古代世界の午後雑記


「古代世界の午後」更新履歴と雑記
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東京国立博物館2016年特別展『古代ギリシャ 時空を越えた旅』と東洋館、上野の森美術館の『ブータン展』感想

※この記事は、長文であるため、2016年夏開催の東京国立博物館の『古代ギリシャ 時空を越えた旅展』にこれから行くための参考情報を得ようと考えている方は、本記事を「スキュフォス」で検索してその前後だけ読んでください(以下本文)。

 先月『黄金のアフガニスタン展』にいった後、東京国立博物館のサイトをチェックしていたところ、7/10日終了の東洋館の展示に興味深いものがいくつかあったので、一昨日いってきました。東洋館には一度もいったことがなく、アジアギャラリーの展示物も、リニューアル中表慶館で一部が展示されていた時に見学した程度だったので、目的は東洋館のアジアギャラリーのフル展示の見学にあり、『古代ギリシャ展』はあくまでついででした。私の場合、通常の展示会見学時間はだいたい2時間なので、今回、『古代ギリシャ』『東洋館』両方見学して4時間、9時半入場で13時半に終了し、いつも昼時行列ができている上野駅のアトレ上野の上野公園側にあるラーメン屋一蘭に、中途半端な時間にいけば並ばずに住むかも、という計画でした。しかし、結果的にえらいことになってしまいました。

 




 まず寝坊してしまい、上野駅に到着したのは9時半過ぎ。足早に東京国立博物館を目指して上野の森美術館前を通りがかったところ、『ブータン しあわせに生きるためのヒント』という展示会が18日までであることに気づき、10時から開館とあったのでちょろっと30分くらいいいか、と思いブータン展に入ってしまいました。予想を上回るような展示があったわけではなく、20分で見終えたのですが、2点印象に残った点があります。1つは、展示最後の方で流れていたブータン紹介ビデオに、”ブータンの言葉に「しあわせ」という言葉はない"とされていた点。近い言葉は「心地よい」という言葉だとありました。この展示は、日本・ブータン外交関係樹立30周年記念事業として、国家事業として開催されたものなので、適当な話が書いてあるとは思えません。となると、ブータンを日本で有名にした、幸福度指数の調査はいったいなんなのだろう? と思ってしまいました。国民総幸福量調査では、「非常に心地よい」「心地よい」「非常に心地よいとはいえない」の三択だったのだろうか?と疑問に思えてしまいました。いずれにしても2006年の調査で出てきた97%の幸福度とは、5時間に渡る300近い項目の政府役人の聞き取り調査の分析結果として出てきた数字でありかつ、調査当時は国王独裁政時代の話でもあることから、普通に考えれば、余程客観的な理由(例えば病気とか、孤児とか、障害を負っているとか、たまたま調査直前に災害にあったとか)でなければ、王政批判になりかねない回答などしないはずです。

 2点目は、ビデオのインタヴューに登場していた老若男女のうち、中学生以上30代までは(多分)全員英語で回答していた点です。確か小学校から数学の授業は全部英語だと聞いた記憶があります。映像の背景に登場している首都中心部と思われる場所は、ほぼ先進国の新車だけが走り、いったいどうやって外貨を集めているのだろう?と疑問に思えてしまいましたが、ブータンのような小国がグローバル世界でやってゆくには英語教育に力を入れるのは当然のことなのだろうな、と思いました。最近は日本でも、少なくとも都心では英会話学校が激増し、やたらと英語教師外国人や留学生をそこかしこで見かけるようになっていますが(従来白人が住むような地域ではないうちの近所でも常に視界に1人は白人の方を見かけるくらいにまでなっている※1)、GDPが世界の18%近くあった1994年当時(資料)と異なり、現在では6%程度(資料)、一人当たりGDPではサミット7カ国の中ではイタリアと並んで最後尾となってしまっていて、日本は相対的に小国となってきています。背伸びをしたり、大国風を吹かせて余計なことに予算を使うのではなく、寧ろ若干過少評価していただいて、あまり目立たない形で小国化対応を進めることが必要なのではないか、と考えてたりしています(全体的なブータン展の紹介は、こちらの方のブログに多くの写真とともに掲載されていますので、ご覧ください)。

※1 私の経験上の感覚では、1994年前後の円高時も、都心で白人英語教師(主流米豪、夜は水商売)やヒスパニック系娼婦が激増した印象があります。当時と若干違うように思えるのは(牛丼屋やファミレスの客や飲食店の従業員に直接聞取)、白人英語教師では、ギリシアとか南アとか東欧の人など、出身国のバラエティが増えたこと、留学生も、大学生よりも、マンガやアニメの専門学校やゲーム会社就職を目的とした日本語学校の留学生が目立つこと、本来港区や目黒区とかに住むような職業の外国人が、中央線や丸の内線、西武線沿線に住むようになったことです。従来、私の知人(白人)の話では、日本は排他的で家を借りるにしても連帯保証人に煩く、信用できない外国人には部屋を貸してくれず、東京では目黒区は比較的外国人に慣れている不動産屋や家主が多く、区役所も慣れているので、結局家賃が高くても目黒区に住まざるを得ない、というようなことを言っていましたが、最近の状況を近所の不動産屋に聞いたところでは、iPhoneでSiriが登場したことが大きい、”外人お断り”ではなく、単純にiPhone程度で何とかなる程度の英語力が壁だった、という拍子抜けするような意見でした。このあたり居住者が増えているのは、私は、大江戸線が開通したため、白人外国人の夜遊び場である六本木と直結したからだ、という個人的印象を持っていたのですが、不動産屋の意見では、それもあるかも知れないが、ここ数年英語学校が急速に郊外進出していて、白人の人は職住近接が多いからだろう、との指摘でした。


 話がかなりそれてしまいましたが、上野の森美術館ブータン展会場を出て、小走りに東京国立博物館に行き、10時25分頃『古代ギリシャ 時空を越えた旅』展入場。前回、マイナーそうなアフガニスタン展示で50人くらい、平日にも関わらず200人近くが入り口に並んでいた『カラヴァッジョ』展に鑑み、古代ギリシャなら平日でも100人以上並んでいるかも知れないと前売券を買って置いてよかった。実際100人くらい並んでいました。それでも12時半には見終える予定が、3時間50分かかり、見終えたのは14時15分頃となってしまいました。一つの展示会でこんなに時間がかかったのは初めてです。素晴らしい展示だったからというわけではありません(あくまで私の場合)。理由は3つあり、『黄金のアフガニスタン展』は展示品数が245ですが、古代ギリシャ展は325あります。アフガニスタン展は1時間50分で見終えていたので、単純計算すれば、古代ギリシャ展は2時間25分かかることになります。二つ目の理由は、アフガニスタン展の会場配布展示品リストには展示品の材質が書いてあったのですが、ギリシャ展の展示品リストには材質が書いていなかったため、いちいちメモしたため。しかしこれはそれ程時間のかかる作業ではありません。最大の理由は、展示品が多彩で、いちいち全部説明版を読んで、必要な部分のメモをとっていたから、ということにあったのではないかと思います。『黄金のアフガニスタン展』は、同じような飾り板やフラスコが多数並んでいるケースが多く、せいぜいそれらが墓や宝物庫のどこから出土したか、程度の説明しかなく、出土地も、ほぼアイハヌム、ティリヤ・テペ、ベグラムの三箇所だけで、年代も300年間くらいのものですが、『古代ギリシャ展』の方は、各品それぞれ出土地からして違っていて、数えたわけではありませんが、多分200箇所以上、紀元前6500年から5世紀までと、7000年間に跨っています。そんなことに手間をかけるならおとなしく展示会カタログを買った方が効率的だという話になるわけで、2時間くらい経過した時点でそう思ったのですが、写真と説明を手元に残しておきたい程の遺物があるわけでもなく(あくまで私の場合)、もうこの時点で一蘭で食事するのは断念していたので、そのまま最後まで見続けたところ、4時間近くかかってしまったというわけです。しかし今回のカタログもよく出来ていたと思います(ただし、『黄金のアフガニスタン』展カタログは、カタログの内容を知っていれば展示会にいかずに通販でカタログ購入して終わっただろう(あくまで私の場合)、と思いましたが、今回の展示についてはそうは思っておりません(あくまで私の場合)。恐らく理由としては、2点、アフガニスタン展展示物は、細かい装飾品が多く、肉眼より拡大写真の方が装飾がよくわかる、という点と、古代ギリシャ展示物は、大きな彫像等が多く、写真ではインパクトが伝わらないものが多い、という点が挙げられるのではないかと思います)。

 カタログ購入を渋るのは、私がケチだというのもありますが、もう本棚ではなく、部屋自体に本を置くスペースがなくて床に本が積みあがっている状態で、ゴキブリが発生しても追いかけられずゴキブリホイホイに頼ったり、アマゾンで100円以下で出ている本の場合、本棚の奥のどこかにある本を取り出す労力をかけるくらいなら、アマゾンで買ってしまう、という状況に追い込まれていること、今より低い家賃で同じ区域にある倍くらい広い部屋(築30年)に引っ越そうとして、一度は物件を見つけて契約までして引越し屋を呼んだところ、下見に来た引越し屋に、引っ越し先の家では、この本の量では床が抜けるかも知れないからやめといた方がいいと言われてしまい、結局キャンセルして本で満杯の部屋にそのまま住み続けている、ということが最大の理由です。現在は新たな本を買う度に昔の仕事の思い出の書類を少しづつ廃棄してスペースを作っていますが(約10年前から完全ペーパーレスとなっているので、仕事の書類が物理的にはもう増えないのは大助かり)、いずれ限界が来るので、最近はロフトベッド購入を検討したりしているところです。

 と、ここまで書いてきて思い当たったのは、観覧に時間がかかったのは、単純にアフガニスタン展より混んでいたから、という気もしてきました。だいたい1つの展示物あたり1-2人という印象ですが、アフガニスタン展は、1人に近く、古代ギリシャ展は2人に近い、という感じかも知れず、実際にはアフガニスタン展の倍近く混んでいて、展示を見るのに時間がかかったのだ、というような気もします。

 また話がそれてしまいましたが、『古代ギリシャ展』にこれから行かれる方で、以下の用語になじみの無い方は、各容器・用具の形態と説明をあらかじめ1枚の画像に編集して印刷して持ってゆくと良いと思います(容器一覧表は展示会場とカタログにも掲載されているので、あらかじめカタログを購入するか、展示会場で最初に筆写してから見学するとかもありかと思います。スマホでその場で調べるのも可能かも知れませんが、写真撮影と誤解されるので難しいかも知れません(本展示は撮影は禁止。実際スマホを使ってただけの人が注意されていた)。一覧表を作成してタブレットで見るのはありかも知れませんが、今のところ展示会でタブレットを使って何かをしている人は見たことがありません)。

 スキュフォス、ピュクシス、オイノコエ、ルテリオン、レキュトス、ヒュドリア、クラテル、ストレンギス、アリュバロス,アラバストロン、カンタロス、キュアトス、フィアル、キュリクス、カリュクス

 展示会場の空調は丁度よかったのですが、流石に3時間を越えたあたり(第六章古代オリンピックのあたり)から、足の裏が冷えてきて(私はかなりな冷え性なので)、そのうち全身寒気がし始めてしまって辛くなり、見学の集中力も低下して更に時間がかかることになってしまいました。

ところが、

 最後のローマ時代の展示物のところまで来ると急速に元気が戻ってきました。ローマ時代の展示物のところまで来て、我が家に帰ってきたようにほっとしたのには我ながら驚きました。これはやっぱり私は(最盛期の)ローマが好きだということなのだなあ、と改めて思った次第です。

 ところで、このローマ時代の展示物について、もうひとつ思ったことがあります。それは、アンティノウスとハドリアヌスの彫像が隣り合っているにも関わらず、アンティノウスがそっぽを向いていることです。推測ですが、これは配置を決めた方が故意にやったのではないかなあ、という気がしました。とにかく、配置を決めた方の意図の有無に関わらず、ハドリアヌスとアンティノウスの関係を知っている方であれば、この配置には「あれっ」と思うような気がします。 

 続いて東洋館に向かいました。東洋館にあるレストランでお昼を食べようと思っていたのですが、ワンタンスープで800円くらい、天丼で1100円くらい、他も、ありふれた洋食屋にあるようなメニューで価格1.5-2倍というのでお昼は我慢することにしました。ホテルオークラのレストランなのだから、それなりのメニューなら1500円でも2000円でも構わないのですが、軽食喫茶で出るようなメニューでこの値段は、、、、ホテルオークラなら定食屋のメニューでも倍美味しい、とはとても思えないのでやめました。まあケチですが、その分夕飯を豪華にいくことにしました。でも、こちらの方がブログで書いているように(こちら)、東洋館リニューアルオープンの時に限定記念メニューででてきた「黒豚ハンバーグ 1600円」というようなものがあれば、ここで昼食にしていたものと思います。

 というわけで、朝食を食べてから既に6時間、この段階でも、東洋館の展示物は、表慶館に臨時展示されていたくらいの展示量だろうと思い込んでいたのですが大甘でした。結果えらいことになってしまいました。今回の主目的は、東洋館の展示品の全体を把握することと、東洋館のホームページに記載されている特集展示の以下の展示を見たかったからです(以下優先度順に並べています。最初の3つの展示が10日までというのが、特に無理して見学した理由でもあります)。

 西域の美術 3室 2016年7月10日まで
 インドの細密画 13室 2016年7月10日まで
 西アジア・エジプトの美術 3室 2016年7月10日まで
 クメールの彫刻 11室 2017年5月7日まで
 インド・ガンダーラの彫刻 3室 2016年12月23日まで
 中国の石刻画芸術 7室 2017年4月9日まで
 アジアの染織 インドの染織 13室 2016年7月24日まで
 中国の漆工 9室 2016年7月10日まで
 
東洋館の展示物の全体的な解説は、先に併設レストランホテルオークラのところでご紹介したブログ(こちら)に各ブロックごとに写真入りで紹介されているので省きますが、これは見応えがあり、収穫の多い展示でした。これだけの展示品は、主に戦前の日本が突然アジア諸国の中で突出した経済力・軍事力を持った結果、遺物を買い叩ける列強側に立てたからこれだけのものを揃えることができたのだなあ、と思うと、悩ましいものがありますが、日本でこれだけのものがあるのだから、大英、ルーブル、エルミタージュ、メトロポリタンはやはり一度は行っておかなくてはならないなあ、と初めて思いました。今まで30カ国近く旅行していますが、現地博物館に求めるものは、その国の領域内にある過去の遺物であって、他の国の遺物目当てでいこうなどと考えたことは一度も無かったのですが、今回東洋館を観覧して上記4大美術館については、一通り見るだけで2,3日かかるのではないか、という感じさえ持ってしまいました。

 そういうわけなので、東洋館を5階から下りながら全展示を見た結果、地下一階のインドの織物を見終わったのは18時半。4時間かかりました。空腹感はなかったのですが、とにかく足が疲れました。疲れたというよりもう靴底がペラペラになって痛い感じ。何かの苦行をしているような気になってきました。

ところが、

 またしても突然元気が出る時がきました。それはクシャーナ朝時代の世俗っぽい建築物と人物のレリーフを見れた時です(だいたい17時半頃)。パルティア美術とかササン朝美術という用語はありそうですが、クシャーナ朝美術という用語は聞いたことがありません。通常はガンダーラ美術とか、古代インド美術(マトゥラーの出土遺物など)という用語が利用されるからです。東洋館の展示物では、クシャーナ朝美術という用語は使われているわけではありませんが、展示品の解説パネルに、ガンダーラのものも、マトゥラーのものも、「クシャーナ朝」と書かれていたのが新鮮でした。私はあまり宗教に興味は無いので、仏教美術とイコールとされるガンダーラ美術にもあまり興味は無かったのですが、社会の一部としての宗教関連物は興味の対象内なので、仏像そのものには興味がなくても、仏像がレリーフの中央にあったとしても、そのレリーフの背景に登場している建築物や人物の服装が、世俗建築や世俗の人々の服装であったり、あるいは世俗建築や世俗の服装からの影響や関連が見られたりすると、俄然興味がわいてくるわけです(今確認したところでは、Wikipediaのガンダーラ美術の項目にも、世俗的なレリーフの画像が多数掲載されていることがわかりました。ちょっと調べればわかることを調べようともしなくなる、という先入観というものの弊害を見事に象徴するパターンとなりました。とにかく、ガンダーラ美術=仏教のみ という先入観は覆されました)。

 私は長期的に安定していてあまり戦争をしない広域政権とその社会が興味の対象なので、クシャーナ朝のよう急速に拡大して急速にしぼんでしまうような短期政権にはあまり興味がありません。そもそも王朝や国家にはあまり興味が無いので、私のサイトでは古代地中海世界とか中華世界、古代イラン世界、ビザンツ世界などという用語を使っているわけですが、これら世界が統一と安定にあればmore betterというわけで、比較的長期広域安定政権にあったパルティアの領土を奪ったくせに長期安定政権を作れなかったクシャーナ朝はほとんど関心が無かったの筈なのですが、疲労困憊の極みにあった筈なのに元気が出てしまったところを見ると、やっぱり古代イラン世界の一員でありかつ最盛期ローマや後漢と同時代のクシャーナ朝の文物には興味があるようです。なんか誤解を招くような表現ですが、体は正直だ、と思いました。
 
 一方、期待していたインドの細密画の展示はイマイチでした。昔確かウィーンの博物館かどこかで数枚見た記憶があるのですが、その時にもイマイチに感じた記憶があるのですが、その後、『インド細密画への招待』(PHP新書-浅原昌明著/2008年)という書籍を読んで再び興味がわき、また現物を見てみたいと思っていたものです。で、自分が何に興味があったのかがわかりました。それは、細密画の絵自体ではなく、どこでどのような細密画が勃興し、影響を与え合ったか、というような、文化史としての興味なのだ、ということです。なので、展示の最初にインドの地図とともに、ラジャスターン派、デカン派、ムガル派、バハーリ派という各画派の地域地図が出ているのに、いきなり展示最初の2枚がキシャンガル派となっていて、残り4点がジャイプール派で、地図に載ってるラジャスターン派は3点だけ。よくよく画派分布地図を見ると、ジャイプールもキシャンガルもラジャスターン地域内の都市にあるのでラジャスターン派の一部だということはわかるのですが、少し解説不足なのが残念でした(まあネットで調べればわかることなのですが、その時はカメラと財布以外の荷物はロッカーに預けていて、スマホを取りにいく発想さえわかない程疲れてました)。

 取り合えず東洋館の展示物の写真は80枚くらい撮ってきたので、記事になりそうなものがあれば、そのうち記事を書こうと思います。

 当初の予定では、ここで終わる筈だったのですが、

特別公開「新発見!天正遣欧少年使節 伊東マンショの肖像」本館 7室 2016年7月10日まで

日韓国交正常化50周年記念 特別展「ほほえみの御仏―二つの半跏思惟像―」
国宝 半跏思惟像 飛鳥時代・7世紀 奈良・中宮寺門跡蔵
韓国国宝78号 半跏思惟像 三国時代・6世紀 韓国国立中央博物館蔵
本館 特別5室 2016年7月10日まで

というのを見つけてしまい、もう少し苦行を続けることにしました。本館の2階への階段が物凄く高く感じました。

 もうビジネスアワーは終わっていたので、本日これまでとは違った客層・年齢層の人々(本日これまでの客層とは老齢の日本人か、若い外国人。東洋館は外国人の方が多そうなくらいでした。いっぽう、この時の客層とは、10-50代の日本人。特にOL)がきていて半跏思惟像は大変な混雑でした。

 この2つを見終わったのが19時半。こうなったら、閉館の20時までいよう、などと思ってしまい、そこで本館展示の案内を見ると、

アイヌと琉球 アイヌの祈り 本館 16室 2016年7月10日まで

とあったので、これを見ることにしました(本当は半跏思惟像つながりで、法隆寺宝物館で展示されていた「金銅仏 光背 押出仏」展を見たかったのですが、法隆寺宝物館まで歩く気力がなかった)。足が痛くて16室まで歩くのが気が遠くなるような気がしました。展示は、今回はアイヌの展示だけで琉球の文物はありませんでした。狭い展示室なので、両方やられては中途半端な感じです(実のところは16室だけの展示は狭すぎて、片方だけでも中途半端な感じですが、、、)。琉球については、沖縄旅行した時に遺物や遺跡を見ていますが、アイヌの文物を見るのははじめてなので参考になりました。


というわけで、10時2分にブータン展に入場し、19時58分に東京国立博物館を出るまで9時間56分、ほぼ10時間博物館を見学した、自己新記録の日となりました。いままで一日に三つの展示会をはしごしたことは結構あるのですが、いずれも1時間くらいで見れる規模の小展示会で、展示会を理由に、普段乗らない地下鉄に乗り、展示会の帰りは、来るときとは別の地下鉄の駅まで散歩するなど、どちらかというと都心探訪目的のものだったので、1日10時間ほとんど休憩を取らずに見学を続けたのは初めてです。あまりに疲れたので夕飯を少々豪勢にいこうと思っていた店のある駅を乗り過ごしてしまい、結局自宅近くのファミレスで自棄食いをして終わったのでした。えらい一日となりました。


2016年8月21日追記:東京国立博物館東洋館を先月訪問したところ、「エリュトラー海案内記ハンズオン」というものがありました。これは、館内備え付けのパソコンで『案内記』の貿易物資をわかりやすく表示したものです。エジプトから紅海、バブ・エル・マンデル海峡を経てインドへ向かう航路地図が表示されていて、各貿易拠点をクリックすると、その拠点での主な輸入品と輸出品の写真と解説が表示される、というものです。 乳香とか没薬、象牙・絹といった交易品目が、必ずしもインドとローマの間でend to end で取引されていたわけではなく、エリュトラー海交易は、多数の地域間交易が連結したもので、アレキサンドリアからインドまでに出張った商人も、地域間交易をしながらインドに達していたことが、頭に入りやすいシステムとなっていてお奨めです。


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by zae06141 | 2016-07-10 00:57 | その他歴史関係 | Comments(0)
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