかります。前傾林俊雄本p219には、1年を12ヶ月、1ヶ月を約30日で計算し、十干は使わず、十二支のみ、と記載があるのは、碑文の記載が根拠なのかも知れません。今回参照した碑文を読む限りでは、突厥についても歴代王で凡その過去の年代を表現する方法の有無は不明です。

長期間を表現できる暦を持たない文化圏は、神話や伝説はあっても歴史はもてない、と理解していますので、匈奴や突厥時代はまだ歴史時代には入っていなかった、というように感じました。

【2】匈奴と突厥の宗教

2015年から放映を開始し、現在第三シーズン放映中のトルコの連続歴史ドラマ『エルトゥールルの復活』の第二シーズンで登場したモンゴル軍の宗教儀式が、あまりに原始的で薬で行ってしまっているようなシャーマニズム宗教として描かれているので、これは、モンゴルに侵略されたイスラーム側の差別的心性の反映ではないか?と疑っていました。

が、突厥に旅した6世紀東ローマの使節の旅行記(内藤みどり著『西突厥史の研究』に訳出されている、6世紀東ローマの史家の断片集『メナンドリ・ピロテクトリス・ フラグメンタ』 pp376-85の、東ローマの西突厥への使節)に、この番組で描かれているような遊牧民の宗教儀礼が記載されていて、突厥の宗教儀式が、まさにドラマ『エルトゥールル』に登場している儀式ぶりだと知りました。

というわけで、ドラマ『エルトゥールル』の紹介記事に注釈をつけました。モンゴル時代と突厥時代は700年くらい違うので、そこを混同するのは時代錯誤かも知れませんが、(モンゴル帝国直前のモンゴルの宗教はまだ詳しくは調べていませんが、突厥時代同様シャーマニズムだったようです)ドラマの宗教儀礼はともかく史料のある内容であることがわかったことは収穫でした。

それにしても、中央アジアの遊牧民族は、早くから中国やタリム盆地やトランスオクシアナと接していて、中国宗教(道教、儒教等)、ゾロアスター教、ネストリウス派キリスト教、仏教、マニ教など経典宗教との接触が長い割りには、なぜいつまでもシャーマニズムが残り続けたのか不明です。

突厥のブグト碑文は、摩滅して読めない裏面のブラーフミー文字で書かれた部分が、インドのブラーフミー文字であるが故に仏典であると考えられ、更に、ソグド文字の表面に登場する「法の石」の法が仏法であること、更に中国史書側に、ブグト碑文に登場する他鉢可汗が仏教に帰依した、とあることから、王族などの一部は経典宗教を取り入れていたことがあるので、それ以前の匈奴や高車、柔然なども経典宗教を一時的に取り入れていた可能性はありそうです。定着しなかったのは、一般民衆には浸透しなかったので、政権が崩壊した時点で終わってしまったからなのかも、という印象が現時点ではあります。

【3】所感

暦は宗教や文字・公用語・貨幣等と並んで文化圏を規定する重要な要素だと思っています。内陸アジアの遊牧民が、紀元前後に幅広く勃興してからモンゴル帝国時代に至るまでの約1000年、キリスト教/仏教/イスラム教/ゾロアスター教/マニ教という大宗教と接しながら、なぜ長期間シャーマニズムに留まり続けえたのか、そうしてほとんどの場合(例外もあります)、最後はシャーマニズムから直接これら世界宗教のいづれかに改宗することになってしまったのはなぜなのか。などに興味が出てきました。

突厥とウイグルとモンゴル碑文の掲載されている『モンゴル国現存遺蹟・碑文調査研究報告』を読んで、天山ウイグル王国に興味が出てきたので、森安孝夫氏の『東西ウイグルと中央ユーラシア』(2015年・862頁)とか『ソグドからウイグルへ シルクロード東部の民族と文化の交流』(2012年・631頁)を読んでみようかと思いましたが、価格が2万円くらいするので諦めました(当面は)。(内藤みどり『西突厥史の研究』も3万円近くするので諦めました)。以前赤坂恒明氏『ジュチ裔諸政権史の研究』(746頁)を図書館で一部読んだ時から思っていたのですが、内陸アジアの研究書の価格は古代ローマや古代イラン(1万円以下)とか漢王朝(1万前後)と比べると桁が違う世界という感じがします。古代ローマや漢王朝の場合、書籍があまりに高額だと、ローマやイランは英語書籍、漢王朝は中国語書籍をAmazonで取り寄せる、という回避策があるのですが、内陸アジアの場合どうにもならない、という足元を見られている気がしなくもありません(中国の大書店でも見た限りではウイグル史の本はウイグル語で出版され、漢語版の詳細研究書は見た事がありません)。

と書いた後、森安孝夫氏の『内陸アジア史研究の新潮流と世界史教育現場への提言』(2010年)という講演録(PDF)に、「まさか現在のように内陸アジア史学が存亡の危機に陥るとは夢にも思いませんでした」とあるのを読み納得しました。この講演録、「ライバル関係にある社会科学」とか「これまではポストが半ば自動的に保証されて自己主張する必要を感じなかった歴史学界も,ここで攻勢に出なければなりません」「今後は,世界史を教えられない内陸アジア史研究者など,どこからも必要とされなくなるでしょう」などと、なかなか刺激的な文言が並んでいて興味深く読みました。
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by zae06141 | 2017-03-26 00:29 | その他歴史関係 | Comments(0)
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