古代世界の午後雑記


「古代世界の午後」更新履歴と雑記
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帝政ローマとビザンツ帝国の各属州一覧表

 地方行政区画なんて結構頻繁に変わるものなので、調べてもあまり意味が無いように考えていたのですが、白水社クセジュ文庫『皇帝ユスティニアヌス』に527年の属州一覧表が、アンミアヌス・マルケリヌスの『歴史』にユリアヌス帝遠征時のサーサーン朝の地方区分が記載されているのを見て、俄かに興味が出てきてしまい、調べてみました。意外にまとまった文献が少ないことから、備忘録代わりに本記事を作成した次第(以下more)。

※アイザック・アシモフ『銀河帝国の興亡』のコミック(『銀河帝国興亡史1 ファウンデーション』 )が昨年出ていたことを最近知りました。ホーガンが死去した時には「星を継ぐもの」がベストセラーになったので、星野之宣氏がコミック化したのはわかるのですが、何故今『銀河帝国の興亡』なのか、気になりました。これまで何度か映画化の話があったものの毎回立ち消えとなっていますが、最近のSF映画の映像を見ていると、『銀河帝国の興亡』も映像化が可能だと思いますし、是非死ぬまでには映画を見てみたいものです。ところで、このコミックを知ってもっとも驚いたことは、コミックのアマゾンの「この商品を買った人はこんな商品も買っています」の二番目に、「県立地球防衛軍」が出てきたことです。多くの読者にとっては壮大な銀河帝国も県立地球防衛軍も同じニーズだったんですねえ。こういう国民性には嬉しくなります。もしかしてアシモフの『銀河帝国の興亡』の「この商品を買った人はこんな商品も買っています」にも「県立地球防衛軍」のようなものが何かあがってないかと期待してみてみましたが、こちらは残念ですが普通のSF本ばかりでした。





【1】アウグストゥス時代(前28-23年)の属州一覧
 3世紀初頭のローマ元老院議員カッシウス・ディオ『ローマの歴史』53巻の12節の前28-23年を扱う章に皇帝管轄属州と元老院管轄属州のリストがあります。合計24州が記載されています(イタリア半島はこの当時は属州では無いので除外されている(イタリアはディオクレテイアヌス時代に属州となる)。イタリアを含めると25州)。

 -元老院管轄属州(11州)
 アフリカ、ヌミディア、アジア、ギリシアとエペイロス、ダルマティア、マケドニア、シチリア、クレタ、キュレナイカ、 ビテュニアとポントゥス、サルディニア、バエディカ

 -皇帝管轄属州(11州)及び管轄地域(2地域)
 タラコネンシス、ルシタニア、ガリア・ナルボネンシス、ガリア・ルグドゥネンシス、アクティタニア、ベルギカ、ライン河に沿った(ローマ人がゲルマン人と呼んでいるケルト人の一部が占有している)ベルギカ人の領域であるゲルマニアと呼ぶ領域(ライン川上流から源流域地域とブリタニアの海に至る低地地方からなる)*1、コエレーシリア(Coele-Syria)、フェニキア、キリキア、 キプロス、エジプト

*1 低地地方は通常属州下ゲルマニア、ライン上流地方は属州上ゲルマニアとされる

 南仏とイタリア・ピエモンテ州との境のアルプス地帯や現ブルガリアやモロッコ周辺がアウグストゥス時代の領域図に入っていない史料の一つはこれなのだとわかりました。


【2】 2世紀
 2世紀の天文・地理学者「プトレマイオス地理学」では、第2巻ヨーロッパ西部・第3巻東部・第4巻リビアの題名が「州または総督領ごとの説明」となっています。第5巻の小アジアとシリア・パレスチナを扱った巻には総督領ごとという記載はありませんが、各巻内の各章が、概ね帝政ローマ歴史アトラスに記載されている属州と対応しており、とりあえずプトレマイオスの章割を元に、上記アウグストゥス時代との差分に対応する州名を記載すると以下の通り。

 ノリクム、上パンノニア、下パンノニア、イリリア(ダルマティア)、キュルノス島、ダキア、上ミュシア(モエシア)、下ミュシア、トラキア、マウレタニア・ティンギタネ、マウレタニア・カイサレンシア、ビテュニアとポントゥス、アジア、リュキア、ガラティア、パンフィリア、カッパドキア、メソポタミア、ペトラのあるアラビア(合計20州)

 アウグストゥス治世前半の25州に20州が加わり、単純に合算すると合計45州となります(ローマ帝国の地図では属州の境が明確に記載されているが、「プトレマイオス地理学」に州境の緯度と経度が記載されており、この書物も典拠のひとつだと思われます)。


【3】ディオクレティアヌス帝時代の属州一覧史料
 300年頃に作成されたとされる『ヴェローナ・リスト』という属州名一覧表が残されているそうです。リンク先の属州一覧表には101の属州がリストされています。ディオクレティアヌス時代の行政改革で属州数が倍になったとのことで、改革前は約50の属州があったことになります。50という改革前の属州数の一覧史料は見つけられていませんが、概ねプトレマイオスの区分45州と一致しています(南仏・イタリア国境山岳地帯のアルプス3州を加えると48州となる)。


【4】5世紀初頭の属州一覧史料
 400年頃に作成されたとされる 『ノティティア・ディグニタートゥム』という帝国官職表が残されているそうです。尚樹啓太郎著『ビザンツ帝国の政治制度』(2005年、東海大学出版会)のp144-145に4世紀末の帝国地図と属州一覧表が掲載されています。これは恐らく『ノティティア・ディグニタートゥム』に基づいていると推測されるのですが、ざっと数えたところ119の属州がリストされています。『ヴェローナ・リスト』の属州区画と大きな異動は無さそうです。Wikiの記事には『ノティティア・ディグニタートゥム』のラテン語テキストへのリンクも貼られていて、文書のイメージを見ることが出来ます。文書を表計算ソフトにコピーして行を調べてみたところ、2300行くらいになったのですが、見出し行や、一行に複数の官職が記載されている行があり、実際の官職数は数えておりませんので不明です。前傾『ビザンツ帝国の政治制度』p73には初期ビザンツ帝国の中央政府の官僚数を2500名程度と記載していて、もしかしたらこの数値の出典は『ノティティア・ディグニタートゥム』かも知れません。掲載されている属州は116。


【5】535年頃の属州一覧表史料
 535年にヒエロクレスという人が作成した属州と諸都市のリスト『シュネクデモス』という文書が残されているそうです。64の属州と912の都市名が掲載されているとのこと。尚樹啓太郎著『ビザンツ帝国史』(東海大学出版会1999年)p222-223にはユスティアヌス1世治世末期の属州一覧表と属州区画地図が掲載されています。ユスティニアヌス時代の属州改組法令史料が残されていて、それらと「シュネクデモス」からの変遷を追うことでユスティナヌス時代末期の属州地図が描けるようです。『ビザンツ帝国史』p223によると、ユスティニアヌス治世初期の領土に相当する属州数は66で、属州の数そのものは治世初期と末期での相違はあまりありません。新規に征服した西方領土の属州数は19で、合計85の属州が掲載されています。

 これらを見ていて長年の疑問がひとつ氷解しました。現在のブルガリアはバルカン山脈を境に北部の台地状の地域と東南部の河川流域の堆積地帯、南部の山脈地帯に分かれています。帝政ローマの属州区画では北部はモエシア、東南部はトラキアと称されてきましたが、モエシアは更に上モエシア、下モエシアの二つに分かれ、上モエシアは現在のセルビア北部となっていて、ユスティニアヌス1世時代には、モエシアはラテン語圏、トラキアはギリシア語圏となっていたとのこと。これが疑問でした。現在の両地方は現ブルガリアや中世ブルガリア・古代トラキア王国いづれでも単一の領土に属しているので先入観が出来てしまっていたのですが、帝政ローマ時代については、ローマ中心に考えると、モエシアはハンガリーからドナウ河沿いに下って行く地方であり、トラキアはバルカン半島のエーゲ海沿いを北上してたどり着く地方です。日本古代の行政区画である五畿七道で、現在の岐阜や長野・東北地方が中仙道(モエシアに相当)、三重・愛知・静岡・神奈川・東京が東海道(トラキアに相当)しているようなものなのかも、とモエシアに関する地理感覚が漸く腹に落ちた感じ。


 ビザンツ帝国の属州は、7世紀のバルカン半島へのスラブ人・ブルガリア人・アヴァール人、アラブ人の侵攻で崩壊し、新しくテマという地方行政区画が掲載されてゆきますが、6,7,8世紀のまとまった史料は無さそうです。

【6】899年に作成された「フィロテオスのクレートロロギオン(フィロテオス文書)」という高級官職一覧表にテマ長官のリストが含まれています。この官職表は井上浩一著『ビザンツ帝国』(岩波書店、1982年)のp128-29に掲載されていて、全部で25のテマが記載されています(このテマリストはこちらにあります)。復元地図は、前傾尚樹啓太郎著『ビザンツ帝国史』p453に掲載されています。

 その後10-11世紀にかけて征服された地域については、皇帝コンスタンティノス7世(在913-959年)記載の『テマについて』やその他史書に掲載されている内容により、テマ区画地図が復元されているようです。


 オスマン朝の属州行政区画にも興味があるのですが、まとまった地図が見つからないのが残念です。オスマン朝の行政区画も頻繁に変更されているようなので、Wikiの「オスマン帝国の行政区画」という記事に比較詳細な一覧表があります(これは英語版Wikiの「Administrative divisions of the Ottoman Empire」に言語リンクが貼られているのですが、この英語記事には一覧表は掲載されておらず、エヤレット(Eyalet)というオスマン朝中期の地方行政区画名の記事に一覧表が掲載されています(この記事が、日本語記事の「オスマン帝国の行政区画」に相当する内容となっています(1609年のオスマン朝全土のエヤレット区画地図はこちらなど)。この地図を参照すると、オスマン帝国の文官でルメリア(バルカン半島)財務長官とアナトリア(小アジア西部)財務長官が何故帝国宰相の地位となっているのかが視覚的に納得できるのできます。恐らくトルコ共和国では、オスマン朝の歴史アトラスくら出版されているとは思うのですが、なかなかAmazonに乗ってこないのが残念です。

 ところで、1045年のビザンツ帝国のテマと現在のトルコ共和国の地方行政区画を重ねてみました。赤線がテマ区画、色付の背景が現在のトルコ共和国の行政区画地図です。両者の地方行政区画で重なる部分があれば、それは政治的・民族的区域ではなく、地勢的な要因の比重が大きい境界と見なせるかも知れないと思ってやってみたわけですが、重なる部分は殆ど無く、少なくとも1045年時点のビザンツのテマは地形とは関係なく成立した可能性が高そうな感じです(ビザンツのテマの地図はこちらのサイトから、現在のトルコの行政区画地図はWikiのこちらの図から引用)。
a0094433_21343180.jpg

 また、ベイリク時代の地図オスマン時代の小アジア地図も比較してみました。手間がかかるので重ねてはいませんが、ベイリク時代、オスマン朝、ビザンツのテマの区画は、どれもばらばらで、地形的な要素とは関係ない領域区分となっている感じです。
a0094433_2142756.jpg

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by zae06141 | 2014-02-04 00:10 | 古代ローマ・ビザンツ関係 | Comments(0)
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