古代世界の午後雑記


「古代世界の午後」更新履歴と雑記
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全部を読むことはできない -世界文学史はいかにして可能か-

 前回に続き、今回も世界の文学の話です。(世界史の叙述の話にも関わっています)(以下more)



 読みたい書籍や視たい大河ドラマなどについて、「これは老後に廻す」と考えることが多々あります。最近「これは老後に」と考えていることが多いことに気がつき、「老後に」と考えている書籍がどのくらい蓄積されてきているか棚卸ししてみました。岩波文庫、東洋文庫、京都大学学術出版会西洋古典叢書、平凡社中国古典文学大系、筑摩書房 世界古典文学全集、筑摩書房 世界文学大系、集英社 ラテンアメリカの文学、世界聖典全集、アル・タバリーの歴史など約1300冊、若い時に読んだ書籍の読み直し200冊など、ざっと数えても1500冊くらいになりそうです。一日8時間平均3日で一冊読了するとしても12年以上かかります。更に中国やNHKの歴史大河ドラマなどが視聴したい長編ドラマが約100本あり、これも3日で1本視聴するとして約1年間。余裕を見ても15年間くらいかかりそうです。

 私の両親の話によると、だいたい76歳頃を境に急激に本を読むのが難しくなってきた、とのことなので、15年間という期間を60-75歳の間に行なうことになると想定することにしてみます。私が65歳になる頃には、年金の支払いが67歳くらいに延び、支給開始年齢も67歳とか70歳くらいになりそうなので、15年間書籍とドラマ漬けで過ごすには、60-70歳の期間年金を支払いつつ預金と個人年金や運用益程度で過ごす前提で資産形成を図らなくてはならない、ということもわかりました(2016年6月追記:その後認識を変えました。70歳以降になっても、国民年金も厚生年金もゼロという前提で準備しておかなければならない。せめて70歳以降、国民年金の徴収が無ければラッキー、70歳以降医療費負担は3割に留まればラッキー、国民年金はゼロ前提で、厚生年金がなんとかもらえればラッキーくらいに考えるようになりました。そもそも95歳くらいまで生きそうなので、生涯就業の時代となりそうです。老後なんて来ない前提で生きた方がよさそうです。一生老後が来ない、と考えるようになって、逆にほっとした感じです。これは老後に、と思っていた本を少しずつ読んでいこう、と考えを改めました)。書籍代は、一冊平均1000円で全部購入した場合でも150万円程度で済みそうです。そもそも古典や文学はほぼ全部図書館にあるので、図書館をフル活用すれば殆どコストはかからずに済みそうです。


 重要な問題は、60歳までには(つまりあと10年少々)、残りの人生でやっておきたいことの全体感を掴み、具体的なアクションプランに落としこめるように資金や環境を準備しておかなくてはならない、という、今更なことが、改めて把握できた、という次第です。

 そこでちょっと考えてみました。仮に全部読むとしても、優先順位をつける必要があります。優先順位をつけるとしたら、「世界文学全集」に掲載されているものや世界文学ベスト10に入るような作品がまず優先されることになるだろう。しかし、「世界文学ベスト10」とはどうやって決まるものなのか?40年以上前の「世界文学全集」という枠組みは今でも有効なのか?そもそも「世界文学全集」はどういう枠組みで決まっているものなのか?国連の議席のように全ての言語毎に最低1作が割り当てられるべきものなのか、それとも文学界固有の価値観による序列化が可能なものなのか?

 という疑問に進んだので、「世界文学史」や「世界文学」を論じた本を読んでみました。私の疑問通りの題名ズバリの書籍が出ていることで、一気に読んでしまいました。内容も非常にエキサイティングでした。検索したら、そのものの題名の書籍が出てきてビックリしました。そうして、「世界文学史」の論じ方や議論の方向は、「世界の歴史という記述」がいかに成り立つのか、「世界史とは何か」という議論とかなり共通しているものがあることがわかりました。今回読んだ書籍は以下の二冊です。

 『世界文学とは何か』 デイヴィッド・ダムロッシュ著/国書刊行会/2011/4(原著2003年))
 『世界文学史はいかにして可能か』 木内 徹/福島 昇/西本あづさ監修/成美堂 /2011/10(原著2008年))

前者は個人の単著、後者はホプキンズ大学の文学理論研究季刊誌 「ニュー・リテラリー・ヒストリー」の特集号掲載論文の翻訳(掲載17論文のうち11論文)です。

以下に、(私にとって有用と思えた部分の)内容の要約をご紹介してみたいと思います。


【1】遠読(distant reading)

 まず驚いたのが、ウォーラーステインやブローデルの名前が各所で引用されていること。「世界文学史が国民文学史の総和ではない」という点は、既に当然の前提とされていて、「世界文学史」の定義に関する議論は、(各国史の総合である)「World History」ではなく、世界各地域を横断的に総合化する「グローバルヒストリー」前提の議論となっているようです。

 「世界文学とはNATO文学という批判」「グローバルに流通するジャンク小説」「文学的エコツーリスト(通常1国か2国の文学を読み、夏を3カ国目で過ごし、ちょっとした合間に他の国の本を読む人々)」「世界への窓(旅行の低コストな代替)である」「内外不均衡(英語書籍が他国に翻訳されることが殆どでその逆は僅か)」「文化輸出」 

 などなど、のっけから刺激的な切り口が並び、端的に現在の「世界文学」の特徴が記載されてゆきます。どうやら最近の文学理論ではこのあたりの問題意識は、既に当然の前提であるようで、グローバリセーションやら、欧米中心主義批判などは歴史学と同様の展開を見せているようです。とはいえ、歴史学とは少し違う側面もあるようです。

 例えば、歴史学では、全ての歴史を描くことは不可能で、最初から選択や捨象は方法論的な前提なのですが、世界文学史の理論では、対象は「現在に残っている文学作品」と限定されている為、選択や捨象そのものが、アクチャルな方法論的議論となっている点。その上で、膨大な量になってしまった世界の文学について、「せめて人生が二倍になって140歳まで生きられたとしたなら(ダムロッシュ前掲書p220)」という嘆きが登場し、遠読(distant reading)という方法論について議論されます。遠読というのは、統計を用いて小説の出版点数を社会学的・社会史的に分析する方法なので、歴史学や社会学では普通に行なわれていることですが、基本的に「読もうと思えば全て読んで分析する(精読=close reading) ことができた文学」という世界にとっては、遠読という方法論が大きな議論になる話のようだ、ということがわかりました。

 統計分析を用いたフランコ・モレッティの書籍「Graphs, Maps, Trees: Abstract Models for a Literary History」があちこちで登場しているので取り寄せて読んでみました。本書自体は100頁少々しかない薄い書籍です。江戸時代の日本の書籍の出版点数もグラフが出ていて驚きました。この書籍は方法論の書籍なので、登場するグラフは全て他の研究からの引用となっていて(もしかしたら社会史側の研究かも)、斬新な点は、「世界文学」という枠組みで、英国、スペイン、日本、イタリア、デンマークなど、各国の数値を比較して分析しているところにあるといえそうです(※2016/10追記:フランコ・モレッティ著『遠読―〈世界文学システム〉への挑戦』の翻訳が出たので読みました(感想はこちら)。

 一方、全てを網羅するという姿勢も世の中には残っていて、150人が寄稿している『ヨーロッパ文学史』が2000年に出版されているが、『世界文学史はいかにして可能か』でも寄稿しているダムロッシュ氏は(分厚すぎて)「座って読むには難しい(p85)」、歴史というより百科事典になってしまう、と指摘し、もうこうなってしまっては、百科事典的なものはWikipediaのようなものに任せ、しかしWikipediaのようなものはカオスになってしまうので、全体像を与えるべく指針となる1冊からせいぜい2-3冊の印刷書籍を出して役割分担をする、という方法を提案しています。


【2】 正典問題

 何を「正典」とするかも重要な論点のようです。歴史学の世界では、一次史料、二次史料という序列はあっても、歴史上の重要人物や事件の重要性に序列を付けたりはしませんが、文学の世界では「正典」なるもの(ホメロスとかシェークスピアとか)の定義がどうしても必要となるようです。ダムロッシュ前掲書のp219では、イエール大学のハロルド・ブルームが西洋文学の正典の定義を試みた『西洋の正典』で26人の作家を扱っていることに対して、ダムロッシュは、


 「『西洋の正典』は26人の作家を扱っているが、26人も必要だろうか?「率直に言えば、正典とはプラトンとシェイクスピアのことだ*1」。ふたりだって必要か?「(略)シェイクスピアこそが西洋の正典である*2」」

 と、記載しています。

 ハハハハ。なるほど。数百冊も必要ない。西洋文学については最悪シェイクスピアだけを読めばいいわけか。『ハムレット』は学生時代に読み、あまりピンと来なかったが、老年になったら違う感想を持つかも知れないので、最悪『ハムレット』を読み直すだけで良いのかも。 

 と、いうことになるのかどうかわかりませんが、正典問題が重要な論点となっていることは良くわかりました。

※ *1は「西洋の正典」p34,*2は同p70のブルームの文章から、ダムロッシュが引用している部分


【3】 翻訳とコンテキスト

 私の見たところ、続く大きな主題は翻訳とコンテキストの問題です。これは歴史学にも大いに関わると思われるところですが、歴史学と大きく異なっていると思われる部分もありました。100年も昔の作品だったり、外国の作品を読む時に、背景となる社会状況(コンテキスト=文脈)が異なっていることから、文意がわからない部分が出てくる。そうした場合に、

 「18世紀中葉の詩の厳格な読者は、イギリスの王立園芸協会編の「園芸辞典」を折に触れて参照するだろう(ダムロッシュ前掲書p449)」 

 というような読み方が文学として必須なのか、という話が、大真面目に議論されています。
 園芸辞典など参照しなくてもわかるように、翻訳家はコンテキスト(背景)を含めて翻訳するべきか(「同化翻訳」という)、脚注にすべきか、意訳も註も排除して文章通り精密に訳すべきか(「異質化翻訳」という)。

 歴史学の場合には、史料の翻訳は精密に訳し、その他は注や辞典を活用するようにする、というのが基本的な姿勢だと思いますが、文学の翻訳の場合は、例えホメロスやシェイクスピアであっても、この限りではない、寧ろ、世界文学とは翻訳文学含めたものである、という方向にあるようです。翻訳を通じて新しい生命が与えられる古典こそ真の古典である、翻訳を通じて豊になる文学こそ世界文学である、というようなことを前掲書において著書のダムロッシュ氏は主張されておられますが、確かに文学について言えば、この主張は力を持ちそうな主張です。

 1000年くらい前までは、ホメロスを読む人は(一部ラテン語訳があったものの)基本的にはギリシア語を学習して読んだであろうし、キケロを読む人は300年くらい前まではラテン語を学習して読んでいた筈なのに対して、現在では恐らく世界の主要言語や翻訳に投資できる一部の人口の多い先進国だけが自国語の翻訳版で読み、残りの人びとは英語やフランス語版などで読んでいる筈であって、ギリシア語やラテン語で古代ギリシアやローマの著作を読む人々は殆ど学者に限られているのだろうと思われます。ギリシア語のホメロスは博物館に格納され、現在や未来に渡って流通する主要なテキストは非ギリシア語版だったりすることを考えると、学者が力説するまでもなく、実際のところ既に結果的に古典文学は翻訳文学であり、時代の変化とともに新訳が出続ける古典こそ、正典たりえるのだ、という捉え方はきわめて自然に納得できるものがあります(そうして、この論点からすれば、仮に現在の口語に近い文体の新訳が出たからといって文語調旧訳の価値が失われることも無い、という数年前の『カラマーゾフの兄弟』『赤と黒』新訳論争をうまく消化してくれます。また、「コーラン」のような正式には翻訳が存在しえない文献・文化のあり方の議論にも向かわせてくれます)。

 しかしこうなってしまうと、行き着く先は、口当たりのよい口語に意訳され、「正典」というブランドにシェアが保護されているうちにどんどん内容が劣化してゆき、遂にはジャンク訳古典に成り下がってしまう気もするのですが、この点に関して、ダムロッシュ氏が例としてあげている源氏物語の英訳版の新訳歴には興味深いものがあります。

□アーサー・ウェイリー訳(1921年~1933年)は、名訳とされているが、物語中の和歌を殆ど削除し、残りを散文とし、西洋読者向けに情報を補っている(同化翻訳)
□サイデンステッカー訳(1976年)は、ウェイリー訳より原文に忠実で、和歌も訳出している
□ロイヤル・タイラー訳(2001年)では、サイデンステッカー訳の3倍の脚注が付き、巻末に50頁以上の背景説明、地図、屋敷図、服装、称号、官職などの語彙リストがつき、異質化翻訳となっている

 というように、『源氏物語』の英訳版については、翻訳の進化は、良い方向に進んでいるようです。

 日本でも、アラビアンナイトのように、当初翻訳されたのは児童向けに簡単な内容に縮約された物語であったものが、時代を経る毎に本格的な翻訳が出版されるようになったということと同じで、良い方に向かえば、読者層が厚くなり、より知的となり、悪い方に向かえば、ジャンク訳が増大してしまう、ということのように思えます。

 ところで、ダムロッシュ氏が提案している世界文学史の一つの方法には、歴史学では絶対に出来そうも無い方法もあります。それは、時代を越えた比較を行い、そこから何か有用なものが生まれるかも知れない、という点。『源氏物語』とプルーストと比較したり、『心中天の網島』とモリエールの『町人貴族』を比較するような。同時代の宋とマムルーク朝の慈善制度を比較することは歴史学で可能であっても、紀元前後の都市ローマと8世紀の長安を比較することは、話題としては面白くでも、歴史学としては無意味となりますでしょう。 



【4】 まとめ

 学生時代に計画的に百冊程作品を読んだ以外、「世界文学」の範疇に入るような作品は年に1,2作しか読んで来なかったので、世界文学の定義に関する議論は、非常に面白く、歴史学と似ている部分や異なる部分を考えさせられ、非常に刺激的でした。

 歴史学では、研究や論文ではともかく、「世界史」という啓蒙的な記述については、「世界文学史」が抱えるようなものと同じような問題を抱えている気がします。日本でも、各社が出してきた世界の歴史シリーズ本の比較や、世界史を記述した書籍の比較などを行う、「世界史(という叙述)はいかにして可能か」という書籍があってもよさそうな気がします。近いところでは、『グローバル・ヒストリーは何か』が、前傾ダムロッシュの『世界文学とは何か』に、前傾『世界文学史はいかにして可能か』が、複数寄稿者から構成されている『グローバル・ヒストリーの挑戦』に近いようなところがありますが、この2冊は、複数著者から構成される「世界の歴史シリーズ」に関する検討は無いので、内外のシリーズ本を含めた世界史記述の可能性と議論についての書籍を読んでみたいと思う次第です。

 『世界文学とは何か』『世界文学史はいかにして可能か』は、色々と啓発されたところの多い書籍だったので、内容を整理して理解するのが難しかったのですが、この記事を書きながら、なんとかで整理できた気がします。前回の記事の建築史や言語史のところで触れたグローバル・スタンダード(世界文学は普遍文学である、というゲーテの定義や、世界文学は英語でまとめられた世界文学全集なのか、といったような)問題は、既に議論が行なわれていることはわかりましたが、世界文学史の社会学的分析―例えば、叙事詩は口承時代に発達するメカニズムとか、黙読が誕生する社会的条件などといった、文学の社会機能史分析を普遍用語を用いて西洋や中国・日本に適用したようなものは、『声の文化と文字の文化』やフランコ・モレッティの、19世紀以降の各国出版研究以外はあまりなさそうな感じを受けました。この点では、普遍用語を用いて技術的観点から、建築構造の展開史を追うところまでいってはおらず、単なる各国の建築物を年代順に並べた特徴史となっている世界建築史と比べれば、世界文学史の議論自体は先をいっている感じがする一方で、その内容自体は、未だ「各国国民文学の総和」以上のものとはなりえていない、という点(このあたりは前回で話題にした内容)で、建築史や言語史と概ね同じ段階にあるように思えました。 


 結局、老後に読む本の優先順位や絞込みが何かできたかというと、現時点では、特にそんなことは無かったりするのですが、おいおい整理・消化してゆければと考えています。村上春樹の小説のどれかを英語版で読んでみようという気になったりしているので、読みたい書籍がかえって増えてしまった気もしているところです。


その他参考になった文献(pdf)
 ・新訳をめぐる翻訳批評比較 佐藤美希(北海道大学/2009年) 『赤と黒』
『カラマーゾフの兄弟』の新訳問題に関し、わかりやすく整理されています
 ・現代における「翻訳」の問題 西川長夫(立命館大学/) 幕末以来の日本における仏和辞典小史となっていて面白い読物となっています
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by zae06141 | 2015-06-30 00:07 | その他歴史関係 | Comments(0)
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